「おい、それオレのエビフライ!」
オレの皿に残っていた最後のエビフライをアキがかっさらっていく。昼休みの食堂は騒々しいことこの上ないので、必然的に声が大きくなる。
「うん、知ってる」
「『知ってる』ってお前、人の物を黙って取るな!!」
「おかずがなくなって白飯だけ食べるのって淋しいじゃん。だからもらった」
「『もらった』ってオレはやった覚えはない!勝手に食っただけだろうが」
「いや~、残してるから嫌いなのかと思って」
「違う!!オレは好きなものは最後に取っておくタイプなんだ!!」
我ながら大人げないと思う。しかし、アキの無神経さは言って聞かせないとエスカレートする一方であることをこの半年で学んだオレ。
「へえ~、ミクってそうなんだ。ちなみに俺は好きなもん最初に食うな。あっ、じゃあショートケーキのイチゴも残しておいて最後に食うのか?」
「それは一番に食う。ってか、話題を逸らすな!!」
反省の色なくのうのうと白飯を食うアキをオレは睨みつける。
「しょうがないな~、ミク、俺のエビフライやるよ」
アキの隣に座っているハルルが自分の皿に残っていたエビフライをオレの皿に載せてくれる。
「ハルルは優しいな~、ってか食い過ぎだろう。何で弁当食ってさらに定食まで食ってんだよ」
ハルルは母親お手製の弁当を持参しておきながら、さらにオレ達と同じ定食まで食べているのだ。
「いや~、朝練するようになってから腹が減って減って」
悲壮な顔をして腹を押さえてみせるハルル。そう、少ない練習時間を補うべく1年生は自主的に朝練を始めたのだ。
「ってか、今日の朝練はバッティング練習だっかたらそんなエネルギー使ってねえだろう。って訳でアジフライ没収!!」
道理が通っているような通っていないような理由でアキがハルルの皿からアジフライを奪う。
「ああっ、そう言うアキも食いすぎじゃん!!」
サクッと良い音を立ててアジフライに噛みつくアキの脇腹にハルルが軽くパンチをお見舞いする。
「良いんだよ~オレは。この後、体育の授業があるからエネルギー使うんですぅ~」
「いや、アキ。体育は体育でも保健体育だから身体動かさんぞ」
アキと同じクラスのクリ坊が冷静に突っ込みを入れる。
「えっ?ウソ?体育じゃねえの?オレ体操服持ってきたのに」
「ったく、時間割ぐらいちゃんとチェックしろよなぁ~。小学生かよ」
オレはやれやれと言った感じにため息をもらしてみせる。
「じゃあ、保健体育の教科書忘れたってことか?」
ハルルが根本的な疑問をアキに投げ掛ける。
「うんにゃ。大丈夫!教科書は全部ロッカーに入れてあるから!!」
自信満々に胸を張って見せるアキ。
「全部!?」
オレ、ハルル、クリ坊の3人の声が重なった。
「そっ。便利じゃん」
「便利ってお前、家で勉強しないのかよ」
野球部員ではあるが、その前にオレ達は進学校の生徒なのだ。
「しないよ~、家帰ったらシャドーピッチングと素振りした後、風呂入って寝ちまうから」
「・・・」
3人が唖然として顔を見合わせる。その微妙な空気を打ち破るようにオレのスマホが鳴り出した。画面には登録されていない知らない番号。いたずらか?と思いながらも取り敢えず画面をタップする。
「もしもし?」
「ああ、玲くんか?紺野だ」
紺野って誰だ?でも、オレの名前を知っている以上知り合いらしいのだが、ぴんとこない。
「済まん済まん、昭平だ。裏の家の昭平だ」
オレの困惑に気付いたのか、いつも通り名乗ってくれてやっとわかった。実家の裏に住むじいちゃんの幼馴染、昭平さんだ。それにしてもなぜ昭平さんがオレの電話番号を知っているんだ?いや、そもそも何でオレに電話してくるんだ?オレの中で言い知れない不安が広がる。
「さっき保さんが倒れているのを見つけて、今、救急車で病院に来ている。詳しい容態はまだわからんが、玲くん、今から病院へ来られるか?」
不安は的中した。オレの心臓がこれ以上ない速さで脈打ち、その音がスマホを当てた耳にまで届く。
「行きます!どこの病院ですか?」
心配そうに見つめる3人に説明する時間も惜しく、オレはスマホを耳に当てたまま荷物を取りに教室へと駆け出した。
「色々、ありがとうございました」
オレは深々と昭平さんに頭を下げる。
「いや、わしは何にもしとらんよ。玲くんは若いのにしっかりしとるから、何もすることなかったわ」
昭平さんが日に焼けた顔をくしゃくしゃにする。
「では、失礼します」
腕の中の遺骨をぎゅっと胸に抱き、オレは自宅の勝手口へと踵を返す。
「玲くん、何でも頼ってくれよ。代わりにはなれんだろうが、わしを保さんだと思って」
勝手口に手を伸ばしたオレの背中に向かって昭平さんが声を掛けてくれる。
「ありがとうございます。わからないことがあったら相談に伺います」
オレは昭平さんの気遣いにしっかりとした口調で答え、勝手口から自宅へ入る。誰もいない自宅は当然、真っ暗で静か。オレが病院へ駆けたときにはじいちゃんはもう冷たくなっていた。オレの到着を待っていた医師からじいちゃんの死因は心筋梗塞だと説明を受けた。前からじいちゃんの心臓は弱っていたらしく、オレには言わなかったが、夏に転んだ原因も心臓だったらしい。オレは病院でずっと付き添ってくれていた昭平さんや近所の人たちとじいちゃんを自宅に連れて帰り、昨日通夜をして今日は葬儀を済ませた。
町長まで務めたじいちゃんの葬儀には多くの人が参列してくれた。現在の町長を始めとする役場の人々から、近所の人、学生時代の同級生が次から次へと。そして、オレの担任の先生と野球部の1年生8人も来てくれたのだ。電車とバスを乗り継いでこんな山奥まで来てくれたかと思うと素直に嬉しかったし、見慣れた顔を見られただけでオレは励まされた。
葬儀であれだけたくさんの人が出入りしていた自宅だったが、今は誰もいない。オレはじいちゃんの遺骨を母さん、ばあちゃんの写真が並ぶ仏壇に載せる。
「じいちゃん、母さんやばあちゃんと会えたか?」
遺骨に向かって話しかける。もちろん答えはない。そして、物音ひとつしない家。古くて大きい家だけど、これまではどこかしらにじいちゃんの気配を感じていた。台所や縁側、居間や風呂で何かしらの物音。それが今は一切なく、耳に痛いぐらいの静寂。ああ、オレ一人なんだなと改めて実感する。余りにも静かでこの家だけじゃなく、この地球上に一人ぼっちになった気さえしてくる。まるで無限の宇宙空間に放り出されたような心許なさ。静かなのに落ち着かなくて、自分でもどうしたいのかどうしていいのか分からなくなる覚束なさ。何かしようと思うのに何をする気にもなれず、ぼんやりと仏間に座り込んでいたときだった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴り響いた。こんな夜中に?昭平さんだろうか?とオレは慌てて仏間を出て、玄関へと向かう。玄関引き戸の磨りガラスには確かに人影が。
「はい?」
オレは靴箱に立て掛けてある子供時代に使っていたバッドに目を遣り、確かめてから誰何の声を掛ける。不審者ならそのバッドを使って叩きのめしてやる。
「・・・俺。アキ」
想像もしていなかった来訪者にオレは自分の耳を疑った。えっ?どういうことだ?とっくの昔に帰ったじゃないか?首を傾げながらもオレはすぐさま玄関の扉を開けた。
「よお」
照れ臭そうに右手を上げてみせるアキ。
「どうしたんだ?」
オレは玄関灯に照らされたアキを訝しげな表情で見つめる。
「・・・あのさ」
アキが自分の足元を指さす。その仕草に導かれてオレは目線を下げる。するとアキの足は靴ではなく、スリッパを履いていた。
「えっ?」
アキの足と顔を交互に見つめるオレ。
「靴に履き替えるの忘れて帰った」
その言葉通り、玄関の隅に学校指定のローファーが一足残っていることに気付いた。オレは昭平さんと火葬場から帰ってきて、勝手口から家に入ったからオレの靴ではない。ということは・・・
オレは思わず笑った。いや、自分では笑ったつもりだったのに、玄関の床に水滴が落ちた。あれ、これ何だ?と思ったら、頬に温かいものが次々流れ出ていく。えっ、これ涙?えっ、もしかしてオレ泣いてる?自分でも信じられなくて、目の前に立つアキの顔を見つめた。これまで見たこともない、包み込むような優しい眼差しのアキ。その視線に触れた瞬間、オレの中で何かが切れる音がした。
うわぁ―――――ん。
溜まり溜まっていた何かを吐き出すように腹の底から声が出た。これまでずっと我慢していた悲しみとか淋しさとか不安とか色んな感情が一気に噴き出してきたのだ。
かんしゃくを起こした子供のように泣きじゃくるオレにアキが手を伸ばし、抱き締める。大きな手がオレの背中を静かにさすってくれる。その確かな温もりにすべてを委ねてオレは感情を解き放つ。アキの胸に顔を押しつけ、身体中の水分がすべて涙になって流れ出るんじゃないかと思うぐらい泣き続けた。そんなオレの背中をアキはずっとさすり続けてくれた。
「長らく使ってねえから、カビくさいかもしんねえけど我慢しろよ」
オレは来客用の布団を広げながら、アキに忠告する。遅くて駅まで出るバスも終わっているので、アキは今晩家に泊ることになった。裏の昭平さんに言えば車を出して駅まで送ってくれるだろうけど、オレは言い出さなかった。死んでも口にはしないけれど、今日は朝まで独りでいたくなかったから。
「ずえんぜんOK。俺のベッドなんかいっつも『汗臭せえっ~』って母ちゃんと姉ちゃんがファブリーズかけまくってるから」
風呂を沸かしてアキも入ったのでスエットを貸してやったのだが、オレよりしっくりきてて何だか不思議だった。
「どうせ、お前は『面倒臭い』って風呂に入らずに寝ることもあるからだろうが。当然の仕打ちだ」
駄目だ、醜態を見せてしまった恥ずかしさからいつも以上にアキへの当たりが強い気がする。
「おっ、よくわかってんじゃん。しっかし、本がいっぱいだな~」
オレがせっせとアキの布団を用意している中、当のアキは興味深げにオレの部屋を観察している。
「あんま見んなよ」
「何、見られて困るようなもんでもあんの?」
触発されたようにアキが目を輝かせて、さらにきょろきょろする。
「ねえよ。お前じゃあるまいし」
「えっ、何。俺の部屋来たことないのに見られて困るもの満載なの知ってんのか?」
「言葉の綾で言っただけだが、満載なのか?」
「中学3年間の赤点のテストが山のように隠してあって、捨て場所に困っている」
「ぶっ」
部屋の方々に押し込まれた赤点のテスト用紙を想像して思わずオレは吹き出した。
醜態を見せたにも関わらず、それをからかったり無駄に心配したりせず、いつも通り接してくれるアキに救われる。泣きやんだ後、恥ずかしさと照れ臭さでどうしていいかわからなかったオレにアキは何事もなかったかのように「駅から最終バスでここまで戻ってきたから、今日泊らせて」と言い出したのだ。
「だからさ~、これから高校3年間の赤点テストを隠す場所がない訳よ。でさ、しょうがないからこないだの中間試験のテストを学校のゴミ箱に捨てて帰ったら、先生に見つかってむっちゃ叱られた」
「・・・ってか、テストの隠し場所考えるより赤点を取らない努力をしろよ」
こいつの発想は根本的におかしい。
「あっ、そっか。そういう考え方もあるか。さすが野球部きっての秀才は言うことが違いますなあ~」
自分で言うのも何だがスポーツ推薦で高等部に入学したけれど、成績も常にトップクラスをキープしている。アキの言う通り、野球部1年生では一番上位の成績で、反対に「こいつら大丈夫か?」という不安もあった。
「ほら出来たぞ、今日の寝床だ」
敷布団、枕、毛布に掛け布団と準備した寝床を指さす。
「うひょ~っ」
何となく想像は出来たが、想像を裏切らずアキが布団に飛び込んだ。
「おお、快適、快適。俺のベッドより綺麗で寝心地がいいわ」
白銀の世界ではしゃぐ犬のように布団の上を転がりまわるアキ。その姿を子供の頃から使っている自分のベッドに腰掛けてオレは呆れ顔で眺める。
「あっ、ミクティは?」
「・・・」
アキはガバッと布団から上体を起こすと辺りを見回す。少なくともオレはスヌーピーのぬいぐるみを『ミクティ』だと認めていないし、これからもその名前で呼ぶことはないが、少なくとも何を指しているかはわかった。
「・・・寮に寄らず、学校から直接こっちへ帰ってきたから持って帰ってない」
不機嫌極まりないといった顔付きでオレは答える。
「そっか、淋しいだろう。何ならミクティの代わりに俺を抱きしめて寝るか?」
「アホか、お前は!!オレは普段からミクティを枕元に置いているだけで抱きしめて寝てないし、そもそもお前なんかがミクティの代わりにならん!!可愛げもないし、ごっついし、暑苦しいし、能天気だし、願い下げだ!!」
全身全霊で否定する。自分でもここまでムキにならなくてもと思ったのだが、なぜか力一杯反論してしまった。
「あっ、ミクもミクティって呼んでる。何か嬉しい」
「・・・」
アキの指摘に悔しくて唇を噛む。アキといるといつもこいつのペースにはまってしまう。
「じゃあ、俺が子守唄を歌ってあげよう」
「いらんわ!うるさい」
「ええっ!?俺、野球より歌の方が自信あったりするんだよな~」
確かに合宿のバスで歌っていたアキは上手かった。
「なら野球部辞めて、軽音部にでも入れ」
思ってもないことを口にしながら、オレはごろんとベッドに横になる。
「そうなんだよな~。けどさ、オレ、歌より野球の方が好きだから」
それは見ていればわかる。しんどい持久走や連続ノックを受けているときでさえこいつは楽しそうなのだ。そんなアキと一緒に練習しているとこっちまで楽しくなってくる。それは「上手くなりたい」、「負けたくない」という思いでこれまで練習してきたオレにとって初めての感覚だった。
「なあ、アキ。冬場の練習だけどさ」
オレがベッドの上で身体を横向けながら話しかけると、アキは布団の上すでに寝息を立てていた。しょうがないな~とオレはベッドから降りて、アキに毛布と布団を掛けてやる。穏やかなアキの寝顔が目に入り、何とはなしにオレは眺める。騒がしくて、おちゃらけたキャラが際立っていて気付かなかったが、こうしてじっくり見るとイケメンだと思った。
オレはベッドに戻り、肘で頭を支えてアキの寝顔を見つめる。自然と笑みが浮かび、胸に温かいものが広がってくる。ずっとこうして見ていたいような、手を伸ばして触れてみたいような。ふいに「ミクティの代わりに俺を抱きしめて寝るか?」というアキの言葉が蘇ってきて、オレはうわ~、うわ~、うわ~、と一人赤面して、妄想を必死に打ち消す。消そうとすればするほど、鼓動が大きくなっていき、収拾がつかなくなる。
「これじゃまるで恋する乙女じゃん!!」と自嘲しようとして、オレはハタと気付く。えっ?オレ、アキに恋してるのか?アキのこと好きなのか?えっ?そんなことあるはずがないだろ、ないよな、ないに決まってるだろう!!否定すればするほど、この胸の高鳴りの理由が鮮明になっていく。
オレ、お前のこと好きなのか?答えを探すようにすやすやと気持ちよさそうに眠っているアキの寝顔を見つめる。もし、そうだとしたら、大泣きした理由にも説明が付くことにオレは気付いた。好きだから、自分を誤魔化せなかったのだ。好きだから、自分をさらけだしてしまったのだ。好きだから、ありのままの自分を受け止めてもらいたかったのだ。次から次へと自分の気持ちが丸裸にされていく感覚。ああ、オレ、アキのこと好きなんだと認めると、ストンと色んなものが腑に落ちた。男だし、友達だし、チームメイトだし、ライバルだしと色んな言い訳で覆い隠していたオレの気持ち。じいちゃんの死という不測の事態でそのベールが一気にはがれて飛んでいってしまったのだ。
オレは布団の中に潜り込み、大きなため息を漏らす。じいちゃん、何て置き土産をしてくれたんだよと胸の中で語りかける。そんなオレの耳に心地良いアキの寝息が聞こえてくる。好きな人が隣にいる幸福感と扱い兼ねる恋心への苛立ちという二つの感情から逃れるようにオレはぎゅっと目をつむり、無理やり自分を寝かしつけようと試みた。
オレの皿に残っていた最後のエビフライをアキがかっさらっていく。昼休みの食堂は騒々しいことこの上ないので、必然的に声が大きくなる。
「うん、知ってる」
「『知ってる』ってお前、人の物を黙って取るな!!」
「おかずがなくなって白飯だけ食べるのって淋しいじゃん。だからもらった」
「『もらった』ってオレはやった覚えはない!勝手に食っただけだろうが」
「いや~、残してるから嫌いなのかと思って」
「違う!!オレは好きなものは最後に取っておくタイプなんだ!!」
我ながら大人げないと思う。しかし、アキの無神経さは言って聞かせないとエスカレートする一方であることをこの半年で学んだオレ。
「へえ~、ミクってそうなんだ。ちなみに俺は好きなもん最初に食うな。あっ、じゃあショートケーキのイチゴも残しておいて最後に食うのか?」
「それは一番に食う。ってか、話題を逸らすな!!」
反省の色なくのうのうと白飯を食うアキをオレは睨みつける。
「しょうがないな~、ミク、俺のエビフライやるよ」
アキの隣に座っているハルルが自分の皿に残っていたエビフライをオレの皿に載せてくれる。
「ハルルは優しいな~、ってか食い過ぎだろう。何で弁当食ってさらに定食まで食ってんだよ」
ハルルは母親お手製の弁当を持参しておきながら、さらにオレ達と同じ定食まで食べているのだ。
「いや~、朝練するようになってから腹が減って減って」
悲壮な顔をして腹を押さえてみせるハルル。そう、少ない練習時間を補うべく1年生は自主的に朝練を始めたのだ。
「ってか、今日の朝練はバッティング練習だっかたらそんなエネルギー使ってねえだろう。って訳でアジフライ没収!!」
道理が通っているような通っていないような理由でアキがハルルの皿からアジフライを奪う。
「ああっ、そう言うアキも食いすぎじゃん!!」
サクッと良い音を立ててアジフライに噛みつくアキの脇腹にハルルが軽くパンチをお見舞いする。
「良いんだよ~オレは。この後、体育の授業があるからエネルギー使うんですぅ~」
「いや、アキ。体育は体育でも保健体育だから身体動かさんぞ」
アキと同じクラスのクリ坊が冷静に突っ込みを入れる。
「えっ?ウソ?体育じゃねえの?オレ体操服持ってきたのに」
「ったく、時間割ぐらいちゃんとチェックしろよなぁ~。小学生かよ」
オレはやれやれと言った感じにため息をもらしてみせる。
「じゃあ、保健体育の教科書忘れたってことか?」
ハルルが根本的な疑問をアキに投げ掛ける。
「うんにゃ。大丈夫!教科書は全部ロッカーに入れてあるから!!」
自信満々に胸を張って見せるアキ。
「全部!?」
オレ、ハルル、クリ坊の3人の声が重なった。
「そっ。便利じゃん」
「便利ってお前、家で勉強しないのかよ」
野球部員ではあるが、その前にオレ達は進学校の生徒なのだ。
「しないよ~、家帰ったらシャドーピッチングと素振りした後、風呂入って寝ちまうから」
「・・・」
3人が唖然として顔を見合わせる。その微妙な空気を打ち破るようにオレのスマホが鳴り出した。画面には登録されていない知らない番号。いたずらか?と思いながらも取り敢えず画面をタップする。
「もしもし?」
「ああ、玲くんか?紺野だ」
紺野って誰だ?でも、オレの名前を知っている以上知り合いらしいのだが、ぴんとこない。
「済まん済まん、昭平だ。裏の家の昭平だ」
オレの困惑に気付いたのか、いつも通り名乗ってくれてやっとわかった。実家の裏に住むじいちゃんの幼馴染、昭平さんだ。それにしてもなぜ昭平さんがオレの電話番号を知っているんだ?いや、そもそも何でオレに電話してくるんだ?オレの中で言い知れない不安が広がる。
「さっき保さんが倒れているのを見つけて、今、救急車で病院に来ている。詳しい容態はまだわからんが、玲くん、今から病院へ来られるか?」
不安は的中した。オレの心臓がこれ以上ない速さで脈打ち、その音がスマホを当てた耳にまで届く。
「行きます!どこの病院ですか?」
心配そうに見つめる3人に説明する時間も惜しく、オレはスマホを耳に当てたまま荷物を取りに教室へと駆け出した。
「色々、ありがとうございました」
オレは深々と昭平さんに頭を下げる。
「いや、わしは何にもしとらんよ。玲くんは若いのにしっかりしとるから、何もすることなかったわ」
昭平さんが日に焼けた顔をくしゃくしゃにする。
「では、失礼します」
腕の中の遺骨をぎゅっと胸に抱き、オレは自宅の勝手口へと踵を返す。
「玲くん、何でも頼ってくれよ。代わりにはなれんだろうが、わしを保さんだと思って」
勝手口に手を伸ばしたオレの背中に向かって昭平さんが声を掛けてくれる。
「ありがとうございます。わからないことがあったら相談に伺います」
オレは昭平さんの気遣いにしっかりとした口調で答え、勝手口から自宅へ入る。誰もいない自宅は当然、真っ暗で静か。オレが病院へ駆けたときにはじいちゃんはもう冷たくなっていた。オレの到着を待っていた医師からじいちゃんの死因は心筋梗塞だと説明を受けた。前からじいちゃんの心臓は弱っていたらしく、オレには言わなかったが、夏に転んだ原因も心臓だったらしい。オレは病院でずっと付き添ってくれていた昭平さんや近所の人たちとじいちゃんを自宅に連れて帰り、昨日通夜をして今日は葬儀を済ませた。
町長まで務めたじいちゃんの葬儀には多くの人が参列してくれた。現在の町長を始めとする役場の人々から、近所の人、学生時代の同級生が次から次へと。そして、オレの担任の先生と野球部の1年生8人も来てくれたのだ。電車とバスを乗り継いでこんな山奥まで来てくれたかと思うと素直に嬉しかったし、見慣れた顔を見られただけでオレは励まされた。
葬儀であれだけたくさんの人が出入りしていた自宅だったが、今は誰もいない。オレはじいちゃんの遺骨を母さん、ばあちゃんの写真が並ぶ仏壇に載せる。
「じいちゃん、母さんやばあちゃんと会えたか?」
遺骨に向かって話しかける。もちろん答えはない。そして、物音ひとつしない家。古くて大きい家だけど、これまではどこかしらにじいちゃんの気配を感じていた。台所や縁側、居間や風呂で何かしらの物音。それが今は一切なく、耳に痛いぐらいの静寂。ああ、オレ一人なんだなと改めて実感する。余りにも静かでこの家だけじゃなく、この地球上に一人ぼっちになった気さえしてくる。まるで無限の宇宙空間に放り出されたような心許なさ。静かなのに落ち着かなくて、自分でもどうしたいのかどうしていいのか分からなくなる覚束なさ。何かしようと思うのに何をする気にもなれず、ぼんやりと仏間に座り込んでいたときだった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴り響いた。こんな夜中に?昭平さんだろうか?とオレは慌てて仏間を出て、玄関へと向かう。玄関引き戸の磨りガラスには確かに人影が。
「はい?」
オレは靴箱に立て掛けてある子供時代に使っていたバッドに目を遣り、確かめてから誰何の声を掛ける。不審者ならそのバッドを使って叩きのめしてやる。
「・・・俺。アキ」
想像もしていなかった来訪者にオレは自分の耳を疑った。えっ?どういうことだ?とっくの昔に帰ったじゃないか?首を傾げながらもオレはすぐさま玄関の扉を開けた。
「よお」
照れ臭そうに右手を上げてみせるアキ。
「どうしたんだ?」
オレは玄関灯に照らされたアキを訝しげな表情で見つめる。
「・・・あのさ」
アキが自分の足元を指さす。その仕草に導かれてオレは目線を下げる。するとアキの足は靴ではなく、スリッパを履いていた。
「えっ?」
アキの足と顔を交互に見つめるオレ。
「靴に履き替えるの忘れて帰った」
その言葉通り、玄関の隅に学校指定のローファーが一足残っていることに気付いた。オレは昭平さんと火葬場から帰ってきて、勝手口から家に入ったからオレの靴ではない。ということは・・・
オレは思わず笑った。いや、自分では笑ったつもりだったのに、玄関の床に水滴が落ちた。あれ、これ何だ?と思ったら、頬に温かいものが次々流れ出ていく。えっ、これ涙?えっ、もしかしてオレ泣いてる?自分でも信じられなくて、目の前に立つアキの顔を見つめた。これまで見たこともない、包み込むような優しい眼差しのアキ。その視線に触れた瞬間、オレの中で何かが切れる音がした。
うわぁ―――――ん。
溜まり溜まっていた何かを吐き出すように腹の底から声が出た。これまでずっと我慢していた悲しみとか淋しさとか不安とか色んな感情が一気に噴き出してきたのだ。
かんしゃくを起こした子供のように泣きじゃくるオレにアキが手を伸ばし、抱き締める。大きな手がオレの背中を静かにさすってくれる。その確かな温もりにすべてを委ねてオレは感情を解き放つ。アキの胸に顔を押しつけ、身体中の水分がすべて涙になって流れ出るんじゃないかと思うぐらい泣き続けた。そんなオレの背中をアキはずっとさすり続けてくれた。
「長らく使ってねえから、カビくさいかもしんねえけど我慢しろよ」
オレは来客用の布団を広げながら、アキに忠告する。遅くて駅まで出るバスも終わっているので、アキは今晩家に泊ることになった。裏の昭平さんに言えば車を出して駅まで送ってくれるだろうけど、オレは言い出さなかった。死んでも口にはしないけれど、今日は朝まで独りでいたくなかったから。
「ずえんぜんOK。俺のベッドなんかいっつも『汗臭せえっ~』って母ちゃんと姉ちゃんがファブリーズかけまくってるから」
風呂を沸かしてアキも入ったのでスエットを貸してやったのだが、オレよりしっくりきてて何だか不思議だった。
「どうせ、お前は『面倒臭い』って風呂に入らずに寝ることもあるからだろうが。当然の仕打ちだ」
駄目だ、醜態を見せてしまった恥ずかしさからいつも以上にアキへの当たりが強い気がする。
「おっ、よくわかってんじゃん。しっかし、本がいっぱいだな~」
オレがせっせとアキの布団を用意している中、当のアキは興味深げにオレの部屋を観察している。
「あんま見んなよ」
「何、見られて困るようなもんでもあんの?」
触発されたようにアキが目を輝かせて、さらにきょろきょろする。
「ねえよ。お前じゃあるまいし」
「えっ、何。俺の部屋来たことないのに見られて困るもの満載なの知ってんのか?」
「言葉の綾で言っただけだが、満載なのか?」
「中学3年間の赤点のテストが山のように隠してあって、捨て場所に困っている」
「ぶっ」
部屋の方々に押し込まれた赤点のテスト用紙を想像して思わずオレは吹き出した。
醜態を見せたにも関わらず、それをからかったり無駄に心配したりせず、いつも通り接してくれるアキに救われる。泣きやんだ後、恥ずかしさと照れ臭さでどうしていいかわからなかったオレにアキは何事もなかったかのように「駅から最終バスでここまで戻ってきたから、今日泊らせて」と言い出したのだ。
「だからさ~、これから高校3年間の赤点テストを隠す場所がない訳よ。でさ、しょうがないからこないだの中間試験のテストを学校のゴミ箱に捨てて帰ったら、先生に見つかってむっちゃ叱られた」
「・・・ってか、テストの隠し場所考えるより赤点を取らない努力をしろよ」
こいつの発想は根本的におかしい。
「あっ、そっか。そういう考え方もあるか。さすが野球部きっての秀才は言うことが違いますなあ~」
自分で言うのも何だがスポーツ推薦で高等部に入学したけれど、成績も常にトップクラスをキープしている。アキの言う通り、野球部1年生では一番上位の成績で、反対に「こいつら大丈夫か?」という不安もあった。
「ほら出来たぞ、今日の寝床だ」
敷布団、枕、毛布に掛け布団と準備した寝床を指さす。
「うひょ~っ」
何となく想像は出来たが、想像を裏切らずアキが布団に飛び込んだ。
「おお、快適、快適。俺のベッドより綺麗で寝心地がいいわ」
白銀の世界ではしゃぐ犬のように布団の上を転がりまわるアキ。その姿を子供の頃から使っている自分のベッドに腰掛けてオレは呆れ顔で眺める。
「あっ、ミクティは?」
「・・・」
アキはガバッと布団から上体を起こすと辺りを見回す。少なくともオレはスヌーピーのぬいぐるみを『ミクティ』だと認めていないし、これからもその名前で呼ぶことはないが、少なくとも何を指しているかはわかった。
「・・・寮に寄らず、学校から直接こっちへ帰ってきたから持って帰ってない」
不機嫌極まりないといった顔付きでオレは答える。
「そっか、淋しいだろう。何ならミクティの代わりに俺を抱きしめて寝るか?」
「アホか、お前は!!オレは普段からミクティを枕元に置いているだけで抱きしめて寝てないし、そもそもお前なんかがミクティの代わりにならん!!可愛げもないし、ごっついし、暑苦しいし、能天気だし、願い下げだ!!」
全身全霊で否定する。自分でもここまでムキにならなくてもと思ったのだが、なぜか力一杯反論してしまった。
「あっ、ミクもミクティって呼んでる。何か嬉しい」
「・・・」
アキの指摘に悔しくて唇を噛む。アキといるといつもこいつのペースにはまってしまう。
「じゃあ、俺が子守唄を歌ってあげよう」
「いらんわ!うるさい」
「ええっ!?俺、野球より歌の方が自信あったりするんだよな~」
確かに合宿のバスで歌っていたアキは上手かった。
「なら野球部辞めて、軽音部にでも入れ」
思ってもないことを口にしながら、オレはごろんとベッドに横になる。
「そうなんだよな~。けどさ、オレ、歌より野球の方が好きだから」
それは見ていればわかる。しんどい持久走や連続ノックを受けているときでさえこいつは楽しそうなのだ。そんなアキと一緒に練習しているとこっちまで楽しくなってくる。それは「上手くなりたい」、「負けたくない」という思いでこれまで練習してきたオレにとって初めての感覚だった。
「なあ、アキ。冬場の練習だけどさ」
オレがベッドの上で身体を横向けながら話しかけると、アキは布団の上すでに寝息を立てていた。しょうがないな~とオレはベッドから降りて、アキに毛布と布団を掛けてやる。穏やかなアキの寝顔が目に入り、何とはなしにオレは眺める。騒がしくて、おちゃらけたキャラが際立っていて気付かなかったが、こうしてじっくり見るとイケメンだと思った。
オレはベッドに戻り、肘で頭を支えてアキの寝顔を見つめる。自然と笑みが浮かび、胸に温かいものが広がってくる。ずっとこうして見ていたいような、手を伸ばして触れてみたいような。ふいに「ミクティの代わりに俺を抱きしめて寝るか?」というアキの言葉が蘇ってきて、オレはうわ~、うわ~、うわ~、と一人赤面して、妄想を必死に打ち消す。消そうとすればするほど、鼓動が大きくなっていき、収拾がつかなくなる。
「これじゃまるで恋する乙女じゃん!!」と自嘲しようとして、オレはハタと気付く。えっ?オレ、アキに恋してるのか?アキのこと好きなのか?えっ?そんなことあるはずがないだろ、ないよな、ないに決まってるだろう!!否定すればするほど、この胸の高鳴りの理由が鮮明になっていく。
オレ、お前のこと好きなのか?答えを探すようにすやすやと気持ちよさそうに眠っているアキの寝顔を見つめる。もし、そうだとしたら、大泣きした理由にも説明が付くことにオレは気付いた。好きだから、自分を誤魔化せなかったのだ。好きだから、自分をさらけだしてしまったのだ。好きだから、ありのままの自分を受け止めてもらいたかったのだ。次から次へと自分の気持ちが丸裸にされていく感覚。ああ、オレ、アキのこと好きなんだと認めると、ストンと色んなものが腑に落ちた。男だし、友達だし、チームメイトだし、ライバルだしと色んな言い訳で覆い隠していたオレの気持ち。じいちゃんの死という不測の事態でそのベールが一気にはがれて飛んでいってしまったのだ。
オレは布団の中に潜り込み、大きなため息を漏らす。じいちゃん、何て置き土産をしてくれたんだよと胸の中で語りかける。そんなオレの耳に心地良いアキの寝息が聞こえてくる。好きな人が隣にいる幸福感と扱い兼ねる恋心への苛立ちという二つの感情から逃れるようにオレはぎゅっと目をつむり、無理やり自分を寝かしつけようと試みた。
