食後、二人は庭のベンチに座り、遠くの森を眺めていた。
ヴィクトリカが隣に座るゼノの腕に、そっと自分の腕を絡める。
ゼノは当然のように彼女を抱き寄せ、その肩に顎を乗せた。
「ねぇ、ゼノ。もう耳は、本当に痛くないのね?」
「うん……あ、でも、さっきから少しだけ疼くかな」
「えっ!?」
ヴィクトリカが慌てて彼の顔を覗き込むと、ゼノは悪戯が成功した少年のように、ケラケラと笑った。
「嘘だよ。君が、あんまり心配そうな顔をするから」
「もう! 笑い事じゃないわよ!」
ヴィクトリカが彼の胸を軽く叩く。
その鼓動は、力強く、等間隔で、生を謳歌するように響いている。
ゼノは笑いながら彼女を抱きしめ直し、耳元で密やかに囁いた。
「大丈夫だよ、ヴィクトリカ。君が僕を愛してくれる限り、この傷跡は僕にとって世界で一番誇らしい勲章なんだ……痛くないよ。君の音が、こんなに綺麗に聞こえるんだから」
その時、一羽の黒いカラスが、庭の柵に止まった。
カラスは首を傾げ、幸せそうな二人をじっと見つめている。
かつては『契約』や『死』の象徴だったその鳥も、今ではただ、豊かな自然の一部としてそこにいる。
ヴィクトリカも、ゼノも、そのカラスに気づくことはなかった。
ただ、目の前にある温かな体温と、焼きたてのパンの残り香、そして自分たちの未来を運んでくる風の音に、心を委ねていた。
「ゼノ、大好きよ」
「僕もだよ、ヴィクトリカ……ずっと、ずっとね」
窓辺から漏れる二人の笑い声が、午後の静かな空気に溶けていく。
血の色から始まった物語は、今、真っ白な光に包まれた穏やかな朝の中で、永遠の安らぎを見つけたのだ。
二人の後ろ姿を包む陽光は、どこまでも優しく、どこまでもどこまでも、明るかった。
【Fin】
