その声で囁くな!

倉峰とのお付き合いは、なんだかんだで順調だった。

昼は一緒にご飯を食べ、水曜は図書委員の係があり、部活が休みの倉峰と一緒に帰る。
最初あんなに怖がっていたのに、倉峰の隣は俺にとってとても居心地のいい、安心できる場所になっていた。

傍から見ても、自分で考えても、俺と倉峰はお付き合いを深めている。
だけど俺には目下悩みがあった。

問題は、いつ倉峰に好きだって伝えるかだよな......。
剣道の防具を磨きながら、俺は唸る。

「一条先輩が手伝ってくれるようになって、ほんと助かってます!」
「えっ! ああ......」

同じ作業をしていた武田くんに声をかけられ、考え込んでいた俺は我に返った。
ここは放課後の剣道場。目の前では部員たちが一心不乱に竹刀を振るっている。

「このくらいどうってことないよ」
「あーあー、このまま一条先輩がマネージャーになってくれたらいいのになぁ......」

練習試合以来、俺はちょくちょく剣道部に顔を出すようになっていた。
そのうちに、部員の面々ともすっかり打ち解け、今では用具の手入れや細々とした仕事を手伝うようになった。

剣道部には現在マネージャーがいない。倉峰目当てで女子が殺到したから――という理由らしい。本人はいたって真面目に剣道と向き合っているだけなのに。
イケメンって案外大変なんだな。

ただ見てるだけも手持ち無沙汰なので、自分から手伝いを買って出た。
今や防具の整備も慣れたものだ。

「いや......俺なんて剣道のルールも知らないし、役に立たないって」
「手伝ってもらってすでに役に立ちまくってます! なんなら先輩はいてくれるだけでいいんです! 毎日推しカプを眺められるようになったら......」

推しカプ!? 聞き慣れない言葉に首を傾げる。後輩は手を組みながら、俺と竹刀を振る倉峰の姿を交互に見つめ、うっとりとため息を吐いた。

............。なんとなく言葉の意味が伝わって、俺は深く追求しないことにした。

マネージャーか......まあ、悪くないよな。
実は最近、そんな風に思ったりする。

ほぼ毎日ここには来ているし、部員たちも校内で会えば挨拶をしてくれるようになった。今まで帰宅部だったので、先輩や後輩と呼べる存在ができたのが新鮮で嬉しくもあった。

それになにより。
マネージャーになれば、もっと倉峰と一緒にいられる。
そう思って、頬が熱を持つ。恋を自覚した心は本当に正直だ。

「おー! 一条、いつもありがとうな~」
「一条先輩、お疲れ様っす!」

素振り練習が終わった部員たちがわらわらとこちらに集まってくる。
みんなタオルで汗を拭きながら、防具の手入れを労ってくれる。
一人の先輩が、俺の首に腕を回すと後ろから羽交い絞めしてきた。

「毎日倉峰に会いに来て、健気だな~」
「ちょっ! 先輩ギブギブー‼」

力が込められていないので全然苦しくないが、小さな俺は屈強な先輩の腕の中にすっぽりと収まった。
些細なじゃれ合いだと分かっているので、笑いながら先輩の腕をタップする。

すると、誰かに手を掴まれた。その手は俺のことを引っ張り、先輩から奪うように引き寄せた。

「っ......倉峰!」
「.......」

それは倉峰だった。倉峰は俺の手を握りしめて、そのまま歩き出す。
ぐいぐいと引っ張られるまま、俺は後を着いていくしかない。

「ちょっ、どうしたんだよ!」

いつにない強引な様子に驚いていると、倉峰は剣道場から出て人気のない廊下に俺を連れていく。

「倉峰......わっ!」

黙ったままの倉峰に困惑していると、俺はいきなり倉峰に抱きしめられた。
大きな体が俺を包み込み、力強い両腕が背中に回される。

突然のことに思わず息を飲む。鼓動が一気に跳ね上がった。
ドキドキと激しくなる心臓がバレてしまいそうで、俺は身じろぐ。

だけど離れるのは嫌だというように、抱きしめる腕の力がさらに強くなった。

「く、倉峰......」
「すまない」

名前を呼ぶと、急に謝られた。

「一条が......先輩に抱きしめられてるのを見て......我慢できなかった」
「え......?」

すりと倉峰が、髪に頬を寄せる。甘えるような仕草が可愛くて、胸がキュンと鳴った。

これってもしかすると......ヤキモチってやつ?
理解した途端、自分でも分かるほど頬が熱を帯びた。

さらに鼓動が早まる。だけど、触れ合った体から倉峰も同じぐらい、いやそれ以上に心臓が波打っているのが伝わって。
自分だけじゃないと、嬉しくなった。

「別に、ふざけてただけだって」
「分かっている。だが、俺以外が一条に触れるのは嫌だ」
「っ......」

嫌だ、とはっきり倉峰が言葉にする。それがとてもくすぐったい。
恋をすると、相手から向けられる独占欲さえ愛しく感じるんだな。

倉峰の体温が温かくて安心する。俺はその胸に頭を預けた。
俺から拒絶の色が見えないことに、倉峰もホッとしたようで、背中に回された腕に力がこもった。

「............」

ちょっと待って、これって絶好のチャンスじゃ......!
ここ数日、どうやって倉峰に気持ちを伝えようか、と悩んでいた俺はハッとする。

なんだかいい雰囲気な気がするし......よしっ。
俺は意を決する。

「あっ、あのさ倉峰、俺!」
「どうした?」

俺の様子に気づいて、倉峰が腕を緩めてくれる。俺はギュッと倉峰の道着を握りしめた。

「俺......っ! 倉峰のことが......‼」
「............」


好き――。
そう言おうとした瞬間、ガシャーンと大きな音が響き渡った。

「!」
「なんだ?」

驚いて肩がビクリと跳ねる。倉峰はそんな俺を、安心させるように背中を撫でた。
音がしたのは剣道場の方から。俺たちは慌てて、道場の方に戻る。

すると倒れたスコアボードを、武田くんたちが起こしているところだった。

「何かあったのか?」
「急にスコアボードが倒れて......」

倉峰の問いかけに、近くにいた後輩が答える。

「今日は試合もないし、誰も触ってないと思うんですけど」

足元にしっかり支えがあるので、簡単に倒れるような品物ではない。
みんな一様に、首を傾げている。

「でも、誰もケガしてなくてよかったよ」

見た限り、誰も巻き込まれていないようでホッとする。笑顔でそう言うと、周りの雰囲気も和やかになった。

「それじゃ、練習再開するぞー」
「はい!」

顧問の合図に、皆が竹刀を取りに行く。
倉峰も歩き出そうとするが、何かを思い出したように俺の方に振り向いた。

「そういえばさっき、何か言おうとしてなかったか」
「へっ!」

倉峰に想いを伝えようとしていた俺は、口から変な声が出た。

「ええっと、なんだったけ? 忘れた! だから大したことじゃないよきっと」
「そうか?」

すっかり、タイミングを逃してしまった。
ていうか俺、こんな部活の最中に告ろうとするなんて!
今更ながら、恥ずかしさが襲ってくる。

倉峰は目を細めると、俺の頭をぽんぽんと撫でた。

「行ってくる」
「うん......」

優しい感触に、触れた場所を思わず手で押さえる。

まあ焦らなくても、伝えるチャンスはいつでもあるよな。
倉峰の背中を見送りながら、俺は暢気にそんなことを考えていた。



それから一週間が経った。
俺はまだ、倉峰に気持ちを伝えることができていない。

故に、順調すぎるぐらい順調なお付き合いはまだ、(仮)のままだった。

掃除の時間、廊下で箒を掃きながら俺はハァと大きくため息を吐いた。
あいつが好き好きって言いまくるから、こっちが伝えるタイミングがないんだよ!
なんて倉峰のせいにしても、実際は勇気が出ないだけだ。
好きな人に好きと伝えるのが、こんなに勇気のいることだったなんて。

相手が自分を好きだと知っていても、俺はなかなか言い出せないのに。
倉峰がどれだけ俺を好きでいてくれてるのか、今更思い知る。

眉目秀麗、文武両道、そんな言葉がぴったりの倉峰。
だけど蓋を開けてみたら、今時スマホも持ってなくてスタンプを送っただけで驚いたり、冷静そうに見えて実はとても情熱的だったりする。
普段無口なくせに、俺に愛の言葉を囁く時だけ饒舌で。


知れば知るほど、最初の印象とはかけ離れていく。
気づけば、そういうズレているというか、可愛いところにキュンとする自分がいる。

いつのまにか、こんなに倉峰のこと好きになってたんだな......
だからこそ、ちゃんと気持ちを伝えないと、いや、伝えたい!

俺は箒を強く握りしめた。
でもどうやって......?
そして思考は振り出しに戻る。不甲斐ない自分に、ハァとため息を吐いた。

なんだか急に倉峰に会いたくなる。今日も剣道部に顔を出そうか、だけど昨日も、一昨日も行ったしな......これでは好きなことが倉峰にばれてしまう。
って! バレてもいいんだけど......俺は一人で赤くなる。

その時。 

「ねぇ......倉峰くんの噂聞いた?」
「聞いた聞いた! あれってマジなのかな?」
「......!」

ちょうど考えていた相手の名前が聞こえて、ビクッと肩が跳ねる。
視線を向けると女子が二人、こそこそと顔を寄せ合い話をしているところだった。

聞き耳を立ててはいけないと思いつつ、倉峰の名前に自然と意識がそちらに向いてしまう。

噂って何だろう? なんとなく胸がざわざわする。
箒を掃くふりをしながら、二人の会話に耳を立てた。

「倉峰くんが実はめちゃくちゃ遊んでるって噂」
「っ......」

聞こえてきたセリフに俺は息を飲んだ。

「あー自分から言い寄って、いい感じになったら飽きてポイってするやつでしょ」
「そーそーそれで何人も泣かせてきたって話! マジだったらやばくない? だけどあんなイケメンに迫られたら、誰だってイチコロだよね」

「......」

倉峰が......遊んでる......?

体から血の気が引いていく感覚がする。
そんな、信じられない。頭の中がグラグラして、思わず口を押さえた。

「でもほんとかな~イメージに合わな過ぎてピンとこなくない? 倉峰くんって本読んでる印象しかないし。ていうか私、喋ってるとこ見たことないかも」
「それは無口すぎ......って私もないな」
「ま、噂はしょせん噂だってことね~」

女子二人はハハハと笑い合うと、その場から去っていく。

ショックを受けた俺には、最後の方の二人の会話は耳に入っていなかった。
俺は顔を青ざめさせたまま、教室に戻る。

「桃哉! 早く! ホームルーム始まるぞ......ってどした?」

俺を見るなり吉野が心配そうに眉を潜めた。無言で箒を吉野に渡し、自分の席に座る。

「おーい桃哉?」

吉野に呼ばれるが、返事ができない。
衝撃から立ち直れなくて、膝の上でギュッと手を握りしめた。

そんな俺を見つめながら、箒を持った吉野は不思議そうに首を傾げた。



「ハァ......」

ホームルームが終わり、靴箱に脱いだ靴を直す。
ついさっきまで剣道部を覗きに行こうかと、そわそわしていた気持ちはしぼんで消えてしまっていた。

俺の中に言葉が木霊する。

『倉峰くんが実はめちゃくちゃ遊んでるって噂』

そんな訳ない、あり得ない。あの真面目な倉峰が、そんなことするはずがない。

だけど、いつも疑問に思っていたんだ。
なんで倉峰は、俺のことを好きなんだろうって。
何の変哲もない、こんな平凡な俺を。

『あー自分から言い寄っていい感じになったら、飽きてポイするってやつでしょ』

もしそれが本当だったら......。ヒヤリとしたものが心を襲う。
それが本当なら、倉峰が、あんなに素敵な人が、なんで俺なんかを口説いてくるのか辻褄が合う。

「ダメだ‼」

叫んで自分の頬をパンッと叩いた。
思考が勝手に悪い方へ向いてしまう。それを止めるように俺は気合を入れた。
ただの噂だ。倉峰はそんな奴じゃない。
俺が知っている倉峰は、そんなことができる器用な人間じゃない。

噂はあくまで噂だ。そんなものより、俺は自分が好きになった相手を、倉峰のことを信じる。

今日は帰って早く寝よう!
そう決めると俺は靴箱を閉じ、歩き出そうとした。

「一条くん」

その時、俺を呼び止める声が後ろから聞こえた。
振り返ると、そこには女の子が一人立っていた。

長い黒髪に背が高く、どこか神経質そうな、冷たい雰囲気の女性だった。

あれ? この子どこかで......。記憶の端に、何かが引っ掛かる。
目が合った彼女は何とも言えない怖い顔で俺の方を見た。その迫力に思わずたじろぐ。

「一条桃哉くんだよね」
「う、うん…」

彼女がにっこりと微笑む。笑顔を浮かべているのに、目の奥が笑っていない。
なんとなく嫌な印象を受けて、戸惑うように頷いた。

「私、三宅美菜子。初めまして、と言っておこうかしら」

彼女――三宅は、どこか意味深にふふふと微笑む。

「何か用......?」

フルネームを呼ばれ、俺は訝しげに三宅に問いかける。すると三宅は笑みを深めた。

「忠告にきたの」
「忠告......」 
「倉峰くんを知ってるわよね。当然」
「......知ってるけど」

やっぱりいちいち言葉に含みがある。
まるで品定めをするような目で、俺を見てくる三宅に居心地が悪くなる。早く帰ろうと、その横を通り過ぎようとした。

「俺、急いでるから......」
「ちょっと待って」

だけど強いトーンで引き止められる。

「あなた、倉峰くんから好きだって言われてるでしょ」
「っ......」

三宅の言葉に俺は動揺する。

なんで知って......!
倉峰と付き合っていることは、誰にも言っていない。
剣道部の面々は、気づいている人もいるだろうが、はっきりと告げたわけではないし。もちろん倉峰もそんなことを言いふらすような性格ではない。

それをこんな、初めて話した三宅が知っているなんて。

「なんでそれ......」

動揺する俺の反応に、三宅が思いっきり顔を顰めた。

「やっぱりそうなのね......」
「何......?」

俺に聞こえない声で三宅が何かを呟く。そして考え込んだ後、とても冷たい目で俺を睨んでフンッと鼻を鳴らした。

「だって私も言われてるもの、好きだって」
「え......」

まるで宣戦布告のように言い放たれた言葉に、頭をガンッと殴られたような衝撃を受ける。信じられないくて、弱々しい声が漏れた。

「倉峰くんの噂聞いた? 彼、けっこう遊んでるらしいから、やめた方がいいんじゃない」

倉峰が......この子に......好きって......?
ショックが強くて、三宅の声がどこか遠くに聞こえる。

「それに......あなた、倉峰くんと釣り合ってないから」
「それは......」

俺自身でも感じていたことを、はっきりと口にされて、心が斬りつけられたように痛み出す。

「じゃ、言いたかったのはそれだけだから」

そう告げると、三宅は足早に去っていった。
その場に、俺は一人残される。

倉峰が俺以外にも......好きって言ってる?
まさか、噂話は本当だった?

そんな......うそだ......。

三宅から突きつけられた事実に、俺はただ茫然とそこに立ち尽くしていた。