その声で囁くな!

俺は何故、オッケーしてしまったんだ......。

翌日の昼休み。俺は机に突っ伏して自問自答していた。
考えているのはもちろん倉峰のこと。いったん考えさせて、と答えを保留することもできたはずだ。

なにが、とりあえずお試しで......だよ! 気づいたらそう返事をしてしまい、俺たちは付き合うことになった。仮だけど。

あの声......卑怯だ!
思い出すだけで胸がキュンとなる甘い声。

普段の声でも心地いいのに、熱っぽく愛を囁かれて、俺がうっとりしないわけがない。
そして至近距離で見た倉峰は、とてもかっこよかった。

あんな完璧な人が、俺のこと好きだなんて......

「............」
昨日のことを思い出し、熱くなってきた頬を組んだ腕に押し付けて堪えた。

「どうした? 昨日に引き続き落ち込んで、今日はコロッケパン買えたのに」

頭上から吉野の能天気な声が降ってくる。

違うわ! 落ち込んでるんじゃなくて、恥ずかしいんだよ!
心の中で叫んでいると、教室の入口の方が騒がしくなった。

「あれ?倉峰じゃん」

吉野の言葉に、俺は伏していた顔を勢いよく上げた。

教室の入口に、今俺の頭を悩ませている張本人、倉峰が立っていた。
突然の倉峰の登場に、教室にいた女性陣がきゃあきゃあと一気に色めき立つ。

そんな女子からの熱い視線には目もくれず、倉峰は何かを探すように教室内を見渡す。
そして俺を見つけると、嬉しそうに口元を緩めた。真正面で向けられた微笑みにドキッとしてしまう。

「一条」

呼ばれた声に、体が跳ねる。

「一緒に......お昼でもどうだ」
「......」

堂々たる風貌に反して、照れながらはにかむ倉峰に、またしても俺の胸がキュンと高鳴る。
だが、倉峰の言葉に教室中の視線が俺に集まってハッとした。
注目され慣れていない俺は、完全に固まってしまう。

ど、どうしたらいいんだ? そう思っていると。

「お~よかったじゃん! お前らいつの間に仲良くなったんだよ。これを機に親睦を深めて苦手意識払拭してこい」

吉野がグッと俺に向かって親指を立てた。

「いってきます......」

明るい声に背中を押されるまま、俺は倉峰と一緒に教室を後にした。






二人並んで中庭のベンチに座る。
吹く風が冷たくて、体が少し震えた。

「すまん、寒かったな」
「いや別に、太陽の光がよく当たるからそんなに寒くないよ」

謝ってくる倉峰に俺はそう返す。すると倉峰が俺を見て、優しく目を細めた。
笑った顔が眩しくて、俺はパッと目を逸らす。

「これ着てろ」

倉峰が自分のブレザーを脱いで、俺の肩にかけた。

「いいって、これじゃあ倉峰が寒いだろ」
「俺は大丈夫だ。日頃から鍛錬している。それに、一条と二人っきりになりたくてこの場所を選んだのは俺だから」

流れるように倉峰が甘い言葉を口にする。

「......。それなら遠慮なく」

照れているのがバレないように、俺は倉峰から視線を外したまま、渡されたブレザーに腕を通した。

ちらっと横に視線を走らせ、倉峰を盗み見る。
制服のセーター越しにも筋肉質なのが分かる。精悍な佇まいがいちいちかっこいい。
日本男児代表みたいな風貌から繰り出される、甘い言葉とのギャップがすごくて、正直隣にいるだけでドキドキしてしまう。

「今週はダンス部の全国大会が近くて、剣道場を貸し出すことになった。だから部活がない。その間、一緒に帰らないか?」
「......おう」

倉峰の声はずっと優しい。俺は相変わらずドギマギしてしまう。

「一条」

緊張していると、倉峰に名前を呼ばれた。

「付き合うに当たって、まずお互いのことをよく知ることが大事だと思う」
「う、うん」

真面目な倉峰の表情に、俺もつられて神妙な顔で頷く。

「俺は倉峰大和。身長一八六センチ、AB型、十一月二日生まれ。趣味は心身を鍛えること。好きな食べ物はハンバーグ、嫌いな食べ物は......特にない。好きな人は一条桃哉だ」
「っ!」

最後の言葉に、頬が熱くなる。

一言多いんだよ! ていうか倉峰はハンバーグが好きなんだ。この硬派な見た目で。
なんか可愛いかもしれない。案外素の倉峰は自分と変わらない、恋に憧れ、食欲旺盛な普通の男子高校生なのかもしれない。急に親近感がわいてくる。

「じゃあ俺も......」

倉峰に倣い、自己紹介をしようと口を開く。

「大丈夫、一条のことは大体知ってる」

話しかけた俺の言葉を、倉峰が遮った。

「一条桃哉。身長一六九センチ、十月十二日生まれ、天秤座のA型。家族構成は両親と妹が一人いる。今はスマホの〇〇ゲームにはまっていて、好きな食べ物は購買のコロッケパンだ」

つらつらと倉峰は俺のプロフィールを話し出す。生年月日はおろか、最近はまってやっているゲームの名前まで当たられ、俺は慄いた。

いや怖いわ! なんで知ってんだよ! 先程親近感を感じたが、全力で訂正させてもらう。

「どこで調べたんだよ!」
「好きな相手のことはなんでも知りたいからな。頑張って情報を集めた」
「~~~」

つっこむと、倉峰はふふと得意げに微笑む。
そういうことじゃない! そう叫びたいが、好き好きと連呼され、俺はもうキャパオーバーだ。

だめだこのままじゃ恥ずかしくて死んじゃう…! 話題を変えよう。
俺は何かないかと思案する。意味もなくわたわたしていると、指先にスマホが触れた。

「あっそうだ‼ お互いを知るっていうならまずは連絡先交換だろ」

俺はポケットからスマホを取り出した。

「連絡先?」
「そう連絡先」

ほら早く、と俺は倉峰に向かってメールアプリの登録画面を差し出す。その画面を倉峰は真剣な瞳でジッと見つめた。

「スマホを持っていない」
「はぁ⁉」

俺は驚愕の声を上げた。信じられなくて一瞬固まる。

「スマホ持ってない? えっ......もしかしてガラケーとかいうやつ?」
「いや、そういった類の物を持っていないんだ」
「......うそ?」

今時そんな奴いるのか? 俺はまじまじと倉峰を見つめる。 
なんとなく、見た目からして古風な雰囲気を感じてはいたが、まさかこれほどとは。
信じられなくて、口を半開きにして驚いてしまう。

「ふっ......一条は驚いた顔もとても可愛いな」
「っ......」

倉峰がふっと笑う。俺は慌てて手で口を押さえた。それにも倉峰は笑みを深める。

ずっと睨まれてると思っていたから、笑顔の威力が半端ない。
シュゥゥゥーッと音が立つように俺は真っ赤になってしまった。

「そうか......連絡先か」

そんな俺を他所に、倉峰は何かを考えこむ。

「分かった」

それだけ言うと倉峰は俺に向かって頷いた。
何が? と疑問が浮かぶが、持っていないものは仕方がない、俺はスマホをしまう。

「とりあえず、昼ご飯を食べよう」

何故か慰めるように俺の背中を撫で、倉峰は持参のお弁当を開ける。

「おう......?」

不思議に思いながら、俺は倉峰の隣でコロッケパンにかぶりついた。





 * * *






次の日の放課後、俺たちは繁華街の中にいた。

「急にスマホが欲しいって言って親御さん驚いてなかったか?」
「いや。よく分からないが『お前もようやく人並みの高校生になったんだな』と感動された」

不思議そうに首を傾げる倉峰に、思わず笑いが零れる。

「感動って、お前普段どんな生活送ってんだよ......」
「朝夜にランニングに行って素振りしたり、知識を深めるために読書をしたり......いたって普通だ」

それは普通じゃないんだよ! 俺は心の中で突っ込む。
普通の男子高校生は動画を見てゲームして、夜遅くまでだらだらしてるものだ。いや、それ俺か。

「あ、ここだ」

もはやいちいち突っ込んでいたらキリがない。
お目当ての携帯ショップを見つけると、倉峰と一緒に中に入った。白い照明が眩しい店内に、色んな電子機器が整然と並んでいる。

「いらっしゃいませ」と店員さんが声をかけてきて、予約の確認をするとスムーズにカウンターに案内された。
そこに二人並んで座る。

「予約から何まですまない」
「いいって、お前スマホ持ってないし。だいたいこういうのよく分からないだろ」

笑いながらそう返すと、倉峰は感動するように俺を見た。

「ありがとう一条。お前のそういうところが大好―」
「わーわーわーわー!」

店には他にお客さんもいる。照れた俺は慌てて言葉を遮った。

「ちょっ、店内では静かに!」
「? そうか......図書室と一緒なんだな」
「え......そ、そうそうそんな感じ!」

ほっといたらまた変なことを言いかねない。俺は適当な嘘で倉峰の口を塞ぐ。
携帯ショップが初めての倉峰は何の疑いもなく頷いた。

ここ携帯ショップだぞ。人が見てるかもしれない。
俺は周りの様子をキョロキョロと伺う。

息をするように愛を囁きやがって......これだからイケメンは‼

もうすぐ店員さんがくるというのに、頬が熱い。
気持ちを落ち着かせるため、俺は深く深呼吸をした。

ほどなく店員がやってきて、倉峰のスマホの契約は順調に進んでいった。



「........................さっぱり分からん」

手の中にあるスマホの画面を見つめ、倉峰は唸り声を上げた。

「仕方ないって、さっき手に入れたばっかなんだから。初めてはみんなそうだって」

契約が終わった後、俺たちはファーストフード店に移動した。
カウンター席に並んで座り、俺はポテトを齧りながら倉峰の姿を眺める。

さっきからずっとスマホとにらめっこをしている倉峰。なんでもできそうな倉峰の意外な一面に、なんだか微笑ましい気持ちになった。

「ほらこうやって......」

倉峰の画面を覗き込み、操作方法を細かく教えていく。必要そうなアプリを、どんなものなのか説明しながら、倉峰のスマホにダウンロードしていった。

「で、これが俺のアカウントで......そうそこで追加して......」
「これでいいのか?」
「おっし! 追加できたな」

自分のアイコンが追加されたのを確認し、俺は倉峰にスタンプを送る。

「おおっ......!」

届いたスタンプを見て、倉峰が驚いたような声を上げた。

「ふっ…」

俺は思わず吹き出す。倉峰の反応が可愛くて、連続でスタンプを送る。
名前の「桃哉」にちなんで桃が喋る愉快なキャラクタースタンプだ。お気に入りのそれを送るたびに、倉峰が反応するのが面白い。

「お前も何か送ってみろよ。ここに触れたらキーボードが出てくるから、こうやって文字を打って......ここで送信」

自分の画面を見せて、倉峰に説明する。

「なるほど......」

そう言うと倉峰は真剣な顔でスマホをタップし始めた。程なくシュッと音が鳴ってメッセージが届く。

「どれどれ......」
倉峰の初めてのメッセージ。それが俺宛だなんて。
ちょっとくすぐったい気持ちを抱え、俺は画面を開く。そこには。

『ありがおう かわいい すきだ』

誤字が含まれた、まるで電報のようなメッセージが送られていた。

「っ......!」

それを見て、俺はカァァァーと真っ赤になった。

「バカ‼‼」

恥ずかしさが頂点に来た俺は、倉峰に向かって叫ぶ。
照れているのがすぐに分かる俺の反応に、倉峰は満足そうに笑顔になった。それはとても優しくて、気づいたら俺の顔にも自然と笑顔が浮かんでいた。

二人ふふっと笑い合う。

「一条とこんな風に、付き合えるなんて夢みたいだ。とても嬉しい」

ストレートな倉峰の言葉に、俺はますます照れるしかない。

「あくまでお試しだからな......」

口を尖らせ倉峰を睨むが、倉峰は可愛いなというように目尻を下げた。

「うん。でも絶対一条を落としてみせる」

声のトーンが甘くなる。ジッと見つめられて鼓動が跳ねた。

「すごい自信だな......」

声も顔も良すぎて、俺は押され気味だ。どきどきとした心を抱えながら、負けじと言い返す。

すると。

「ああ......違った」

俺の反応を見て、何か思いついたように倉峰が自分の言葉を否定する。

え......違う? なんだろう、ちょっと強気に出過ぎたか。もしかしてお試しとか言われて、俺のことが嫌になったんだろうか。心の中で、俺が不安になった瞬間。

倉峰が体を近づけた。俺の腰を片手で抱くと、倉峰はグッと自分の方に引き寄せる。
そして俺の耳元に倉峰は口を寄せた。

「絶対......いちじょうを、落としてみせる......」
「ふぁっ......!」

さっきとは比べ物にならないぐらい、甘く気合の入った声で囁かれる。脳がびりびりと痺れて、俺はうっとりと瞳をとろけさせた。しばし余韻に浸ってハッとする。
俺は慌てて、囁かれた方の耳を抑えた。

「お前! 何が違うんだよ! 一言一句違わないだろーが!」

俺は一日で何度頬を染めたか分からない中で、今日一番に真っ赤になった。

「こっちの方が一条には効果がある」
「~~!」

赤くなった俺を見て、目尻を下げる倉峰。
愛のこもった瞳に、俺はそれ以上何も言い返せなかった。