「移動教室ダル~~」
「............」
そう嘆く吉野の隣を、俺は無言で歩いていた。
水曜日の四時間目は音楽の授業。音楽室を目指して、いつものように長い道のりを歩く。
「あーあーお腹すいた! 昼前の移動教室って、余計お腹すくわ! なっ桃哉?」
「えっ......あ、うん」
元気よく声をかけてくる吉野に、慌てて返事を返す。
昨日、倉峰がくれたメッセージに返事をすることができなかった。
倉峰の真意も分からないし、そして何よりなんて返せばいいか分からなかったからだ。
「......でさ、桃哉?」
「............」
「......桃哉!」
大きな声で呼ばれてハッとする。考えごとをしていた俺は吉野の話を聞いていなかった。
「どうしたんだよ、ぼーっとして! さてはお前もお腹減ってるな?」
「はは、そうかも......」
笑いながら吉野がバンバンと俺の背中を叩く。明るい吉野に心が少し上を向いた。
こういう時、こいつの底抜けの明るさが身に染みるな......普段はうるさいだけだけど。
吉野の能天気さに、体から力が抜けてフッと微笑んだ。
「あっ......倉峰だ!」
だけど、吉野が呼んだ名前に、あっという間に体に力が入る。
「て......女子と一緒かよ~~」
「っ!」
俺は恐る恐る視線を向ける。
そこには、今一番見たくない姿、倉峰と三宅の姿があった。
部室の前で二人は話をしていて、こちらに気づいていないようだった。
「なあ、なんか揉めてね?」
「............」
見た感じ、何かを言い争っているようだった。どんな話をしているんだろう......俺の心の中にモヤモヤが広がっていく。
「ん? ちょっと待てよ......あいつ」
吉野が三宅の顔を見て、何かに気づいたように呟く。
「早く行こう! 吉野!」
「え? ああ......」
吉野の呟きが聞こえなかった俺は、グイとその腕を引っ張った。
あの二人を見ていたら苦しくなるだけだ。
俺は視線を逸らし、足早に部室の横を通り過ぎた。
そんな俺に、真剣に三宅と話をしている倉峰は気がつかなかった。
昼休み、俺は目の前にあるあんぱんをジッと見つめていた。
購買の食料争奪戦に負けた俺は、コロッケパンを手に入れることができなかった。
でも今はそんなことが気にならないぐらい、俺の心を別のことが占めている。
あの二人......また一緒にいたな......。
自分は最近倉峰と一緒にいれていないのに。
もしかして、俺より一緒にいたりして。弱った心がそんな風に思わせる。
なんだか食欲がわかなくて、俺はただあんぱんを見つめ続けた。
「なぁ......倉峰となんかあったのか?」
「え…?」
いつの間にか目の前に吉野が座り込んでいた。突然の言葉に、俺は驚く。
「ずっとお昼一緒だったのに、ここ数日は食べてないし。それに桃哉、最近元気ないしな」
「そ、そんなことないよ......」
強がるが、俺の声には全く覇気がない。そんな様子に吉野はハァとため息を吐いた。
「お前ら付き合ってるんだろ?」
「なっ‼‼」
はっきりと言い放つ吉野に、思わず立ち上がる。クラスの視線が集まって、慌てて椅子に腰を下ろした。
「な、なんでそれ......⁉」
「お前分かりやすすぎ。最初は倉峰のこと怖がってたのに、急に倉峰を見る度、赤くなったり嬉しそうな顔したり。最近はあからさまに落ち込んでるし、バレバレだって」
「う......」
吉野に言われて、赤くなった顔を抑える。
自分はそんなに分かりやすく顔に出ていたのだろうか。
「元気ないのはあれだろ、倉峰のう・わ・さ」
吉野は意味深に言葉を区切った。
「ただの噂だろ~だいたい倉峰ってそんな奴じゃないしさ」
あんなのガセガセと吉野が笑う。
「俺もそうだと思うけど......最近よそよそしいし」
「なんだよ信じてないの?」
「信じてるよ!」
俺は大きな声で反論する。それにまたクラスの視線が俺に集まった。
「信じてるし、信じたいよ! ......だけど最近女の子といつも一緒にいて......」
語尾が不安げに震える。
「不安で不安でたまらないってか......」
そんな俺を頬杖をつきながら見つめると、吉野はにやっと笑った。
「悪いかよっ!」
「全然、悪くない。倉峰のこと好きなんだろ。不安になって当然」
からかわれると思っていたら、意外にも吉野は真面目な顔で頷いた。
「不安になればなるほど、それだけ桃哉が倉峰のこと好きだって証拠だ」
「吉野......」
普段、馬鹿なことばかりしている吉野の大人びた発言に、俺は瞳を瞬かせた。
だけど「不安になるほど、それだけ倉峰のことが好き」という言葉が、俺の胸をフッと軽くさせる。
「なんだよ急に......かっこつけたこと言いやがって」
「俺はお前みたいな恋愛初心者と違って、三年付き合ってる彼女がいるんだから、先輩の言うことは素直に聞いとけ」
おどける吉野に、俺は素直に頷く。
「俺さ、倉峰と中学から一緒なんだけど」
「ちょっ、おい! 初耳なんだけど」
「あれ?言ってなかったっけ?」
けろりとした顔の吉野に、心の中で聞いてないわ!と突っ込む。
「クラスがずっと違ったから特に親しいって訳じゃないんだけどさ。あいつは男の俺から見ても、真面目でめちゃくちゃいい奴だよ。誰にでも優しくて親切だから昔から人気があった」
しかもあの顔面だし、と吉野が付け加える。
「中学の頃からモテにモテてたけど、全部断ってたみたいだった......だけど!」
そこで一旦、吉野は言葉を切った。
「その中に、なかなかあきらめない女子がいてさ。学校内で有名になるほど猛アタックを繰り返してた。で、それが......ちょっと怖いというか、周りも引くレベルで。倉峰は律儀に毎回断ってたみたいだけど、優しいからなかなかはっきり突き放せなくて......」
吉野の話を俺は真剣に聞く。
「ここまで話せば、その相手が誰だか分かるよな」
「まさか......」
俺はハッとする。冷たく異様に圧があった女性、もしかして中学の頃、倉峰に猛アタックをかけていたというのは。
「三宅なのか?」
「そ、さっきも廊下でなんか揉めてたしな。三宅も普段は大人しいのに、倉峰が絡むと人が変わるというか......高校入ってからは落ち着いたと思ったんだけど」
三宅が中学の頃に倉峰にアタックをしていた。
それを聞いて、部室の前で言い争っていた倉峰と三宅の姿が蘇る。
その姿の上に、なかったはずの桜の花が見えた。
瞬間、俺の脳裏にある記憶がフラッシュバックする。
倉峰と話をしたのは、図書室での出来事が初めてではない。
本当はずっと前、入学式の時に一度だけ会話を交わしたことがあった。
まだ倉峰の名前も知らなくて、ただ目の前で困っている――頭上に咲き誇る美しい桜が色褪せるほど、俺の目を引いたその彼を助けたい、その一心で手を引いて走り出した。
「あの時の!」
その時、倉峰を困らせていた女生徒と三宅の姿が重なった。
「っ......」
俺は口を抑える。
じゃあやっぱり! 倉峰は嘘なんかついていなかったんだ。
それに気づいて、目頭が熱くなる。
今すぐ倉峰に会いたい......!
俺は椅子から立ち上がった。
その時。
ピンポンパンポーン――と、教室に軽快な音が流れた。それはお昼休みの校内放送を告げるチャイムの音だった。
『みなさんお昼休み中失礼します』
倉峰! スピーカーから聞こえてきた声、それは倉峰のものだった。
水曜日恒例の図書委員からのお知らせ。
倉峰の声は相変わらず心地よく脳の中に響き、そしてとても愛おしくて胸がきゅっと締めつけられた。
『本来は図書委員からのお知らせをお伝えするところですが......今日は、どうしてもある人に伝えたい気持ちがあって、個人的にこの放送を使わせてもらいます。みなさまの貴重な時間をいただく非礼を先に詫びたいと思います』
伝えたいこと......。
いつもと違う放送の流れに、周りがなんだなんだと騒ぎ出す。
『私、倉峰大和には好きな人がいます。今日はその人にこの想いを伝えたい』
倉峰がそう言った瞬間、教室内が色めき、黄色い声援が上がった。
それはこの教室だけでなく、放送が聞こえる校内全体が、一斉に倉峰の放送に注目を寄せる。
『一条、聞こえているか』
倉峰が呼んだ名前に、一瞬で俺に視線が集まる。
『最近、一緒にいれなくてすまなかった。一条が寂しそうな顔をするたび、本当は抱きしめたかったし、傷ついた顔を見るたび苦しくて堪らなかった。本当にすまない』
倉峰が俺にここ数日の態度を謝る。気持ちのこもった声音に、不安で冷え切っていた心が温められ癒されていく。
『変な噂が流れているが、それは全くの嘘だ』
倉峰がはっきりと言い放つ。
『俺が好きなのは一条お前だけだ。初めて会った時からお前だけをずっと想っている。俺は、一条桃哉を愛している』
そこで倉峰が、一息呼吸を吸い込んだ。
『改めて言わせてくれ......一条桃哉さん、俺と結婚を前提に付き合って下さい』
熱のこもった、惚けそうなほどの甘い声に心が震える。
教室内が喧騒に包まれる。だけどそんな周囲の音は俺には聞こえていなくて、ただスピーカーの向こうにいる倉峰と二人きりになったような、そんな錯覚を覚えた。
早く倉峰に会いたい、会って俺の気持ちをちゃんと伝えたい。
それだけが頭の中も心も――俺のすべてを覆いつくす。
俺は我慢ができず駆け出した。
目指すのは倉峰のいる放送室。そこだけを目指して、全力で駆けて行く。
「待ちなさい‼」
そう叫ぶ声が聞こえ、何かが急に目の前に立ちふさがった。
長い髪を振り乱し、大きく腕を広げて行く手を塞ぐその姿。三宅だった。
「行かせない......行かせないわ!」
三宅がぶつぶつと呟く。
「あんた何なの? 入学式の時も私の邪魔をして! あの時倉峰くんに何を言ったの? あんたさえいなければ......私はあんなにはっきり振られることはなかったのに!」
やっぱりあの時の女性は三宅だったのだ。
じゃあ倉峰は、俺の助言を聞いて......ちゃんと断ったんだな。
「なんで私が駄目で、あんたみたいなちんちくりで何もない男が選ばれるわけ⁉ 倉峰くんもおかしいんじゃないの⁉ せっかく噂まで流してぶち壊してやろうと思ったのに!」
「......!」
三宅の言葉を聞いて、頭がカッとなった。俺はまっすぐに三宅を見据える。
「俺のことはいいけど、倉峰の悪口を言うな!」
「なっ......」
「確かに俺は平凡で何もない、それは自分でもそう思う。だけど! 倉峰のことも考えず、本当の倉峰を見ようともせず、自分の気持ちや都合だけを押し付けるような、あんたにそんなこと言われる筋合いはない!」
「なんですって......⁉」
三宅が瞳を吊り上げる。
「倉峰のことを好きだった時間はあんたの方が長いかもしれない。でも好きな相手の評判を下げるような噂を平気で流すなんて、そんなの本物の好きじゃない! ただの自分勝手だ! そんな人間に、倉峰が好きだなんて言うはずがない......それもあんたの嘘だろ!」
俺はギュッと手を握りしめた。
「俺の方が! 倉峰のことを本当に想っているんだから‼」
「っ......」
俺の気迫に気圧され、三宅が言葉に詰まる。
その隙に三宅の横を通り過ぎ、俺は一気に加速して走り出した。
初めて「好き」って言う相手は、倉峰がいい!
心の中そう叫んで、ただ一人会いたい人がいる場所を目指した。
目の前に放送室の扉が見える。辿り着いた俺は、迷いなくその扉を開けた。
「一条......」
突然現れた俺に、倉峰が驚いた顔をする。だけど、すぐにとても嬉しそうに、そしてとてつもなく愛しそうに微笑んだ。
その愛のこもった表情に、うるうると目が潤んだ。
倉峰に駆け寄る。俺に向かって、倉峰が腕を広げた。
俺はその腕の中に思いっきり飛び込んだ。
「好き......」
伝えたかった言葉が、口から自然と零れ落ちる。
「俺も倉峰のことが大好き!」
「一条」
ポロポロと涙が零れる。伝えた言葉に、倉峰が震えるように息を飲んだ。
「ほん、とうに......?」
縋るような瞳で倉峰が俺を見る。掌がそっと俺の頬に触れた。
その手が震えていて、どれだけ倉峰が俺のことを好きなのかを思い知る。
「うん。本当」
倉峰を見つめて、ふんわりと微笑む。
「俺も倉峰大和を愛しています。こちらこそ、お付き合い......えっと、け、結婚を前提にだっけ......よろしくお願いします!」
「一条!」
思い切って、だけどしっかり気持ちを込めて答えた俺に、倉峰ははじかれたように笑顔を浮かべた。そして、きつく強く、俺を腕の中に引き寄せて抱きしめた。
「一条......嬉しい。俺も好きだ、一条が好き。愛してる」
「ふふ、もう......分かってるよ」
何回も好きだと繰り返す倉峰が愛しくて、その背中に腕を回しギュッと抱きついた。
温かい腕の中で、俺はホッと息を吐く。
本当によかった......。
世界がキラキラと輝いている。
心の中が倉峰の温もりで一杯だ。
「くらみね......」
すり、とその胸にすり寄る。
だが、顔を動かした瞬間、チカチカと光る何かが俺の視界に入った。
「ん?」
そっと顔を上げて、ジィーと見つめる。それは放送中を告げるマイクのスイッチだった。
「ちょっ......! 倉峰......」
「どうした?」
うっとりと俺の髪に頬を埋めながら倉峰が聞き返す。俺は震える指で、マイクを指さした。
「マイク......電源入ってるんじゃ......」
「え? ああそうみたいだな」
俺を抱きしめたまま、倉峰が平然と答える。
そうみたいだな、じゃねぇよ‼
と、言うことは......今の会話は、校内放送に乗って学校中に――‼
そう思った瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が校内に響いた。
慌てて窓の外を見てみると、ありとあらゆる教室の窓から、みんなが放送室の方を見ていた。
「よ! お二人さん! お熱いね~」
「おめでとーー‼」
「お幸せに~~」
などなど、祝福の言葉が俺たちに向けられる。
「倉峰先輩かっこいい! 最高ですーー! 一条先輩もよかった! 本当によかったっっ!」
よく見ると、一年の校舎の窓際で、武田くんが感動の涙を流していた。
「やるじゃん桃哉! これでお前も今日から一人前だな!」
窓から顔を出した吉野がグッと俺に向かって親指を立てる。何が?と思うが、もはや言葉も出ない。
え? 何これ......めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど......!
全身を真っ赤にしてぷるぷると震えながら、俺は隠れるように倉峰の胸に顔を埋めた。
そんな俺を、倉峰は幸せそうに、強く強く腕の中に抱きしめていた。
かくして二人は無事に(仮)が取れ、校内公認の恋人同士になった。
「............」
そう嘆く吉野の隣を、俺は無言で歩いていた。
水曜日の四時間目は音楽の授業。音楽室を目指して、いつものように長い道のりを歩く。
「あーあーお腹すいた! 昼前の移動教室って、余計お腹すくわ! なっ桃哉?」
「えっ......あ、うん」
元気よく声をかけてくる吉野に、慌てて返事を返す。
昨日、倉峰がくれたメッセージに返事をすることができなかった。
倉峰の真意も分からないし、そして何よりなんて返せばいいか分からなかったからだ。
「......でさ、桃哉?」
「............」
「......桃哉!」
大きな声で呼ばれてハッとする。考えごとをしていた俺は吉野の話を聞いていなかった。
「どうしたんだよ、ぼーっとして! さてはお前もお腹減ってるな?」
「はは、そうかも......」
笑いながら吉野がバンバンと俺の背中を叩く。明るい吉野に心が少し上を向いた。
こういう時、こいつの底抜けの明るさが身に染みるな......普段はうるさいだけだけど。
吉野の能天気さに、体から力が抜けてフッと微笑んだ。
「あっ......倉峰だ!」
だけど、吉野が呼んだ名前に、あっという間に体に力が入る。
「て......女子と一緒かよ~~」
「っ!」
俺は恐る恐る視線を向ける。
そこには、今一番見たくない姿、倉峰と三宅の姿があった。
部室の前で二人は話をしていて、こちらに気づいていないようだった。
「なあ、なんか揉めてね?」
「............」
見た感じ、何かを言い争っているようだった。どんな話をしているんだろう......俺の心の中にモヤモヤが広がっていく。
「ん? ちょっと待てよ......あいつ」
吉野が三宅の顔を見て、何かに気づいたように呟く。
「早く行こう! 吉野!」
「え? ああ......」
吉野の呟きが聞こえなかった俺は、グイとその腕を引っ張った。
あの二人を見ていたら苦しくなるだけだ。
俺は視線を逸らし、足早に部室の横を通り過ぎた。
そんな俺に、真剣に三宅と話をしている倉峰は気がつかなかった。
昼休み、俺は目の前にあるあんぱんをジッと見つめていた。
購買の食料争奪戦に負けた俺は、コロッケパンを手に入れることができなかった。
でも今はそんなことが気にならないぐらい、俺の心を別のことが占めている。
あの二人......また一緒にいたな......。
自分は最近倉峰と一緒にいれていないのに。
もしかして、俺より一緒にいたりして。弱った心がそんな風に思わせる。
なんだか食欲がわかなくて、俺はただあんぱんを見つめ続けた。
「なぁ......倉峰となんかあったのか?」
「え…?」
いつの間にか目の前に吉野が座り込んでいた。突然の言葉に、俺は驚く。
「ずっとお昼一緒だったのに、ここ数日は食べてないし。それに桃哉、最近元気ないしな」
「そ、そんなことないよ......」
強がるが、俺の声には全く覇気がない。そんな様子に吉野はハァとため息を吐いた。
「お前ら付き合ってるんだろ?」
「なっ‼‼」
はっきりと言い放つ吉野に、思わず立ち上がる。クラスの視線が集まって、慌てて椅子に腰を下ろした。
「な、なんでそれ......⁉」
「お前分かりやすすぎ。最初は倉峰のこと怖がってたのに、急に倉峰を見る度、赤くなったり嬉しそうな顔したり。最近はあからさまに落ち込んでるし、バレバレだって」
「う......」
吉野に言われて、赤くなった顔を抑える。
自分はそんなに分かりやすく顔に出ていたのだろうか。
「元気ないのはあれだろ、倉峰のう・わ・さ」
吉野は意味深に言葉を区切った。
「ただの噂だろ~だいたい倉峰ってそんな奴じゃないしさ」
あんなのガセガセと吉野が笑う。
「俺もそうだと思うけど......最近よそよそしいし」
「なんだよ信じてないの?」
「信じてるよ!」
俺は大きな声で反論する。それにまたクラスの視線が俺に集まった。
「信じてるし、信じたいよ! ......だけど最近女の子といつも一緒にいて......」
語尾が不安げに震える。
「不安で不安でたまらないってか......」
そんな俺を頬杖をつきながら見つめると、吉野はにやっと笑った。
「悪いかよっ!」
「全然、悪くない。倉峰のこと好きなんだろ。不安になって当然」
からかわれると思っていたら、意外にも吉野は真面目な顔で頷いた。
「不安になればなるほど、それだけ桃哉が倉峰のこと好きだって証拠だ」
「吉野......」
普段、馬鹿なことばかりしている吉野の大人びた発言に、俺は瞳を瞬かせた。
だけど「不安になるほど、それだけ倉峰のことが好き」という言葉が、俺の胸をフッと軽くさせる。
「なんだよ急に......かっこつけたこと言いやがって」
「俺はお前みたいな恋愛初心者と違って、三年付き合ってる彼女がいるんだから、先輩の言うことは素直に聞いとけ」
おどける吉野に、俺は素直に頷く。
「俺さ、倉峰と中学から一緒なんだけど」
「ちょっ、おい! 初耳なんだけど」
「あれ?言ってなかったっけ?」
けろりとした顔の吉野に、心の中で聞いてないわ!と突っ込む。
「クラスがずっと違ったから特に親しいって訳じゃないんだけどさ。あいつは男の俺から見ても、真面目でめちゃくちゃいい奴だよ。誰にでも優しくて親切だから昔から人気があった」
しかもあの顔面だし、と吉野が付け加える。
「中学の頃からモテにモテてたけど、全部断ってたみたいだった......だけど!」
そこで一旦、吉野は言葉を切った。
「その中に、なかなかあきらめない女子がいてさ。学校内で有名になるほど猛アタックを繰り返してた。で、それが......ちょっと怖いというか、周りも引くレベルで。倉峰は律儀に毎回断ってたみたいだけど、優しいからなかなかはっきり突き放せなくて......」
吉野の話を俺は真剣に聞く。
「ここまで話せば、その相手が誰だか分かるよな」
「まさか......」
俺はハッとする。冷たく異様に圧があった女性、もしかして中学の頃、倉峰に猛アタックをかけていたというのは。
「三宅なのか?」
「そ、さっきも廊下でなんか揉めてたしな。三宅も普段は大人しいのに、倉峰が絡むと人が変わるというか......高校入ってからは落ち着いたと思ったんだけど」
三宅が中学の頃に倉峰にアタックをしていた。
それを聞いて、部室の前で言い争っていた倉峰と三宅の姿が蘇る。
その姿の上に、なかったはずの桜の花が見えた。
瞬間、俺の脳裏にある記憶がフラッシュバックする。
倉峰と話をしたのは、図書室での出来事が初めてではない。
本当はずっと前、入学式の時に一度だけ会話を交わしたことがあった。
まだ倉峰の名前も知らなくて、ただ目の前で困っている――頭上に咲き誇る美しい桜が色褪せるほど、俺の目を引いたその彼を助けたい、その一心で手を引いて走り出した。
「あの時の!」
その時、倉峰を困らせていた女生徒と三宅の姿が重なった。
「っ......」
俺は口を抑える。
じゃあやっぱり! 倉峰は嘘なんかついていなかったんだ。
それに気づいて、目頭が熱くなる。
今すぐ倉峰に会いたい......!
俺は椅子から立ち上がった。
その時。
ピンポンパンポーン――と、教室に軽快な音が流れた。それはお昼休みの校内放送を告げるチャイムの音だった。
『みなさんお昼休み中失礼します』
倉峰! スピーカーから聞こえてきた声、それは倉峰のものだった。
水曜日恒例の図書委員からのお知らせ。
倉峰の声は相変わらず心地よく脳の中に響き、そしてとても愛おしくて胸がきゅっと締めつけられた。
『本来は図書委員からのお知らせをお伝えするところですが......今日は、どうしてもある人に伝えたい気持ちがあって、個人的にこの放送を使わせてもらいます。みなさまの貴重な時間をいただく非礼を先に詫びたいと思います』
伝えたいこと......。
いつもと違う放送の流れに、周りがなんだなんだと騒ぎ出す。
『私、倉峰大和には好きな人がいます。今日はその人にこの想いを伝えたい』
倉峰がそう言った瞬間、教室内が色めき、黄色い声援が上がった。
それはこの教室だけでなく、放送が聞こえる校内全体が、一斉に倉峰の放送に注目を寄せる。
『一条、聞こえているか』
倉峰が呼んだ名前に、一瞬で俺に視線が集まる。
『最近、一緒にいれなくてすまなかった。一条が寂しそうな顔をするたび、本当は抱きしめたかったし、傷ついた顔を見るたび苦しくて堪らなかった。本当にすまない』
倉峰が俺にここ数日の態度を謝る。気持ちのこもった声音に、不安で冷え切っていた心が温められ癒されていく。
『変な噂が流れているが、それは全くの嘘だ』
倉峰がはっきりと言い放つ。
『俺が好きなのは一条お前だけだ。初めて会った時からお前だけをずっと想っている。俺は、一条桃哉を愛している』
そこで倉峰が、一息呼吸を吸い込んだ。
『改めて言わせてくれ......一条桃哉さん、俺と結婚を前提に付き合って下さい』
熱のこもった、惚けそうなほどの甘い声に心が震える。
教室内が喧騒に包まれる。だけどそんな周囲の音は俺には聞こえていなくて、ただスピーカーの向こうにいる倉峰と二人きりになったような、そんな錯覚を覚えた。
早く倉峰に会いたい、会って俺の気持ちをちゃんと伝えたい。
それだけが頭の中も心も――俺のすべてを覆いつくす。
俺は我慢ができず駆け出した。
目指すのは倉峰のいる放送室。そこだけを目指して、全力で駆けて行く。
「待ちなさい‼」
そう叫ぶ声が聞こえ、何かが急に目の前に立ちふさがった。
長い髪を振り乱し、大きく腕を広げて行く手を塞ぐその姿。三宅だった。
「行かせない......行かせないわ!」
三宅がぶつぶつと呟く。
「あんた何なの? 入学式の時も私の邪魔をして! あの時倉峰くんに何を言ったの? あんたさえいなければ......私はあんなにはっきり振られることはなかったのに!」
やっぱりあの時の女性は三宅だったのだ。
じゃあ倉峰は、俺の助言を聞いて......ちゃんと断ったんだな。
「なんで私が駄目で、あんたみたいなちんちくりで何もない男が選ばれるわけ⁉ 倉峰くんもおかしいんじゃないの⁉ せっかく噂まで流してぶち壊してやろうと思ったのに!」
「......!」
三宅の言葉を聞いて、頭がカッとなった。俺はまっすぐに三宅を見据える。
「俺のことはいいけど、倉峰の悪口を言うな!」
「なっ......」
「確かに俺は平凡で何もない、それは自分でもそう思う。だけど! 倉峰のことも考えず、本当の倉峰を見ようともせず、自分の気持ちや都合だけを押し付けるような、あんたにそんなこと言われる筋合いはない!」
「なんですって......⁉」
三宅が瞳を吊り上げる。
「倉峰のことを好きだった時間はあんたの方が長いかもしれない。でも好きな相手の評判を下げるような噂を平気で流すなんて、そんなの本物の好きじゃない! ただの自分勝手だ! そんな人間に、倉峰が好きだなんて言うはずがない......それもあんたの嘘だろ!」
俺はギュッと手を握りしめた。
「俺の方が! 倉峰のことを本当に想っているんだから‼」
「っ......」
俺の気迫に気圧され、三宅が言葉に詰まる。
その隙に三宅の横を通り過ぎ、俺は一気に加速して走り出した。
初めて「好き」って言う相手は、倉峰がいい!
心の中そう叫んで、ただ一人会いたい人がいる場所を目指した。
目の前に放送室の扉が見える。辿り着いた俺は、迷いなくその扉を開けた。
「一条......」
突然現れた俺に、倉峰が驚いた顔をする。だけど、すぐにとても嬉しそうに、そしてとてつもなく愛しそうに微笑んだ。
その愛のこもった表情に、うるうると目が潤んだ。
倉峰に駆け寄る。俺に向かって、倉峰が腕を広げた。
俺はその腕の中に思いっきり飛び込んだ。
「好き......」
伝えたかった言葉が、口から自然と零れ落ちる。
「俺も倉峰のことが大好き!」
「一条」
ポロポロと涙が零れる。伝えた言葉に、倉峰が震えるように息を飲んだ。
「ほん、とうに......?」
縋るような瞳で倉峰が俺を見る。掌がそっと俺の頬に触れた。
その手が震えていて、どれだけ倉峰が俺のことを好きなのかを思い知る。
「うん。本当」
倉峰を見つめて、ふんわりと微笑む。
「俺も倉峰大和を愛しています。こちらこそ、お付き合い......えっと、け、結婚を前提にだっけ......よろしくお願いします!」
「一条!」
思い切って、だけどしっかり気持ちを込めて答えた俺に、倉峰ははじかれたように笑顔を浮かべた。そして、きつく強く、俺を腕の中に引き寄せて抱きしめた。
「一条......嬉しい。俺も好きだ、一条が好き。愛してる」
「ふふ、もう......分かってるよ」
何回も好きだと繰り返す倉峰が愛しくて、その背中に腕を回しギュッと抱きついた。
温かい腕の中で、俺はホッと息を吐く。
本当によかった......。
世界がキラキラと輝いている。
心の中が倉峰の温もりで一杯だ。
「くらみね......」
すり、とその胸にすり寄る。
だが、顔を動かした瞬間、チカチカと光る何かが俺の視界に入った。
「ん?」
そっと顔を上げて、ジィーと見つめる。それは放送中を告げるマイクのスイッチだった。
「ちょっ......! 倉峰......」
「どうした?」
うっとりと俺の髪に頬を埋めながら倉峰が聞き返す。俺は震える指で、マイクを指さした。
「マイク......電源入ってるんじゃ......」
「え? ああそうみたいだな」
俺を抱きしめたまま、倉峰が平然と答える。
そうみたいだな、じゃねぇよ‼
と、言うことは......今の会話は、校内放送に乗って学校中に――‼
そう思った瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が校内に響いた。
慌てて窓の外を見てみると、ありとあらゆる教室の窓から、みんなが放送室の方を見ていた。
「よ! お二人さん! お熱いね~」
「おめでとーー‼」
「お幸せに~~」
などなど、祝福の言葉が俺たちに向けられる。
「倉峰先輩かっこいい! 最高ですーー! 一条先輩もよかった! 本当によかったっっ!」
よく見ると、一年の校舎の窓際で、武田くんが感動の涙を流していた。
「やるじゃん桃哉! これでお前も今日から一人前だな!」
窓から顔を出した吉野がグッと俺に向かって親指を立てる。何が?と思うが、もはや言葉も出ない。
え? 何これ......めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど......!
全身を真っ赤にしてぷるぷると震えながら、俺は隠れるように倉峰の胸に顔を埋めた。
そんな俺を、倉峰は幸せそうに、強く強く腕の中に抱きしめていた。
かくして二人は無事に(仮)が取れ、校内公認の恋人同士になった。

