嫌われている後輩と同室になりました

「今日が最後の夜ですね」

 部屋の真ん中に立った榊原が、自分のベッドを見つめてぽつりと言った。

 明日の朝、榊原は空港に向かう。そしてアメリカに発つ。
 荷造りはほとんど終わっていて、部屋の半分は妙にがらんとしていた。

 俺は自分のベッドに座り、榊原の背中を見ていた。

「俺さ……お前が、いちいち歯みがきは洗面所でしろってうるさかったの、すげぇうざかった」
「は?」

 榊原がぱっと振り返った。
 俺は構わず続けた。

「お前のマグカップ使っただけでぎゃあぎゃあ言うのも、あと仲良くなる前に俺が写真撮ろうとしたら睨んでくるのも、部屋で俺のこと無視するのも、すげぇ嫌だった」
「え、……それ、今日言います?」
「だって、お前、……行っちゃうじゃん。今日言わなきゃいつ言うんだよ」

 肝心なことは言えなくて、余計なことはすらすらと口を出て行く。
 だから、次の言葉を言うのに、すごくすごく時間がかかった。
 ゆっくりと立ち上がる。

「……俺、お前のこと、好きだよ」

 やっと声にして、そのまま目を見開いている榊原にキスをした。

「好き。……榊原が好き」

 一瞬だけ、互いの唇が触れて、離れる。
 榊原はよほど驚いているのか、しばらく固まっていた。

「な、なんでそっちから一線越えてくんだよ……」

 めずらしく榊原の声が裏返っている。

「ア、アンタのことを思って、こっちがどれだけ手ぇ出すの我慢してたと思ってるんですか!」

 俺は開き直るように言い返した。

「出せばいいだろ。最後なんだから。何発ヤったって、明日にはバイバイだよ」
「……マジでクソだな、アンタ」
「それでも、……お前は好きだって言ってくれた。お前なら、もっといい奴たくさんいるのに、……だけど、俺が好きって言ってくれただろ」

 榊原を見上げる。

「……今日だけでいいから。そしたら、俺……お前のこと、一生応援できるから」
「……」
「テレビでお前の活躍を見たら、『俺のこと好きだったやつだ』って過去のことにしてやるから……だから」

 泣きそうになって、ぜったい涙を流さないように唇を噛んだ。
 言葉が続かない。喉が詰まる。
 息を吸って、もう一度榊原を見据えた。

「お願い。今日だけ……俺のそばにいて――」

 次の瞬間、乱暴に引き寄せられた。
 背中が壁にぶつかる。榊原の顔が近づいてきて、唇が重なった。
 さっき俺がした軽いキスとは違う。
 深くて、熱くて、息ができない。

「もう、知るかよ」
「……っ、ん……」
「ぜんぶ、手ぇ出してやるから」

 榊原が俺の頬を両手で包んだ。

「後悔、しないでくださいよ」
「……しない、……ふっ、んぅ……」

 また唇が重なった。
 今度は優しくて、でも切なくて。
 転がるように、ベッドに倒れ込んだ。服を脱がされ、肌が重なる。
 榊原の体温。榊原の匂い。榊原の声。
 ぜんぶぜんぶ忘れないように。
 
 *

 朝日が差し込んで、目が覚めた。
 体が重い。あちこちが痛い。
 ぼんやりした頭で考えて、一気に記憶が蘇った。
 榊原に告白して、キスして、それから——。

「……っ」

 慌てて体を起こそうとして、シーツがはだける。自分の体が目に入って、かぁっと頬が熱くなった。
 首筋、鎖骨、胸元。
 赤い痕だらけだ。
 たくさんの、キスマーク。榊原が昨日の夜、最初は強気に笑いながら、その後は泣きそうな顔でつけたキスマーク。
 昨夜のことはぜんぶ俺の妄想じゃなかった。

「起きました?」

 声がして、顔を上げた。
 榊原が俺のベッドの縁に座っていた。もう私服に着替えている。出発の準備は万端らしい。

「……いつから起きてたの」
「けっこう前から」
「……ずっと見てたのかよ」
「見てました」
「……変態」
「それは今日の俺じゃなくて、昨日の俺に言うべき言葉でしょ」

 榊原が笑って、俺の髪を梳く。
 朝日に照らされた顔が、やっぱりかっこいい。
 
「水野先輩、体は?」
「平気……」
「じゃあ、……心は?」

 そんな心配そうな顔をしないでほしい。

「ぜんぜん平気。お前とヤッてすっきりした」

 最後くらい、笑顔で送り出したい。
 そう決めて、俺は無理やり笑った。
 
 *

 空港は人でごった返していた。
 榊原の見送りには、藤堂を始めとするバスケ部の連中や、寮の連中、それに久我も来ていた。

「榊原、頑張れよー!」
「NBA行ったらサインくれよな。メルカリで売る」
「……売るなよ」
「ぜってー覚えてろよ、俺たちのこと!」

 みんなが口々に声をかける。
 泣いている奴もいて、久我もめちゃくちゃ号泣している。

「久我先輩、泣きすぎでしょ」
「だってさぁ……お前がいなくなるの寂しいだろうがよぉ……」
「……まぁ、俺もちょっと寂しいっすけど」
「ちょっとかよ!」

 榊原が照れくさそうに笑った。
 俺は少し離れたところで、その様子を見ていた。
 泣けなかった。泣いたら、止まらなくなりそうで。
 ちゃんと見送らなきゃ。笑顔で送り出さなきゃ。

「先輩」

 榊原が近づいてきた。

「……おう」
「そろそろ行きます、俺」
「……うん」

 わかってる。わかってるけど、足が動かない。
 行かないでほしい。でも、行ってほしい。複雑な気持ちがぐるぐる回る。

「元気でな」
「先輩も」
「ちゃんとメシ食えよ」
「大丈夫ですよ」
「無理すんなよ」
「わかってます」
「……榊原」
「はい」
「……好きだったよ、俺」

 小さい声で言った。榊原にだけ届くように。

 ちゃんと過去にできるはずだ。きっと。

 涙がもう溢れて止まらないけれど、胸が痛くてたまらないけれど、それでも。 
 榊原が目を丸くして、それからけらけらと笑い出す。

「ありがとうございます。……アンタのそのすげぇムカつく発言で、より覚悟が決まりました」
「……え?」

 その瞬間、抱きしめられた。息が止まる。ざわっと寮の連中たちが息を呑んだのが体感で伝わった。

「水野先輩、付き合いましょう。俺と」

 耳元でささやかれた榊原の言葉。

「……は?」

 俺の声じゃない、久我の声だ。

「俺が付き合おうって言ったら、アンタの人生まるごと変えてしまうから、すげぇ悩みました」

 抱きしめられたまま、榊原の真剣な声を聞く。

「……ビビってかなり遅くなって、本当にすみません。でも、ようやく覚悟が決まったんで、先輩の人生ごと俺に背負わせてください」

 榊原が真剣な目で俺を見た。

「俺と、遠距離恋愛してください」
「……え」
「付き合ってください、先輩」

 頭が真っ白になった。
 付き合う。遠距離恋愛。俺と、榊原が。

「……む、無理だよ!」

 久我たちは、いまだ驚いたように俺たちを見ている。

「無理じゃないです」
「だ、だって、俺……お前の夢、邪魔したくない……!」
「邪魔じゃないですって、むしろ先輩がいたら、何倍も、何十倍も、がんばれます」
「ア、アメリカと日本だよ! 会えねぇじゃん!」
「会いに来ます。電話もできるし、ビデオ通話だってあんだろ」
「でも……」
「でもじゃない」

 榊原が俺の腰を強く引き寄せる。

「昨日、先輩が好きって言ってくれて、すげぇ嬉しかった」
「……」
「……俺、アンタの気持ち知らないまま行くとこだった」
「……」
「アンタが俺を好きなら、なんの問題があるんですか? ちゃんと付き合いたいんです。中途半端は嫌だ」

 俺は動揺しながら榊原を見た。
 プレイ中の時みたいな、本気な目。

「バスケも先輩も、どっちも諦めねぇから。両方、手に入れます」
「……そんな器用なこと」
「やれますよ。だって、この俺がやるって決めたんで」

 榊原が俺の頬に手を添えた。

「先輩は俺を信じてくれないんですか」
「……し、信じてないわけじゃない」
「じゃあ、付き合ってください」
「……」
「あと、そこの人たち、ぼけっと見てねぇで、援護射撃してもらえますか?」

 榊原が久我たちに言い放つと、久我が涙を拭きながら、困ったように頭を掻いた。

「え、えーと……さ、榊原は、めちゃくちゃバスケ上手い……」
「もっとほかにないんスか……」
「俺あるわ。水野先輩とのツーショット、スマホのロック画面にしてます。かわいいとこあるでしょ」
「えっ……そうなの?」
「藤堂、お前ぜってぇ殺す」
「援護射撃しろって言ったのそっちだろ」

 周りから笑い声が上がった。榊原の耳が少しだけ赤くなっている。

「榊原、料理できるよな」
「後輩の面倒見もいい!」
「でも水野には甘えっぱなしだろ。見ててめっちゃおもろかったわ」
「それな、水野の前では赤ちゃんだからこいつ」
「つうか俺、榊原に勉強教えてもらって赤点回避した」
「俺も」
「俺もー」

 次々と声が上がる。

「赤ちゃんはいいとして……先輩、聞きました? 俺、けっこうな優良物件ですよ」

 榊原が俺に向き直った。

「頼みますから、いいよって言ってください」

 さっきまで強気だった目が、少しだけ不安そうに揺れている。

「……ほんとに、俺で……いいの?」
「いいに決まってるでしょ」
「俺、重いよ。毎日連絡したくなるし、声聞きたくなるし」
「いいですよ。俺も毎日連絡します」
「……寂しいって言っちゃうかも」
「言ってください。俺も言いますから」

 榊原が笑った。
 優しい笑顔。俺だけに見せてくれる笑顔。

「……わかった」

 俺は涙を拭いて、榊原を見た。俺だって、覚悟を決めたから。

「俺も頑張る。だから……付き合おう、榊原」
「……はい」

 榊原が嬉しそうに笑った。
 顔が熱い。心臓がうるさい。
 周りからヒューヒューと冷やかしの声が聞こえる。

「マジかよ」
「おめでとー!」
「榊原、お前ってやる奴だと思ってたけど、まさかこう来るとは」
「うちの水野を泣かすなよー!」
「……当たり前じゃないですか」

 寮の連中が大騒ぎしている。
 恥ずかしい。恥ずかしいけど、嬉しい。

「……なんでわざわざ空港で、……ほんとお前ってばか」
「ばかでいいですよ。俺なりに色々と考えた結果なんで。水野先輩お人好しだから、人前だと断りにくくなるでしょ? あと時間もギリギリにすれば、いいよって言う確率が上がる」
「「「「「……うっわ、こいつ最低!!!!」」」」」

 満場一致の声に、俺はぷはっと噴き出してしまった。
 榊原は無視を決め込んでいるのか、腕を緩めて、俺と向き合う。

「行ってきます」
「……行ってこい」
「毎日連絡しますから」
「……うん、俺も」

 榊原が手を振って、ゲートに向かっていく。
 何度も振り返りながら、少しずつ遠くなっていく。
 俺は手を振り続けた。
 見えなくなるまで、ずっと。

「……行っちゃったな」

 隣で久我が言った。

「うん」

 まだ心臓がドキドキしている。

「なんとなくこうなる気はしてたわ」
「……うそつけ」
「遠距離、大変だと思うけどさ」
「……うん」
「お前らなら、絶対大丈夫だよ。あいつ、お前のことめちゃくちゃ好きだし」
「……うん」
「気持ち悪いくらい」
「……うん」

 藤堂も隣に来た。

「最後まで手のかかる奴で、すみません」
「……ほんとにな」

 ズボンのポケットに入れていたスマホが震えた。
 榊原からのメッセージだった。

『水野先輩、俺もう寂しい』

 思わず笑った。
 すぐに返信を打つ。

『俺も』

 すぐに既読がついて、返事が来た。

『ちゅき』

 また笑った。泣きそうになりながら。

『俺もちゅき』

 送信して、スマホを胸に当てた。俺はすでに後悔していた。
 俺の返事を待って不安そうにしているあいつの顔を、写真に収めてやればよかった。



おわり


 好かれている後輩と別室になりました。