俺のことが大嫌いな後輩と、365日一緒で気まずい話(旧 嫌われている後輩と同室になりました)

 それから何日か経った頃、俺と榊原は玄関の掃除当番になった。
 最近、あまり眠れていない。
 あっちこっちに散らばった来客用のスリッパを、ひとつひとつ揃えて靴箱に入れていく。
 黙々と作業をしていると、榊原が口を開いた。

「聞かないんですか、あれ」
「……っ」
「『俺のこと好き?』って、前は毎日聞いてきたのに」

 心臓が跳ねた。
 俺は榊原を見ないようにして、スリッパを乱暴に靴箱に突っ込んだ。

「うるせぇな、いいから手動かせよ」

 言ったあと、しまった、と思った。
 俺、人にこんな言い方したことない。
 でも、榊原は怒ることなく、けらけらと笑ってみせた。

「どうしたんですか? アンタがそんな風に八つ当たりするとこ、初めて見ました」
「……」
「悩みなら聞きますよ?」
「……おっ!」

 お前のせいだろうが!!!!!!

 心の中で叫んだ。
 留学のことを黙ってたお前のせいで、俺は今こんなにわけのわからない感情になっている。

「あー……もしかして、なんか聞きました? 藤堂あたりから」

 榊原の声が、少し真剣になった。
 俺は観念して、靴箱に背中を預けた。

「……聞いた」
「……そうですか」
「本当に行くの? アメリカ」
「……行きます」
「そっか」

 やっぱり、行ってしまうんだ。

 沈黙が落ちる。
 玄関には俺たち以外誰もいない。夕暮れの光が、床に長い影を作っていた。

「なんで言ってくれなかったんだよ」

 気づいたら、口に出していた。

「俺、お前と同じ部屋なのに。毎日一緒にいたのに」
「…………」
「藤堂は知ってて、俺は知らなかった。……俺には言えなかったってこと?」

 榊原が黙った。
 その沈黙が、答えだった。

「先輩には……言いづらかったんです」
「なんで」
「なんでって……」

 榊原が困ったように笑った。

「アンタが『好きな人』だから」
「…………」
「言ったら、先輩は気を遣うだろうし。俺に優しくしてくれるのが、同情なのかなんなのか、わかんなくなるのも嫌だったし」
「……そ、そんなの」
「わかってます。俺の勝手な言い分だって」

 榊原が、俺のほうを見た。

「先輩は、俺がいなくなったら寂しいですか」

 その声が、やけに静かだった。
 試しているような、でも本心を聞きたいような。

「……寂しいよ」

 素直に答えた。

「お前がいなくなったら、すげぇ寂しい」
「…………」
「この部屋に帰ってきても、お前がいないんだろ。朝起きても、お前の顔が見られないんだろ。生意気な態度も、イケメンってわかってるみたいなムカつく笑顔も、もう見られないんだろ」

 言葉が止まらなかった。

「それは……やだよ、普通に」

 榊原が俺の隣に立つ。

「アメリカ行っても、俺のこと、忘れないでくださいよ」
「……」

 忘れられるわけがない。

「俺が将来プロのバスケ選手になって、テレビに出て、女の子にきゃーきゃー言われても」
「……今も言われてんだろ」
「まぁ、そこはいいんですけど」

 榊原が真剣な顔になった。

「何年後かわかんないですけど、俺がアンタの目に映ったら、思い出してください。『こいつは俺のこと、しつこいくらい好きだったやつだ』って」

 その言葉にカチンときた。

「お前にとっては、……もう過去なのかよ」
「え?」
「『好きだった』って。もう終わったみたいに言うなよ……!」
「いや、そういう意味じゃ——」
「俺、お前の横にいるじゃん! 今、いるじゃん!」

 声が大きくなっていた。
 自分でも驚くくらい、感情が溢れ出していた。

「お前、勝手に俺の初告白奪っといて、『はい、さようなら』ってそんなのありかよ!」

 榊原が固まった。

「初めて……告白されたんですか」
「……うん」
「マジで?」
「マジだよ」
「……ははっ、初めてが俺って、かわいそうに」
「かわいそうじゃない」

 俺は榊原を睨んだ。

「全然かわいそうじゃない。むしろ、みんなに自慢してもいいくらいだって……俺は、……思ってる」

 榊原が息を呑む。
 数秒、沈黙が流れた。

「……アンタ、かわいすぎだろ」
「は?」
「なんなんですか。押し倒していいんですか」
「そっ、それはちょっと……」
「じゃあ、抱きしめるのは?」

 榊原が一歩近づいてくる。逃げ場がない。

「……ちょっとくらいなら、いい……かも」

 言った瞬間、腕を引かれた。
 気づいたら、榊原の胸の中にいた。

 大きな体。あったかい。榊原の匂いがする。
 心臓の音が聞こえる。俺なのか、榊原なのか。

「……あー、まずい。こういうの、まずいだろ……」

 榊原がぶつぶつ言っている。
 俺はまたわけがわからないくらい腹が立って、ぎゅうっと榊原の背中のジャージを掴んだ。

「いや、抱き返してくんなよ……。水野先輩、ばかなんですか?」
「……そっちこそばか。先輩には敬語使え」
「今さら……」

 ぎゅうぎゅうと抱き返す。その時。

「えっ、ふたりで何してんの?」

 明るい声が響いて、俺は現実に引き戻された。
 そうだった、ここは玄関だ。めちゃくちゃみんなが通る場所だ。
 はっとして離れようとしたけど、榊原は腕を緩めなかった。

「見りゃあわかんでしょ。抱き合ってるんですよ」

 へらっと笑って、榊原が宣言した。
 振り返ると、ほかにも久我やバスケ部の連中も立っている。

「ぎゃはははは! 水野と榊原が抱き合ってる!」
「なんだなんだ、仲良いな!」
「俺らも混ざろ!」
「団結! 団結!」

 バスケ部やらバレー部やら、背の高い野郎どもがわらわらと集まってきて、俺たちをぎゅうぎゅうと囲んだ。

「こんな時になんなんですけど、俺、アメリカに留学することになりました」

 さらりと榊原が言う。「うぇっ!?」とか「マジ!?」とか「めでてぇ!」とか、みんな大騒ぎだった。
 もみくちゃにされながら、俺はどさくさに紛れて、もっと榊原にくっついた。
 榊原はなぜか不機嫌な顔になって、みんなから俺を守るように抱きしめてくる。

 なんなんだよ、お前。

 もうこれでさよならなんて、言うなよ。

 好きだった、なんて言うなよ。

 たとえ俺と付き合う気がなくたって、そんなの。聞きたくないんだ、今は。


  *

 榊原がアメリカに行くことは、あっという間に広まった。

 それからの日々は、残り時間が減っていくのをまざまざと感じながら、榊原との日々を過ごした。

 意識するなと思えば思うほど、榊原のことが気になる。
 同じ部屋で朝まで一緒にいるのが、こんなにもどかしいなんて知らなかった。近いのに、近くない。

 夜、ベッドに入ってからも眠れない。
 隣のベッドから聞こえる榊原の息。かすかな寝返りの音。
 それを聞いているだけで、胸がざわつく。

「……先輩、起きてます?」

 暗闇の中で榊原の声がした。

「……起きてる」
「眠れないんですか」
「……まあね。お前は?」
「俺も」

 沈黙が流れる。
 暗くて顔はよく見えないけど、榊原がこっちを向いているのがわかった。

「……なぁ、先輩」
「んー……?」
「俺の布団来ます? ほら、人肌あると眠れるって言うし」
「……いかない」
「ですよね」

 少しの間があった。

「……お前が、こっち来たらいいじゃん」

 ぼそりと言う。

「…………はぁぁぁぁぁぁぁ」

 長いため息が聞こえた。
 そして、ガサガサと布団から出る音。
 榊原が俺のベッドに近づいてきて、布団に潜り込んできた。

「……お前でかいから、狭い」
「我慢してくださいよ」

 叱りつけるみたいに、布団の中でそっと手を握られた。
 大きくてあったかい手。この手でドリブルして、シュートを決める、かっこいい手。この前、俺のことを抱きしめた手。
 俺たちはいったい何をしているんだろう。もうわけがわからなくて、考えるのをやめた。

 榊原が何も言わないから、俺も何も言わなかった。
 指先が絡まる。心臓はさっきの倍うるさくなって、絶対眠れそうにない。

 暗闇の中で天井を見つめながら、俺は眠ることを完全に諦めた。

「……しりとりしよ」
「は?」
「眠れないから」
「……いいっすね」

 榊原が死んだような声で言った。
 俺たちは手を繋いだまま、小声でしりとりを始めた。
 りんご、ゴリラ、ラッパ、パンダ、ダンクシュート。
 たぶん、三回目の「ル」が回ってきたあたりで、俺は眠りに落ちた。

 そして……朝、目が覚めたら、隣に榊原の寝顔があった。
 無防備な顔。長いまつげ。少し開いた唇。
 近い。近すぎる。

 ……かっこいいな、と思ってしまう自分がいる。

 なんかもう、ダメかもしれない。
 榊原の顔を見るたびにドキドキする。

 これって、なんなんだろう。
 もしかして、俺は榊原のことを——。

 考えるのが怖かった。
 だって、気づいてしまったら、もう戻れない気がしたから。
 もうすぐ榊原はいなくなる。
 今さら気づいたって、どうしようもない。

  *

「はぁ……」

 部屋でひとり、ため息を吐く。

 ばかな俺は、また今日もこっそりとバスケ部の練習試合を見に行ってしまった。
 試合が終わった後、榊原が他校の女子生徒と話しているのを見た。
 かわいい子だった。榊原に話しかけて、スマホを差し出している。たぶん、連絡先を聞いていたんだろう。
 榊原は困ったように笑って何かを言い、女の子も笑っていた。断っているのか、受け入れているのか、俺にはわからない。

 その時、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
 ……なんだよ、これ。
 榊原が女の子と話してるだけで、あんなにムカつくなんて。

「はぁ……」

 もう一度ため息をつく。
 もしも俺が榊原と付き合ったら、どうなるんだろう。
 あいつを撮った写真を見つめながら、ふとそんなことを考えてしまった。
 あいつは生意気だけど、たぶん俺のことを大事にしてくれる。
 好きなものを覚えていてくれるし、体調が悪いときは看病してくれるし、俺のSNSの写真だってずっと見ていてくれた。

 付き合ったら、きっと幸せにしてくれるんだろうな。
 
 ……でも、榊原はアメリカに行くし、さらには最初から俺と付き合うつもりなんてさらさらないのだ。

 向こうで関わる人間もめちゃくちゃ多いだろう。俺のことなんてすぐ忘れるに決まってる。
 かわいい女の子にも関わるだろう。さっきみたいに連絡先を聞かれることだって、何度もあるだろう。
 そのうち、俺以外の誰かを好きになる、確実に。
 そう思ったら、ますます胸が痛くて息ができなくなった。

 俺はいつから、こんなに榊原のことばかり考えるようになったんだろう。

 嫌われてるって気づいた時から?
 それともあいつが俺を好きだって気づいた時から?

 ガチャッと部屋の扉が開く。

「水野先輩、ただいま」

 そんな声とともに、微笑んだ榊原が部屋に入ってきた。

「おかえり……」

 ……俺はもうだめだ。こいつが好きなんだって、認めるしかない。
 榊原の顔を見ただけで、好きだと言ってしまいそうになるのだから。

 俺は心の声を押し殺し、いつもの質問をした。

「……俺のこと、好き?」
「会ってすぐそれかよ」

 けらけらと笑ったあと、「はい」と榊原が答える。

 好きだ、と思う。

 でも、言ってどうなる?
 榊原はアメリカに行く。俺は日本に残る。
 榊原は夢を追いかけてますます忙しくなる。遠距離なんて、無理に決まってる。
 だったら、黙っていたほうがいい。
 榊原の夢の邪魔なんて、絶対にしたくない。

  *

 留学まで、あと三日。榊原の部屋の荷物が少しずつ減っていく。

 榊原は、前より優しかった。
 俺が落ち込んでいるのを察しているのか、さりげなく気を遣ってくれる。
 それがまたつらかった。

 その日の夜、部屋でぼんやりしていると、榊原が声をかけてきた。

「先輩、ちょっといいですか」
「……なに」
「写真、撮ってほしいんですけど」
「写真?」

 榊原がスマホを取り出した。

「俺たちのツーショット。……一枚も持ってないなって気づいて」

 俺は目を丸くした。
 確かに、俺と榊原の写真なんて一枚もない。
 俺はいつも撮る側で、榊原は撮られる側で。二人で写ったことなんて、一度もなかった。

「……いいよ」
「じゃあ、こっち来てください」

 榊原が自分のベッドに座って、隣をぽんぽんと叩いた。
 俺は少し躊躇してから、榊原の隣に座った。

 近い。肩が触れる距離。

 榊原がスマホを持ち上げて、インカメラを起動した。
 画面に、俺と榊原の顔が並んで映る。

「……なんか照れるわ」
「ちゃんと笑ってくださいよ、先輩。アメリカ行ったら、毎日この写真を見るんですから」
「言ったな? お前、本当に見ろよ」
「やっぱ毎日は言い過ぎかも」

 からかうように榊原が笑い、俺も自然と口元が緩んだ。

 カシャ、とシャッター音が鳴った。

「……すげぇいいの撮れたわ」

 榊原が画面を確認する。
 俺も覗き込んだ。

 二人とも、笑っていた。
 なんだか気恥ずかしくて、でも嬉しくて。

「……めっちゃいい写真」
「でしょ」

 榊原が満足そうに言った。

「これ、先輩にも送りますね。忘れないでくださいよ、俺のこと」
「……忘れるわけないだろ」

 俺は画面の中の自分たちを見つめた。

 泣いてる榊原の写真を勝手に撮ってしまったのが、すべての始まりだった。
 そして今、俺たちはふたりで笑ってる写真を撮っている。

 なんか、泣きそうだ。

「……榊原」
「はい」
「……頑張れよ、アメリカ行っても」

 それしか言えなかった。
 本当は、行かないでほしい。ずっとそばにいてほしい。
 でも、言えない。言っちゃいけない。

「……はい。頑張ります」

 榊原が静かに答えた。

 俺たちは並んで座ったまま、しばらく何も言わなかった。
 肩が触れている。それだけで、胸がいっぱいだった。

 あと三日。
 たった三日で、こいつはいなくなる。

 言えないまま終わっていく。この夜も、この恋も、終わってしまうんだ、きっと。