嫌われている後輩と同室になりました

 それから何日か経った頃、俺と榊原は玄関の掃除当番になった。
 最近、あまり眠れていない。
 あっちこっちに散らばった来客用のスリッパを、ひとつひとつ揃えて靴箱に入れていく。
 黙々と作業をしていると、榊原が口を開いた。

「聞かないんですか、あれ」
「……っ」
「『俺のこと好き?』って、前は毎日聞いてきたのに」

 心臓が跳ねた。
 俺は榊原を見ないようにして、スリッパを乱暴に靴箱に突っ込んだ。

「うるせぇな、いいから手動かせよ」

 言ったあと、しまった、と思った。
 俺、人にこんな言い方したことない。
 でも、榊原は怒ることなく、けらけらと笑ってみせた。

「どうしたんですか? アンタがそんな風に八つ当たりするとこ、初めて見ました」
「……」
「悩みなら聞きますよ?」
「……おっ!」

 お前のせいだろうが!!!!!!

 心の中で叫んだ。
 留学のことを黙ってたお前のせいで、俺は今こんなにわけのわからない感情になっている。

「あー……もしかして、なんか聞きました? 藤堂あたりから」

 榊原の声が、少し真剣になった。
 俺は観念して、靴箱に背中を預けた。

「……聞いた」
「……そうですか」
「本当に行くの? アメリカ」
「……行きます」
「そっか」

 やっぱり、行ってしまうんだ。

 沈黙が落ちる。
 玄関には俺たち以外誰もいない。夕暮れの光が、床に長い影を作っていた。

「なんで言ってくれなかったんだよ」

 気づいたら、口に出していた。

「俺、お前と同じ部屋なのに。毎日一緒にいたのに」
「…………」
「藤堂は知ってて、俺は知らなかった。……俺には言えなかったってこと?」

 榊原が黙った。
 その沈黙が、答えだった。

「先輩には……言いづらかったんです」
「なんで」
「なんでって……」

 榊原が困ったように笑った。

「アンタが『好きな人』だから」
「…………」
「言ったら、先輩は気を遣うだろうし。俺に優しくしてくれるのが、同情なのかなんなのか、わかんなくなるのも嫌だったし」
「……そ、そんなの」
「わかってます。俺の勝手な言い分だって」

 榊原が、俺のほうを見た。

「先輩は、俺がいなくなったら寂しいですか」

 その声が、やけに静かだった。
 試しているような、でも本心を聞きたいような。

「……寂しいよ」

 素直に答えた。

「お前がいなくなったら、すげぇ寂しい」
「…………」
「この部屋に帰ってきても、お前がいないんだろ。朝起きても、お前の顔が見られないんだろ。生意気な態度も、イケメンってわかってるみたいなムカつく笑顔も、もう見られないんだろ」

 言葉が止まらなかった。

「それは……やだよ、普通に」

 榊原が俺の隣に立つ。

「アメリカ行っても、俺のこと、忘れないでくださいよ」
「……」

 忘れられるわけがない。

「俺が将来プロのバスケ選手になって、テレビに出て、女の子にきゃーきゃー言われても」
「……今も言われてんだろ」
「まぁ、そこはいいんですけど」

 榊原が真剣な顔になった。

「何年後かわかんないですけど、俺がアンタの目に映ったら、思い出してください。『こいつは俺のこと、しつこいくらい好きだったやつだ』って」

 その言葉にカチンときた。

「お前にとっては、……もう過去なのかよ」
「え?」
「『好きだった』って。もう終わったみたいに言うなよ……!」
「いや、そういう意味じゃ——」
「俺、お前の横にいるじゃん! 今、いるじゃん!」

 声が大きくなっていた。
 自分でも驚くくらい、感情が溢れ出していた。

「お前、勝手に俺の初告白奪っといて、『はい、さようなら』ってそんなのありかよ!」

 榊原が固まった。

「初めて……告白されたんですか」
「……うん」
「マジで?」
「マジだよ」
「……ははっ、初めてが俺って、かわいそうに」
「かわいそうじゃない」

 俺は榊原を睨んだ。

「全然かわいそうじゃない。むしろ、みんなに自慢してもいいくらいだって……俺は、……思ってる」

 榊原が息を呑む。
 数秒、沈黙が流れた。

「……アンタ、かわいすぎだろ」
「は?」
「なんなんですか。押し倒していいんですか」
「そっ、それはちょっと……」
「じゃあ、抱きしめるのは?」

 榊原が一歩近づいてくる。逃げ場がない。

「……ちょっとくらいなら、いい……かも」

 言った瞬間、腕を引かれた。
 気づいたら、榊原の胸の中にいた。

 大きな体。あったかい。榊原の匂いがする。
 心臓の音が聞こえる。俺なのか、榊原なのか。

「……あー、まずい。こういうの、まずいだろ……」

 榊原がぶつぶつ言っている。
 俺はまたわけがわからないくらい腹が立って、ぎゅうっと榊原の背中のジャージを掴んだ。

「いや、抱き返してくんなよ……。水野先輩、ばかなんですか?」
「……そっちこそばか。先輩には敬語使え」
「今さら……」

 ぎゅうぎゅうと抱き返す。その時。

「えっ、ふたりで何してんの?」

 明るい声が響いて、俺は現実に引き戻された。
 そうだった、ここは玄関だ。めちゃくちゃみんなが通る場所だ。
 はっとして離れようとしたけど、榊原は腕を緩めなかった。

「見りゃあわかんでしょ。抱き合ってるんですよ」

 へらっと笑って、榊原が宣言した。
 振り返ると、ほかにも久我やバスケ部の連中も立っている。

「ぎゃはははは! 水野と榊原が抱き合ってる!」
「なんだなんだ、仲良いな!」
「俺らも混ざろ!」
「団結! 団結!」

 バスケ部やらバレー部やら、背の高い野郎どもがわらわらと集まってきて、俺たちをぎゅうぎゅうと囲んだ。

「こんな時になんなんですけど、俺、アメリカに留学することになりました」

 さらりと榊原が言う。「うぇっ!?」とか「マジ!?」とか「めでてぇ!」とか、みんな大騒ぎだった。
 もみくちゃにされながら、俺はどさくさに紛れて、もっと榊原にくっついた。
 榊原はなぜか不機嫌な顔になって、みんなから俺を守るように抱きしめてくる。

 なんなんだよ、お前。

 もうこれでさよならなんて、言うなよ。

 好きだった、なんて言うなよ。

 たとえ俺と付き合う気がなくたって、そんなの。聞きたくないんだ、今は。


  *

 榊原がアメリカに行くことは、あっという間に広まった。

 それからの日々は、残り時間が減っていくのをまざまざと感じながら、榊原との日々を過ごした。

 意識するなと思えば思うほど、榊原のことが気になる。
 同じ部屋で朝まで一緒にいるのが、こんなにもどかしいなんて知らなかった。近いのに、近くない。

 夜、ベッドに入ってからも眠れない。
 隣のベッドから聞こえる榊原の息。かすかな寝返りの音。
 それを聞いているだけで、胸がざわつく。

「……先輩、起きてます?」

 暗闇の中で榊原の声がした。

「……起きてる」
「眠れないんですか」
「……まあね。お前は?」
「俺も」

 沈黙が流れる。
 暗くて顔はよく見えないけど、榊原がこっちを向いているのがわかった。

「……なぁ、先輩」
「んー……?」
「俺の布団来ます? ほら、人肌あると眠れるって言うし」
「……いかない」
「ですよね」

 少しの間があった。

「……お前が、こっち来たらいいじゃん」

 ぼそりと言う。

「…………はぁぁぁぁぁぁぁ」

 長いため息が聞こえた。
 そして、ガサガサと布団から出る音。
 榊原が俺のベッドに近づいてきて、布団に潜り込んできた。

「……お前でかいから、狭い」
「我慢してくださいよ」

 叱りつけるみたいに、布団の中でそっと手を握られた。
 大きくてあったかい手。この手でドリブルして、シュートを決める、かっこいい手。この前、俺のことを抱きしめた手。
 俺たちはいったい何をしているんだろう。もうわけがわからなくて、考えるのをやめた。

 榊原が何も言わないから、俺も何も言わなかった。
 指先が絡まる。心臓はさっきの倍うるさくなって、絶対眠れそうにない。

 暗闇の中で天井を見つめながら、俺は眠ることを完全に諦めた。

「……しりとりしよ」
「は?」
「眠れないから」
「……いいっすね」

 榊原が死んだような声で言った。
 俺たちは手を繋いだまま、小声でしりとりを始めた。
 りんご、ゴリラ、ラッパ、パンダ、ダンクシュート。
 たぶん、三回目の「ル」が回ってきたあたりで、俺は眠りに落ちた。

 そして……朝、目が覚めたら、隣に榊原の寝顔があった。
 無防備な顔。長いまつげ。少し開いた唇。
 近い。近すぎる。

 ……かっこいいな、と思ってしまう自分がいる。

 なんかもう、ダメかもしれない。
 榊原の顔を見るたびにドキドキする。

 これって、なんなんだろう。
 もしかして、俺は榊原のことを——。

 考えるのが怖かった。
 だって、気づいてしまったら、もう戻れない気がしたから。
 もうすぐ榊原はいなくなる。
 今さら気づいたって、どうしようもない。

  *

「はぁ……」

 部屋でひとり、ため息を吐く。

 ばかな俺は、また今日もこっそりとバスケ部の練習試合を見に行ってしまった。
 試合が終わった後、榊原が他校の女子生徒と話しているのを見た。
 かわいい子だった。榊原に話しかけて、スマホを差し出している。たぶん、連絡先を聞いていたんだろう。
 榊原は困ったように笑って何かを言い、女の子も笑っていた。断っているのか、受け入れているのか、俺にはわからない。

 その時、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
 ……なんだよ、これ。
 榊原が女の子と話してるだけで、あんなにムカつくなんて。

「はぁ……」

 もう一度ため息をつく。
 もしも俺が榊原と付き合ったら、どうなるんだろう。
 あいつを撮った写真を見つめながら、ふとそんなことを考えてしまった。
 あいつは生意気だけど、たぶん俺のことを大事にしてくれる。
 好きなものを覚えていてくれるし、体調が悪いときは看病してくれるし、俺のSNSの写真だってずっと見ていてくれた。

 付き合ったら、きっと幸せにしてくれるんだろうな。
 
 ……でも、榊原はアメリカに行くし、さらには最初から俺と付き合うつもりなんてさらさらないのだ。

 向こうで関わる人間もめちゃくちゃ多いだろう。俺のことなんてすぐ忘れるに決まってる。
 かわいい女の子にも関わるだろう。さっきみたいに連絡先を聞かれることだって、何度もあるだろう。
 そのうち、俺以外の誰かを好きになる、確実に。
 そう思ったら、ますます胸が痛くて息ができなくなった。

 俺はいつから、こんなに榊原のことばかり考えるようになったんだろう。

 嫌われてるって気づいた時から?
 それともあいつが俺を好きだって気づいた時から?

 ガチャッと部屋の扉が開く。

「水野先輩、ただいま」

 そんな声とともに、微笑んだ榊原が部屋に入ってきた。

「おかえり……」

 ……俺はもうだめだ。こいつが好きなんだって、認めるしかない。
 榊原の顔を見ただけで、好きだと言ってしまいそうになるのだから。

 俺は心の声を押し殺し、いつもの質問をした。

「……俺のこと、好き?」
「会ってすぐそれかよ」

 けらけらと笑ったあと、「はい」と榊原が答える。

 好きだ、と思う。

 でも、言ってどうなる?
 榊原はアメリカに行く。俺は日本に残る。
 榊原は夢を追いかけてますます忙しくなる。遠距離なんて、無理に決まってる。
 だったら、黙っていたほうがいい。
 榊原の夢の邪魔なんて、絶対にしたくない。

  *

 留学まで、あと三日。榊原の部屋の荷物が少しずつ減っていく。

 榊原は、前より優しかった。
 俺が落ち込んでいるのを察しているのか、さりげなく気を遣ってくれる。
 それがまたつらかった。

 その日の夜、部屋でぼんやりしていると、榊原が声をかけてきた。

「先輩、ちょっといいですか」
「……なに」
「写真、撮ってほしいんですけど」
「写真?」

 榊原がスマホを取り出した。

「俺たちのツーショット。……一枚も持ってないなって気づいて」

 俺は目を丸くした。
 確かに、俺と榊原の写真なんて一枚もない。
 俺はいつも撮る側で、榊原は撮られる側で。二人で写ったことなんて、一度もなかった。

「……いいよ」
「じゃあ、こっち来てください」

 榊原が自分のベッドに座って、隣をぽんぽんと叩いた。
 俺は少し躊躇してから、榊原の隣に座った。

 近い。肩が触れる距離。

 榊原がスマホを持ち上げて、インカメラを起動した。
 画面に、俺と榊原の顔が並んで映る。

「……なんか照れるわ」
「ちゃんと笑ってくださいよ、先輩。アメリカ行ったら、毎日この写真を見るんですから」
「言ったな? お前、本当に見ろよ」
「やっぱ毎日は言い過ぎかも」

 からかうように榊原が笑い、俺も自然と口元が緩んだ。

 カシャ、とシャッター音が鳴った。

「……すげぇいいの撮れたわ」

 榊原が画面を確認する。
 俺も覗き込んだ。

 二人とも、笑っていた。
 なんだか気恥ずかしくて、でも嬉しくて。

「……めっちゃいい写真」
「でしょ」

 榊原が満足そうに言った。

「これ、先輩にも送りますね。忘れないでくださいよ、俺のこと」
「……忘れるわけないだろ」

 俺は画面の中の自分たちを見つめた。

 泣いてる榊原の写真を勝手に撮ってしまったのが、すべての始まりだった。
 そして今、俺たちはふたりで笑ってる写真を撮っている。

 なんか、泣きそうだ。

「……榊原」
「はい」
「……頑張れよ、アメリカ行っても」

 それしか言えなかった。
 本当は、行かないでほしい。ずっとそばにいてほしい。
 でも、言えない。言っちゃいけない。

「……はい。頑張ります」

 榊原が静かに答えた。

 俺たちは並んで座ったまま、しばらく何も言わなかった。
 肩が触れている。それだけで、胸がいっぱいだった。

 あと三日。
 たった三日で、こいつはいなくなる。

 言えないまま終わっていく。この夜も、この恋も、終わってしまうんだ、きっと。