嫌われている後輩と同室になりました

 ――付き合ってほしいとか、そういうのは思ってないです。

 一週間前、榊原はそう言った。

 お互いに、普通に接する。
 それが、俺と榊原の間で交わした約束だった。
 でも、――普通ってなんだっけ。
 榊原に「好き」って言われてから、俺の中の「普通」がぐらぐらと揺れていた。

「先輩、醤油とって」
「え、あ、うん」

 食堂で向かいに座った榊原に話しかけられて、俺は慌てて醤油を渡した。
 指先が触れた。そんな些細なことで、ばかみたいに心臓が跳ねる。

「……なんですか」
「な、なんでもない……」

 榊原が怪訝そうな顔をしている。
 俺は誤魔化すように味噌汁をすすった。
 ……ダメだ。全然普通じゃない、俺のほうが。

 榊原は俺を避けなくなった。
 食堂で向かいに座るし、談話室でも隣にいる。部屋でも普通に話す。
 でも、以前と何かが決定的に違うことに気づいていた。
 榊原が俺を見る目が、前よりずっと優しい。
 それに気づくたびに、俺の心臓は勝手に騒ぎ出すのだ。

「なぁ、榊原」

 俺は榊原にこっそりと声をかける。

「はい」
「お前、俺のこと……好きなんだよな?」

 榊原が箸を止めた。
 少し離れた席では、陽キャの久我が中心となって、ゲラゲラとさわがしく話をしている。
 榊原は周りの様子を確認してから、呆れたように息を吐く。

「アンタ、それ今日だけで三回目ですよ」
「いやだって……」
「昨日も五回は聞かれた気がするんですけど」
「そんなに聞いてないだろ!」
「聞いてます」

 榊原がじとっとした目で俺を見る。
 たしかに聞いた……かもしれない。
 いや、だって仕方ないじゃないか。イケメンの榊原が、どこにでもいるようなモブの俺を好きとか、未だに信じられるわけがない。

「好きですよ。むかつくくらい、かなり」

 さらっと言われて、息が止まりそうになる。俺は、今日三回もこんなことを繰り返していた。

「……そ、そっか」
「そっか、じゃないですよ。いい加減、慣れろよな」
「なっ、慣れるわけないだろ……!」

 小声で叫ぶと、榊原がふっと笑った。
 その笑顔がまた心臓に悪くて、俺は味噌汁を一気に飲み干した。熱い。


  *

 その日の夜、俺は部屋で課題をやっていた。……けれど、集中できるわけもなく、隣で筋トレをしている榊原の存在をすぐ近くに感じている。

「……水野先輩」

 筋トレをし終わったのか、榊原が不意に口を開いた。

「えっ?」
「ひとつ、アンタに謝らなきゃいけないことがあって」

 榊原がじっと俺を見下ろす。

「謝る?」
「はい。単刀直入に言いますけど、先輩のSNS、中学の時からずっと見てました」
「……は?」
「写真用のアカウント。見つけて、ずっとフォローしてました」

 俺は目を丸くした。
 え、マジで?

「フォロワーに『SS』っていません?」
「SS? ……いる! けっこう前からいいねくれる人! 毎回反応してくれるから、めっちゃありがたいなって……!」

 言いかけて、気づいた。
 SS。榊原昴のイニシャル。

「……もしかして、お前?」
「うん、俺」

 榊原はあっさりとそう言って、部屋着で額の汗を拭う。

「中学の時にアカウント作って、ずっと見てました。先輩の写真、ぜんぶ保存してます」
「ぜ、ぜんぶ!?」
「気持ち悪いでしょ。わかってます」
「気持ち悪くはないって……」

 ないけど、衝撃がすごい。
 あのSSって、榊原だったんだ、毎回いいねくれてた……。

「すみません。ストーカーみたいで」
「いや……」
「ずっと言おうと思ってたんですけど、タイミングなくて。……でも、隠したままいんのも違うかなって」
「…………」
「引きますよね」

 俺は頭を抱えた。
 榊原の執着が、想像以上にすごかった。中学からって、三年以上前からってことだろ。

「俺のこと好きすぎじゃ……」
「だから、そうだって言ってんだろ。それくらい、俺は先輩に執着してるってことです」

 榊原が開き直ったように言った。
 その顔は平然としていて、俺のほうが顔が熱くなっていく。

「でもまぁ、気持ち悪かったらブロックしてください。消えますんで」
「き、消えるなよ、ばか!」
「…………いいんですか、俺に見られてても」
「いいよ。……SSさんからの……じゃなくて、お前からのいいね、けっこう励みになってたんだよ。知らなかったけど」

 榊原が、少しだけ意外そうな顔をしたあと、すぐに笑って「ほんとお人好しだな」とつぶやいた。


  *


 ——好きですよ、先輩。

 榊原の言葉が、頭から離れない。そりゃあ何度も聞いた俺も悪いけど、授業中も、部活中も、ふとした瞬間に思い出してしまう。
 そのたびに顔が熱くなって、集中できなくなる。
 これじゃあ俺のほうがおかしくなってんだろ……。

 放課後、俺はバスケ部の練習を見に行った。
 写真部の仕事があるわけじゃない。ただ、榊原を見たかっただけだ。
 ……我ながら、だいぶやばい気がする。

 体育館の端っこで、俺はコートを眺めていた。
 榊原が走り回っている。ドリブル、パス、シュート。どの動きも綺麗で、目が離せない。
 斜め前では、バスケ部の誰かの彼女なのか、他校の女子たちが榊原や藤堂を見てきゃあきゃあ騒いでいる。

 ……わかる。あいつら、かっこいいもんな。特に、……榊原が。

 練習の休憩時間、榊原が体育館から出てきた。
 俺を見つけて、怪訝そうな顔をする。

「先輩、なんでいるんですか」
「いや、お前の練習見に来た」
「見に来たって……写真部の活動じゃないですよね」
「うん。ただの応援」
「……応援て」

 榊原がぽかんとした顔をしている。
 なんかおかしいこと言ったか?
 流れた沈黙が怖くなって、俺はぼそっと本音を漏らした。

「お前、今日もシュート決まりまくっててかっこよかったね」
「……どうも」
「なんか……」
「……ん?」
「なんか最近、……お前から目が離せなくて困る」

 素直にそう言ったら、榊原が固まった。
 数秒の沈黙のあと、榊原が顔を背ける。明らかに耳が赤い。

「……困るのはこっちですよ。そういうの、やめてください」
「え、なんで」
「俺が勘違いするだろ」

 俺を見ないようにしながら、榊原が続ける。

「先輩がそうやって普通に褒めてくれんの、すげぇ嬉しいですけど。いちいち期待すんのだるいんで、やめてもらえますか」
「……き、期待って、なに」
「…………わかんだろ、普通に」
「だ、だって! お前が付き合うつもりないって言ったんだろ!」
「だから困るって言ってんですよ」

 榊原が苛立ったように言った。
 俺も少しムッとする。

「……じゃあ褒めないほうがいいの?」
「そうじゃなくて」
「お前の応援しちゃダメなの?」
「だからそうじゃなくて……」
「じゃあなんだよ」
「…………」

 榊原が黙った。
 気まずい沈黙が流れる。

「……やだ」
「は?」
「お前を褒めないとか、応援しないとか、やだ。俺はお前のこと応援したいし、かっこいいって思ったらぜったい言いたい」

 榊原が目を見開いた。
 俺も自分で何言ってるのかよくわからなくなってきた。でも、止まらない。

「お前が困るのは知らない。俺は言いたいから言う」
「……アンタ、なんなんすか」
「知らない」

 俺たちは睨み合うように見つめ合った。
 数秒後、榊原がふっと力を抜いた。

「……あー、ほんと負けるわ。水野先輩ってガチで嫌」
「き、嫌いになった?」
「なんねぇよ。好きだよ」
「……うん、よ――」

 よかった。そう言おうとして、はっとして言葉を止めた。
 なんだよ、よかったって。

「……まぁ、とにかく……応援、あざした」
「おう」
「嬉しかったです。……クソだるいけど」

 最後に意地悪くそう付け足して、榊原はまた体育館に戻っていった。
 だるいなんて言って、顔はすごくにやけていたから、たぶんやっぱり……あいつは俺を好きなんだと思う。




 その夜、榊原より先に部屋に戻って、シャワーを浴び終わった時のことだ。
 俺はパンツ一枚で、タオルで髪を拭きながら部屋に戻った。
 ——そこに、榊原が立っていた。

「うわっ、ビビった!」
「……っ」

 榊原が、固まった。
 俺を見て、目を見開いている。その視線が、俺の体をなぞるように動いた。
 首筋、鎖骨、胸元、腹筋——。

「……な、なんだよ」
「いや……」
「貧相な体で悪かったな」
「……言ってねぇだろ」

 榊原が、ぐっと視線を逸らした。
 耳が赤くなっているのがわかる。

「先輩、一応俺、アンタのこと好きなんで」
「……う、……うん?」
「そういう格好で目の前うろつかれると困るっていうか……。マジでこっちの勝手な言い分ですけど、油断しないでもらえますか」

 俺は急に自分の格好が恥ずかしくなって、慌ててタオルを体に巻きつけた。

「わ、悪い。着替える」
「……そうしてください」

 榊原が、俺を見ないようにしながらベッドのほうへ歩いていった。
 俺は急いでクローゼットからTシャツとスウェットを引っ張り出して、着替えた。

 心臓がうるさい。
 今の榊原の視線、やけに熱かった。
 俺の体を見て、あんな顔するんだ。あんな声出すんだ。
 ……俺のこと、本当に好きなんだ。

 わかってたはずなのに、改めて性的な衝動を突きつけられると、なんか……すごくドキドキする。

「……着替えた」
「ああ……はい」

 榊原はこっちを見ないようにして、ベッドに座ってスマホをいじっている。
 俺は自分のベッドに腰を下ろして、榊原のほうを見た。

「……俺のこと、まだ好き?」

 榊原が大きな声を出して笑った。心底、おもしろいと言うように。

「意外と欲しがりなんですね、先輩って」
「べっ、別にそういうわけじゃ……」
「好きだよ、先輩」

 照れずに、まっすぐ言ってくる。
 こいつ、なんでそんな平気な顔で言えるんだ。

「……お前って、前の彼女にも、そうやって好き好き言ってたのかよ」
「好き好き……。つうか、前の彼女は聞いてこなかったですよ。アンタみたいに一日何回も」
「……ごめん」
「謝んなくていいです」

 榊原が困ったように微笑む。

「アンタが聞きたいなら、いくらでも言います」
「…………」
「好きです、水野先輩」

 まっすぐな目で、そう言われた。
 心臓がうるさい。顔が熱い。
 ……なんで俺、こんなにドキドキしてるんだ。お前に付き合う気がないのは知ってるのに。


  *

 榊原は最近、部屋のシャワーじゃなくて大浴場を使うことが増えていた。うちの寮には各部屋にシャワーがついているけど、大浴場もある。
 たぶん榊原は俺を気遣っているのだろう。

 その夜。
 榊原が大浴場に行っている間、ドアがノックされた。
 開けると、藤堂が立っていた。

「水野先輩、今ちょっといいですか。榊原、風呂で今いないっスよね」
「いないけど……どうした?」
「あいつがいないとこで話したくて。廊下、出て来てもらえます? ここならあいつが来てもすぐわかるし」

 藤堂の表情がいつもと違う。にやにやした感じがない。
 俺は廊下に出て、ドアを閉めた。

「榊原のことなんですけど……」
「……うん」
「あいつ、先週監督に呼び出されたの知ってます?」
「いや、知らない。……なんかあったの?」
「留学の話です」
「……りゅっ、留学!?」

 思いもよらなかった単語が耳に届き、俺は固まった。

「はい。アメリカの強豪校からスカウトが来てて。前から話は進んでたんですけど、受け入れ先が正式に決まったみたいです」
「…………ア、アメリカ」
「たぶん、二ヶ月後には出発するかもって」

 二ヶ月後。
 あと六十日あるかないかだ。

「向こうの高校で経験積んで、大学リーグを目指すらしいです。NBAのスカウトって大学の試合を見に来るんで、そこで活躍すればプロへの道も開けるっていう」
「……そう、なんだ」
「あいつの実力なら、マジでNBA行けるかもしんないですから」
「……そ、そっか」
「もしかして、榊原から聞いて……」
「……ない」

 頭が真っ白になる。聞いてない。榊原から、一度だって。

「あー……やっぱ言ってなかったんスね、あいつ」

 藤堂が気まずそうに頭を掻いた。

「たぶん、言いづらかったんだと思います。先輩には特に……」

 藤堂が言葉を濁す。たぶん藤堂は榊原が俺を好きなことを知っているんだと思った。

「すみません、俺が先に言っちゃって。でも、先輩には知っといてほしくて。あいつ絶対自分からは言わねぇだろうし」
「…………」
「あ、榊原には俺から聞いたって言わないでくださいね。殺されるんで」

 藤堂は軽く手を挙げて、自分の部屋のほうへ戻っていった。
 俺は廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。
 榊原がいなくなる。
 この学校から。この寮から。俺の隣から。
 二ヶ月後に。

 廊下の奥から、風呂上がりの榊原が歩いてくるのが見えた。
 濡れた髪。上気した頬。俺を見つけて、不思議そうに首を傾げる。

「先輩、なんで廊下にいるんですか」
「……い、いや、なんでも」

 先に部屋に戻り、ベッドに飛び込んで頭から布団を被った。

 なんで、言ってくれなかったんだよ。
 胸の奥が軋むように痛い。

 俺には何も求めてないって、そういうことだったのか。
 最初から、お前は……。

 俺の前からいなくなるつもりだったんだ。