俺のことが大嫌いな後輩と、365日一緒で気まずい話(旧 嫌われている後輩と同室になりました)

 ――付き合ってほしいとか、そういうのは思ってないです。

 一週間前、榊原はそう言った。

 お互いに、普通に接する。
 それが、俺と榊原の間で交わした約束だった。
 でも、――普通ってなんだっけ。
 榊原に「好き」って言われてから、俺の中の「普通」がぐらぐらと揺れていた。

「先輩、醤油とって」
「え、あ、うん」

 食堂で向かいに座った榊原に話しかけられて、俺は慌てて醤油を渡した。
 指先が触れた。そんな些細なことで、ばかみたいに心臓が跳ねる。

「……なんですか」
「な、なんでもない……」

 榊原が怪訝そうな顔をしている。
 俺は誤魔化すように味噌汁をすすった。
 ……ダメだ。全然普通じゃない、俺のほうが。

 榊原は俺を避けなくなった。
 食堂で向かいに座るし、談話室でも隣にいる。部屋でも普通に話す。
 でも、以前と何かが決定的に違うことに気づいていた。
 榊原が俺を見る目が、前よりずっと優しい。
 それに気づくたびに、俺の心臓は勝手に騒ぎ出すのだ。

「なぁ、榊原」

 俺は榊原にこっそりと声をかける。

「はい」
「お前、俺のこと……好きなんだよな?」

 榊原が箸を止めた。
 少し離れた席では、陽キャの久我が中心となって、ゲラゲラとさわがしく話をしている。
 榊原は周りの様子を確認してから、呆れたように息を吐く。

「アンタ、それ今日だけで三回目ですよ」
「いやだって……」
「昨日も五回は聞かれた気がするんですけど」
「そんなに聞いてないだろ!」
「聞いてます」

 榊原がじとっとした目で俺を見る。
 たしかに聞いた……かもしれない。
 いや、だって仕方ないじゃないか。イケメンの榊原が、どこにでもいるようなモブの俺を好きとか、未だに信じられるわけがない。

「好きですよ。むかつくくらい、かなり」

 さらっと言われて、息が止まりそうになる。俺は、今日三回もこんなことを繰り返していた。

「……そ、そっか」
「そっか、じゃないですよ。いい加減、慣れろよな」
「なっ、慣れるわけないだろ……!」

 小声で叫ぶと、榊原がふっと笑った。
 その笑顔がまた心臓に悪くて、俺は味噌汁を一気に飲み干した。熱い。


  *

 その日の夜、俺は部屋で課題をやっていた。……けれど、集中できるわけもなく、隣で筋トレをしている榊原の存在をすぐ近くに感じている。

「……水野先輩」

 筋トレをし終わったのか、榊原が不意に口を開いた。

「えっ?」
「ひとつ、アンタに謝らなきゃいけないことがあって」

 榊原がじっと俺を見下ろす。

「謝る?」
「はい。単刀直入に言いますけど、先輩のSNS、中学の時からずっと見てました」
「……は?」
「写真用のアカウント。見つけて、ずっとフォローしてました」

 俺は目を丸くした。
 え、マジで?

「フォロワーに『SS』っていません?」
「SS? ……いる! けっこう前からいいねくれる人! 毎回反応してくれるから、めっちゃありがたいなって……!」

 言いかけて、気づいた。
 SS。榊原昴のイニシャル。

「……もしかして、お前?」
「うん、俺」

 榊原はあっさりとそう言って、部屋着で額の汗を拭う。

「中学の時にアカウント作って、ずっと見てました。先輩の写真、ぜんぶ保存してます」
「ぜ、ぜんぶ!?」
「気持ち悪いでしょ。わかってます」
「気持ち悪くはないって……」

 ないけど、衝撃がすごい。
 あのSSって、榊原だったんだ、毎回いいねくれてた……。

「すみません。ストーカーみたいで」
「いや……」
「ずっと言おうと思ってたんですけど、タイミングなくて。……でも、隠したままいんのも違うかなって」
「…………」
「引きますよね」

 俺は頭を抱えた。
 榊原の執着が、想像以上にすごかった。中学からって、三年以上前からってことだろ。

「俺のこと好きすぎじゃ……」
「だから、そうだって言ってんだろ。それくらい、俺は先輩に執着してるってことです」

 榊原が開き直ったように言った。
 その顔は平然としていて、俺のほうが顔が熱くなっていく。

「でもまぁ、気持ち悪かったらブロックしてください。消えますんで」
「き、消えるなよ、ばか!」
「…………いいんですか、俺に見られてても」
「いいよ。……SSさんからの……じゃなくて、お前からのいいね、けっこう励みになってたんだよ。知らなかったけど」

 榊原が、少しだけ意外そうな顔をしたあと、すぐに笑って「ほんとお人好しだな」とつぶやいた。


  *


 ——好きですよ、先輩。

 榊原の言葉が、頭から離れない。そりゃあ何度も聞いた俺も悪いけど、授業中も、部活中も、ふとした瞬間に思い出してしまう。
 そのたびに顔が熱くなって、集中できなくなる。
 これじゃあ俺のほうがおかしくなってんだろ……。

 放課後、俺はバスケ部の練習を見に行った。
 写真部の仕事があるわけじゃない。ただ、榊原を見たかっただけだ。
 ……我ながら、だいぶやばい気がする。

 体育館の端っこで、俺はコートを眺めていた。
 榊原が走り回っている。ドリブル、パス、シュート。どの動きも綺麗で、目が離せない。
 斜め前では、バスケ部の誰かの彼女なのか、他校の女子たちが榊原や藤堂を見てきゃあきゃあ騒いでいる。

 ……わかる。あいつら、かっこいいもんな。特に、……榊原が。

 練習の休憩時間、榊原が体育館から出てきた。
 俺を見つけて、怪訝そうな顔をする。

「先輩、なんでいるんですか」
「いや、お前の練習見に来た」
「見に来たって……写真部の活動じゃないですよね」
「うん。ただの応援」
「……応援て」

 榊原がぽかんとした顔をしている。
 なんかおかしいこと言ったか?
 流れた沈黙が怖くなって、俺はぼそっと本音を漏らした。

「お前、今日もシュート決まりまくっててかっこよかったね」
「……どうも」
「なんか……」
「……ん?」
「なんか最近、……お前から目が離せなくて困る」

 素直にそう言ったら、榊原が固まった。
 数秒の沈黙のあと、榊原が顔を背ける。明らかに耳が赤い。

「……困るのはこっちですよ。そういうの、やめてください」
「え、なんで」
「俺が勘違いするだろ」

 俺を見ないようにしながら、榊原が続ける。

「先輩がそうやって普通に褒めてくれんの、すげぇ嬉しいですけど。いちいち期待すんのだるいんで、やめてもらえますか」
「……き、期待って、なに」
「…………わかんだろ、普通に」
「だ、だって! お前が付き合うつもりないって言ったんだろ!」
「だから困るって言ってんですよ」

 榊原が苛立ったように言った。
 俺も少しムッとする。

「……じゃあ褒めないほうがいいの?」
「そうじゃなくて」
「お前の応援しちゃダメなの?」
「だからそうじゃなくて……」
「じゃあなんだよ」
「…………」

 榊原が黙った。
 気まずい沈黙が流れる。

「……やだ」
「は?」
「お前を褒めないとか、応援しないとか、やだ。俺はお前のこと応援したいし、かっこいいって思ったらぜったい言いたい」

 榊原が目を見開いた。
 俺も自分で何言ってるのかよくわからなくなってきた。でも、止まらない。

「お前が困るのは知らない。俺は言いたいから言う」
「……アンタ、なんなんすか」
「知らない」

 俺たちは睨み合うように見つめ合った。
 数秒後、榊原がふっと力を抜いた。

「……あー、ほんと負けるわ。水野先輩ってガチで嫌」
「き、嫌いになった?」
「なんねぇよ。好きだよ」
「……うん、よ――」

 よかった。そう言おうとして、はっとして言葉を止めた。
 なんだよ、よかったって。

「……まぁ、とにかく……応援、あざした」
「おう」
「嬉しかったです。……クソだるいけど」

 最後に意地悪くそう付け足して、榊原はまた体育館に戻っていった。
 だるいなんて言って、顔はすごくにやけていたから、たぶんやっぱり……あいつは俺を好きなんだと思う。




 その夜、榊原より先に部屋に戻って、シャワーを浴び終わった時のことだ。
 俺はパンツ一枚で、タオルで髪を拭きながら部屋に戻った。
 ——そこに、榊原が立っていた。

「うわっ、ビビった!」
「……っ」

 榊原が、固まった。
 俺を見て、目を見開いている。その視線が、俺の体をなぞるように動いた。
 首筋、鎖骨、胸元、腹筋——。

「……な、なんだよ」
「いや……」
「貧相な体で悪かったな」
「……言ってねぇだろ」

 榊原が、ぐっと視線を逸らした。
 耳が赤くなっているのがわかる。

「先輩、一応俺、アンタのこと好きなんで」
「……う、……うん?」
「そういう格好で目の前うろつかれると困るっていうか……。マジでこっちの勝手な言い分ですけど、油断しないでもらえますか」

 俺は急に自分の格好が恥ずかしくなって、慌ててタオルを体に巻きつけた。

「わ、悪い。着替える」
「……そうしてください」

 榊原が、俺を見ないようにしながらベッドのほうへ歩いていった。
 俺は急いでクローゼットからTシャツとスウェットを引っ張り出して、着替えた。

 心臓がうるさい。
 今の榊原の視線、やけに熱かった。
 俺の体を見て、あんな顔するんだ。あんな声出すんだ。
 ……俺のこと、本当に好きなんだ。

 わかってたはずなのに、改めて性的な衝動を突きつけられると、なんか……すごくドキドキする。

「……着替えた」
「ああ……はい」

 榊原はこっちを見ないようにして、ベッドに座ってスマホをいじっている。
 俺は自分のベッドに腰を下ろして、榊原のほうを見た。

「……俺のこと、まだ好き?」

 榊原が大きな声を出して笑った。心底、おもしろいと言うように。

「意外と欲しがりなんですね、先輩って」
「べっ、別にそういうわけじゃ……」
「好きだよ、先輩」

 照れずに、まっすぐ言ってくる。
 こいつ、なんでそんな平気な顔で言えるんだ。

「……お前って、前の彼女にも、そうやって好き好き言ってたのかよ」
「好き好き……。つうか、前の彼女は聞いてこなかったですよ。アンタみたいに一日何回も」
「……ごめん」
「謝んなくていいです」

 榊原が困ったように微笑む。

「アンタが聞きたいなら、いくらでも言います」
「…………」
「好きです、水野先輩」

 まっすぐな目で、そう言われた。
 心臓がうるさい。顔が熱い。
 ……なんで俺、こんなにドキドキしてるんだ。お前に付き合う気がないのは知ってるのに。


  *

 榊原は最近、部屋のシャワーじゃなくて大浴場を使うことが増えていた。うちの寮には各部屋にシャワーがついているけど、大浴場もある。
 たぶん榊原は俺を気遣っているのだろう。

 その夜。
 榊原が大浴場に行っている間、ドアがノックされた。
 開けると、藤堂が立っていた。

「水野先輩、今ちょっといいですか。榊原、風呂で今いないっスよね」
「いないけど……どうした?」
「あいつがいないとこで話したくて。廊下、出て来てもらえます? ここならあいつが来てもすぐわかるし」

 藤堂の表情がいつもと違う。にやにやした感じがない。
 俺は廊下に出て、ドアを閉めた。

「榊原のことなんですけど……」
「……うん」
「あいつ、先週監督に呼び出されたの知ってます?」
「いや、知らない。……なんかあったの?」
「留学の話です」
「……りゅっ、留学!?」

 思いもよらなかった単語が耳に届き、俺は固まった。

「はい。アメリカの強豪校からスカウトが来てて。前から話は進んでたんですけど、受け入れ先が正式に決まったみたいです」
「…………ア、アメリカ」
「たぶん、二ヶ月後には出発するかもって」

 二ヶ月後。
 あと六十日あるかないかだ。

「向こうの高校で経験積んで、大学リーグを目指すらしいです。NBAのスカウトって大学の試合を見に来るんで、そこで活躍すればプロへの道も開けるっていう」
「……そう、なんだ」
「あいつの実力なら、マジでNBA行けるかもしんないですから」
「……そ、そっか」
「もしかして、榊原から聞いて……」
「……ない」

 頭が真っ白になる。聞いてない。榊原から、一度だって。

「あー……やっぱ言ってなかったんスね、あいつ」

 藤堂が気まずそうに頭を掻いた。

「たぶん、言いづらかったんだと思います。先輩には特に……」

 藤堂が言葉を濁す。たぶん藤堂は榊原が俺を好きなことを知っているんだと思った。

「すみません、俺が先に言っちゃって。でも、先輩には知っといてほしくて。あいつ絶対自分からは言わねぇだろうし」
「…………」
「あ、榊原には俺から聞いたって言わないでくださいね。殺されるんで」

 藤堂は軽く手を挙げて、自分の部屋のほうへ戻っていった。
 俺は廊下に立ったまま、しばらく動けなかった。
 榊原がいなくなる。
 この学校から。この寮から。俺の隣から。
 二ヶ月後に。

 廊下の奥から、風呂上がりの榊原が歩いてくるのが見えた。
 濡れた髪。上気した頬。俺を見つけて、不思議そうに首を傾げる。

「先輩、なんで廊下にいるんですか」
「……い、いや、なんでも」

 先に部屋に戻り、ベッドに飛び込んで頭から布団を被った。

 なんで、言ってくれなかったんだよ。
 胸の奥が軋むように痛い。

 俺には何も求めてないって、そういうことだったのか。
 最初から、お前は……。

 俺の前からいなくなるつもりだったんだ。