嫌われている後輩と同室になりました

 五月末の球技大会。
 俺は写真部として、カメラを片手に校内を駆け回っていた。
 サッカー、バレー、バスケ。各競技の熱戦を切り取るのが今日の仕事だ。

「水野先輩、バスケのほう撮ってきてもらっていいですか?」
「おう、了解」

 後輩に頼まれて、今度は体育館に向かう。
 バスケットコートでは、ちょうど二年対三年の試合が始まるところだった。
 二年のスタメンには当然のように榊原がいる。

 あの夜以来、榊原の様子がおかしい。いや、前からあいつは変だったけど……。
 今はもっともっとおかしい。目を合わせない。話しかけると逃げる。部屋でも必要最低限の会話しかしない。
 俺が何かしたのか? 『好きなんじゃない?』って冗談言ったのがそんなにまずかったのか?

「水野先輩、お疲れ様です。写真部の撮影っすか?」
「おー、おつかれ!」

 横から声をかけてきたのは、バスケ部の藤堂だった。榊原と同学年で、いつも一緒にいる親友だ。整った顔立ちに人懐っこい笑顔を浮かべている。こいつも榊原に負けず劣らず、相当なイケメンだよな。

「榊原のこと、撮るんですか?」
「あー、……うん、そのつもり。やっぱ、あいつうまいしね」
「へぇ」

 藤堂がにやにやしている。なんだよ、その顔。

「なぁ、藤堂。お前、榊原と仲良いだろ? あいつが俺のことなんで避けてるのか知ってる? いったん仲良くなれたと思ったんだけど、なんかまた距離がてきちゃってさー……」

 藤堂は一瞬目を丸くした後、

「あー……なんで、でしょうねぇ」

 と苦笑いしながら目を逸らした。明らかにあやしい顔だ。

「なんだよ、藤堂! ぜったいなんか知ってんだろ!」
「いやいや、俺は何も――うわっ」

 俺は背の高い藤堂の首に腕を回して、軽くヘッドロックをかけた。

「吐け。洗いざらい全部!」
「ちょ、水野先輩——!」
「頼むから教えろって〜〜」
「言えないっす! 本人に聞いてくださいよ!」
「本人に聞こうとしたら、いつも逃げられてんだっつの!」

 ぎゃあぎゃあ騒いでいると、ふと視線を感じた。コートのほうを見ると、ウォームアップ中の榊原がこっちを見ていた。
 
 ――めちゃくちゃ怖い顔で。

「え、なに……」

 思わず腕の力が緩む。藤堂が「ぶはっ」と息を吐いて解放された。

「……なぁ、藤堂。なんか榊原がめっちゃこっち睨んでる。こわい」
「いや、こわいのはこっちっすよ」
「……は?」
「いえ、なんでも。今日もいい写真撮ってやってくださいよ。榊原、絶対先輩のこと気にしてるんで」
「……気にしてるレベルじゃねぇだろ。今も殺されそうな勢いで睨まれてんだけど……」
「そう見えます? まぁ、見ようによってはそうかもしれませんねー」

 げらげらと笑って、藤堂はコートに入っていった。かと思うと、榊原に蹴りを食らわせている。
 なんなんだよ、あいつ。

 そうこうしているうちに試合が始まった。
 俺はファインダー越しに榊原を追う。相変わらず、あいつの動きは別格だ。ドリブル、パス、シュート。どの瞬間を切り取っても絵になる。
 シャッターを切りながら、ふと榊原と目が合った。
 一瞬だけ。本当に一瞬だけ、榊原の動きが止まった。

「榊原、ボール!」
「っ、わり!」

 慌ててパスを受ける榊原。珍しくファンブルしかけて、藤堂に「何やってんの」と笑われている。
 ……なんだ、今の。

 試合は二年の勝利で終わった。
 榊原は相変わらず活躍していた。ミスは俺と目が合ったあの一度きりだ。
 
 俺が関係してる? そんなに見られるの嫌だった?

 試合後、俺は榊原に近づこうとした。
 いい写真が撮れたから見せてやろうと思ったのだ。前みたいに。

「榊原、おつか――」
「あ、すみません、ちょっと」

 俺が声をかけた瞬間、榊原は早足でコートの外に出ていった。
 ……は? 何がちょっとだよ。
 完全に逃げられた。さすがに露骨すぎない?

「こじらせてんなぁ~~」

 隣で藤堂がまたにやにやしている。

「水野先輩、悪いんですけど、あのクソバカを追いかけてやってくれます?」
「……そうする」

 言われなくても。
 俺は藤堂に軽く手をあげて、榊原の後を追った。


  *


 榊原は体育館の裏に向かっていた。
 人気のない廊下を歩いていく背中に声をかける。

「おい、榊原!」
「っ——」

 榊原の腕を掴むと、榊原はぎょっとして俺を振り返った。

「なんですか……離してくださいよ」
「嫌だ! お前、なんで俺のこと避けてんの!」
「避けてないですね」
「今まさに避けようとしてるだろ!」

 榊原が顔をしかめる。言い返せないらしい。
 俺は周囲を見回した。近くに体育館倉庫がある。
 廊下のど真ん中で話すのもアレだし……。
 
「ちょっと来い」
「は? どこに……」

 有無を言わさず、榊原を倉庫に引っ張り込んだ。
 埃っぽい匂いと、積み上げられたマットや跳び箱。薄暗い倉庫の中で、俺は榊原と向き合った。

「なんで怒ってんだよ、お前」

 単刀直入に聞いた。
 榊原は気まずそうに目を逸らす。

「……いや、だから……そうじゃなくて……」
「部屋でも話さないし! 飯も一緒に食わなくなったし! 俺、なんかした?」
「……してないです」
「じゃあなんだよ! この会話、お前と同じ部屋になってから、何回も繰り返してるからな!?」

 榊原が深いため息を吐く。

「まだ泣いた写真撮ったの怒ってんの!?」
「……違います」
「じゃあ、やっぱ好きって言ったこと!?」
「違うって」
「……んー、あとは……あとは、なんだよ」
「聞かないほうがいいですよ、アンタのためにも」
「はぁ!? なんで!? 言えよ! 俺、お前に嫌われたくないんだよ……。せっかく仲良くなれたと思ってたのに!」

 素直にそう言った。
 榊原が目を見開く。

「なぁ、頼むから教えてくれよ。俺が何か悪いことしたなら謝るからさ」
「……なんで、そんなお人好しなんですか……。ほんと信じらんねぇ」
「……そんなこと言っても」
「アンタは何も悪くない。悪いのは俺で……」

 榊原が言いかけて、口をつぐんだ。
 俺は一歩近づいた。

「榊原?」
「……っ、近いですって」
「いいから言えよ」
「だから——」

 榊原が後ずさる。俺がさらに詰め寄る。
 その時、榊原の踵がマットの端に引っかかった。

「うわっ——」
「おい!」

 バランスを崩した榊原が倒れ込む。俺は咄嗟に手を伸ばしたけど、身長差のある俺は逆に引っ張られる形になってしまった。

 どさっ、と二人してマットの上に倒れ込む。

「っ!」
「……いって」

 気づいたら、俺が上で榊原が下になっていた。
 顔が近い。息がかかるくらい近い。

「……勘弁してくださいよ。どこのエロ漫画だよ……」
「おっ、お前のせいだろ!」
「……」
「なんで俺を避けてるか言わないと、ぜったいどかねぇから!」
「は?」

 榊原が眉間にしわを寄せる。
 俺を睨んでいるけど、どこか戸惑いを感じさせる瞳。

「…………」
「なぁ、……榊原」
「…………」

 長い沈黙のあと、榊原が観念したように息を吐いた。

「……言ったらアンタ、確実に引くだろ」
「引かねぇよ」
「引く。だって俺、男だし」
「……男?」

 榊原が、俺から目を逸らしたまま言った。

「中学の時から。……いや、それも正確じゃないかも。とにかく、ずっと。アンタのことばっか見てて、アンタのそばにいたくて、アンタが他の奴と話してるとムカついて」
「…………」
「嫌いだって思い込んでたけど、違った」

 何を言って……。

「……好き、みたいです。アンタのこと」
「……………………え?」

 好き……みたい……です?

 脳の処理が追いつかない。

「それで、避けてたんです。自覚したら、アンタの顔まともに見れなくなって、自分でも自意識過剰だってわかってますよ」
「ちょ、待っ——」
「無理でしょ。俺に恋愛的に好きとか言われても気持ち悪ぃだけだろ」

 榊原が自嘲するように笑う。

「だから忘れてください」
「ちょ……えっ、待て待て待て待て!?」

 俺は慌てて榊原から離れた。
 起き上がって、マットの上に座り込む。頭がぐるぐるする。

「えっ、いや、ちょっと待って。お前、……れ、恋愛的な意味で……俺が、好きなの?」
「……何度も言わせんなよ」
「なっ、だ、だって……ずっと嫌われてるって」
「俺もそう思ってましたよ……。でも俺、好きな子ほどいじめたくなる人間みたいです」
「……は」

 榊原も起き上がって、俺と向き合う形で座った。

「好きですよ、水野先輩」

 その顔は開き直ったように平然としている。

「なんか……言ったらすげぇ楽になりました」
「お、俺は全然楽じゃないんだけど」
「でしょうね」
「わ、笑ってんじゃねぇよ……」

 頭を抱える。
 恋愛的な意味で……好き。榊原が。俺のことを。ずっと。
 ……マジで?

「ほら、やっぱ聞かなきゃよかったでしょ。俺、責任取りませんからね」
「いや、そういうことじゃなくて……待って、なんか、処理が追いつかない」

 榊原が呆れたように笑う。
 なんでこいつこんな平気な顔してんの? 俺だけ動揺してんのおかしくない?

「……ほんとに? 俺のこと好きなの?」
「ほんとですよ。けっこう……マジで、好きです」

 さらっと言うな。心臓に悪い。

「でも、アンタには何も求めてないんで」
「……へ?」
「付き合ってほしいとか、そういうのは思ってないです。ただアンタに脅されて言っただけですから」
「言っただけって、お前……」
「水野先輩はどうこうしなくていいってことです。俺が気持ち悪かったら、距離置いてもらっていいですし、同室も嫌だって言うなら誰かに変わってもらってもいい」
「そ、そんなことするわけないだろ!」

 思わず声が大きくなった。
 榊原が目を丸くする。

「避けられてんの、毎回けっこう凹むんだからな……。それをまたやられるのはやだ。……俺は、お前と仲良くしたいって言ってんじゃん!」

 言ってから、なんか子供みたいなこと言ってるなと思った。
 榊原は黙って俺を見ていた。その目がやけに優しくて、なんだか落ち着かない。

「……相変わらず、お人好しだなアンタ」

 柔らかい声だった。

「水野先輩、俺と仲良くしたいの?」
「……………うん」
「そっか。……わかりました。いいですよ、先輩」

 こんな顔するんだ、こいつ。いつも俺には不機嫌そうな顔しか見せないくせに。
 なんか、ずるい。

「あ、あの、それで……俺も、お前の気持ちはわかった、から」

 わかってない。ほんとは全然わかってないけど、俺は深呼吸して、なんとか平静を装った。

「わかった、から……仲直りしよう」

 言ってから、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。
 榊原が目を丸くして俺を見ている。そして、ふっと笑った。

「……アンタ、ほんとずるいな」
「え? なにが?」
「なんでもないです。……つうか、先輩」
「な、なに?」
「俺、こういう場所でふたりっきりって、けっこう理性がやばいんですけど」
「えっ」

 榊原が立ち上がって、「冗談です」とジャージについた埃を払う。
 俺も立ち上がろうとして、足がもつれた。

「っと——」
「……大丈夫ですか」
「う、うん」

 差し出された手を借りて立ち上がる。
 榊原の手、でかいな。あったかいし。この手で……触られたり、するのか、付き合ったら……。
 ……いや、何を考えてんだ、俺。

「じゃ、戻りますんで。午後の試合あるし」
「あ、ああ……」
「先輩も早く戻ってくださいよ。写真部の仕事あるでしょ」
「……うん」

 榊原が倉庫のドアに手をかける。
 その背中に、俺は思わず声をかけた。

「あ、あのさ、榊原!」
「なんですか」
「……午後の試合も、撮るから」
「…………」
「お前の写真。たくさん撮るから!」

 なんでそんなこと言ったのか、自分でもわからない。
 榊原が振り返って、俺を見た。
 その顔が、ほんの少しだけ緩んでいる気がした。

「……さっきの試合は油断しましたけど。今度は……いちばんかっこいいとこ、アンタに見せますよ」

 笑ってそう宣言すると、榊原はそのまま倉庫を出ていく。

 一人残された俺は、その場に立ち尽くしていた。
 心臓がうるさい。顔が熱い。
 
 好きって言われた。
 榊原に。あの榊原に。
 ずっと好きだったって。

「……マジかよ」

 呟いて、顔を覆った。

 どうしよう。

 頭の中が、榊原の「好き」でいっぱいだった。