五月末の球技大会。
俺は写真部として、カメラを片手に校内を駆け回っていた。
サッカー、バレー、バスケ。各競技の熱戦を切り取るのが今日の仕事だ。
「水野先輩、バスケのほう撮ってきてもらっていいですか?」
「おう、了解」
後輩に頼まれて、今度は体育館に向かう。
バスケットコートでは、ちょうど二年対三年の試合が始まるところだった。
二年のスタメンには当然のように榊原がいる。
あの夜以来、榊原の様子がおかしい。いや、前からあいつは変だったけど……。
今はもっともっとおかしい。目を合わせない。話しかけると逃げる。部屋でも必要最低限の会話しかしない。
俺が何かしたのか? 『好きなんじゃない?』って冗談言ったのがそんなにまずかったのか?
「水野先輩、お疲れ様です。写真部の撮影っすか?」
「おー、おつかれ!」
横から声をかけてきたのは、バスケ部の藤堂だった。榊原と同学年で、いつも一緒にいる親友だ。整った顔立ちに人懐っこい笑顔を浮かべている。こいつも榊原に負けず劣らず、相当なイケメンだよな。
「榊原のこと、撮るんですか?」
「あー、……うん、そのつもり。やっぱ、あいつうまいしね」
「へぇ」
藤堂がにやにやしている。なんだよ、その顔。
「なぁ、藤堂。お前、榊原と仲良いだろ? あいつが俺のことなんで避けてるのか知ってる? いったん仲良くなれたと思ったんだけど、なんかまた距離がてきちゃってさー……」
藤堂は一瞬目を丸くした後、
「あー……なんで、でしょうねぇ」
と苦笑いしながら目を逸らした。明らかにあやしい顔だ。
「なんだよ、藤堂! ぜったいなんか知ってんだろ!」
「いやいや、俺は何も――うわっ」
俺は背の高い藤堂の首に腕を回して、軽くヘッドロックをかけた。
「吐け。洗いざらい全部!」
「ちょ、水野先輩——!」
「頼むから教えろって〜〜」
「言えないっす! 本人に聞いてくださいよ!」
「本人に聞こうとしたら、いつも逃げられてんだっつの!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいると、ふと視線を感じた。コートのほうを見ると、ウォームアップ中の榊原がこっちを見ていた。
――めちゃくちゃ怖い顔で。
「え、なに……」
思わず腕の力が緩む。藤堂が「ぶはっ」と息を吐いて解放された。
「……なぁ、藤堂。なんか榊原がめっちゃこっち睨んでる。こわい」
「いや、こわいのはこっちっすよ」
「……は?」
「いえ、なんでも。今日もいい写真撮ってやってくださいよ。榊原、絶対先輩のこと気にしてるんで」
「……気にしてるレベルじゃねぇだろ。今も殺されそうな勢いで睨まれてんだけど……」
「そう見えます? まぁ、見ようによってはそうかもしれませんねー」
げらげらと笑って、藤堂はコートに入っていった。かと思うと、榊原に蹴りを食らわせている。
なんなんだよ、あいつ。
そうこうしているうちに試合が始まった。
俺はファインダー越しに榊原を追う。相変わらず、あいつの動きは別格だ。ドリブル、パス、シュート。どの瞬間を切り取っても絵になる。
シャッターを切りながら、ふと榊原と目が合った。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ、榊原の動きが止まった。
「榊原、ボール!」
「っ、わり!」
慌ててパスを受ける榊原。珍しくファンブルしかけて、藤堂に「何やってんの」と笑われている。
……なんだ、今の。
試合は二年の勝利で終わった。
榊原は相変わらず活躍していた。ミスは俺と目が合ったあの一度きりだ。
俺が関係してる? そんなに見られるの嫌だった?
試合後、俺は榊原に近づこうとした。
いい写真が撮れたから見せてやろうと思ったのだ。前みたいに。
「榊原、おつか――」
「あ、すみません、ちょっと」
俺が声をかけた瞬間、榊原は早足でコートの外に出ていった。
……は? 何がちょっとだよ。
完全に逃げられた。さすがに露骨すぎない?
「こじらせてんなぁ~~」
隣で藤堂がまたにやにやしている。
「水野先輩、悪いんですけど、あのクソバカを追いかけてやってくれます?」
「……そうする」
言われなくても。
俺は藤堂に軽く手をあげて、榊原の後を追った。
*
榊原は体育館の裏に向かっていた。
人気のない廊下を歩いていく背中に声をかける。
「おい、榊原!」
「っ——」
榊原の腕を掴むと、榊原はぎょっとして俺を振り返った。
「なんですか……離してくださいよ」
「嫌だ! お前、なんで俺のこと避けてんの!」
「避けてないですね」
「今まさに避けようとしてるだろ!」
榊原が顔をしかめる。言い返せないらしい。
俺は周囲を見回した。近くに体育館倉庫がある。
廊下のど真ん中で話すのもアレだし……。
「ちょっと来い」
「は? どこに……」
有無を言わさず、榊原を倉庫に引っ張り込んだ。
埃っぽい匂いと、積み上げられたマットや跳び箱。薄暗い倉庫の中で、俺は榊原と向き合った。
「なんで怒ってんだよ、お前」
単刀直入に聞いた。
榊原は気まずそうに目を逸らす。
「……いや、だから……そうじゃなくて……」
「部屋でも話さないし! 飯も一緒に食わなくなったし! 俺、なんかした?」
「……してないです」
「じゃあなんだよ! この会話、お前と同じ部屋になってから、何回も繰り返してるからな!?」
榊原が深いため息を吐く。
「まだ泣いた写真撮ったの怒ってんの!?」
「……違います」
「じゃあ、やっぱ好きって言ったこと!?」
「違うって」
「……んー、あとは……あとは、なんだよ」
「聞かないほうがいいですよ、アンタのためにも」
「はぁ!? なんで!? 言えよ! 俺、お前に嫌われたくないんだよ……。せっかく仲良くなれたと思ってたのに!」
素直にそう言った。
榊原が目を見開く。
「なぁ、頼むから教えてくれよ。俺が何か悪いことしたなら謝るからさ」
「……なんで、そんなお人好しなんですか……。ほんと信じらんねぇ」
「……そんなこと言っても」
「アンタは何も悪くない。悪いのは俺で……」
榊原が言いかけて、口をつぐんだ。
俺は一歩近づいた。
「榊原?」
「……っ、近いですって」
「いいから言えよ」
「だから——」
榊原が後ずさる。俺がさらに詰め寄る。
その時、榊原の踵がマットの端に引っかかった。
「うわっ——」
「おい!」
バランスを崩した榊原が倒れ込む。俺は咄嗟に手を伸ばしたけど、身長差のある俺は逆に引っ張られる形になってしまった。
どさっ、と二人してマットの上に倒れ込む。
「っ!」
「……いって」
気づいたら、俺が上で榊原が下になっていた。
顔が近い。息がかかるくらい近い。
「……勘弁してくださいよ。どこのエロ漫画だよ……」
「おっ、お前のせいだろ!」
「……」
「なんで俺を避けてるか言わないと、ぜったいどかねぇから!」
「は?」
榊原が眉間にしわを寄せる。
俺を睨んでいるけど、どこか戸惑いを感じさせる瞳。
「…………」
「なぁ、……榊原」
「…………」
長い沈黙のあと、榊原が観念したように息を吐いた。
「……言ったらアンタ、確実に引くだろ」
「引かねぇよ」
「引く。だって俺、男だし」
「……男?」
榊原が、俺から目を逸らしたまま言った。
「中学の時から。……いや、それも正確じゃないかも。とにかく、ずっと。アンタのことばっか見てて、アンタのそばにいたくて、アンタが他の奴と話してるとムカついて」
「…………」
「嫌いだって思い込んでたけど、違った」
何を言って……。
「……好き、みたいです。アンタのこと」
「……………………え?」
好き……みたい……です?
脳の処理が追いつかない。
「それで、避けてたんです。自覚したら、アンタの顔まともに見れなくなって、自分でも自意識過剰だってわかってますよ」
「ちょ、待っ——」
「無理でしょ。俺に恋愛的に好きとか言われても気持ち悪ぃだけだろ」
榊原が自嘲するように笑う。
「だから忘れてください」
「ちょ……えっ、待て待て待て待て!?」
俺は慌てて榊原から離れた。
起き上がって、マットの上に座り込む。頭がぐるぐるする。
「えっ、いや、ちょっと待って。お前、……れ、恋愛的な意味で……俺が、好きなの?」
「……何度も言わせんなよ」
「なっ、だ、だって……ずっと嫌われてるって」
「俺もそう思ってましたよ……。でも俺、好きな子ほどいじめたくなる人間みたいです」
「……は」
榊原も起き上がって、俺と向き合う形で座った。
「好きですよ、水野先輩」
その顔は開き直ったように平然としている。
「なんか……言ったらすげぇ楽になりました」
「お、俺は全然楽じゃないんだけど」
「でしょうね」
「わ、笑ってんじゃねぇよ……」
頭を抱える。
恋愛的な意味で……好き。榊原が。俺のことを。ずっと。
……マジで?
「ほら、やっぱ聞かなきゃよかったでしょ。俺、責任取りませんからね」
「いや、そういうことじゃなくて……待って、なんか、処理が追いつかない」
榊原が呆れたように笑う。
なんでこいつこんな平気な顔してんの? 俺だけ動揺してんのおかしくない?
「……ほんとに? 俺のこと好きなの?」
「ほんとですよ。けっこう……マジで、好きです」
さらっと言うな。心臓に悪い。
「でも、アンタには何も求めてないんで」
「……へ?」
「付き合ってほしいとか、そういうのは思ってないです。ただアンタに脅されて言っただけですから」
「言っただけって、お前……」
「水野先輩はどうこうしなくていいってことです。俺が気持ち悪かったら、距離置いてもらっていいですし、同室も嫌だって言うなら誰かに変わってもらってもいい」
「そ、そんなことするわけないだろ!」
思わず声が大きくなった。
榊原が目を丸くする。
「避けられてんの、毎回けっこう凹むんだからな……。それをまたやられるのはやだ。……俺は、お前と仲良くしたいって言ってんじゃん!」
言ってから、なんか子供みたいなこと言ってるなと思った。
榊原は黙って俺を見ていた。その目がやけに優しくて、なんだか落ち着かない。
「……相変わらず、お人好しだなアンタ」
柔らかい声だった。
「水野先輩、俺と仲良くしたいの?」
「……………うん」
「そっか。……わかりました。いいですよ、先輩」
こんな顔するんだ、こいつ。いつも俺には不機嫌そうな顔しか見せないくせに。
なんか、ずるい。
「あ、あの、それで……俺も、お前の気持ちはわかった、から」
わかってない。ほんとは全然わかってないけど、俺は深呼吸して、なんとか平静を装った。
「わかった、から……仲直りしよう」
言ってから、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。
榊原が目を丸くして俺を見ている。そして、ふっと笑った。
「……アンタ、ほんとずるいな」
「え? なにが?」
「なんでもないです。……つうか、先輩」
「な、なに?」
「俺、こういう場所でふたりっきりって、けっこう理性がやばいんですけど」
「えっ」
榊原が立ち上がって、「冗談です」とジャージについた埃を払う。
俺も立ち上がろうとして、足がもつれた。
「っと——」
「……大丈夫ですか」
「う、うん」
差し出された手を借りて立ち上がる。
榊原の手、でかいな。あったかいし。この手で……触られたり、するのか、付き合ったら……。
……いや、何を考えてんだ、俺。
「じゃ、戻りますんで。午後の試合あるし」
「あ、ああ……」
「先輩も早く戻ってくださいよ。写真部の仕事あるでしょ」
「……うん」
榊原が倉庫のドアに手をかける。
その背中に、俺は思わず声をかけた。
「あ、あのさ、榊原!」
「なんですか」
「……午後の試合も、撮るから」
「…………」
「お前の写真。たくさん撮るから!」
なんでそんなこと言ったのか、自分でもわからない。
榊原が振り返って、俺を見た。
その顔が、ほんの少しだけ緩んでいる気がした。
「……さっきの試合は油断しましたけど。今度は……いちばんかっこいいとこ、アンタに見せますよ」
笑ってそう宣言すると、榊原はそのまま倉庫を出ていく。
一人残された俺は、その場に立ち尽くしていた。
心臓がうるさい。顔が熱い。
好きって言われた。
榊原に。あの榊原に。
ずっと好きだったって。
「……マジかよ」
呟いて、顔を覆った。
どうしよう。
頭の中が、榊原の「好き」でいっぱいだった。
俺は写真部として、カメラを片手に校内を駆け回っていた。
サッカー、バレー、バスケ。各競技の熱戦を切り取るのが今日の仕事だ。
「水野先輩、バスケのほう撮ってきてもらっていいですか?」
「おう、了解」
後輩に頼まれて、今度は体育館に向かう。
バスケットコートでは、ちょうど二年対三年の試合が始まるところだった。
二年のスタメンには当然のように榊原がいる。
あの夜以来、榊原の様子がおかしい。いや、前からあいつは変だったけど……。
今はもっともっとおかしい。目を合わせない。話しかけると逃げる。部屋でも必要最低限の会話しかしない。
俺が何かしたのか? 『好きなんじゃない?』って冗談言ったのがそんなにまずかったのか?
「水野先輩、お疲れ様です。写真部の撮影っすか?」
「おー、おつかれ!」
横から声をかけてきたのは、バスケ部の藤堂だった。榊原と同学年で、いつも一緒にいる親友だ。整った顔立ちに人懐っこい笑顔を浮かべている。こいつも榊原に負けず劣らず、相当なイケメンだよな。
「榊原のこと、撮るんですか?」
「あー、……うん、そのつもり。やっぱ、あいつうまいしね」
「へぇ」
藤堂がにやにやしている。なんだよ、その顔。
「なぁ、藤堂。お前、榊原と仲良いだろ? あいつが俺のことなんで避けてるのか知ってる? いったん仲良くなれたと思ったんだけど、なんかまた距離がてきちゃってさー……」
藤堂は一瞬目を丸くした後、
「あー……なんで、でしょうねぇ」
と苦笑いしながら目を逸らした。明らかにあやしい顔だ。
「なんだよ、藤堂! ぜったいなんか知ってんだろ!」
「いやいや、俺は何も――うわっ」
俺は背の高い藤堂の首に腕を回して、軽くヘッドロックをかけた。
「吐け。洗いざらい全部!」
「ちょ、水野先輩——!」
「頼むから教えろって〜〜」
「言えないっす! 本人に聞いてくださいよ!」
「本人に聞こうとしたら、いつも逃げられてんだっつの!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいると、ふと視線を感じた。コートのほうを見ると、ウォームアップ中の榊原がこっちを見ていた。
――めちゃくちゃ怖い顔で。
「え、なに……」
思わず腕の力が緩む。藤堂が「ぶはっ」と息を吐いて解放された。
「……なぁ、藤堂。なんか榊原がめっちゃこっち睨んでる。こわい」
「いや、こわいのはこっちっすよ」
「……は?」
「いえ、なんでも。今日もいい写真撮ってやってくださいよ。榊原、絶対先輩のこと気にしてるんで」
「……気にしてるレベルじゃねぇだろ。今も殺されそうな勢いで睨まれてんだけど……」
「そう見えます? まぁ、見ようによってはそうかもしれませんねー」
げらげらと笑って、藤堂はコートに入っていった。かと思うと、榊原に蹴りを食らわせている。
なんなんだよ、あいつ。
そうこうしているうちに試合が始まった。
俺はファインダー越しに榊原を追う。相変わらず、あいつの動きは別格だ。ドリブル、パス、シュート。どの瞬間を切り取っても絵になる。
シャッターを切りながら、ふと榊原と目が合った。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ、榊原の動きが止まった。
「榊原、ボール!」
「っ、わり!」
慌ててパスを受ける榊原。珍しくファンブルしかけて、藤堂に「何やってんの」と笑われている。
……なんだ、今の。
試合は二年の勝利で終わった。
榊原は相変わらず活躍していた。ミスは俺と目が合ったあの一度きりだ。
俺が関係してる? そんなに見られるの嫌だった?
試合後、俺は榊原に近づこうとした。
いい写真が撮れたから見せてやろうと思ったのだ。前みたいに。
「榊原、おつか――」
「あ、すみません、ちょっと」
俺が声をかけた瞬間、榊原は早足でコートの外に出ていった。
……は? 何がちょっとだよ。
完全に逃げられた。さすがに露骨すぎない?
「こじらせてんなぁ~~」
隣で藤堂がまたにやにやしている。
「水野先輩、悪いんですけど、あのクソバカを追いかけてやってくれます?」
「……そうする」
言われなくても。
俺は藤堂に軽く手をあげて、榊原の後を追った。
*
榊原は体育館の裏に向かっていた。
人気のない廊下を歩いていく背中に声をかける。
「おい、榊原!」
「っ——」
榊原の腕を掴むと、榊原はぎょっとして俺を振り返った。
「なんですか……離してくださいよ」
「嫌だ! お前、なんで俺のこと避けてんの!」
「避けてないですね」
「今まさに避けようとしてるだろ!」
榊原が顔をしかめる。言い返せないらしい。
俺は周囲を見回した。近くに体育館倉庫がある。
廊下のど真ん中で話すのもアレだし……。
「ちょっと来い」
「は? どこに……」
有無を言わさず、榊原を倉庫に引っ張り込んだ。
埃っぽい匂いと、積み上げられたマットや跳び箱。薄暗い倉庫の中で、俺は榊原と向き合った。
「なんで怒ってんだよ、お前」
単刀直入に聞いた。
榊原は気まずそうに目を逸らす。
「……いや、だから……そうじゃなくて……」
「部屋でも話さないし! 飯も一緒に食わなくなったし! 俺、なんかした?」
「……してないです」
「じゃあなんだよ! この会話、お前と同じ部屋になってから、何回も繰り返してるからな!?」
榊原が深いため息を吐く。
「まだ泣いた写真撮ったの怒ってんの!?」
「……違います」
「じゃあ、やっぱ好きって言ったこと!?」
「違うって」
「……んー、あとは……あとは、なんだよ」
「聞かないほうがいいですよ、アンタのためにも」
「はぁ!? なんで!? 言えよ! 俺、お前に嫌われたくないんだよ……。せっかく仲良くなれたと思ってたのに!」
素直にそう言った。
榊原が目を見開く。
「なぁ、頼むから教えてくれよ。俺が何か悪いことしたなら謝るからさ」
「……なんで、そんなお人好しなんですか……。ほんと信じらんねぇ」
「……そんなこと言っても」
「アンタは何も悪くない。悪いのは俺で……」
榊原が言いかけて、口をつぐんだ。
俺は一歩近づいた。
「榊原?」
「……っ、近いですって」
「いいから言えよ」
「だから——」
榊原が後ずさる。俺がさらに詰め寄る。
その時、榊原の踵がマットの端に引っかかった。
「うわっ——」
「おい!」
バランスを崩した榊原が倒れ込む。俺は咄嗟に手を伸ばしたけど、身長差のある俺は逆に引っ張られる形になってしまった。
どさっ、と二人してマットの上に倒れ込む。
「っ!」
「……いって」
気づいたら、俺が上で榊原が下になっていた。
顔が近い。息がかかるくらい近い。
「……勘弁してくださいよ。どこのエロ漫画だよ……」
「おっ、お前のせいだろ!」
「……」
「なんで俺を避けてるか言わないと、ぜったいどかねぇから!」
「は?」
榊原が眉間にしわを寄せる。
俺を睨んでいるけど、どこか戸惑いを感じさせる瞳。
「…………」
「なぁ、……榊原」
「…………」
長い沈黙のあと、榊原が観念したように息を吐いた。
「……言ったらアンタ、確実に引くだろ」
「引かねぇよ」
「引く。だって俺、男だし」
「……男?」
榊原が、俺から目を逸らしたまま言った。
「中学の時から。……いや、それも正確じゃないかも。とにかく、ずっと。アンタのことばっか見てて、アンタのそばにいたくて、アンタが他の奴と話してるとムカついて」
「…………」
「嫌いだって思い込んでたけど、違った」
何を言って……。
「……好き、みたいです。アンタのこと」
「……………………え?」
好き……みたい……です?
脳の処理が追いつかない。
「それで、避けてたんです。自覚したら、アンタの顔まともに見れなくなって、自分でも自意識過剰だってわかってますよ」
「ちょ、待っ——」
「無理でしょ。俺に恋愛的に好きとか言われても気持ち悪ぃだけだろ」
榊原が自嘲するように笑う。
「だから忘れてください」
「ちょ……えっ、待て待て待て待て!?」
俺は慌てて榊原から離れた。
起き上がって、マットの上に座り込む。頭がぐるぐるする。
「えっ、いや、ちょっと待って。お前、……れ、恋愛的な意味で……俺が、好きなの?」
「……何度も言わせんなよ」
「なっ、だ、だって……ずっと嫌われてるって」
「俺もそう思ってましたよ……。でも俺、好きな子ほどいじめたくなる人間みたいです」
「……は」
榊原も起き上がって、俺と向き合う形で座った。
「好きですよ、水野先輩」
その顔は開き直ったように平然としている。
「なんか……言ったらすげぇ楽になりました」
「お、俺は全然楽じゃないんだけど」
「でしょうね」
「わ、笑ってんじゃねぇよ……」
頭を抱える。
恋愛的な意味で……好き。榊原が。俺のことを。ずっと。
……マジで?
「ほら、やっぱ聞かなきゃよかったでしょ。俺、責任取りませんからね」
「いや、そういうことじゃなくて……待って、なんか、処理が追いつかない」
榊原が呆れたように笑う。
なんでこいつこんな平気な顔してんの? 俺だけ動揺してんのおかしくない?
「……ほんとに? 俺のこと好きなの?」
「ほんとですよ。けっこう……マジで、好きです」
さらっと言うな。心臓に悪い。
「でも、アンタには何も求めてないんで」
「……へ?」
「付き合ってほしいとか、そういうのは思ってないです。ただアンタに脅されて言っただけですから」
「言っただけって、お前……」
「水野先輩はどうこうしなくていいってことです。俺が気持ち悪かったら、距離置いてもらっていいですし、同室も嫌だって言うなら誰かに変わってもらってもいい」
「そ、そんなことするわけないだろ!」
思わず声が大きくなった。
榊原が目を丸くする。
「避けられてんの、毎回けっこう凹むんだからな……。それをまたやられるのはやだ。……俺は、お前と仲良くしたいって言ってんじゃん!」
言ってから、なんか子供みたいなこと言ってるなと思った。
榊原は黙って俺を見ていた。その目がやけに優しくて、なんだか落ち着かない。
「……相変わらず、お人好しだなアンタ」
柔らかい声だった。
「水野先輩、俺と仲良くしたいの?」
「……………うん」
「そっか。……わかりました。いいですよ、先輩」
こんな顔するんだ、こいつ。いつも俺には不機嫌そうな顔しか見せないくせに。
なんか、ずるい。
「あ、あの、それで……俺も、お前の気持ちはわかった、から」
わかってない。ほんとは全然わかってないけど、俺は深呼吸して、なんとか平静を装った。
「わかった、から……仲直りしよう」
言ってから、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。
榊原が目を丸くして俺を見ている。そして、ふっと笑った。
「……アンタ、ほんとずるいな」
「え? なにが?」
「なんでもないです。……つうか、先輩」
「な、なに?」
「俺、こういう場所でふたりっきりって、けっこう理性がやばいんですけど」
「えっ」
榊原が立ち上がって、「冗談です」とジャージについた埃を払う。
俺も立ち上がろうとして、足がもつれた。
「っと——」
「……大丈夫ですか」
「う、うん」
差し出された手を借りて立ち上がる。
榊原の手、でかいな。あったかいし。この手で……触られたり、するのか、付き合ったら……。
……いや、何を考えてんだ、俺。
「じゃ、戻りますんで。午後の試合あるし」
「あ、ああ……」
「先輩も早く戻ってくださいよ。写真部の仕事あるでしょ」
「……うん」
榊原が倉庫のドアに手をかける。
その背中に、俺は思わず声をかけた。
「あ、あのさ、榊原!」
「なんですか」
「……午後の試合も、撮るから」
「…………」
「お前の写真。たくさん撮るから!」
なんでそんなこと言ったのか、自分でもわからない。
榊原が振り返って、俺を見た。
その顔が、ほんの少しだけ緩んでいる気がした。
「……さっきの試合は油断しましたけど。今度は……いちばんかっこいいとこ、アンタに見せますよ」
笑ってそう宣言すると、榊原はそのまま倉庫を出ていく。
一人残された俺は、その場に立ち尽くしていた。
心臓がうるさい。顔が熱い。
好きって言われた。
榊原に。あの榊原に。
ずっと好きだったって。
「……マジかよ」
呟いて、顔を覆った。
どうしよう。
頭の中が、榊原の「好き」でいっぱいだった。



