「あ、宇恭。おはよう」
背後から聞こえてきた声に、俺はぎくっと固まった。
駅に続くひとけのない通学路。朝っぱらからこいつに会ってしまうなんて。
苦虫を殺した表情を隠しきれないまま降り返れば、そこにはやはり西園がいた。
「宇恭、毎日こんなに朝早いの?」
ああ、お前と電車の時間が被らないためにな。
とは言えず、俺は代わりの言葉を返す。
「西園こそ、今日はやけに早いんだな」
「ああ。今日は朝練なんだ。来週試合があるからね」
自然な動きで西園が俺の隣に並ぶ。俺より2.5センチ高い影が俺のそれに重なる。
朝から無駄に爽やかなのがまた鼻につく。
「ねえ、宇恭」
前を向いたまま視線も合わさず返事も返さない。西園の前で王子様キャラを作るのはただ体力の無駄遣いにしかならないので、愛想なんて手放しだ。
けれどそんな俺の態度なんて意にも介さず西園は続ける。
「前髪ちょっと切ってみたんだけどどうかな、変じゃないかな」
思いがけない言葉に俺は思わず西園を仰ぎ見た。
常に完全無欠な西園が、前髪のことなんかでそわそわしているなんて。
けれどそこにはやはりクソ整った顔があるだけだ。前髪を数センチ切っただけで、正直そのビジュアルにはなんの影響もない。
「変ではないだろ」
とんだ愚問につっけんどんに返すと、西園はほっとしたように笑った。
「よかった。少しでもいいなと思ってもらいたくて切ってみたんだけど、割とざくっといっちゃったんだよね」
「は? 好きな子でもいんの?」
間の抜けた声が出た。
西園はモテるものの彼女がいたことは俺が知る限りないはずだ。告白は多数受けているものの、今は部活に集中したいからとこれまたクソ誠実な理由で断っているらしい。
そんな西園がサッカーよりも優先する相手ができただと……?
ドストレートな問いかけに西園は恥ずかしそうに前髪を撫でながらはにかむ。
「ああ、ちょっとね……。完全な片想いなんだけど」
「だれ」
「えっと、宇恭のクラスの由羽ちゃん」
「まじ……?」
「うん」
照れながら頷く西園を前に、俺は思わず取り繕うことも忘れてぽかんと口を開けて呆けた。
初めて西園を惚れさせた相手があの有森由羽だと……?
有森由羽は2年生になって初めて同じクラスになった女子だ。西園は同じクラスになったことがないはず。
なぜ俺が驚いているかといえば、有森由羽が校内でも有名な嫌われ者の変人だからだ。
人形かと見紛うほどの端正な顔立ちに、ふわりとウェーブのかかった色素の薄い長い髪。とにかく人目を引く見た目とは裏腹に、彼女は常に無表情だった。とにかく愛想がなく、教室ではまわりをシャットアウトするように、常に有線イヤホンをつけていつも窓の外を見ている。まあそんな姿も絵になってしまうんだけど。
皺ひとつないスカートは膝下丈でクソ暑い日にも毎日黒タイツを履いているせいで、実は足がない幽霊なんじゃないかとか、極道と付き合っているから入れ墨が入っているのだとか、漫画の見過ぎだろというようなふざけた噂で面白おかしく揶揄されている。
彼女はとにかくその見た目も相まって異様なオーラを放ち浮世離れしていた。クラスで浮いているといったらありゃしない。
「なんで……?」
思わず心の声が洩れる。
いくらでも女子を選び放題のお前が、なんでよりにもよって有森由羽……? 女子たちからは「気に食わない」「お高く止まってムカつく」と嫌われ、男子たちからは得体の知れないものかのように腫れ物扱いされているというのに。
するとさっきまで照れまくっていた西園が、ふと優しく穏やかな光を瞳に宿す。
「この前、部活帰りにグラウンドでうっかりコンタクトを落として探してたら、通りかかった由羽ちゃんが一緒に探してくれたんだ。暗い中でスマホのライトで照らしながら。女の子が手とか膝とかも汚れちゃうのにさ……」
常に穏やかな周波数の声が、より一層柔らかな音を奏でる。
知らなかった。あの有森由羽がそんなことをするなんて。ていうか笑えるんだ。どんなふうに笑うのか想像もつかないけど。
「それで由羽ちゃんが見つけてくれて、一緒に喜んだんだけど、そのときの笑顔がすっごく可愛くて」
それは長年一緒にいながらも見たことのない西園だった。
「その笑顔に心を射抜かれちゃったっていうのかな。ずっと可愛い子だなとは思ってたんだけど、あのとき初めて話してさ。もっと由羽ちゃんのことを知りたいと思ったんだよね」
そして西園は苦笑しながら頭をかく。
「まあ由羽ちゃんの眼中にはないんだろうけど」
いや、お前がそれを言うなよ。即座に心の中で毒づく。
でもやっぱり有森由羽が彼女として西園の隣にいる姿は逆立ちしても想像できる気がしなかった。そもそもあの有森由羽がだれかを好きになることなんてあるのだろうか。
さっさと告って木っ端みじんに玉砕しろ。心の中でそう唾を吐きながら、「うまくいくといいな」と唇の端を吊り上げて見せた。

