【完】君の涙は透明であるべきだったか




 わざわざ自宅から遠い高校を選んだのに、西園と高校が被ってしまったのは、人生最大の誤算で最早呪いと言わざるを得ない。
 電車に揺られ、"お城かってくらいの豪邸"――否、今にも風で吹き飛びそうなおんぼろな我がお城に着くと、居間の方からか細い声が俺を迎えた。

「宇恭、おかえり」
「ただいま」

 居間の端っこに敷かれた薄い布団に母さんは寝ていた。
 いつものなんてことない、俺にとってありふれた風景。
 元々病弱だった母さんは女手ひとつで俺を育ててくれていたけれど数年前に倒れ、何千に1人という難病に侵されていることが発覚した。今も入退院を繰り返しながら治療を続けている。
 やつれてみすぼらしい高齢の母。一緒に外を歩いていて祖母と孫だと間違われたこともある。だから小学校の授業参観は恥ずかしくて仕方なかった。母に授業参観の日程を言わなくなったのはいつ頃からだっただろうか。

「夕食作るから待ってて」

 俺はブレザーを椅子にかけて、手早く夕食の準備にとりかかる。
 とは言っても大層なものを作る余裕はなく、週末に作り置きしておいたものを加熱し、他に1品作るか作らないかだ。
 ちんたらしている余裕はない。なぜならこのあと19時からバイトのシフトが入っている。

 校則違反をかいくぐって続けているバイトで稼いだ金は自分の手元にはほとんど残らず、ほぼすべてが生活費と学費と母さんの治療費に溶けていく。
 父親は大企業に勤務し海外に出張している設定だけど、本当は俺が小さい頃に外に女を作って出て行ったろくでなしの男だ。

 手を洗うために蛇口を捻った水道から迸る水がいつもよりきんと冷えて感じるのは、西園の顔を見たせいだろうか。

「煮物作ろうか。母さんが好きな里芋も多めに入れるよ」

 手を拭いて冷蔵庫を覗いて具材を確認していると、弱々しい声が耳に触れた。

「優しい子ね、宇恭は」

 母さんはいつもそう言う。
 でも本当はちっとも優しくなんてない。だって俺はいつもこの環境を憎んでいる。
 もし裕福な家に産まれていたら、父親が真人間だったら、母さんが病気じゃなければ、俺はなにかひとつくらい西園に勝てたのかもしれない──そんなことはもう飽きるほど考えた。
 だれも望んでこんな境遇に産まれたわけじゃない。

 もし生まれ変われるとしたら、俺は迷うことなく未練もなく喜んでこの人生を捨てるだろう。