【完】君の涙は透明であるべきだったか




 それからの日々はめまぐるしいものだった。
 生徒会選挙が終わると間もなく期末試験がやってきた。
 今回の出来はというと、これまでで一番点数が伸び、担任から呼び出されて褒められるほどだった。
 新体制となった生徒会の活動が思いのほか忙しく勉強時間をしっかり確保できたわけではなかったけれど、今までより格段に勉強に身が入り、テスト前から順調だという手応えはたしかにあった。多分かちこちに強張っていた肩の力がほぐれて、心が身軽になったせいだろう。
 そして晴翔の存在もまたとても大きかった。俺たちは晴翔の提案で、お互いバイトと部活がない日の放課後は自習室で一緒に勉強をするようになった。わからない問題があれば教え合えるのはもちろん、すぐ隣に共に闘っている存在がいるという実感は、これまで孤独に闘ってきた俺にとって心強いものだった。

 期末試験が終わって次に迎えるのは夏休みだ。とは言っても、我が校にとって夏休みは名ばかりであってないようなものだ。毎日課外学習が組まれ、通常授業となんら変わりのないスケジュールで高校に通い詰めるのだ。
 休んだとは到底言いがたい夏休みが過ぎ去り、2学期になった。
 週の真ん中の水曜日。午前中ラストの授業である体育を終えると、ようやく待ちわびた時間がやってきた。素早くジャージから制服に着替えて、旧校舎3階の図書室に向かう。
 図書室にいる有森に会いに行くのはいつぶりだろう。夏休みに入る少し前に旧校舎の電気系統が異常をきたしたらしく、業者が作業をするため長い間立ち入り禁止になっていた。

 有森に会えると思うと、つい足取りが必要以上に急いてしまう。
 さっきまで同じ授業を受けていたクラスメイトだというのに変なの、と自分でも思う。でも教室での有森は、図書室にいる彼女とはまるで別人なのだ。常にイヤホンで拒絶を示し、無機質な眼差しはどこか遠くの空を見つめている。世の中のすべてを断絶するような壁の向こうの有森は、同じ空間にいるはずなのに、ひとり違う時空にいるようにさえ感じる。
 嫌われているからひとりでいるのではない。他のだれでもなく、有森自身がひとりでいることを望んでいる。そのせいで変人だと陰口を叩かれても、じっとしたまま口を閉ざし反論する素振りも見せない。
 でも俺は、晴れた日の澄み切った秋空のように笑う有森を知っている。俺がそばで見てきたのが本来の姿ならば、どうして君は孤独を望むのだろう。

 渡り廊下にさしかかろうとしたとき、中庭の方からこちらに歩いてくる人の姿を認めた。

「晴翔?」

 その名を呼ぶと、人影が俺に気づいた。

「あっ、宇恭……」

 俺を見るなり幼なじみの表情に慌てた色が滲んだのは、隣にいた女の子の存在のせいだろう。
 その子は、自分が邪魔をしてしまうと思ったのか、すっと身を引く。

「西園くん、私はそろそろここら辺で」
「うん。じゃあ、また」

 ボブヘアの小柄な女の子が、ぺこぺこと頭を下げながら去って行く。
 そんな女の子に手を振る晴翔に、距離を詰めながら背後から声をかける。

「あの子って、中学同じだったよな?」

 晴翔はなぜか少し気恥ずかしそうに苦笑した。

「そう。覚えてる?」
「お前に何度も告ってなかったっけ、あの子」
「はは、よく覚えてるな」

 そりゃあまあ、ライバルである晴翔の恋愛事情に関しては常にアンテナを張り巡らせていましたし?――とは言えるはずもなく、「当たり前だろ?」と笑うにとどめておく。

 つい最近まで活用していた脳内にある晴翔の関係者リストによると、彼女は同学年のリコちゃん。たしか中学在学中だけでも3回は晴翔に告白をして3回とも敗れているはずだ。

「まだ関わりあったんだな」

 なんの気もなしに、リコちゃんが去って行った方に視線をやったとき。突然思いもよらない言葉が耳に飛び込んできた。

「実は、先週の金曜日に告白されて、付き合うことにしたんだ」
「ふうん……って、は!?」

 思わず、グラウンドに響き渡るのではないかというほどの大声が出てしまった。目を見張り、晴翔を見つめる。
 青天の霹靂とはまさにこのときのためにあるような言葉ではないだろうか。

 そんな俺の動揺などつゆ知らず、晴翔は照れくさそうに頬をかいた。

「宇恭にはちゃんと報告しようと思ってたんだけど、まさかこんな形になっちゃうなんてな」
「いや……でもお前、有森のこと……」

 晴翔は、コンタクトを見つけてくれたときの笑顔に惹かれて有森を好きになった。だから俺は有森に……。

 自分の中で整理がつくより先に、晴翔がひとつひとつの言葉が自分の思いを表すに足るそれであることをたしかめるような間合いで語る。

「たしかに、由羽ちゃんのことを好きになった。でもリコちゃんに4回目の告白をされて、こんなにまっすぐ想い続けてくれるこの子に向き合ってみようって思ったんだ。リコちゃんのことをもっと知りたいって」

 真摯なその眼差しを見つめながら、ふと思い出す。
 リコちゃんはお世辞にも特段整っているとは言えない平凡な顔立ちのせいで、晴翔に告白するなんて身の程知らずだと他の女子たちから馬鹿にされていた。でも俺にとっては、口では晴翔のことが好きだと言いながら実際には行動に移さずこそこそ陰口を叩くことしかできない女子たちなんかより、リコちゃんの方がよっぽどかっこいいと思ったし好印象だったことを。

「そっか……」

 きっとリコちゃんなら晴翔を裏切らないだろうし、その逆も然りで晴翔は絶対にいい彼氏になるだろう。
 幼なじみに初めての彼女ができたというのは、俺にとっても喜ばしいことだ。
 それなのに、なぜか芯を失ったかのようにふっと気が抜けてしまう自分がいた。