【完】君の涙は透明であるべきだったか





 幸せな人生か不幸せな人生かなんて、多分それはこの世に生を授かった瞬間には決まっているのだ。
 それでもやっぱり幸せになりたい。
 そんな切実な願いに俺たちは必死に手を伸ばした。



「宇恭(うきょう)くんってリアル王子様だよね」

 俺に身を寄せたA子ちゃんが上目遣いでうっとりと俺を見つめてくる。

「ほんとそう。かっこよくて優しくて勉強も運動もできて……。家だってお城かってくらいの豪邸なんでしょ? 欠点どこって感じだよね」

 俺を挟んでA子ちゃんの対側に立つB子ちゃんが同調する。

「いやいや、そんなことないよ」

 笑いながらも俺の頭は必死にフル稼働していた。
 A子ちゃんB子ちゃんと呼んでいる理由は至極シンプル。彼女たちの名前を思い出せないからだ。

 えーっと、なんだっけな……。ミナちゃん、ユウカちゃん……、あ、リリちゃんか? いや、リリちゃんはたしかショートカットの子だったはず……。

 慎重に彼女たちの名前を呼ばないような文脈を編み出しながら会話をしていると、急に昼休みの廊下に流れる空気がざわっと変わったのを肌で感じた。

「あっ、西園くんだ!」

 A子ちゃんが声を上げれば、B子ちゃんの視線もそちらに走る。

「きゃあ! 今日もビジュ爆発してる……!」

 俺に向いていたはずの視線と関心は一気に無風になる。
 そんな俺の前を、廊下の無数の女子の視線を集めながら、クラスメイトの男に肩を組まれて爽やかに笑う西園が通り過ぎていく。
 と、通り過ぎ様、視界の端に俺を捉えた西園が笑みを深めた。

「あ、宇恭」

 突っ立ったままの俺にもきらきらと愛想よく反応した西園は、男友達に連れられるようにして過ぎ去っていく。

「そういえば矢野くんって西園くんの幼なじみだっけ! この幼なじみライン激熱すぎない!?」

 A子ちゃんが声を跳ねさせる。

「西園くんって小さい頃からあんなふうに王子様オーラ全開だったの?」
「え! 私も知りたい! 小さい頃の西園くん絶対可愛いじゃん!」

 俺が独占していたはずのふたりの関心は、あまりに呆気なく西園に向かっていた。

「あ……ごめん、俺ちょっとトイレ行ってくるわ」

 頭をかきながら、違和感を承知で俺は半ば強引に退散へと方向転換する。

「え~、もう行っちゃうの?」
「またお話しようね!」

 ふたりの名残惜しそうな声を背中に受けながら、トイレに行くはずの俺は屋上に向かう。
 最近では珍しく、我が高校の屋上は開放されている。しかし去年の冬頃幽霊の目撃情報が相次いだせいで、それ以来魔境扱いされるようになった屋上を訪れる生徒はめっきりいなくなった。
 そういうわけで今や屋上は、幽霊やUFOなど非科学的なものをまったく信じていない俺の貸切のようなものになっていた。

 扉を開ければびゅうっと風が迫ってくる。俺は大きなため息を吐きながらフェンスの前に鎮座する空色のベンチに座った。

 どいつもこいつも西園かよ……。
 胸の内に広がるムカつきを覚えながら、がさごそとブレザーの内ポケットから取り出したのは煙草とライターだ。そうして煙草に火をつけ口に咥える。
 電子タバコに代えようかとも何度か思ったけれど、なんとなく煙草を吸っているという実感を得たくていまだに紙煙草ユーザーだ。
 去年――高校1年生の夏に覚えた煙草は、今や憂さ晴らしの術となっていた。決してヘビースモーカーではないつもりだけれど、なんだかんだ月に1度くらいは吸っている。

「……ほんとむかつく」

 紫煙と共に、尖った声が空に吸い込まれていく。

 西園晴翔(さいおん はると)は幼稚園の頃からの幼なじみで、俺がこの世で最も嫌いな男だ。
 西園のことを晴翔と呼ばなくなったのはいつ頃からだろう。多分、こいつは俺の人生にとって有害だと認識した頃から、俺は西園と無意識のうちに距離をとるようになっていた。

 西園は小さい頃から、とにかくなんでも器用にこなした。
 成績は優秀で校内では常にトップ。全国規模でも一桁になったなんて話を聞いたこともある。
 運動もできて、全国大会に出場するほどの強豪校である我が校のサッカー部でエースストライカーとして大活躍、おまけにキャプテンを務めるほどの人望も兼ね備えている。
 モデル事務所に度々スカウトされるルックスと、老若男女だれにでも分け隔てなく接する物腰の柔らかさ。
 極めつけは会社を経営する敏腕な父親に、元女優の美人な母親、有名な音大に通うエリートの姉。誰もが羨むような家族に囲まれ、あいつはなに不自由なくぬくぬくと育った。
 俺がほしいものはすべて西園が持っていた。この世は西園のために作られているんじゃないかと思うことすらある。あまりに理不尽で不平等だ。

 幼なじみということもあり、俺の人生は常に西園と比較されてきた。
 そして俺が西園に勝ったことは一度もない。一度もだ。

 あいつの劣化版が俺だ。
 一応イケメンと呼ばれるけれど、あいつの方が持て囃されるし、モデル事務所にスカウトされたことなんてない。告白された人数だって俺が知る限りあいつはひとり多い。
 寝る間も惜しんでどんなに死に物狂いで勉強しても、成績はいつだってあいつに次いで2番目。
 あいつは男女関係なく人気があるけれど、俺はモテたくて女の子とばかりつるんでいたら、いつの間にか男友達もいなくなった。
 背だって小さい頃のあいつは俺より頭ひとつ分は小さかったのに、いつの間にか2.5センチ俺より大きくなった。

 あれで性格がひねくれていたらまだ溜飲が下がるだろうものの、性格もまっさらでとにかくいい奴なのだ。
 俺が本当はボロ屋敷に住んでいることも、性格がひねくれていることも、古い付き合いの西園はもちろん知っている。けれどなにも口を出してこない。そんなところもまたムカつく。

「くそ」

 くそだ、こんな世の中。俺の人生はあいつを飾り立てるための花でしかないんだ。

 少しでもあいつに負けたくなくて、死に物狂いで勉強しているし、だれにでも優しい王子様キャラを演じている。
 でも本当はわかっている。結局西園の真似事をしているだけだって。常に俺の判断基準は西園で、真ん中には西園がいるのだ。

 ひとり、こじれた吐息がもれた。