「さすが篤人、入学式まで桜を待たせるなんて」
今年の桜は咲き始めが遅く、篤人の入学を待つように4月に入ってから満開になった。
篤人は高3でF組に入れたものの(F組志望者が減ったということもあるが、学年末テストで80番代まで順位を上げてきた)現役合格は難しく、俺と水野さんから1年遅れての入学となった。
入学式の終わったキャンパスで、水野さんと桜を眺めている。目線の高さにある桜は張りがあり、風に揺られて鞠のように弾む。
「また桐島くんと一緒になるね。……大丈夫?」
大丈夫なのか、自分に問う。
篤人の様子はちょくちょく見に行っていて、脇目もふらず勉強している姿に、医師になるという夢と、水野さんと交わした約束を果たすのだという強い想いを感じていた。
水野さんのほうも、会うことはおろか連絡すらとらなくても、篤人のことを一途に想い続けていた。
大学入学後、それなりにモテていた水野さんだが、俺がそばにいる限り男は誰も近づかず(失恋したことは藤澤しか知らない)、今まで独り占めできたことは嬉しい。
けれど、それも今日で終わり。
篤人と水野さんの物語が始まる。
「最高に、くるしい」
くるしい。でも、苦しいとは違っていて。
空白を埋めるのは、彼女と過ごした時間と記憶。
それがあれば、俺はいい。
「じゃ、俺は行くわ」
水野さんが笑う。
ほころぶような、やわらかい笑顔を、瞳に、心に、俺の全てに焼きつける。
医学部棟へと歩く途中で、篤人の姿をみつけた。
「入学おめでとう」
「ありがとう。先輩♪」
「せいぜい頑張れよ、後輩」
篤人が嬉しそうに笑う。この笑顔に何度救われたかわからない。
ふいに、真っ直ぐに見つめられた。
桜の花びらが一片、俺たちの間を流れていく。
「和田ちゃん。水野のことは、あきらめたの?」
静かに置くような声だった。
嘘はつかないで返してほしい、そう瞳が問いかけている。
文化祭の日、俺は篤人に「水野さんのことはあきらめたから」と言った。聞き返してくるということは、俺の意思を改めて確認したいということだ。それはつまり……。
「高2の文化祭のとき、和田ちゃんは『あきらめた』って言ったよね。でもそれ、俺のために言ってくれたんじゃないの? 本心じゃなかったのかなって……」
「あきらめるもなにも……最初から望んでないよ」
あきらめないということが、相手がこちらを向いてくれるまで頑張るということならば、俺は最初からあきらめている。
俺が望むのは、水野さんが変わらずに笑っていてくれること。相手は俺じゃなくても構わない。彼女が好きな人と結ばれる方が、ずっといい。
彼女が俺のことを見てくれないのはわかっている。でも、俺だけに見せてくれる顔があることも知っている。何も言わなくても気持ちがわかる親密さだって、誰とでも築ける関係ではないだろう。
いずれは失われるものとわかっていても、自分から手放すつもりはなかった。気持ちを伝えさえしなければ望みは叶ったから。
幸せだった。誰がなんと言おうとも、自分で選んだ未来だった。
「水野さんが彼女らしく笑っていられるのなら、隣にいるのは俺じゃなくても構わない」
「……和田ちゃんは、すごい。俺は自分勝手だよ。さんざん傷つけておいても、欲しいものは欲しいと思う」
「いつから? いつから、水野さんのことが気になってた?」
大切なものを眺めるみたいに、優しく目を細める。
「はじめは舞に似てるってことで自然と目がいった。仲良くなって、全然似てないんだってわかって、どんどん気になる存在に変わって……ただ、認めたくなかった。和田ちゃんの好きな人だし、水野にも悪いと思った。舞のことが忘れられないだけなんだと、勘違いしてもいた。
だけど、文化祭で舞に会って、水野への気持ちを自覚したんだ。和田ちゃんの言ったとおりだった。しばらくしてから偶然、水野にも会えて……欲しいって思った。水野じゃなきゃだめだって強く思った」
「自分勝手だよ、まったく。水野さんの気にもなってみろ。振り回しやがって!」
「あはは。でもホントに……傷つけたと思う。そのぶん、大切にするって決めてる。俺はその気持ちを伝えるよ。それで、水野が振り向いてくれるまであきらめない」
強く、混じり気のない瞳。この真っ直ぐさや強引さに憧れていた。
初めて会った、霧のような雨の日から、ずっと。
俺は篤人のようにはなれない。開き直ってるわけじゃない。それでいいんだ、俺は俺だから。
篤人が切り替えるように軽く咳払いをした。
「……和田ちゃん、ありがとう」
そっと差し出された言葉を受け取る。
「水野さん、中央図書館近くにいるよ」
来た方を指差すと、篤人の頬がわずかに紅潮して引き締まる。
緊張を和らげるように、すれ違いざま軽く肩に触れた。こちらを見上げた篤人が、ニコッと笑ってから駆け出す。
満開の桜が手を振るように弾むなか、遠ざかる背中を見つめる。
強い風が吹いたあと、はらはらと桜の花びらが舞った。
俺に注がれるのは、あの日みたいにしっとりと体を濡らしていく雨じゃない。
青空を踊る桜。
いつか、言えるだろうか。
「実は、ふたりのことが大好きだったんだ」と、笑って言える日がくるだろうか。
目の前を揺れる花びらが、例えばフラワーシャワーへと変わる日がきたら……古い写真を眺めるような気軽さで言えるかもしれない。
切なさを春の風がさらっていく。
大好きなふたりの笑顔が、舞い踊る花びらに包まれる日まで。
それまでは どうか
想いが伝わりませんように
〜fin〜
