失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

 調べたいことがある、ということで塾の情報室で待ち合わせることになった。
 国立大の学校案内を並べている棚の前に、水野さんの姿を見つけた。驚かせようと気配を消して背後から近づくと、肩越しに『医学部』の文字が見えた。
 俺の志望している医学部。そして、篤人も志望している医学部。

「医学部志望に変えたの?」

 声をかけると、パタンと学校案内が閉じられた。

「……ただ、ながめてただけだもん」
「篤人のことは、あきらめたのに?」

 振り向いた水野さんに睨みつけられる。とりあえず笑顔を返し、「ラウンジで話そう」と歩き出した。
 向かう途中、いつにも増して周りの視線を感じた。着ているセーターの色のせいだろう。篤人いわくツユクサのような色がやたらと目立ってしまった。
 かっこいい、似合ってる、ひそひそと話す声が聞こえてくる。好意的な視線を浴びる。
 それはきっと幸せなはずだ、けれど、満たされない。
 手に入れたいものはただひとつだけなのに、いつも手に入らない。


 ラウンジの椅子は座り心地がいい。気持ちよく伸びをしていると、水野さんが遠慮がちに呟いた。

「……あのさ、今朝桐島くんに会って、連絡先交換したんだけど……」
「ん!?」

 ほどけた気持ちが一変する。「……なんでそんなことに」心の声が口を突いて出る。
 篤人が会いに行った? それとも偶然、どこかで会ったのか? 今まで連絡先を交換してなかったことも信じられないけど、なぜ今さら? 篤人の性格からして、興味がなければ連絡先を聞こうなんて思わない。気持ちを固めたってことか? 
 次から次へと出てくる疑問、不安、嫉妬。考え込んでいると、水野さんがぽつりぽつり話し出した。

 今朝、橋本さんとのパジャマパーティーから帰る途中コンビニに寄った。そこで偶然、登校中の篤人に会った。会計のとき、財布がないことに気づき、篤人に奢ってもらった。

「もともと、食べるなら肉まんかあんまんかって議論があってね、桐島くんは食事なら肉まん一択だろって。結局、肉まんにしたんだけど、あんまんも美味しいんだよって話をしたら、代わりにあんまんを奢ってって言われて……。しかも、春に、大学で……。冗談だと思ったんだけど、ちゃんと会えるように連絡先を交換しようって言われて……」

 肉まんあんまんのくだりも、全体的な話の流れもよく掴めない。現実に起こったことについて、水野さん自身が把握できていないというか、信じられていないからだろう。
 まとめると『篤人は水野さんに向かう気持ちを確信したものの、最優先は受験。行動するのは大学生になってからで、そのとき動けるための下地を整えた』ということか? 篤人の、すっきりとした顔つきを思い出す。自分のすべきことがはっきりとし、迷うことはなくなったという表情。

「……ふぅん」
 
 宙を見て、短く息を吐く。
 同じ大学に同じタイミングで合格できるなんて保証はどこにもないし、連絡先を交換したところで、そのとき水野さんに彼氏がいたらどうするのか? 
 水野さんにとっても受験は大切だからと気遣ったつもり?
 だけど、彼女のことは欲しいと思った。せめて連絡先は、ということ?
 相手のことを考えているようで、そうじゃない。突っ走るところは篤人らしいなぁ……。

「……どう思った?」ためらいながら訊かれ、「どうって?」と聞き返す。

「桐島くんの気持ちがわからなくて……」

 篤人のすっきりした様子とは対照的に、水野さんは不安気だ。無理もない。舞のことはありつつも篤人のことを想い続けていたのに、舞と間違えられた挙句、避けられもした。やっと気持ちが落ち着いたところで、今度は向こうから気のある素振りをみせてくる。
 篤人のほうからしたら、舞と会ったことで水野さんへの気持ちを自覚したんだろうけど。気持ちはわかるが伝わらないだろう。ちゃんと気持ちの変化を言わないと……。
 もどかしい。全て伝えてあげたい気もする。だけど。

 胸の辺りに言葉が溜まっていく。苦しいくらいに。
 こっちを見てよ。
 俺のこと見てよ――

 もう篤人のことはやめろって言えばいい。篤人の気持ちの変化に気がつかないふりをして、待っていても無駄だよって言ってしまえばいい。ひとりになった彼女のそばにいたら、いつか振り向いてくれるかもしれない。
 橋本さんが言ったとおり、今の立場を捨てないと手に入らない。
 篤人には、水野さんのことはあきらめたって伝えたけれど、人の気持ちなんて変わるんだ。やっぱり好きだって言ったって、責められることはないだろう。
 すぐそこまで言葉が上がってくる。

 気持ちははっきりしてるのだから、あとは伝えるだけ――