失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

――これが舞なのか?
 そんな心の声が聞こえてきそうな表情。明らかに違和感を感じている。
 どういうことだ? ずっと会いたかった舞に会えたのに。だいたい、水野さんと舞を間違えるだなんて。
 もしかして、記憶の中の舞が、水野さんに変わってる……?
 
 舞が、固まったままの篤人に近づいていく。

「なんで黙ってるの」

 指が篤人の腕に触れたとき、魔法が解けたみたいに瞳が動く。そのまま自然な仕草で舞の手を包みこむ。わずかな間のあと「『水野』って、だれ」という言葉に、再び篤人の表情が固まった。

「わたしを『水野』って子と間違えたでしょ」

 篤人の動揺がみて取れる。誰でも人間違いされるといい気はしないけれど、相手は舞だ。許してくれる子じゃない。

「……水野は……S女子の子で、ただの友達だよ」
「……ふぅん」

 篤人の手を払い歩き出す。求めていた答えではなかったのか、そもそも言い間違い自体を非難しているのか。いやな緊張感が俺を縛り、動けない。

「帰るの?」
「うん。ちょっと様子見に来ただけだから」
「どこに帰るんだよ? いま、どこで何やって」
「篤人には関係ないでしょ。じゃあね」

 去っていく舞の腕を、篤人が必死に掴む。

「関係なくないよ。俺はまだ……舞のことが忘れられない」

 ばらばらと足元が崩れていく。伝えてしまった。ふたりが再び繋がってしまう……。
 頭に浮かんできたのは水野さんの泣き顔。

「今日は従妹の家に泊まるの。家の場所は覚えてるよね? 夜遅くに帰ってくるって言ってたから、それまではわたしひとり。来る?」

 ぼうっとした頭の中に甘い言葉が響く。すぐ近くでやり取りしているのに、どこか遠い世界の会話に聞こえる。
 はっと気がついたときには、ひらひらと手を振り雑踏の中に消えていく舞の後ろ姿があった。
 水底から這い上がるような強さで篤人の肩を掴む。

「……行くの?」
「……ああ、行く――」
「篤人は、本当に、まだ舞のことが好きなのか?」

 黒い穴のような瞳に一筋の光を見る。わずかな光を手繰り寄せるように、たたみかける。

「好きでいないといけないって、思い込んでないか? 舞のこと、もう好きではないのに」

 篤人は言い返してこない。

「……水野さんは、今日の文化祭には来てない。塾の英語クラスも特選に上がったし、篤人と会う機会はないよ」

 動揺に落胆の色が重なり、目をさまよわせる。俺は確信したけれど、本人は気づいていないのか?
 舞ではなく『水野さん』に気持ちが向き始めていることに――
 
「……俺、水野さんのことはあきらめたから」

 静かに告げた。おまえを縛るものは、もうないよ。
 だから自覚してほしい。水野さんを好きになりかけている、ということを。

 チャイムが鳴った。
 俺を呼ぶ藤澤の声がして、篤人を残して歩きだす。
 自分自身の胸の痛みには気づいていないふりをして。