失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

 ジーンズにブラウスというカジュアルな服装で髪はまとめて高く結んでいる。いつもとは違う服装、髪型だけれど、間違いなく水野さんだ。

 どうして、ここにいる? 

「……和田くん……」

 消え入りそうな声。廊下の薄暗さのせいかもしれないけれど、顔色も悪くみえる。別の足音が近づいてきたので、とりあえず歩くよう促して一緒に階段を下りた。そのまま外へ出る。

 夜の空気は秋の気配を纏っていて、ひんやりと肌寒く、薄手のブラウス一枚の水野さんが気になった。持っていたカーディガンを渡し、羽織るように言う。

「大丈夫だよ、寒くないから」
「しばらく外で話したいから、着て」

 街灯が、いまにも泣き出しそうな水野さんの顔を白く照らす。唇を噛みながらカーディガンに腕をとおす。さすがに大きすぎて体が泳いでいるが、暖かそうにはなった。

 近くの公園に寄る。街灯下のベンチに腰を下ろした。
 水野さんの顔をのぞきこむと、涙の筋が乾き、数本の細い髪の毛が頬に張り付いていた。手を伸ばして取ってあげたい。けれど触れたら壊れてしまいそうで、声だけかける。

「……篤人と、なにかあったの?」

 瞳が揺れる。眉間に皺が寄る。口元は結ばれたままだけれど、わずかに頷く。

「なにがあった? なにか言われた?」

 篤人が舞への気持ちを話したのか? 水野さんは黙ったまま、時間だけが過ぎていく。俺に伝えるつもりはないらしい。それか、まだ現実を直視できないのかもしれない。

「言いたくないのなら——」
「ごめん。いまはなにも訊かないで」

 強い口調で遮られる。
 さて、どうしようか。ついさっきまで勉強していたのもあり、冷静さを保ったまま素早く頭が回転する。
 何があったのか訊かないでほしい、けれど俺に会いにきた、ということは……。
 時間を確認すると20時30分だった。しばらくここにいてから帰っても、それほど遅くにはならないだろう。

「……帰りたくなったら言って」

 うなだれた横顔に声をかける。かすかに頷いたことを確認したあと、夜空を見上げた。東の空に下弦の月が浮かび、いくつか星もみえる。頭をからっぽにして月と星を眺める。
 大通りを走る車のエンジン音が不規則に流れてくる。人の歩く音、話し声、すべてが夜に溶けていく。
 このまま全部無くなってしまえばいいのに。大切なものをふいに手放したくなる瞬間があるのは、なぜだろう……。


 どれだけの時間そうしていたのか、はっと気がついて時計を見ると22時ちかくになっていた。

「もう遅いから、帰ろうか」

 水野さんが虚ろな目で頷く。ひとりで返すには心配だ。

「送るよ」
「いい。大丈夫だから。ほんとに」

 やり取りを何度か繰り返す。ほんとうに大丈夫なのか? けれど無理やりついていくわけにもいかない。

「いま俺が送るか、明日も会うか。どっちか選んで」

 今日もう一緒にいられないのなら、明日の約束が欲しかった。
 長い時間一緒にいたのに、彼女は何も言わず泣きもしなかった。起こった出来事の重さを物語っている気がして不安が募る。

「……明日も会いたい」

 会いたい——
 しっかりとした意思を感じて、心の底からほっとした。ふわりと頭に触れる。

「また明日」

 見上げた瞳がわずかに潤んでみえた。