失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

 控室の扉を開ける。近くにあったベンチに座り込む。

 今となってはもう、想いを伝えようとした自分が信じられなかった。一方で、これからも隠し続けなければならない現実にも苛立っていた。またここに戻ってきてしまったことの絶望もあった。
 
 篤人はきっと、水野さんに好意を抱いている。舞と混同しているか、水野さんとしてなのかは、わからない。ただ、いずれにせよ恋愛対象として見ているわけだ。
 俺は、永遠に報われない想いを隠し続けている。全ては過去と未来の自分のために、今の自分を殺し続けている。
 
 静かにドアが開き、床の上を体育靴が擦れるキュッキュッという音が響いた。
 水野さんだろう。今は来てほしくなかった。
 
「……和田くん」

 話しかけないでほしい。その顔に会いたくない。

「和田くん、大丈夫……?」

 大丈夫ってなんだよ。大丈夫なわけあるもんか。そんなこと俺の口から言わせたいのか。ひどい言葉で罵ってしまいそうなのを必死で堪える。

「……桐島くんなら、聞いてくれたんじゃないのかな、和田くんの気持ち」

――は?
 この言葉だけは言われたくなかった。
 怒りに揺れながらも、うつむいたまま返す。

「篤人が聞いてくれるとか、聞いてくれないとか、そういう問題じゃない」
「いつまでも自分の気持ちに嘘をついてるのはつらいことだよ。和田くんだって、伝えてしまいたいって思ってるんでしょう。うまくいかなくても、自分のなかで気持ちを留めておくのって――」
「知ったような口を利くな」

 声が怒りで震えている。我慢できず、顔を上げた。ゆらゆらと立ち上がる。

「『自分の気持ちに嘘をつくのはつらい』『篤人なら聞いてくれる』。そんなこと、何年も前からわかってるんだよ。うまくいかないってわかってるのに、全て打ち明けるほどバカじゃないんだよ」

 ゆっくりと距離を詰めていく。
 水野さんが怯えながら後ずさりする。

「聞くけどさ、恋愛対象じゃない性別から好意を向けられたらどうする? 男からではなくて、女から好意を向けられたら?」
「……」

 返答はない。それが全てを物語っていた。差別はいけないとわかっていても、受け入れられない、ということか?
 彼女の頭が壁に当たり、これ以上はもう下がれないというところで、背後の壁に手をついた。

「どう? 困るだろ。断ったあと、今までどおりの関係でいられる? 他の女友達と変わらないように接することができる? 」

 彼女は何も言わず、怯えながらも見つめ返してくる。

「無理だろ。もう二度と戻れない。男女のレンアイとは違うんだ。俺の世界はもっと……フクザツで、心がいたいんだよ」

 俺と篤人は、ずっと友達ではいられても、恋人としては永遠に結ばれない。それをわかっているのに、全てを打ち明けてしまったらどうなる? 
 篤人なら、友達でいようとしてくれるかもしれない。けれどそうなった時点で、純粋な友情ではなくなってしまう。
 篤人には、何の気も遣わせず、ただ隣にいてほしかった。俺自身が壊れそうなくらい苦しくても、つらくても、ただ……。

「隣に、笑顔の篤人がいてくれさえすればいい。だから俺は、伝えないって決めてる。それしか選べないんだよ……!」

 水野さんは何も言わないかわりに、静かに涙を流し始めた。
 彼女の泣き顔は、なんというか心に直接響いてくる。思わず目を伏せる。

 こんなこと、彼女にぶつけても仕方がないのだ。完全なる八つ当たり。
 水野さんを、どうしようもない気持ちの()け口にして、泣かせて……俺は最低だ。

 そのとき。
 羽のように軽くて柔らかいものが俺を包み込んだ。
 小さくて熱を持ったものが、すっぽりと腕の中に収まり、かすかに花の香りがした。
 トクトク……と、動く心臓が体操服を通じて伝わってくる。

 水野さんが、俺のことを抱きしめていた。
 瞬間、緊張で体が強張ったものの、小さく柔らかい体から伝わる振動と、頬に触れるふわりとした髪が、かたまった体と心をほどいていく。

――つらいよね、やめてしまえれば楽だよね。わたしも一緒。同じ気持ちでここにいるよ。

「……水野さん」

 強く抱きしめる。
 つらい、苦しい。どうにかしてほしい。
 俺はここにいるのに、見つめてもらえない。

 抑えていた想いが次から次へと溢れていく。堰を切ったように涙が溢れて嗚咽まででてくる。
 水野さんは、優しく背中を撫でてくれていた。ずっとこうされていたい。
 ひとりは寂しい。誰か、そばにいてほしい。

「……俺のこと……好きになって……」

 俺のこと、好きになってほしい。
 君に。

「水野さんが俺のことを好きになっても、俺は永遠に振り向かない。この気持ちを……わかってほしい……」

 この孤独をわかってほしい。叶わない想いを抱えることの切なさを。

 水野さんは、優しく背中を撫で続けてくれる。
 駄々をこねる子どものように、泣きながら道理に合わないことを言う俺を、落ち着くまで抱き留めてくれていた。