失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

 噴水前のベンチに座り水野さんを待っていると、篤人と阿部が通りがかった。

「誰かと待ち合わせ?」

 質問してきたのは阿部のほうだった。篤人は言葉を発しない、機嫌が悪いとき決まってこうなる。小学生のころからそうだった、顔には出ないが態度でわかる。

「ああ。水野さんと待ち合わせ」

 篤人の眉がわずかに動く。察した阿部が黙ったところで、

「!?」

 ふいに殺気めいた気配を感じた。篤人や阿部からじゃない。こちらに走ってくる女子がいる。下着が見えるんじゃないかという勢いでスカートの裾をはためかせながら、全速力で走ってくる。
 橋本さんだ。
 
「結菜とケンカした!!」

 掴みかかる勢いで迫ってくる。

「結菜と、ケンカしたんだよ!!」

 ケンカした、ただそれだけだろ?
 俺のせいだっていうのか?

 俺を睨みつけながらも今にも泣きだしそうな橋本さんを、阿部が肩を抱くようにして連れて行こうとする。

「凜花。わかった。行こう」

 阿部の力に抗えないのか、じたばたしながらも連れられていく橋本さんの後を篤人が追っていこうとしたところで、
「気になるんなら桐島はここにいろ。結菜もここに来るんだろ。和田といろ」
 そう言われ、立ち止まる。

 こんな風に阿部が言うことは稀だ。やつはあっけらかんとしつつ誰よりも周りのことを見ていて、状況や心情の把握がうまい。けれどいつも何も言わない。その阿部が動くということは、相当にやばい状況だってことだ。
 篤人もそれはよくわかっている。何も言わず、座っていた俺の隣に腰を下ろした。

「……すごい勢いだったな、橋本さん」

 俺がそう呟くと、何も言わずにこくりと頷く。かなり機嫌が悪い。

 なんで? おまえ、なんでそんな態度なんだよ。
 俺が水野さんに触れたから苛立ってるのか?
 それとも『舞』に触れたと思ってる?

 篤人に対して、こんなに怒りが湧いたことは初めてだった。
 膝に置いていた手をぐっと握る。
 ふと、近くに立ってこちらを見ている水野さんに気がついた。泣いてはいないようだけど、顔は強張り、全体的にとても疲れているようにみえる。
 こっち、と手招きすると、ほぼ同時に篤人も立った。

 そのときだ。

 水野さんが、泣いた。
 とても静かに、本人さえも気がつかないほどの、ささやかな涙が流れた。透明な雫が頬から流れ落ちると、堰を切ったような勢いで溢れ出してくる。
 表情は変わらない。ただ、涙だけが次から次へと溢れ出してくる。
 泣き顔を見たのは2回目だ。この子はそれほど悲しい顔はせず、ただ涙をぽろぽろ落としながら泣く。直前まで我慢していたのだけれど、もう限界だというように。
 その泣き顔をみると、胸が苦しくなる。
 篤人には見せられないと、ふたりの間に立ち塞がった。

「大丈夫?」

 俺越しに、篤人が声をかける。
 それは、本当に水野さんに対して言っているのか……?
 
「誰が泣いてると思ってる?」
 静かに、でもハッキリと告げた。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
 わずかながら苛立ちを感じる低い声。

 ふたりの間からどいた。
 水野さんと、篤人が向き合うかたちになる。

「水野さん? それとも、舞?」
 
 篤人の瞳が揺れた。
 やっぱり動揺してるなと思ったとき、いったん目を伏せ首を横に振ったかと思うと、真っ直ぐに水野さんを見つめた。

「水野だよ。当たり前だ。ていうかさ、和田ちゃん」

 ぐいっと腕を掴まれ、上目遣いに睨みつけられる。
 
「俺は、間違えないよ。舞は舞、水野は水野だ。和田ちゃん、俺に何を言わせたい?」
「じゃあ、訊く。篤人は、水野さんのことが好きか?」
 
 篤人が答えに詰まる。
 俺が言うべきことじゃないのはわかっているものの、責めるように続ける。

「舞と、水野さん。篤人が好きなのは、どっちなんだよ」

 答えが出されることを望んでいるわけじゃない。だけど、問うことを止められない。

「……いま、ここで俺の気持ちを話す義務はないよ。俺が誰を好きだって、和田ちゃんには関係ないだろ」

 静かに告げられた。目の前で扉が閉じられた気分だ。
 関係ない、という言葉は、俺がそこに関与できないことを表している。
 そんなことわかってる、篤人の好きなやつは俺じゃないってことくらい……。

 ふいに、くいっと腕を掴まれる。
 水野さんだった。もう泣き止んでいるようだ。俺に、行こうと促している。
 篤人が水野さんに声をかけているけれど、何を話しているのか頭に入ってこない。
 しばらくして、篤人が去って行く気配があった。
 俺はうつむいたまま、ここに繋ぎ止めてくれる水野さんの手の感触にすがっていた。