失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

 夏は残暑とよばれる時期になるほど、その存在感を見せつけるみたいに盛りを失わないまま居座っていた。暦の上では秋だというのに、どうやらまだ夏を続けたいらしい。

「うう……つかれた……」
「つかれたな~」

 練習後、午後から始まる夏期講習に行くため、駅までの道を水野さんと歩く。
 足元で木漏れ日が揺れる。暑いなか、ゆらゆらと揺れる光を見つめていると、自分のほうが揺れているのではないかという錯覚に陥ってくる。

「大丈夫? 気分悪い?」

 顔を覗かれて我にかえる。「いや、ぼうっとしてただけ」瞬きをし、ふっと短く息を吐いた。心配そうに見つめてくる水野さんに、大丈夫だよ、と目で言い軽く口元で笑う。
 強い風が吹き、蝉の鳴き声をかき消すくらいの葉音が響いた。ちらつく光に目を細める。膨らんで揺れる彼女の髪から、檸檬(レモン)やミントのような涼しい香りが流れてくる。

「気持ちいいー。風が吹くと涼しくなるね。なんだかロンドンを思い出す」

 記憶をなぞるように目を瞑り、微笑む水野さん。
 そういえば、ロンドンに行く前は進路についても悩んでいたけれど、どう決着したのだろう。
 日本に帰ってきたということは、留学はなくなったのだろうけれど。

「進路についても話せたの? 内部推薦では進学したくないって話だったけど」
「うん。実はね、国立の国際学部、いいかなって」
「え? 国立って……俺と同じところ?」

 えへへ、と笑って頷く。
 ロンドンに行って、もっと英語や文化を勉強したいと思った。調べてみたら地元の国立は留学制度が充実しているとわかり、海外で生活する費用のことも考えたら学費の安い国立大がいいと思って、と続ける。
 国際学部のレベルも水野さんの学力もわからないけれど、卒業後も関係が続いていくのかと思うと不思議な気分だった。
 大きな大学だし学部も違えば、そうそう会うことはない。ただ同じ大学にいるかもしれないことについては、いやだとは思わなかった。お互いに受かれば、の話だが。
 以前の俺ならば、舞を連想させるものが近くにあるなんて到底受け入れられなかったのに……。

「結局は敷かれたレールの上を歩くのが嫌だっただけなんだよね。いざ選択できる立場になると、何やりたいんだろう?って。普段と違う環境でいろんなものを見て、親ともゆっくり話して、自分の気持ちに向き合うことができたの。
 てことで、勉強がんばらないと! まずは夏期講習だよね!」

 水野さんの顔が晴れやかで、なぜだか俺も嬉しくなった。
 ふと、夏期講習の時間が気になった。

「ん? 水野さんの講習は13時半からだよな? 飯食っている時間ないよ」
「え!? 一緒の時間じゃないの?」
「受ける授業が違うだろ。俺は15時から」
「え~!! 先に言ってよ~」
「言わなくてもわかるだろ。とりあえず急ぐぞ」

 追い風に乗るように、木漏れ日の道を走り抜けた。

 




 あいかわらず秋の欠片も感じない天候が続いていたが、どの組も夏休み最後の練習に取り掛かかる時期となった。
 今日もB組C組"現代版関ヶ原の戦い"の撮影だ。サンプル衣装が出来上がったそうで、先に見せてもらう。

「これ、すごいな……」

 東軍の衣装は、膝丈ほどの光沢のある黒い布に金地の帯で、背中には家紋が書かれている。長いハチマキは黄金色だ。兜に似せた日除けつきの黒い帽子もあり、騎馬戦で戦うときに被るという。
 大将用の帽子には、角のような豪華な前立もついていた。阿部に似合いそうだ。

 文化祭の予算が使えたとはいえ、思った以上にクオリティが高い。さすが女子だな、と感心していると、A校衣装班のほうがすごかったらしい。彼らは、衣装のイメージから正確な型紙を作成し、無駄のない生地の分量を計算し、丁寧にミシン縫いして完璧なものを作り上げたのだとか。
 B組C組は理系選択の生徒が集まっていて、そういうことは得意なのだろうけれど、こんなところにも能力を発揮できるのか……。

「西軍衣装は赤? えんじ色っぽい?」
「そう、えんじ色。形は東軍と一緒だよ。西軍大将の衣装はまだ作成中なの。橋本さんに似合うように、刺繍を入れて豪華な感じに仕上げるつもり」
「へぇー楽しみだな」


 練習前、東軍サンプル衣装を着た篤人と水野さんが衣装班に撮影されていた。
 久しぶりに篤人の姿を見た気がする。
 あの一件以来、特別進展はしていなさそうだけれど、ぎこちない雰囲気が気にかかる。明らかに、篤人のほうも意識しているようにみえる。
 水野さんと舞が別人だとわかって、彼女に惹かれているのかもしれない。
 ただ、この後に及んで舞に重ねていたら……?
 
 篤人の真意を図りかねていた。