失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

 練習開始間際、体育館の中を見まわす。今日も篤人の姿はなかった。ここ最近見かけず、S女子の三浦さんがダンス指導役統括みたいになっている。

「篤人、今日もいないね」
「ん? そうだな~。でも、実質、三浦さんがいれば安心だろ」

 パソコンに視線を落とし作業に戻る藤澤。忙しそうだ。
 横に置かれたスマホが震え、メッセージが浮かんだ。手に取った藤澤が「あ~」と呟く。続けて「和田、今日はS女子担当」と言われ、ぎょっとした。来るはずだったS女子の撮影担当が急用で来られないらしい。
 実はS女子の動画撮影班の一部は各クラスの衣装作成にまわることになった。人が足りていないため、やむを得なかった。ゆえに、各回の撮影で、S女子は1、2名しかあてられない。
 いちおう俺たちは、あからさまにS女子を撮らないよう配慮している。もっとも、ほとんどのシーンは男女混合でダンスするから、意識の問題なのだけれど。
 ただ東西軍の殺陣(たて)シーンのみ男女別に分かれて踊るため、これはS女子に撮ってほしかった。今日はそのシーンを練習するという最悪なタイミングで撮影を任されてしまった。

「……藤澤、代わりにやってくれない? 『S女子の体操服姿♪』とか言って騒いでたろ」
「こっちのが優先。よろしく。カメラそこな」

 真面目かよ!!!!
 溜息まじりにカメラを持ち、重い足取りでS女子集団のほうへと向かう。
 誰かが気づき、波が立つように全員が俺のほうを向く。

 ……え、撮影担当、和田くん!?
 ……どーしよ、緊張しちゃう〜
 ……やばい、やばいっ!!

 あちこちで聞こえる声を無視できない。これじゃ撮影は無理だろう。戻ろうとしたところで、

「きゃあ!!」
「ちょっと、大丈夫!?」

 突然、女子の叫び声がした。
 あっという間に人だかりができ、A校生も異常に気づく。誰かが倒れたらしい。水野さんが駆け寄り、かたまりを割って入っていく。
 しばらくして、水野さんに寄りかかるようにして、ひとりの女子が出てきた。
 練習前、視線を感じた先にいた子だった。そして、おそらく体操服の裾を引っ張った子。
 胸がざわめく。俺のせいかもしれないと、背筋に冷たいものが流れていく。

 あろうことか俺の背後に出口があった。こちらに歩いてくる。どこか別の場所に、と水野さんが目で合図を送ってくる。さりげなく避けようとしたところで、水野さんに寄りかかっていた女子が飛び出してきた。

「和田くんっ、ごめん! ごめんなさい!」

 涙に濡れた目を見開き叫ぶように謝られ、その剣幕に後ずさりしてしまう。
 早鐘のような激しい鼓動が全身を揺らす。視界が波打つ。
 みんなの視線が突き刺さる。注目されることには慣れているはずなのに、気にしない術も身につけたのに、まるで昔に戻ったみたいに体も心も萎縮する。

 篤人、助けて——……

 ふいに、冷たいものが腕に触れた。
 見ると、水野さんが俺の腕を掴んでいた。

「ちょっと、外に出よう」

 片方の腕には泣く女子を、もう片方の手は俺の腕を掴んだ状態で歩きだす。途中で「朱莉ー! あとはよろしく!」と叫んだ。
 背後でパンパンっと手を叩く音がして、三浦さんが「始まるよ!」と仕切り直す声が聞こえた。

 とりあえず、刺すような視線から解放され、この場から逃げられることにほっとした。
 俺の腕に絡められた、水野さんの指。
 あの日、篤人も感じたのだろうか。
 冷たくて柔らかいこの指を、握り返したいとは思わなかったのだろうか。