失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

「……やっぱり、知らないほうがよかったろ」
 
 固まった横顔に問うと、「まだ好きになる前だし、いま知れてよかったよ」と強がる。
 そんなはずないと流していると、「で、和田くんの話ってなに」怒りを含ませた低い声で訊かれた。

「大丈夫かなって……。前の打ち合わせが終わったあと、篤人と変な感じになってたから。ま、今のその感じだと問題ないか」

 突っかかった言い方にすこし安心してたのに、俺がそう言ったら泣きそうになっている。

「大丈夫。なんでもないよ、でも……」
「でも?」
「気にしてくれて、ありがとう」

 力なく笑う姿に混乱する。
 ありがとう、だなんて、言われる立場じゃないのに……。

「……水野さんって、いいやつだよな。俺が水野さんのことが好きって言っても、それは嘘だってみんなに言ってないだろ。あの、誰だっけ、いつも一緒にいる派手でうるさい女にさえも」
凜花(りんか)のこと? 派手でうるさいって……。
 和田くんが言ってることが嘘だって言っても、なんでそんな嘘を言うのか理由を聞かれたとき、答えられない。結局、よくわかんないけど好きは好きなんでしょって言われるだけだから」

 そりゃそうか、と頷く。意外と頭のいい子なのかもしれない。

「それに……和田くんのこと全部、凜花に話していいわけじゃないし……」
 
 ほんの数秒、間が空いて、彼女にした仕打ちの重さと、後悔がなだれこんできた。
 注目されて嫌な思いをしたはずだ。「篤人のことを好きな変な男がおかしなことを言ってる」と言いふらすこともできたのに、そうしなかったのは、俺のことを守って――。
 水野さんは、いろんな矛盾や疑問を呑み込んで、俺の想いを尊重してくれる。男を好きだといっても、珍しがったり距離を置いたりもせず、彼女自身の想いと同じように思ってくれる。
 この子には、すべて言おう。

「篤人の元カノは、小学校のときの同級生。篤人のこと、やたら振り回すやつでさ。このまま一緒にいたらだめになると思って、A校を受験するように仕向けたんだ。で、中学は離れたんだけど……それをきっかけに、二人はつき合うようになって……。
 篤人、元カノのことになると人が変わるんだよ。平気で学校もサボるから成績もガタ落ち、精神的にも不安定になって、大変だったんだ。なにより俺がつらかったのは、笑顔が消えたこと。中3のとき無理やり別れさせたんだけど、高校になってからまたつき合って……最後は篤人から別れたみたいだけど」

 水野さんの知らない篤人の話だ。
 意外なんだろう、彼女は何も言わない。

「篤人に、俺のほうを向いてほしいなんて思ってない。あの笑顔を奪わないでほしい。おかしいかな? 篤人が水野さんのことを好きになったら、同じことが起こる気がするんだ。
 最初、水野さんを見たとき、元カノとそっくりだと思った。驚いて、篤人に聞いた。あいつとそっくりの子がいるけど大丈夫なのかって。そうしたら『狩野くんの彼女だから興味がない』って言われたんだけど……。
 もう別れてるってわかった。元カノへの想いが強すぎる篤人が、重ねて水野さんを好きになるかもと思った。一方で篤人は、友達の好きな人には手を出さない。だから俺は『水野さんが好き』だなんて嘘をついた。
 水野さんのことを好きにならないように。篤人から笑顔が消えないように」

 一度軽く息を吐く。
 次の一言に力を込める。

「舞は、特別なんだ」

 名前を聞いて元カノの存在がリアルなものとなったのか、一瞬、水野さんの表情が苦しげに歪む。

「これで、篤人のことを好きにならないでって言った理由もわかったろ。元カノの代わり、なんて水野さんも傷つくから」

 彼女は黙っていた。どうしようもない事実を突きつけられて、思いのやり場に困っているのだろう。
 篤人への報われない想いを抱える自分と重なる。
 苦しくなって、「ま、好きになる前なら関係ないかな? よし、帰ろうぜ」と軽く言い放ち、背を向けて歩き出す。

 遠くの空を、飛行機が過ぎ行くのが見えた。夏の夕空を横切る、気持ちいいくらい真っ直ぐに。
 あれに乗って行ってしまうのか?
 全てなかったことにして、ロンドンへ。

 くるりと振り返る。追ってない彼女に、はやく、と目で言う。
 しかたないという感じだけど、走り寄る彼女にほっとした。

 
 思い返せばこのときが、すべての始まりかもしれなかった。
 それがわかるのは、もうすこし先の話。