失われるとわかっていても、君の隣を手放したくない

 篤人のことが好きだと、誰かに話したのは初めてだった。口に出すと輪郭がはっきりしてしまい、それが自分の信じるような形ではないことを恐れていた。
 俺は篤人が好きなんだ、広く男が好きなわけじゃない。世の中が以前よりも同性愛に寛容になったぶん、自分の想いが自然にそれと(くく)られてしまうことに強い違和感を感じていた。
 同性愛を差別しているわけじゃない。安易に括ってほしくないだけ。
 少数派は排除されないが、名前をつけて区別する。俺は俺なのに、個性だと認めてもらえない。
 水野さんは、俺の想いと彼女の想いとを同じものとして扱ってくれたのだと思う。好きな気持ちは一緒だって。
 舞は差別こそしないものの、からかうように楽しんでいる風もあったから、そういう意味でも水野さんと舞は別人なのだ。
 篤人が彼女のことを好きになっても、舞のときのようにぼろぼろにならない可能性は十分ある。冷静に考えればわかることだ。
 けれど、わかっていてもいやだ。
 駄々をこねる子どものように、ふたりが一緒になることを拒んでいた。



 路肩沿いに咲く向日葵に手を伸ばす。太陽に向かって力強く咲く、この花が大好きだ。
 空は青く、雲は厚く、蝉の声はどこまでも鳴り響く。生命力に溢れる夏は一番好きな季節だ。
 教室の扉を開くと、つんとした冷気に襲われる。この気温差は苦手。まぁ、これだけの暑さのなか集中して勉強するには冷房は必要不可欠なんだけど。

 自席に向かおうとすると、数人と目が合い、はて?と思う。何か言たげな視線を投げかけてくる。

「なんだよ」

 言いたいことがあるならハッキリ言え、と睨みつけると、「和田の彼女、きれいな子だな」そう言われ、目を見開き立ち止まった。

 彼女? いったい誰のことだ?

 思い巡らすと、水野さんしかいないことに気がついた。塾で、彼女の腕を掴みながら歩いていたところを見られていたのか。
 否定しようとしたところで、妙案が浮かんだ。
 
「きれいだろ? でも残念、俺の片想い」
「マジ!? 和田が!?」
「なかなか振り向いてもらえなくて」
「和田を相手に、嘘だろ〜! なぁ、みんな聞いて! 和田、好きなやついるんだって!」

 F組の連中が一気に盛り上がる。
 俺が水野さんのことを好きだなんて心外だけれど仕方がない。
 篤人は友達の好きな女には手を出さない。
 つまり、『俺の好きな人』には近づかない。
 水野さんがどれだけ篤人のことを好きでも、ふたりが結ばれることは、ない。

 

 難関大英語クラスの教室を覗く。ふたりは塾の英語クラスが一緒だと言っていた。
 窓際の席に篤人の姿を見つけた。誰かに向かって手を振っていて、その先に水野さんがいた。
 ちょうどいいや、宣言しておこう。
 人の合間を抜けて近寄る。

「水野さん」

 声をかけると、仲間が現れたみたいな安心した表情を向けられた。S女子でも俺との噂は広まっていて、彼女も困っていたのだろう。
「和田くん、なんか大変なことになっちゃって——」同意を得ようとする、期待に溢れた言葉を遮る。

「とりあえず俺は、水野さんのことが好きだから」

 みるみる表情が変わっていく。ものすごい顔だ。
 篤人も、ポカンと口を開けている。

「ちょっとこっち」と水野さんの手を掴む。いちおう、前回掴んだ腕とは別のところをと意識してみたら、手を繋ぐみたいな形になってしまった。
 振りほどく余裕もないのか大人しく手を引かれていく。

 今日は非常階段まで出なくても大丈夫だろう。廊下の突き当たりまで行ってから手を離した。
「驚いた?」と訊くと、意味がわからないといった顔で見つめられる。
 
「意味がわからないって顔かな? 安心して、さっきのは嘘」
「嘘!?」
「そう、嘘」
「なんで、そんな嘘」
「知らないほうがいい」
「はい!?」
「知らないほうがいいって言った」
「聞こえてるよ! てかその理由を教えてって。わかってんでしょ!」
「傷つくぞ」
 
 スパンと言い放つ。

「……でも和田くんは誤解されたままでいいの? だって桐島くんのこと……」
 
 一瞬ひるんだものの、食い下がってきた。
 誤解……。俺は篤人のことが好きなのに、水野さんのことを好きだと宣言した。つまり、篤人に嘘をついたということになる……。
 それでも。

「俺には、それ以上に耐えられないことがあるんだよ」

 たとえ誤解されても、ふたりがつき合うことは耐えられない。ならばプライドは捨てる。
 怒りで語尾が震えていた。水野さんが後ずさりする。胸の前で重ねた手が震えている。
 それを見て、さすがにひどいことをしたかと心が揺れた。

 ああ、もう俺はどうすればいいんだよ!

 悪役になりきれない、中途半端な自分に苛立つ。
 耐えられず立ち去ろうとすると、俺の怒りが縛りつけているみたいに立ち尽くす彼女の姿が視界をかすめた。