稲穂が帰宅すると、いつも通りソファーの足元に座った麺太が、スマホを睨み付けて唸っていた。
「今日もお題に苦しんでんのか?」
冷蔵庫に向かいながら、麺太の顔を見ずにそう問い掛けると、そーだよーと返事が。
「今回はね、非常口」
「非常口? 土星とピノキオよりは簡単そうな気がするな」
じゃあ書いてみてよと言われたら困るが。稲穂は麺太の小説を読む専門。書くのは麺太の担当だ。
「でもさー、思い付かなーい」
「ご苦労さん」
今日も今日とで下校中に買い物をしてきた稲穂は、冷蔵庫に食材を仕舞っていく。今夜は稲穂の父が同僚と食べてくるとのことで、父の分は作らないつもりだ。
「夜ご飯どうする?」
「稲穂ちゃんに食べられたい」
「そういうのやめろ。で、何食いたい? 下ネタは禁止な」
「先回りされたー。でも言っちゃう。稲穂ちゃんのいな」
「言わせねえよ」
本当にそれが食べたいし食べられたいのにー、とほざく麺太に溜め息を溢し、食材を仕舞い終えた稲穂は、逃げるように自室へと戻った。
稲穂ちゃん? と戸惑いの声を上げる麺太に、稲穂は何も言わなかった。扉を閉める際、やけに重く感じた。その時にふと、非常口の扉はどのくらいの重さがあるんだろうと思ったのは、麺太との会話につられてのことだろう。真っ直ぐに布団に向かうと、仰向けに寝転んだ。
麺太は、何故ああも普通に、恥ずかしいことを口にできるのか。
中二男子の性欲を舐めるな、と前に言われたことがある。自分が中二の時はどうだったか。思い返しても、麺太との記憶しか出てこない。ほとんどの時間を麺太と過ごし、誰かに恋をするとか全然考えてこなくて、事故で麺太とキスをしてから、やっとそういうことを考えるようになった。
麺太が好きだ。麺太と恋人同士の触れ合いができるのは嬉しい。他の誰かと同じことをしたいとは微塵も思わない。抵抗感がある。麺太だけ、麺太だけだが、意識すると恥ずかしい。
あまり自分から求めることはなく、それで麺太が淋しがって、ああいう行動や言動をしているんだと分かるけれど、やっぱりその、照れてしまう。
もう少しゆっくり、なんて、年上のくせに情けないだろうか。
『もしもし、誰かいますか』
扉の向こうから麺太の声がする。扉に鍵はないし、麺太の性格を考えるなら、さっさと扉を開けて、布団になだれ込んできそうなものだが。
『誰かいたら、返事をしてほしいです』
「……何やってんだよ」
稲穂が返事をすると、扉の向こうで麺太が、嬉しそうに笑いだす。
『お題ね、非常口越しに会話する話にしたいなって』
「……ほーん」
『お暇ですか? お暇でしたら、少しお喋りをしませんか?』
「暇じゃねえので嫌です」
稲穂ちゃーんと情けない声を出す麺太を笑い、稲穂は布団から起き上がって扉へと近付く。床はフローリング、足音は届いているだろうか。
「……麺太」
『何?』
名前を呼んでみたものの、特に言いたいことはない。それでも急かすように、麺太が稲穂の名前を呼んでくるから、仕方なくさっき思い浮かべたことを口にしてみた。
「非常口の扉って、どのくらい重いんだろうな」
『あんまり開け閉めされないし、なんか重そうだよね。非常なんて言われてるくらいだし、気軽に開け閉めできそうな非常口ってここら辺にはなさそう。気になると試したくなっちゃう』
「迷惑になるようなことはすんなよ」
『稲穂ちゃんが焚き付けたのに。……あのさ、稲穂ちゃん』
扉の向こうからする麺太の声が、少し拗ねているように聴こえた。その後に続く言葉で、実際に拗ねているんだろうなと分かる。
『ハグだったら、いい? 今日はまだしてないよ?』
「……ハグ以上のことは?」
『……稲穂ちゃんがしたくなるまで、我慢します』
中二の、いや、麺太の性欲がどんなものか、どれだけ自分で抑えることができるのか、たとえ恋人だとしても、稲穂には分からない。
でも、分かることもあるのだ。
稲穂が恥ずかしがり、焦らしに焦らして、我慢しきれなくなった麺太が、涙目になりながら稲穂に腰を擦り付けてきて、息を荒げながら稲穂を求めてくるのがどういうタイミングか、くらいは。
そんな麺太を見て、やっと稲穂は恥ずかしさなどなくなり、麺太を押し倒して貪り始める。そして最後に言われるのだ、エンジンが掛かるのが遅すぎるって。
そんなやりとりを想像し、自然と笑みを溢して、非常口に見立てていた扉を開ける。勢いよく抱きついてくる恋人に、ああ、この瞬間が心地いい、なんて思うくせに、稲穂は絶対に、それを口には出さないのだった。
「今日もお題に苦しんでんのか?」
冷蔵庫に向かいながら、麺太の顔を見ずにそう問い掛けると、そーだよーと返事が。
「今回はね、非常口」
「非常口? 土星とピノキオよりは簡単そうな気がするな」
じゃあ書いてみてよと言われたら困るが。稲穂は麺太の小説を読む専門。書くのは麺太の担当だ。
「でもさー、思い付かなーい」
「ご苦労さん」
今日も今日とで下校中に買い物をしてきた稲穂は、冷蔵庫に食材を仕舞っていく。今夜は稲穂の父が同僚と食べてくるとのことで、父の分は作らないつもりだ。
「夜ご飯どうする?」
「稲穂ちゃんに食べられたい」
「そういうのやめろ。で、何食いたい? 下ネタは禁止な」
「先回りされたー。でも言っちゃう。稲穂ちゃんのいな」
「言わせねえよ」
本当にそれが食べたいし食べられたいのにー、とほざく麺太に溜め息を溢し、食材を仕舞い終えた稲穂は、逃げるように自室へと戻った。
稲穂ちゃん? と戸惑いの声を上げる麺太に、稲穂は何も言わなかった。扉を閉める際、やけに重く感じた。その時にふと、非常口の扉はどのくらいの重さがあるんだろうと思ったのは、麺太との会話につられてのことだろう。真っ直ぐに布団に向かうと、仰向けに寝転んだ。
麺太は、何故ああも普通に、恥ずかしいことを口にできるのか。
中二男子の性欲を舐めるな、と前に言われたことがある。自分が中二の時はどうだったか。思い返しても、麺太との記憶しか出てこない。ほとんどの時間を麺太と過ごし、誰かに恋をするとか全然考えてこなくて、事故で麺太とキスをしてから、やっとそういうことを考えるようになった。
麺太が好きだ。麺太と恋人同士の触れ合いができるのは嬉しい。他の誰かと同じことをしたいとは微塵も思わない。抵抗感がある。麺太だけ、麺太だけだが、意識すると恥ずかしい。
あまり自分から求めることはなく、それで麺太が淋しがって、ああいう行動や言動をしているんだと分かるけれど、やっぱりその、照れてしまう。
もう少しゆっくり、なんて、年上のくせに情けないだろうか。
『もしもし、誰かいますか』
扉の向こうから麺太の声がする。扉に鍵はないし、麺太の性格を考えるなら、さっさと扉を開けて、布団になだれ込んできそうなものだが。
『誰かいたら、返事をしてほしいです』
「……何やってんだよ」
稲穂が返事をすると、扉の向こうで麺太が、嬉しそうに笑いだす。
『お題ね、非常口越しに会話する話にしたいなって』
「……ほーん」
『お暇ですか? お暇でしたら、少しお喋りをしませんか?』
「暇じゃねえので嫌です」
稲穂ちゃーんと情けない声を出す麺太を笑い、稲穂は布団から起き上がって扉へと近付く。床はフローリング、足音は届いているだろうか。
「……麺太」
『何?』
名前を呼んでみたものの、特に言いたいことはない。それでも急かすように、麺太が稲穂の名前を呼んでくるから、仕方なくさっき思い浮かべたことを口にしてみた。
「非常口の扉って、どのくらい重いんだろうな」
『あんまり開け閉めされないし、なんか重そうだよね。非常なんて言われてるくらいだし、気軽に開け閉めできそうな非常口ってここら辺にはなさそう。気になると試したくなっちゃう』
「迷惑になるようなことはすんなよ」
『稲穂ちゃんが焚き付けたのに。……あのさ、稲穂ちゃん』
扉の向こうからする麺太の声が、少し拗ねているように聴こえた。その後に続く言葉で、実際に拗ねているんだろうなと分かる。
『ハグだったら、いい? 今日はまだしてないよ?』
「……ハグ以上のことは?」
『……稲穂ちゃんがしたくなるまで、我慢します』
中二の、いや、麺太の性欲がどんなものか、どれだけ自分で抑えることができるのか、たとえ恋人だとしても、稲穂には分からない。
でも、分かることもあるのだ。
稲穂が恥ずかしがり、焦らしに焦らして、我慢しきれなくなった麺太が、涙目になりながら稲穂に腰を擦り付けてきて、息を荒げながら稲穂を求めてくるのがどういうタイミングか、くらいは。
そんな麺太を見て、やっと稲穂は恥ずかしさなどなくなり、麺太を押し倒して貪り始める。そして最後に言われるのだ、エンジンが掛かるのが遅すぎるって。
そんなやりとりを想像し、自然と笑みを溢して、非常口に見立てていた扉を開ける。勢いよく抱きついてくる恋人に、ああ、この瞬間が心地いい、なんて思うくせに、稲穂は絶対に、それを口には出さないのだった。



