稲穂が帰宅すると、いつも通りソファーの足元に座った麺太が、スマホを睨み付けて唸っていた。
傍まで近寄っても、麺太は顔を上げない。稲穂は疲れたように吐息を溢し、ソファーの足元に腰を降ろした。
「……ただいま」
「……」
麺太は全く、稲穂を見てくれない。身体に触れようと手を伸ばせば、すげなく叩かれた。わりと、痛い。
「……飯は、食ったか?」
返事はないようで、あった。麺太の腹が鳴る。かなり大きい。
食っていないようだと分かり、稲穂は立ち上がると、台所に向かって冷蔵庫の中身を確認する。
今日、稲穂はファミレスに行った。──麺太を置いて。
決起集会というやつだ。
そろそろ体育祭があるということで、優勝するぞと盛り上がるクラスメイト達。結束を強める為にも、なんて建前で、結局はどんちゃん騒ぎをしたいというだけのもの。
今年もリレーの選手として選ばれていた稲穂は、他人事みたいな目を向けていたのだが、お前には特に頑張ってもらわないとなと言われ、強制的にファミレスに連れていかれた。
急に決まったことだから、麺太には何の連絡もしていない。普段は話さないくせに、いや話さないからこそ、稲穂を捕まえて話し掛けてくるクラスメイト達。長いこと拘束されたが、どうにかその手を逃れ、店の外で麺太へと連絡をすることができた。
『稲穂ちゃん、なんか帰り遅くない?』
『ちょっと学校の奴に捕まってよ、ファミレスに来てる』
『ファミレス? 次の小説のお題がファミレスなんだよね』
『タイムリーだな』
『稲穂ちゃんのご飯も美味しいんだけど、たまには稲穂ちゃんとファミレスに行きたいかも』
『じゃあ、今度行くか』
なんて、和やかに話している所に、クラスメイトの一人が稲穂の元にやってきた。
『米俵ー。誰と電話してんだよ、彼女?』
『違う』
『じゃあ、家族? 彼女はいねえの?』
『……彼女は、いない』
『あ、今フリーなの? いいこと聞いたわ。あのよ、お前のこと気になるって女子、けっこういるんだわ。今日来てる連中の中にもな。この色男がよー。羨ましいぜ。一人か二人、お持ち帰りすればー?』
『……そういうのはいらな』
『ふーん』
スマホの向こうから聴こえてきた麺太の声は、やけに冷たく聴こえた。
麺太? と名前を呼んだ時にはもう、通話は切れていた。
電話が終わったなら行こうぜと、稲穂の手を掴んでくるクラスメイトの手を振り払い、稲穂は自宅に走った。で、帰ってきたら、麺太はこの状態だと。
冷蔵庫の中には、ピーマンがあった。玉ねぎもあるしスライスチーズも。ツナ缶もストックが残っていた。麺太の好物のピーマンのツナ詰めが作れそうだ。
麺太は元々、ピーマンの肉詰めが大好きだった。だけどある時、挽き肉を買い忘れてしまい、急いで買いに行こうとした稲穂と、稲穂にどこにも行ってほしくない麺太で軽く喧嘩になってしまい、たまたまその日家にいた稲穂の父が「てか、ツナで良くね?」と言ったことで、ピーマンのツナ詰めを作ることになり、チーズも乗せたら麺太はすごい喜んだ。それ以来、ピーマンのツナ詰めが麺太の好物になった。
今回も、それを作ったら機嫌を治してくれないかと、期待を込めてピーマンと玉ねぎを切っていく。ピーマンは問題なかったが、玉ねぎを切っていく内に目が染みてきて、視界が滲んでいった。
包丁を置いて、急いで洗面台に向かった稲穂。これだから玉ねぎは、と思うが、稲穂も麺太も玉ねぎは好きだから、けっこうな頻度で調理の機会がある。いつもは対策をしているが、今日は少し怠ってしまった。
鏡に映る稲穂の顔は真っ赤。──そしていつの間にか、麺太が後ろに立っていて、声も出せずに驚いた。いつもの笑顔はそこにない。なんなら麺太は、今にも泣きそうな顔をしている。
「……稲穂ちゃんは、モテるんだね」
「……知らない。勝手に言ってるだけだろう。こんな天パの、目付きも悪い男、誰が好きになるんだよ」
「僕が好きになったじゃん。……僕じゃない人も好きになっちゃうくらい、稲穂ちゃんはかっこいいんだよ」
「んなわけ」
「──彼女、欲しい?」
麺太の丸い目から、ぽとりと涙が溢れた。
「何で、恋人がいるって、彼氏がいるって言ってくれなかったの?」
「……言う暇がなかった」
「暇があれば言ってくれた?」
「言った。彼女なんていらないとも言うから」
涙はまるで止まらない。顔をくしゃくしゃにして、稲穂に向けて手を伸ばしてくる麺太に、稲穂は応えた。
どれだけ強く抱き締めても、麺太はなかなか泣き止まない。
「めんどくさくて、ごめん。でも、いやで。いなほちゃん、ぼくの、だもん」
「……お前だって、俺のだろ?」
こくこくと何度も頷く麺太が、堪らなく愛おしい。
「他の人間の元になんか絶対行かねえから。どうしたら信じられる?」
「……じゃあ、ぼくのおねがい、きいてくれる?」
「……あ、ああ」
何言われんだろうとびくつく稲穂。麺太のお願いとは、
「あ、あーん……」
「あーん!」
ピーマンのツナ詰めをあーんして、だった。
傍まで近寄っても、麺太は顔を上げない。稲穂は疲れたように吐息を溢し、ソファーの足元に腰を降ろした。
「……ただいま」
「……」
麺太は全く、稲穂を見てくれない。身体に触れようと手を伸ばせば、すげなく叩かれた。わりと、痛い。
「……飯は、食ったか?」
返事はないようで、あった。麺太の腹が鳴る。かなり大きい。
食っていないようだと分かり、稲穂は立ち上がると、台所に向かって冷蔵庫の中身を確認する。
今日、稲穂はファミレスに行った。──麺太を置いて。
決起集会というやつだ。
そろそろ体育祭があるということで、優勝するぞと盛り上がるクラスメイト達。結束を強める為にも、なんて建前で、結局はどんちゃん騒ぎをしたいというだけのもの。
今年もリレーの選手として選ばれていた稲穂は、他人事みたいな目を向けていたのだが、お前には特に頑張ってもらわないとなと言われ、強制的にファミレスに連れていかれた。
急に決まったことだから、麺太には何の連絡もしていない。普段は話さないくせに、いや話さないからこそ、稲穂を捕まえて話し掛けてくるクラスメイト達。長いこと拘束されたが、どうにかその手を逃れ、店の外で麺太へと連絡をすることができた。
『稲穂ちゃん、なんか帰り遅くない?』
『ちょっと学校の奴に捕まってよ、ファミレスに来てる』
『ファミレス? 次の小説のお題がファミレスなんだよね』
『タイムリーだな』
『稲穂ちゃんのご飯も美味しいんだけど、たまには稲穂ちゃんとファミレスに行きたいかも』
『じゃあ、今度行くか』
なんて、和やかに話している所に、クラスメイトの一人が稲穂の元にやってきた。
『米俵ー。誰と電話してんだよ、彼女?』
『違う』
『じゃあ、家族? 彼女はいねえの?』
『……彼女は、いない』
『あ、今フリーなの? いいこと聞いたわ。あのよ、お前のこと気になるって女子、けっこういるんだわ。今日来てる連中の中にもな。この色男がよー。羨ましいぜ。一人か二人、お持ち帰りすればー?』
『……そういうのはいらな』
『ふーん』
スマホの向こうから聴こえてきた麺太の声は、やけに冷たく聴こえた。
麺太? と名前を呼んだ時にはもう、通話は切れていた。
電話が終わったなら行こうぜと、稲穂の手を掴んでくるクラスメイトの手を振り払い、稲穂は自宅に走った。で、帰ってきたら、麺太はこの状態だと。
冷蔵庫の中には、ピーマンがあった。玉ねぎもあるしスライスチーズも。ツナ缶もストックが残っていた。麺太の好物のピーマンのツナ詰めが作れそうだ。
麺太は元々、ピーマンの肉詰めが大好きだった。だけどある時、挽き肉を買い忘れてしまい、急いで買いに行こうとした稲穂と、稲穂にどこにも行ってほしくない麺太で軽く喧嘩になってしまい、たまたまその日家にいた稲穂の父が「てか、ツナで良くね?」と言ったことで、ピーマンのツナ詰めを作ることになり、チーズも乗せたら麺太はすごい喜んだ。それ以来、ピーマンのツナ詰めが麺太の好物になった。
今回も、それを作ったら機嫌を治してくれないかと、期待を込めてピーマンと玉ねぎを切っていく。ピーマンは問題なかったが、玉ねぎを切っていく内に目が染みてきて、視界が滲んでいった。
包丁を置いて、急いで洗面台に向かった稲穂。これだから玉ねぎは、と思うが、稲穂も麺太も玉ねぎは好きだから、けっこうな頻度で調理の機会がある。いつもは対策をしているが、今日は少し怠ってしまった。
鏡に映る稲穂の顔は真っ赤。──そしていつの間にか、麺太が後ろに立っていて、声も出せずに驚いた。いつもの笑顔はそこにない。なんなら麺太は、今にも泣きそうな顔をしている。
「……稲穂ちゃんは、モテるんだね」
「……知らない。勝手に言ってるだけだろう。こんな天パの、目付きも悪い男、誰が好きになるんだよ」
「僕が好きになったじゃん。……僕じゃない人も好きになっちゃうくらい、稲穂ちゃんはかっこいいんだよ」
「んなわけ」
「──彼女、欲しい?」
麺太の丸い目から、ぽとりと涙が溢れた。
「何で、恋人がいるって、彼氏がいるって言ってくれなかったの?」
「……言う暇がなかった」
「暇があれば言ってくれた?」
「言った。彼女なんていらないとも言うから」
涙はまるで止まらない。顔をくしゃくしゃにして、稲穂に向けて手を伸ばしてくる麺太に、稲穂は応えた。
どれだけ強く抱き締めても、麺太はなかなか泣き止まない。
「めんどくさくて、ごめん。でも、いやで。いなほちゃん、ぼくの、だもん」
「……お前だって、俺のだろ?」
こくこくと何度も頷く麺太が、堪らなく愛おしい。
「他の人間の元になんか絶対行かねえから。どうしたら信じられる?」
「……じゃあ、ぼくのおねがい、きいてくれる?」
「……あ、ああ」
何言われんだろうとびくつく稲穂。麺太のお願いとは、
「あ、あーん……」
「あーん!」
ピーマンのツナ詰めをあーんして、だった。



