君を描くたび恋を知る (仮)

──「それじゃあ、どうぞ」

「ありがとうございます」

僕のノートは、初めて僕以外の人の手に渡った。

ほんの数日前まで、教室の隅で一人、絵を描いているだけだったはずなのに。

放課後に誰かと過ごすなんて、来ないものだと思っていた。

それが今、目の前で起きている。
いまだに現実味が薄い。

ペラペラと、ノートのページを捲る音がする。

自分の描いた絵を見られている。
それも、ノートに描いた憧れの、本人に。

そう思うだけで落ち着かなくなり、意味もなく指先を動かしてしまう。

その時、ふとページを捲る音が止まった。

 「羽田くん、これ、誰?」

大海くんがノートを指差している。

(え?)

なんのことだろう。そう思い、ノートを覗き込む。

 「あ、」

 「え?」

 「あおい先輩だ!懐かしいな……」

そういえばこのノート、中三の終盤から、ずっと使い続けていたんだった。

絵を見ると、思い出が次々と蘇ってくる。
自分の癖も、こんな時だけは役に立つ気がした。

(また会いたいな……)

 「──あおい先輩って、誰?」

大海くんの声でハッとする。
当時のことを思い出し、一人舞い上がってしまった。

 「中学の時の、憧れの先輩なんだ。とっても優しくて、かっこよくて……」

 「ふーん。そっか」

少し不機嫌そうな顔をして、大海くんは視線をノートに戻した。

(僕、何か変なこと言った……!?)

記憶を辿ってみるが、それといったものは思いつかない。

ページを捲る音が再開する。
しばらくして、また音が止まった。

 「あ、これ俺だ」

自分の描かれたページを見ているらしい。
急に居た堪れなくなって、思わず顔を背ける。

 「ねぇ、羽田くんさ」

 「え?」

「クラスに他にも人いるのに、どうして俺だったの?」

 「どうしてって……」

(憧れだから、なんて言っていいのかな)

 「もしかして俺、クラスで一番目立ってたりした?」

答えに悩んでいると、大海くんが冗談混じりでそう言った。

 「目立ってた……し、その、」

 「ん?」

 「憧れ、っていうか、目が離せなかった、っていうか……」

(こんなこといきなり言われて、困らせちゃうかな)

 「憧れ……」

俯いていた顔を上げると、大海くんは目を瞬かせたあと、口元をゆるめた。

さっきまでの不機嫌そうな表情とは違う。
どこか照れたような、嬉しそうな表情をしていた。

(──あれ?)

 「引いてないの?」

思っていた反応と違って、思わずそんなことを聞いてしまう。

 「引くって、なんで?」

大海くんは本気で分からない、と言う顔をしていた。

 「だって……勝手に僕なんかに見られて、描かれて……嫌、でしょ?」

大海くんは少し考えるようにしてから、ノートを立てて僕に向けた。

 「こんなふうに描いてもらえて、嫌なわけないし、むしろ光栄です」

そう言って、大海くんは少し照れくさそうに笑う。

(そっか、嫌じゃないんだ)

なんだか、自分が悪いと思っていた癖を、初めて誰かに認めてもらえたような気がした。

それと同時に、大海くんになら受け止めてもらえるんじゃないか、なんて思ってしまった。

 「あの!」

ノートに視線を戻していた大海くんが顔を上げる。

 「──から……これからも描いちゃうと思う」

緊張で、言葉が喉の奥につかえてしまった。
一度、深く息を吸う。

 「憧れ、無意識に描いちゃうから、大海くんのこと、これからも描いちゃうと思う」

変えは震えていたけど、途中で止まらなかった。

(変なやつだって、思われるかな)

 「嫌だったら──」

 「いいよ」

 「え?」

 「ていうか、描いてほしい」

その言葉が、胸の奥で何度も反響した。

これまで、誰にもこの癖を見られないように隠してきた。
憧れを、無意識にノートに描いてしまうこの癖を。

それが、僕の失敗で見られてしまった。
その時はあんなに不安だったのに。

 (描いて、ほしい……)

認めてもらえた嬉しさと、少しの恥ずかしさで顔が熱くなる。


──キーンコーンカーンコーン



不意に鳴り響いたチャイムに、二人同時に肩が跳ねた。

 「そっか、最終下校……」

思っていたより、早く時間が経っていた。

 「ノート、見せてくれてありがとう」

大海くんはそう言って、ノートを閉じ、僕に差し出した。

 「こちらこそ……ありがとう」

ノートを受け取り鞄にしまう。

少しの沈黙の後、大海くんが口を開いた。

 「ノートの絵見せるの、俺が初めてだったりする?」

 「うん、そうだけど……」

 「秘密、教えてくれたんだ」

 「……うん」

どういう意味だろう。
質問の意図が読めない。

 「じゃあ、俺も」

 「え?」

(俺も、って……?)

その後は何故か、目が合うことも、言葉を交わすことも無かった。
ただ並んで歩きながら、鍵を返しに職員室に向かう。

玄関を出たところで大海くんが足を緩め、ようやく口を開いた。

 「また明日もさ、今日みたいに話そう」

 「え!?」

 「羽田くんのおかげで、俺も美術部、気になってきたからさ」

(僕のおかげって、どういう……)

 「じゃ、俺あっちだから。また明日!」

 「え、ちょっ」

引き止める間もなく大海くんは小走りで帰ってしまった。

(そんな……)

頭が、うまく追いつかない。
部活の話、あんなにしたくなさそうだったのに。

僕のおかげって?
明日も、って──

ふと浮かんだ「友達」という二文字は、慌てて首を振って消し去った。