沈黙が続く。
静かな部室に時計の音だけが響いていた。
息をする音でさえ、やけに大きく感じる。
──そのとき。
沈黙を破るように教室のドアが開き、水沢先生が入ってきた。
僕と大海くんは同時に振り向く。
「あら?あなたたち、見学に来てたのね」
先生は、大海くんの姿を見て、ほんの少し驚いたような表情をする。
「すみません、すぐ帰ります」
そう言って大海くんは少し気まずそうに帰る準備を始めた。
「ほら、行こう。失礼しました。」
「えっ、ちょっ!?荷物……」
大海くんは促すように僕の袖を引っ張り、部室から出ようとした。
「あ、ちょっと待って!!」
部室に先生の声が響いた。
「私はもう帰るけど、良かったら最終下校時間までなら部室にいてもいいわよ。」
「いえ、もう帰るので大丈夫です。」
僕は鞄に手を伸ばし、帰る支度を始める。
「じゃあ、もう少しいてもいいですか?」
(え!?)
驚いて大海くんを見る。
気づけば、なぜかまた袖を掴まれていた。
急展開すぎて頭が追いつかない。
先生は少し意外そうな顔をしてから、微笑んだ。
「分かったわ。それじゃあ、鍵は後で締めて職員室に持ってきてね。」
そう言って水沢先生は部室を後にした。
静かな部室に、大海くんと僕だけが残る。
(どうしてこんなことに……)
逃げ場のない状況に、どうしても心が落ち着かない。
誰かと二人きりになるのは、昔から苦手だった。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど…」
大海くんが口を開いた。
何を言われるのか不安で、つい身構えてしまう。
「昨日の昼、先生と話してたとき……もしかして、聞こえてた?」
頭が真っ白になった。昨日の昼、それは僕が偶然聞いてしまったあれのことだろう。
(え……気づいて、)
思ってもみなかった言葉に、しばらく反応できなかった。
息の仕方を忘れたみたいに喉が詰まる。
「ごめん。階段のところから、少し見えててさ。もしかして、聞こえてたのかなって思って」
大海くんの言葉からは、気を遣ってくれているような、決して責めるつもりのない優しさが伝わってきた。
それでも、聞いてしまっていたことを隠していた後ろめたさに耐えきれず、思わず視線を逸らしてしまう。
「えっと、その……」
僕は口を開きかけたけれど、言葉が喉につかえて出てこなかった。
昨日のことをどう説明すればいいのか分からず、結局何も言えない。
その代わりに、肯定を示すように小さくうなずいた。
すると大海くんは一息ついてから、少し安心したように微笑んだ。
「いいよ、そんな。気にしないで」
その言葉に、胸の奥に張りついていたものが、一気にほどけた気がした。
強張っていた肩の力が抜ける。
今日、初めて大海くんと目を合わすことができた。
「羽田くん、こっち。鞄置こ」
手招きされるまま机に鞄を置く。
けれど、その先どうするべきなのか分からずない。
少し迷っていると、大海くんが目の前の席を指差した。
どうやら「座って」という合図らしい。
僕はおそるおそる、椅子に腰掛けた。
「昨日の朝、話の途中で先生のところ行っちゃってごめん」
(昨日……あ、ノートのこと)
まさか、覚えているとは思っていなかった。
「いや、全然、気にしないで」
「あのさ、」
「え?」
「もしよかったらなんだけど……」
緊張で強張ったまま、次の言葉を待つ。
少しの間を置いて、大海くんが言った。
「ノートの絵、見せてほしい」
「えっ!?」
(無理無理無理っ、ノートの絵って大海くんの……それを本人に見せるなんて)
あの時は事故みたいなものだったけど、自分から見せるとなると、話が全然違ってくる。
ただでさえ二人きりの状況で生きた心地がしないのに、もし本気で拒絶されたら──
最悪の状況が次々と頭に浮かんで来た。
息を詰めるように体が硬くなる。
すると、目の前で大海くんが少しだけ身を乗り出した。
「あれ、俺の絵描いてたんだよね。良かったらもう一回、見たい……です」
緊張していた僕は、大海くんの言葉に拍子抜けしてしまった。
「嫌なら全然大丈──」
「……なんで、敬語なんですか、っふ」
つい大海くんの言葉を遮ってしまう。
笑いそうになるのを堪えきれなかった。
「だって、大海くん、僕に敬語やめろって言ってたのに」
こみ上げてくるものを抑えきれず、肩が小さく揺れる。
(あー涙出る……)
目を擦り大海くんを見ると、大海くんは一瞬目を見開き、それから、今まで見たことのないような顔で僕を見た。
(え……)
見慣れないその表情に、心臓がどくりと音を立てる。
どうしてか目を合わせていられなくて、逃げ場所を探すように僕は鞄を手繰り寄せた。 震える手で中からノートを取り出す。
「えっと……見ます、か?」
「いいんですか?」
いつもの僕だったら、今みたいな状況で会話なんてできないし、笑うなんてことはまずない。
それなのに、今は不思議と逃げ出したくならなかった。
しかも図々しいとは思うけれど、
彼の悩みを聞いてもいい存在になりたい、なんて思ってしまった。
