「……ああ、そうかい。よう分かったわ」
ここまで言われて、ようやく真希も状況を理解する。
確かに、時には体勢を立て直す間も無い内にライナーが襲うポジションがある。
それは――投手。
投球直後でよろけ、捕球する余裕も無いことも多数。
本の少女の本職が投手であったならば。先ほどのベンチでの一件も理解できる。
本を抱えて身動きの取りづらい状態で、慌てて逃げれば本を落としてしまう。
本を置いてから逃げるような時間も無い。
故に本を抱えたまま、首だけで球を避けたのだろう。
真希はバッターボックスへ入り、構える。
両者見合う。
そして――本の少女の足が上がった。
真希よりも更に洗練された、歯車のように噛み合った動き。
ダブルスピンから伝わる、捻じれ高められた力。
白球は強力なバックスピンをしながら放たれた。
球速は――百五十にも届くだろう。
恐るべき才覚。
だが、それは超野球少女の前では相手にならない。
むしろ、超野球少女にとって百五十というのは当然の数値。無論真希も対応可能だ。
タイミングを合わせ、バットをテイクバック。
愛子相手に見せた時のように、急激に風が集まる。
バットを中心に渦巻く力。風神打法、と銘打たれた真希の奥義。
「行っけえええぇぇえッ!」
絶叫。スイングが、白球を捉える――はずだった。
しかし、直前で白球は下方向に落ちる。
ボール一つ分程度だったが、直球と思い込んだ真希には苦しい変化。
負けるか、と頭の中で吐き捨て、辛うじてバットを追い付かせる。
ボールは浮き上がる。
だが、ライナー性の当たりに終わる。
仮設フェンスを直撃し、跳ね返ってくる。
真希の走塁も虚しく。
二塁打で終わる。
対して相手、本の少女は本塁打。
一巡目は本の少女の勝ちに終わる。
「……やっぱり、打たれちゃったかぁ」
二塁からマウンドへ交代に向かう真希の耳に、本の少女の言葉が飛び込む。
「何つった、今」
「いえ、何でも」
言って、本の少女はバッターボックスに向かった。
続く、二巡目の真希による投球。
変化球も織り交ぜ、厳しいコースを攻めて善戦する。
だが、本の少女は当然のように二塁打。
再び。
真希がバッターボックスに立ち、本の少女がマウンドに立つ。
ここで三塁打以上の結果を出さなければ、二本先取故に真希の敗北が決定する。
緊張していた。
真希の額を嫌な汗が流れ落ちる。
だが、同時に高揚もしていた。
思わぬ強敵。
不愉快で、胸糞悪い。
それが真希にとって、何よりも愉快。
「――すいません」
不意に、本の少女が声を上げる。
「投球フォームを変えても、問題無いですよね?」
意味の分からない質問だった。
真希は聞きながら、理解しなかった。
ただ、要求を飲む。
一刻も早い勝負を。
勝ち負けをギリギリで競る緊張感を。
一刻も早く味わいたい。
「好きにせえや!」
真希は笑っていた。
訂正などどうでもいい。
元の問題、怪我云々など些細なことだ。
一瞬を。
魂の震える一瞬を味わいたい。
敗北でも勝利でもいい。
とにかく飢えた腹を満たしたい。
煮え滾る勝負の汁を最後まで飲み込み、その熱さで内側を焼き焦がしてしまいたい。
プレートから足が上がる。
瞬間、真希は見えた。
明らかに違う。美しくない。
お上品とは到底言いがたい、踏み込みも何も無い、静かだが荒れるように引き上がる足。
まるで胸中に何かを抱えるかのように、後ろへ過剰に引っ張るリフトアップ。
オーラが見えた。
真希だけではない。
その場に居る全員が認識した。
深く暗い青。
深い海のように暗い光が筋を成し、流れる水のように少女へと集まっていく。
そして光の筋は少女を飲み込み、まるで炎の用に揺らめき、立ち上る。
巨大な青い火柱が、本の少女を中心に出来上がっていた。
そして、弾ける。
胸に抱えた力を爆発させるように。
本の少女の胸は過剰なまでに、宛ら弓のようにしなった。
肘は最後まで後方に残され――地面すれすれを掠るように、前へ弾ける。
アンダースローだった。
この腕の流れに、青い炎が巻き込まれる。
激流となった光が白球に乗り移り、低い軌道からストライクゾーンを狙って飛来。
球速はアンダースローであるにも関わらず、百五十に届こうかというほどだった。
真希も負けじと、力を開放する。
超野球少女の全霊を持って、青い炎に立ち向かう。
風神打法の強大な渦がバットを覆い、テイクバック。
白球に狙いを定め、フルスイング。
直後だった。
突如、青い光が弾ける。
刹那、奔流は上昇方向に軌道を変え、白球を乗せて立ち昇る。
変化球。
上方向への変化球が真希を襲う。
対抗して、真希もバットを合わせる。
体勢も崩れるが、空振りをするわけにも行かない。
バットに乗せうる全ての力を乗せた。
――しかし。
それでも変化に届かない。
本来なら真ん中低めに決まったであろうボールは、真希のインパクトの瞬間に至った頃には、既に高め一杯まで登っていた。
風神打法が辛うじてボールを絡めとり、ボールを飛ばすが、それも完全に死んだ打球。
ピッチャーフライとなり、本の少女が自らキャッチする。
敗北。
真希は負けた。
超野球少女であるにも関わらず。
野球部員の少女たちは驚きのあまり動けなかった。
誰一人として信じられなかった。
何よりも信じがたいのは敗北そのものよりも、本の少女。
青い光と共に放った投球はまるで――。
「それじゃあ、失礼します。怪我には気を付けて下さいね」
本の少女は言うと早く。
グラブを外し、マウンドの上に置いた。
本と一緒にベンチで待っている日佳留の元へと駆けていく。
「――ちょっと待ってくれ!」
真希は思わず呼び止める。
負けの悔しさではない。
不思議に思ったのだ。
この少女は何者なのか。一体何故、こんな力を使えるのか。
「アンタ……何者や!? 今の力、人間に出せるもんやないやろ!」
「そうですね」
本の少女は無感動に頷く。
そして、また立ち去ろうとする。
だが、真希は追いかけ、肩を抑えて止める。
「だから待ってくれやって!
アンタ、名前は何っちゅうんや。あの力は何や。教えてくれや。
それこそ何べんでも謝ったる。ボール投げろなんてもうアンタに言うたりせえへんから――」
「……手、離してもらえますか?」
本の少女は言って、無理やり真希の腕を振り払う。
帰ってしまう。
そう思った真希は、さらに引き留めようとした。
だが、本の少女は意外な行動に出た。
突如、服を脱ぐ。
上の制服だけを脱ぎ捨て、ささやかな乳房を支えるスポーツブラも脱いだ。
その背中には、掌を広げた程度の大きさで『水』の字が浮かんでいた。
先ほどの投球で見せた光と同じ色。深い青の光。
「こ、これは――」
「はい、そうです」
真希は知っていた。
これは『ある人種』であることの証。
『ある人種』は、自身の能力を示す漢字の文様一つが、身体の何処かに浮かび上がる。
他でもない、真希自身も同様の文様を右肩に持っている。
浮かび上がる条件は、力を使って野球をしている時。
「私は深水剣。剣と書いてツルギって読みます」
本の少女――剣は、憂いを帯びた表情で語る。
「見ての通り――超野球少女です」
