穏やかな気持ちだった。
剣は、ようやく光明が見えたような気がした。
己を縛る呪縛が、ようやく晴れてきたように思えた。
真希の言葉がどれほどの救いになったか。
剣は愛おしささえ感じた。
何も知らないはずなのに、ここまで背中を押してくれる。
奇妙なシンパシーが二人の間にあった。
死ね、という言葉も、この場限りでは、この上なく良い意味を持つ。
何しろ、剣の業は深い。
故に呪縛も、己の生命を懸けた戦いでなければ破れぬ。
そう。
剣の罪はこれほどまでに重い業を生む。
剣の犯した罪とは一体――。
第三球。
剣は投球に入る。
覇気がついに形となって現れる。
蒼の奔流は漠然とした流れから、集まり、一つの字を形作る。
水の字。
剣が超野球少女として背に負うもの。
巨大な青い水の字の覇気が浮き上がる。
そして、剣の身体へと。
吸い込まれるように流れていく。
肉体が耐え切れないほどの莫大な力。
傷から血が噴き出る。
だが倒れない。
剣は白球を握り、胸を反り。
低空から、白球を放り投げた。
青い力が腕をズタズタに傷つけながら、ボールへと乗り移る。
闘気が血を吸い、青に赤黒い斑となってボールを運ぶ。
どこか悲鳴のようにも聞こえる音を立て、突き進む。
バッターは、恐怖でスイングも出来ずに立ち尽くす。
魔球は龍が天に昇るかのように。
ボールをキャッチャーミットへと運んだ。
急上昇。今日一番の変化。
ばしん、と。
真希が魂の魔球を受け止める。
快音がグラウンドに響く。
直後静寂。
誰もが息を飲み、身動き一つ取らず。
結果を。
審判の判断を見守る。
ストライク。
バッターアウト。
「――剣ィイッ!!」
真希は泣きながら、必死の形相で剣の方へと駆け寄っていく。
一方、剣は限界だった。
何か抜け落ちたかのように膝から崩れ、倒れる。
意識が飛ぶ。
ゆっくりと、眠りに似た感覚が剣を包む。
その最中、感じた。
身体を縛り付けていた闇、呪縛の消滅。
これでようやく信じられる。
自分は野球に生きると。
例え罪を背負い、業に呪われていようとも、野球に生き、野球に死ねる。
命を賭した己との戦いを経て、剣はようやく、真っ白な気持ちで野球と向き合えるようになった。
そして剣の視界から何もかもが消える。
瞼の裏が白く染まる。
意識も細る。
最後に聞こえたのは、真希の呼び声。
剣、剣と。
何度も名前を呼ぶ声だった。
それも遠ざかって、剣はとうとう気を失った。
グラウンドから遠くの、深水女子高校敷地内。
ジュン、ステラ、アバドンは青い光を見た。
高く立ち上がる蒼。
「この力――間違いなく剣の力ですわ」
険しい表情でジュンが言う。
と、不意にアバドンが尋ねる。
「ジュン殿。
差し支えなければ、教えてもらえないだろうか。
以前言っていた、あのフカミツルギの罪とやらを」
言葉を受け、沈黙するジュン。
今この場で語るべきか迷う。
アバドンはさらに被せて訊く。
「ジュン殿は、フカミツルギは大切なものを奪った悪であると教えてくれた。
我々は無論、ジュン殿を信じる。
だが、だからこそ。
ジュン殿にこれほどの憎悪を抱かせる、フカミツルギの背負う罪とは何なのか。
非常に気になるのである」
「そうだよ、ジュン~?
ミーだって、大切な話は知っておきたいよ。
仲間じゃないか。
出来るなら、ジュンの背負うものを一緒に背負いたいよ」
アバドンに続けて、ステラまでが語る。
ジュンも、二人がかりの説得に折れる。
「……そうですわね。
それに、お二人には先に知っておいてもらう方が良いと思いますわ」
言って、ジュンは青い光の立ち昇る方へ向かう足を止める。
遅れてステラ、アバドンも立ち止まり。
ジュンの方を振り向いた。
「――私にはお姉様がおりました。
幼少の頃から。
いいえ、生まれた時から並んで育ってきた、魂を分けあった大切な双子の姉。
名を、ユミと言います。
弓矢の弓の字で、ユミ。
今となっては、過去を語る以外で呼ぶことの無い名です」
ジュンの言葉で。
二人は予感した。
悪い可能性。
フカミツルギが奪ったという、ジュンの大切なもの。
「お姉様も、私も、野球を愛していました。
共に野球に生きていましたわ。
中学一年のあの夏の日までは」
「……なるほど。
それは……憎いであろう」
「ええ。
ご理解頂けたようですわね」
アバドンは悟り、ジュンが真相を語るに先んじた。
また、ステラもいくらアホとは言え、理解した。
これだけの言葉を並べられたら、結論など一つしか無い。
「そうです。
剣は――あの日お姉様を殺した。
人殺しなのです」
アバドン、ステラ。
両名とも、想像を超える剣の罪を知って、言葉にならぬ脱力を覚える。
悪夢だろう。
姉の生命を奪った大罪人が、まさかその汚れた腕で白球を握っていようとは。
「さあ、行きましょう。
剣から、野球を奪うのです。
彼女の血塗られた腕に白球を握らせる訳にはいけませんもの」
語り終えると早く、ジュンは一人、蒼立つグラウンドを目指して歩き出す。
時は夕刻。
皮肉なのか、夕映えの空と浮かぶ青い闘気。
そのコントラストがとても美しく見えた。
