食堂としては開いていなかったものの、席は解放されていたため、俺は自販機で買ったホットココアを片手に、いつもの席で光平さんを待っていた。
式次第から十五分を過ぎたくらいで、光平さんはやってきた。
どうやら光平さんはどこかで花束をもらっていたらしく、小さなそれと重そうな資料を抱えて、食堂にやってきた。
まだ日が高くて、夜のイベントがあるようには、とても思えなかった。
俺は、決めていた言葉を、光平さんにかけることにした。
「卒業、おめでとうございます」
「改めて言われるもんじゃねぇけどな。普通に、単位余裕だったし」
「あはは……」
ひいひい言いながら課題をこなしていた自分としては、それを聞いてなんとも言えない気分になった。
ちょっと待っててください、と光平さんが秋口によく飲んでいたホットコーヒーを差し出した。
「卒業祝い、です?」
「……安いなぁ」
「いや、だって、たくさん荷物でしょうし」
「しかもぬるい」
「う、」
「まあ、いいか」
もうぬるくなってしまっているというのに、光平さんはかしゅっと缶を空け、横に座って、それを飲み始める。
うま、と一言漏れたのは、きっとお世辞じゃないと、信じていたい。
もうあえなくなる。
会えなくなるんなら、この話はちゃんと聞かなきゃならない。
俺は意を決して、光平さんの方に体を四十度ほど向けて、口を開いた。
「ところで、」
「ん?」
「なんであの最初に会った日、俺に気付いたんですか」
「ああ……あれか」
最後になるんなら、ちゃんと、聞かなきゃならない。
それほどまでに俺の悪評が届いていたとか、俺の雰囲気がもう兄さんから刷り込まれていたとか。
悪い方向に人気があるのなら、きちんと、これから変えていきたいと、そう思っていたのだった。
「……一応、お前だから見つけたってわけじゃない」
「え」
「ただ、見覚えがあったんだ」
光平さんが指を指したのは、俺の普段使いの鞄だった。
「お前の鞄のストラップ」
「……?」
「兄貴と一緒だろ? 龍之助が言ってたぞ。弟は何でもかんでもパクるからって」
「いや……あの、違うって言って、信じてくれます?」
それを付けていたのは、たまたま、だった。
でも、言われてみれば確かに、兄さんが好きなキャラクターもののアイテムで、別に限定とかではなく、ペットボトル飲料に付けられていたおまけだった。
「一応、同じに見えるかもしれないんですけど、別のところで買ってて、これはその……本当に偶然で」
ただ、なんとなく自分っぽくていいかなと思っていたから付けていたのだけれど、兄さんと同じとなれば話は別だ。
いそいそとストラップを取り外し、必死で弁明していた俺に、光平さんは笑い出す。
「……っ、あ、あ、そんな、わざわざっ、しなくてもっ、」
「あの、なんですか、それ……ひっどい」
「まあ……、あれだ。勘違い、か……っ、」
笑いすぎて涙まで出ていた光平さんが、さらに続ける。
「でも、おまえを探してたのは、事実」
「え……?」
「俺は、自分の内側がささくれてるのを知ってる。だから、俺を見ていない奴が近くにいるのがいいと思った。だから、伸二がちょうどよかった」
それを聞いて、俺は、非常にいたたまれなくなった。
だってそれは、確実に兄さんに異常な執着をみせていたころのそれで。
「ぶ、らこんの……くだり、ですよね……」
やっと自覚出来たこと。
光平さんと出会えて、理解出来た。
それでも。やっぱり、黒歴史というやつはあるもので、俺は思わず聞き返してしまったのだが、光平さんのほうが目を丸くして、俺を見ていた。
「あ、の?」
「お前の口から、ブラコンなんて聞くと思わなかったから」
「え」
「ふつうにびっくりした」
「そ、そうですか……」
いたたまれなくなったものの、食堂は閑散としていて、人通りもほとんどない。
入れ替わらない空気に、一歩踏み出すにも、勇気がいる状況になってしまった。
誰かが窓を開けたのか、ふわ、と風が吹き抜けて、俺の目の前を通り過ぎていく。
光平さんは、俺の髪の毛に引っかかったらしい何かをつまんで、ふうと吹いて飛ばした。
それがとても絵になっていて、俺は、思わず見惚れてしまった。
ぼうっとしていた俺に、光平さんは続ける。
「さっきの話の続きだけど」
「……」
「伸二?」
「うえ、あ、はい!」
あんまり響いてねぇなあと、光平さんは今度はクスクス笑っていた。
「俺を見てない奴を選んだはずのに、俺をずっとつけ回してきて」
「そ、うでしょうか」
「気づいたら俺の隣に居座ってて」
居座ったつもりもないが、俺が光平さんを慕っていたことは事実だ。
できるだけ一緒にいたいと考えていたことだってそう。
言葉のわりに、穏やかな声色で、光平さんは続けた。
「俺の前に立って、目も合わせてくる。想定外の連続だし、なんかしてやりたいって思ってた。それがよくなかったんだろうと思う」
「……そ、うですか?」
光平さんの言葉と表情が全然違っていて、俺は困惑し続けていた。
「ああ」
でも、なんだか、嬉しいことを言われている予感がしていて。
「昔のことがあって、俺の隣は、誰にも座らせるつもりがなかったからな」
それは大分前に解禁されていたはずだ。
隣り合ってお昼を食べることが、なんなら日課になるくらいには、俺は、一緒にいた。
つまり、それは。
「……えっと、それって」
「伸二だけだった、ここに入れたいって思えたやつ」
「……っ、そ、れは」
「いやだったか?」
「そんなわけないです! めちゃくちゃ、うれしくて、その」
兄さんでも、北野さんでも、ほかの誰でもなく。
たしかに、俺だけって言われた。だから。
「光平さん」
「ん?」
「卒業したら、もうちゃんと大人なので。そこのところよろしくお願いいたします」
「クソガキって言いたいとこだけど……まあ、あれか」
光平さんは言葉を切って、立ち上がる。
俺もつられて、光平さんの横に立った。
「なあ、伸二」
「なんですか」
一応、聞いておく、と光平さんはいたずら少年になった様子で、俺に聞く。
「兄貴と俺、どっちが好きだった?」
好きだった、は。
どう答えるのが正しいのか。
ぐっと詰まった俺を見て、穏やかに目尻を下げて、光平さんは笑いかけている。
まるで、答えなんてわかってる、とでも言いたげに。
窓を背にして立つ光平さん。ちょっと日が高くなってきたのか、毛先の輪郭だけが光っていて、きれいで。
思ったことを、俺の今を、ちゃんと言わなきゃって、思った。
「過去の好きは、全部兄さんにあげてしまったんで」
これは事実。
すり切れるまで、兄さんと共にありたいと思っていた。
でも、今は違う。
俺が、俺のままで成長して、そして、光平さんと並び立ちたい。
まだ何をしたいか、どうしたいかなんて決めていないけれど。
少なくとも今の俺は。
「これからの好きは、光平さんに、一生分あげたいです」
俺、とっても重たいでしょう?
そう首を傾げれば、手に持っていた花束から一輪、花を差し出された。
俺は力を込めないように、落とさないようにそっと、その赤い花を受け取った。
俺には花言葉なんてわからないけれど、バラやカーネーションではないことは確かだ。
きっと、こんな行為にすら、意味はあるのだろう。
「空けといてやるよ、おまえの分も」
光平さんの精一杯の強がりだって、俺は知っている。
あの日兄さんに見せていたよりも、自然でやさしくて。
俺の指先には、なにもないけれど。
「伸二。俺を光平のまま扱ってくれて、ありがとう」
そんな風に満面の笑みを浮かべてしまわれたら、俺は、それ以上何も言えないって、知らないのだろうか。
光平さんの姿が、涙でにじんで、見えなくなってしまう。
その水分をゆっくりと拭ってくれたのも、俺のがさついた指先ではなく、やはり光平さんが差し出したティッシュだった。
淡く滲んだ白を見ながら、光平さんは言う。
「卒業したし……先輩呼び、解禁してもいいけど」
「いやです。俺はずっと、光平さんって、呼びますから!」
「そうしてくれると、俺も嬉しい」
そう宣言した俺に向かって、光平さんは満足げに笑って、頭を撫でてくれたのだった。

