転生世界のフィロソフィア

 日が落ちた。

 それだけのことで、ヴェロンが変わった。朝に確認した杭も金具も蒸気管の継ぎ目も、闇の向こうへ沈んでいく。街路のガス灯が一斉に灯された。金色の炎だった。群衆の声が変わっていた。昼とは違う、一つのうねりに近づいている。

 オフィリアは要人席の端に座っていた。ネフィリムが背後に立ち、隣の席にリュシアンが外套の襟を正している。広場を埋めた数千人の頭越しに、教会の正面扉を見ていた。扉はまだ開かない。ガス灯の光が群衆の頭を金色に染めている。オフィリアは膝の上で指を組み替えた。

 「報告書の子、そろそろね」
 「はい」
 「身長は。足のサイズは。食事は何を出してるの」
 「いずれも報告にはございませんでした」

 オフィリアが振り返った。ネフィリムの顔は帽子のつばの下で暗かったが、声に申し訳なさはなかった。報告に書かなかった者への批判であって、自分への批判ではないと正確に理解している顔だった。

 「翼があるかないかより先に書くことがあるでしょうに。明日全部測るわ」

 教会の正面扉が開いた。大司教が先に立ち、群衆が自然に道を開けた。その後ろに、白いものが見えた。白い髪だった。だが白という言葉では足りなかった。ガス灯の近くを通れば橙を湛え、聖火の光が届けば淡い金に変わり、夜空を背にすれば青を含んだ。一つの色に留まらない。世界の光を全部映して、全部返している髪だった。

 きれいな子だ、と思った。それが最初だった。報告書の文面が頭にあったはずなのに、年齢不詳も翼状器官も、その一瞬にはどこかへ消えていた。ただ、火に照らされて歩いてくる少女の横顔を見て、職業でも立場でもない場所がそう反応した。

 次の瞬間、目が勝手に動いた。背中の薄い膜、歩幅、足の運び。一歩ごとの重心の揺れがなかった。人間は歩くたびに身体が左右に振れる。長い年月をかけて膝や足首がそれを覚え、癖になり、個々の歩き方になる。

 あの子にはその揺れがない。重心が先に動いて、脚が追いかけている。地面を蹴っていなかった。踏みしめてもいなかった。石畳の上を、水が傾斜に沿って流れるように歩いていた。

 「揺れないのよ、一歩も」

 小声だった。ネフィリムに向けたのかリュシアンに向けたのか、自分でも分からなかった。報告書を読んだ時は、もっと神々しいものを想像していた。光を纏って浮かんでくるか、群衆が怯えるような威圧があるか。どちらにしても、人間の骨格では出せない滑らかさで歩きながら、群衆に手を振り返す子ではなかった。

 大司教が群衆に向けて語り始めた。声は小さかったが、広場の共振板がそれを隅々まで運んだ。

 「この星にシードが降りた夜は、いつも世界が変わりました。蒸気を操る機関も、音で自然を導く音律も、聖水で傷を癒す医術も、すべてはシードたちがまるで別の星の知識を携えてくるかのように、この世界へ降ろしてくださったものです。皆様の暮らしは、その知恵の上に立っております」

 間を置いた。

 「そして今夜、新たなシードがここにおります」

 大司教の手が少女の肩に添えられていた。ガス灯の光の下で、大司教の頬が白かった。顔色ではなく、色そのものが薄い。朝の巡回では会っていない。最後に顔を合わせたのはいつだったか。あの時もこんな色をしていただろうか。今夜は降臨祭だ——それ以上は追わなかった。だが目は覚えていた。

 「この子の名はフィロソフィア。知恵を愛する者。イデア様より賜った名です」

 広場が揺れた。歓声というには深く、祈りというには熱かった。数千人の声が重なり、名前が波のように伝播した。

 フィロソフィア。ソフィ。

 縮められた音がどこかで生まれ、広場の反対側まで渡るのに三拍もかからなかった。拍手が起こり、足が石畳を踏み鳴らし、広場全体が一つの歓喜のうねりになった。

 ソフィはその歓声の中に立っていた。怯えているようには見えなかった。むしろ一人一人の顔を見ようとするように首を動かし、そのたびに白い髪の色が変わる。誰かが手を振れば小さく手を振り返す。ソフィが笑うと人々が笑い、人々が笑うとソフィがもっと笑う。

 「思ってたのと違うわね」

 独り言だった。声に出したつもりはなかったが、出ていた。隣でリュシアンが頷いた。だがリュシアンの目はソフィの笑顔ではなく、背中の膜を見ていた。ガス灯の光に透けた膜の色を、測るように。

 ふいに、ソフィの手が止まった。群衆の端の方を見ている。オフィリアがその視線の先を追った。縫い縮められた袖の男が、周囲と同じように笑おうとして、泣いていた。ソフィの目があの男から離れなかった。数千人の歓声の中で、一人だけ泣いている男を見つけて、そこから動けなくなっている。手を伸ばしかけて、止めた。届かない距離だった。

 オフィリアの腰が浮いた。椅子の肘掛けに手をかけて、立ちかけていた。自分でも気づかなかった。

 「オフィリア様」

 ネフィリムの声は低かった。制止ではない。名前を呼んだだけだった。オフィリアは腰を下ろした。無意識に指が、肘掛けを掴んだまま白くなっていた。

 「——分かってるわよ」

 声が掠れていた。分かっている。今は座っている時間だ。だが座っていることが、こんなに難しい夜は初めてだった。

 大司教がソフィの肩に手を置いた。ソフィは顔を上げ、また笑った。群衆の歓声が戻った。