転生世界のフィロソフィア

 聖火灯台の裏手で蒸気重機が唸っていた。

 鎖の先にセフィラートの大枝が吊られている。世界樹から切り出された祭具で、今夜の聖火灯台の頂部に据えて燃やす。ただし薪のように火を入れるのではない。この世界の空気にはクオリアと呼ばれる物質が満ちている。それ自身が微かな揺らぎを抱えた粒子で、普段は目に見えずただ漂っている。

 だがセフィラート由来のものに触れると引き寄せられ、内部に凝集していく。世界樹の枝も、広場に敷かれた共振板も、根は同じだった。

 音律はその揺らぎに方向を与える技術だった。火も風も水も、クオリアの揺らぎの現れ方が違うだけだ。弦と管と声が音階を設計し、凝集したクオリアの揺らぎを燃焼へ傾けた時、初めて聖火が灯る。音だけでは足りない。器だけでも足りない。両方が噛み合って初めて現象になる。

 その炎で大枝が燃え、群衆の想いが一つに束ねられた時、空気が感応して光の結晶を降らせる。天華と呼ばれるものだった。降臨祭の最大の見どころだ。枝の断面から乾いた鉱物質の匂いが漂い、蒸気弁が開くたびに白い蒸気が噴き、大枝がゆっくりと空へ上がっていく。金具が噛み合う音がして、歓声が上がった。

 その歓声の輪から少し離れた場所に、見覚えのある大柄な男が立っていた。

 「オフィリア様。おはようございます」

 リュシアンだった。仕立ての良い外套に磨かれた靴。外套の下には聖水医術の飢餓に備えて蓄えた厚い肉がある。太っているのではない。資産家の贅肉とも違う。この男は自分の身体すら資本として設計している。現場の人間ではなかった。

 オフィキナ工業区に資本を集中させ、プロメニウム蒸気機関の量産化を牽引してきた実業家だった。今あの大枝を吊り上げた重機も、彼の資本がオフィキナに建てた工房から出たものだった。 

 「リュシアン。朝から現場?」

 「大枝の据え付けを見届けに。私が競り落としたものですから、最後まで見届けないと気が済まなくて」 

 穏やかに笑った。厳つい体躯に似合わない、人当たりのいい笑い方だった。目が細くなり、声が柔らかくなる。だが相手に踏み込ませない距離は保っている。

 作業をしていた親方が汗を拭きながら駆け寄ってきた。

 「収まりましたぞ、リュシアン様!しかしこの重機のおかげですな。去年までは人力で三日かかった作業が、半日ですわ。プロメニウム蒸気機関様々です。オフィキナがなければこうはいかなかった」

 「いやいや、機関を作ったのはオフィキナの職人たちですよ。私はただ金を出しただけです」

 謙遜の形をしていたが、否定はしなかった。

 親方が頭を下げて現場に戻る。リュシアンの目がその背中を追った------のではなかった。背中を通り越して、灯台の頂部に据えられたばかりの大枝に止まっていた。放出口の口径、枝の固定角度、基部からの高さ。笑みは残ったまま、目だけが別の作業をしている。

 「あんたの会社が作ったくせに、他人事みたいに言うのね」

 オフィリアが横から刺した。リュシアンの目がオフィリアに戻った。戻った瞬間、笑みの温度が合わせ直された。継ぎ目は見えなかったが、合わせ直したこと自体は分かった。オフィキナ工業区に資本を集中させ、プロメニウム蒸気機関の量産化を牽引してきた男だ。コレギウムの蒸気医療機器もこの男の資本で動いている。

 リュシアンの右手が外套の内側に入って、何かを書き留める動きをした。手帳の角が布地の下でわずかに膨らんでいる。視線はオフィリアに向けたまま、指だけが動いていた。

 「では、今夜の降臨祭で」
 「ええ。今夜」

 オフィリアは会釈して歩き出した。ネフィリムが半歩後ろに付いた。
 数歩歩いてから、オフィリアが言った。

 「手帳、見たでしょ」
 「はい」
 「あたしと話しながら書いてたわね。何を書いてた?」
 「分かりかねます」

 それだけだった。深くは追わなかった。今日は巡回が先だった。