「……これは、一体どういうことだよ」
応援席に戻った俺は、レーンに隣り合わせで並ぶ、二人の男を見て目を丸くする。無理もない。借り物競争の最後の組に、聖と賢人が並んでいたからだ。
「遅かったな伊丹、凄いことになってるぜ」
「借り物競争は、全学年をランダムに振り分けるんだけどよ、あの二人が戦うところなんて、もう見られないんじゃないか?」
プログラム表を手渡され、改めて目を通してみる。すると確かに、借り物競争の最後の組に、賢人と聖の名が並んでいた。百メートル走で一位を取った二人の勝負となると、周りが注目するのも頷ける話だった。
「ねえやばい、二人とも格好良すぎない?」
「只木賢人くんって格好いいし、運動神経もいいし、もう最高よね」
「それを言うなら聖くんもよ」
「お題が『好きな人』だったらどうする?」
周りの女子生徒が黄色い歓声をあげている。当の本人たちは相変わらず互いを睨んで、威嚇するように黒いオーラを滲ませているが、俺自身、試合の行方に興味津々だった。
海のごとく澄み渡った青空の下で、今、白熱した試合が始まる。
位置について。
スターターの声が響くと、グラウンドから声が消えた。皆の視線が走者に集まる。俺も目が離せなかった。呼吸をするのも忘れて、この一瞬を見逃さないよう、全ての視線がそこに注がれた。興奮と期待に包まれた空間は、辺りの体温をじわじわと高くする。
よーいドン!
ピストルの音を合図に、観客は激しい歓声を轟かせた。走り出す選手のなかで、明らかに頭ひとつ先を進むのは、やはり聖と賢人だった。赤いハチマキと黒いハチマキが、動作に合わせてしなやかに揺れている。互いが互いに嫌悪しながら、敵意丸出しで走っているのが分かった。
「おいおい、あの二人やばすぎるだろ」
「百メートル走のときより速くなってないか」
「借り物競争だってこと分かってるんだろうな」
「このままカード引かずにゴールするんじゃないか」
「なんだこれ、すげえ戦いだな。もしかしてあの二人、知り合いなのか」
競技は確かに白熱していた。だが、いくら賢人の運動能力が高いとは言え、ひとつ上の学年である聖には敵わなかったらしい。後半になるにつれ二人の間に差ができるようになり、ついには聖の独走状態になった。
やがてカードが並べられた場所に辿り着く。聖は目の前のカードに手を伸ばすと、躊躇うことなくそれを引いた。
「聖くんのお題、なんだろうね」
「こっち見ないかなあ」
「私、聖くんになら借りられたい!」
女子生徒の熱をこもった声を聴きながら、俺は静かに競技を見守る。やがて追いついた賢人もカードを引き、お題を確認しているようだった。借り物競争は、お題に書かれた要求をクリアしない限り終わらない。
二人は一体どんなお題を引き当てたのだろうか。俺はその場で腕組をすると、考え込むように足元を見つめた。
「えっ、ねえやばい」
だから周りの女子生徒が、そこまで騒ぐ理由が、初めのうちは分からなかった。
「ど、ど、どうしよう」
「ちょっと嘘でしょ! 夢でも見てるのかしら」
「ねえ待って、信じられないんだけど」
どうしたんだ。まさか怪我人が出たんじゃないだろうな。我に返るように目を大きくして、俺は素早く顔を上げた。だがこの視界が捉えたのは、グラウンドに倒れ込む人影でも、ましてや白熱する試合の様子でもない。
「累、僕と来て」
俺に向かって手を伸ばしたのは、それはそれは美しい、銀色の髪を持つ男だった。
※
「お、俺?」
俺を借りに来た聖の姿は、全速力で走ったあととは思えないほど、落ち着いているようだった。それよりも、鼓膜が破けるほど叫び騒いでいる周りの声がうるさくて、俺ですら動揺を忘れてしまう。
「累じゃなきゃ駄目だから、累を借りたい」
「いや別にいいけど……どんなお題なんだよ」
「なんだと思う?」
「なぞなぞしてる場合か」
競技そっちのけで、俺を借りることに必死になっている聖が不思議で、ふと辺りを見渡してみた。するとどうだろう。
「麦わら帽子を被ってる方、居ますか?」
「無遅刻無欠席の生徒! そんな偉い生徒が居るなら、手を上げてくれ」
「なべ!? 何だよこのお題。なべ持ってる人なんて居るわけないだろ」
「くそ、校長センセーってどこだよ。居ねえじゃねえか」
なかなかに難易度の高いお題が揃ったらしく、生徒たちは苦戦を強いられているようだった。賢人はお題が『校長先生とゴール』だったらしいが、どうやらその校長が見当たらないようだ。トイレにでも行っているのだろうか。苛立ちを含んだ表情で、カードを握りしめる賢人が見えた。
なるほど。これなら確かに、なぞなぞをしている余裕すらありそうだ。お題を見て一直線に俺の元へやって来たということは、俺に関連するお題だったに違いない。
「ねえ累、なんだと思う?」
「まあ、そうだな。足が速い、とか」
「それはそうだけど、ハズレだよ」
「唐揚げが好きな奴とか」
「ハズレ」
「まさか……口が悪いやつ?」
「それもハズレだよ」
思いついたものから言ってみるが、どれも不正解のようだった。なら一体、どんなお題なのだろう。分かり兼ねて首を傾げると、聖は小さく目元を緩めた。「好きな人」
「は」
「お題、『好きな人』だったから」
「え」
その瞬間、周りにいた生徒全員が、ガラスが割れるほどの大声をあげた。中には泣いているものも居れば、嬉しそうに口元を抑えている者もいて、何が何だか分からなくなる。周りの熱に誘導されるように、顔が一気に熱くなった。多分いま、俺の顔は茹タコみたく赤くなっているに違いない。そんな俺とは対照的に、聖は優しく笑って手を伸ばした。
「僕に借りられてよ。累」
聖が俺を好きだなんて、そんなの全く、知らなかった。いきなりのことで理解が追いつかず、俺は「あ」、だとか「う」、だとか、日本語かも分からない言語を発してたじろぐ。そんな俺に追い打ちをかけるように、聖は真剣な声色で言った。
「累と出会って、薄暗かった人生が変わった。毎日が楽しくて、輝いて見えるようになった。もっと近くで、累が笑っているところを見たい。僕が累を幸せにしたい。一緒に笑って、歳を取りたい」
もはやプロポーズに近い誘いに、ますます頭が混乱する。こんなのまるで告白だろ、と心の中で叫んでいると、案の定、周りにいた生徒の誰かが「こんなの告白じゃない」と歓喜の叫びをあげたから驚いた。
俺の目の前には、差し出された聖の手がある。お題が何なのか知ってしまった以上、その手を取るということは、つまり、聖の言葉を受け入れることと同義じゃないか。そう思った途端、身体がますます熱くなって、心臓が破裂しそうなくらい、激しく脈打つのが分かった。指先がみっともなく震えて、恥ずかしさのあまり視界も滲んだ。
「お、俺は……」
ふと、聖の言葉が頭に浮かぶ。
──累は昔から真面目で、努力家で、自分の恐怖と向き合ってまでクラスに貢献しようとするような、強くて優しい人だよ。
俺がずっと欲しかった言葉を、躊躇うことなく言ってくれたのは、紛れもない聖だった。
──僕も累が居たから変われた。あのときからずっと、累に会いたいと思って生きてきた。
俺の弱さを受け入れて、それでも傍に居てくれたのだって。
──もっと近くで、累が笑っているところを見たい。僕が累を幸せにしたい。一緒に笑って、歳を取りたい。
「累、だめ?」
「だ……だめじゃない」
周囲の歓声が最高潮に達した。恥ずかしさのあまり顔が赤くなって、顔をあげることができない。振り絞るように発した言葉を受け取ると、聖は優しく俺の手を取った。
「累……可愛い。ありがとう。もう一生離さないからね」
その瞬間、ふわりと体が宙に浮いた。何が起きたのか分からず、混乱する俺の耳元で、聖は穏やかに囁いた。「ちゃんと僕に掴まって」
途端に視界が動き出した。なんと俺は、聖にお姫様抱っこをされる形で、持ち上げられていたのだ。観客から黄色い歓声と驚きがあがる。しかし聖は俺の身体を引き寄せたまま、何食わぬ顔でゴールへ向かった。
「お、おい。なんでお姫様抱っこすんだよ」
「僕を受け入れてくれてありがとう」
「話聞いてんのか?!」
「嬉しい。これからも累の傍に居させてね」
疲れを感じさせない冷静な声が鼓膜を揺らす。顔をあげると、心底嬉しそうに頬を緩ませる、綺麗な男と目が合った。銀色の髪が揺れている。聖は俺を抱きかかえたまま、ゴールテープを一番に切った。結果はぶっちぎりの一位だった。
「おまえ……ほんとに」
「今日はたくさん累に触れられた。嬉しいから、もう身体は洗わないよ」
「いや洗えよ、汚ねえから」
「ねえ累、ライバルが多いけど、僕、どんどんアタックするから。これから覚悟してね」
「え」
「かわいい。好きだよ累。ぜったい夢中にさせる。だからずっと、僕だけを見ていてね」
歓声の中、聖は俺を抱きかかえたまま、そう言って不敵な笑みを浮かべる。太陽の光に照らされたその顔は、どんなに綺麗な絵画よりも美しく、それでいて格好良かった。
恋は盲目、とはよく言ったものだ。聖の笑顔に反応するように、俺の心臓は高鳴っていた。
[完]
