イケメン転校生はなぜか俺を離さない

 
 「き……恭介」
  開いた口が塞がらない。中学で起きたあの事件以来、俺たちは互いに顔を合わせることなく卒業した。恭介がどこの高校に行ったかなんて知らなかったし、もう会うこともないだろうとさえ思っていた。なのに、どうして。
 「俺いま、隣街の高校に通ってて、今日ここへは友達に誘われて来たんだ。この高校の体育祭は毎年盛り上がりが凄いって聞いてたから……あ、俺、体育祭実行委員になったから、それで」
  柔らかい栗色の髪と、爽やかな笑顔は相変わらずだった。恭介は俺を引き止めるように腕を掴んだまま、長々と自分の話をした。
  まるで建前を語っているような。本音を話すタイミングを伺っているような。そんな、俺の様子を探る雰囲気があるから嫌だった。「午前の部からずっと居たんだけど、恥ずかしい話、累に気づいたのは百メートル走の後だったんだ。でも相変わらず、累は足が速いんだな。凄かった。なんだか昔を思い出したよ」
 「……昔?」
  中学時代のことを言っているのだろう。ある日突然に俺を避け、その後も一切話そうとしなかった恭介が、どうして今さら昔のことを語り出すのか。過ぎたことは水に流そうと言うつもりなのだろうか。久しぶりあった友人の真意が分からなくて、俺は警戒せずにはいられない。聖と出会ってようやく、過去のしがらみを忘れられたのに、また振り出しに戻ったような絶望を感じた。
 「部活の時も、累は誰よりも足が速かっただろ。合宿で山を走った時なんて、道も分からないのにどんどん進むから、迷子にならないか心配だったんだ」
  優しげな声で言葉を発するのに、俺の腕を掴む手は強かった。逃げられないようにとでも思っているのか、獲物を捉えたハンターのような、執着を込めた瞳を感じて、背筋がゾッと震えるのが分かった。これは、中学の時から知っている目だ。恭介はいつも穏やかで、誰に対しても優しい性格だった。けれど一緒にいる機会が増えれば増えるほど、恭介はこうやって、俺の前でしか見せない表情を、ふとした時に浮かべるようになった。その理由は分からないが、分からないからこそ、怖くもあった。
  ──累。
  頭の中で声が響いた。俺の名前を呼ぶ、聖の声だ。恭介を前に抱いていた薄暗な感情が、あっという間に浄化されていく気分だった。借り物競争はまだ前半を終えておらず、聖の出番まで時間があった。
 「……なあ恭介」
  聖は、俺に救われたと言った。けどそれは俺だって同じだ。過去のトラウマに縛られていた俺を、いとも簡単に救い出してくれたのは、間違いなく聖だった。あいつの言葉が、笑顔が、いつだって俺を安心させてくれる。「あの時どうして、俺を無視したんだ」
 「え」
  俺の腕を掴んでいた恭介の指先が、僅かに震えるのが分かった。瞬きを忘れた瞳には、明らかな動揺が浮かんでいる。
 「……安心しろ。昔の話を掘り返して、責めようなんてこれっぽっちも思ってない。ただ単純に知りたいんだ。何も知らないまま、昔みたいに仲良く話したいとは思えねえから」
  久しぶりに見た恭介は、中学の頃と何も変わっていなかった。俺に対して向けられる視線は優しいけど、触れる指先は沸騰したお湯のように熱い。恭介はときどき、自分でも理解していないまま突然、カーッと顔を赤らめたり、執着を含んだ目を向けたりしてくることがある。俺を無視するようになった時だって、触れた身体はやけに熱かった。
 「……ごめん。謝っても許されないのは分かってる。俺は、最低なことをした」
  恭介は俺の手を掴んだまま、過去の自分を悔やむように目を伏せた。その表情に嘘偽りはなく、心から思っているように見えた。「こんなこと言い訳だと思われても仕方がないと思うけど、俺は……俺は累が嫌で避けたんじゃない。むしろ、その、俺はずっと──」
 「あれ、先輩じゃないすか」
  恭介の言葉を遮る形で、その声は響いた。視線を向けると、黒いハチマキを頭に巻いた、賢人の姿がそこにはあった。「何してんすか、そんなところで」
 「いや、賢人こそ……おまえ、借り物競争に出るんじゃなかったのか?」
  恭介との話も忘れて、俺は目の前に立つ賢人と向き合う。競技はもう始まっているというのに、こんなところで何をしているのだろう。するとどうだろう。賢人を見つめる俺をよそに、肝心の本人は、どこか別の場所を見ていた。
 「……なんすかこの人、また累先輩の知り合いですか。随分と仲がいいんすね」
 「あ」
  賢人の視線を辿ると、恭介に掴まれたままの腕に気がついた。俺はなんだか気まずくなって、慌ててその腕を振り払う。昔の友人と過去のことで言い争う場面なんて、後輩に見せるものではないと思ったからだ。「中学の同級生で、たまたま会っただけだっての。それより賢人はどうしてここにいるんだよ」
 「出番がまだまだだったので、トイレに行って来たんです。俺、待つのはあんまり好きじゃないんで」
 「おまえな……」
 「というか先輩、パン食い競走やばかったですね。転ばないように忠告したのに、まさか転ぶとは思いませんでした」
  恭介のことが見えていないのか。賢人はいつもの無表情を少し緩めて、楽しげに話をしてくるから驚いた。「あーでも、百メートル走は格好良かったですよ。曲者ぞろいだったでしょうに。正直に言うと惚れ直しました」
 「百メートル走で圧勝したおまえに言われるなんて、光栄だな」
 「あ、見ててくれたんすね。あざす」
  賢人が口元にうっすらと笑みを浮かべる。相変わらず不良少年のような雰囲気を纏っていながら、俺を見つめる目は優しかった。「それはそうと、累先輩。俺が今から出る借り物競争の話ですけど」
 「累?」
  次から次へと、今日は声を掛けられてばかりだ。誰かと思い振り返ると、そこには赤いハチマキを片手に、銀色の髪をなびかせて歩く聖が居た。おまえまで、どうしてここに。俺はぽかんと口を開いて、それからすぐに我に返る。
 「ひ、聖! おまえ借り物競争はどうした」
 「教室にハチマキ忘れたから、取りに行ってた。それより、この人たち誰?」
  聖が恭介と賢人を見る。その目はいつもの優しいものとは打って変わって、どこか敵意剥き出しの、警戒を含めたものだったから心配になる。
 「初めまして。累と同じ中学出身の朝川恭介です。よろしく」
  重苦しい空気の中で、構わず声を出したのは恭介だった。太陽に照らされた栗色の髪が、黄金色に輝いて見える。社交的な性格は変わっていないらしい。本心を隠した優しい笑顔に、俺は何も口を出せない。
 「あー誰かと思えば、さっき俺から先輩を取ってった転校生じゃないすか。ちゃんと挨拶してやったのに、もう忘れたのかよ」
 「覚えてない」
 「は? うぜー」
  こちらはこちらで、賢人は口元に不気味な笑みを浮かべると、挑発するように聖を見た。しかし当の本人は挑発に乗ることもなく、平然とした様子で言葉を返している。
 「累、応援席まで送るよ。累に変な虫がつかないよう、僕に守らせて」
 「おい、聞こえてんだけど。そんなことより累先輩、俺の話を聞いてくださいよ」
 「累の周りは、相変わらず賑やかな人が多いんだな。中学のときを思い出すよ」
  俺を囲むようにして、三人の男がにらみ合いをする。頭上で火花が散っている気がして、俺はたまらず溜息を吐いてしまう。誰がどう見てもピリピリとした不穏な空気に、どうすればいいか分からなくなっていた。
 「只木賢人! 神内聖! 何してるんだおまえたちは! 早く競技に戻らんか」
  遠くから怒声が飛んできたのはそのときだった。聞き覚えのある声がすると思えば、俺たち二年二組の体育を担当している教師だったから驚いた。どうやら先生が、借り物競争の進行担当を行っているらしい。
 「……くそ、タイミング悪すぎだろ」
  隣で賢人の舌打ちが聞こえた。さらには聖も、明らさまな溜息を吐いている。この場を離れたくないと言わんばかりの顔で、二人は渋々歩き出した。
 「が、頑張って来いよ!」
  どう声をかけるべきか分からなくて、俺はとりあえず声援を送ることにした。すると二人は足を止め、俺を振り返って目を丸くした。そして小さく、頬を緩ませた。似ているのか似ていないのか。急に機嫌を取り戻した二人は、互いを睨みながらグラウンドへ戻って行った。その堂々とした背中が見えなくなるまで、俺はその場を動かなかった。
 「……やっぱり累は人気者だな」
  隣から聞こえた声にはっとする。賢人と聖の登場で意識が逸れていたが、大事な話をしていたのを思い出した。「中学の頃もそうだった。累の周りにはいつも人がいて、無邪気に笑うおまえを見ると、嬉しい反面、悲しくなったんだ」
 「は?」
 「累が笑っているのは嬉しい。けど、俺以外の誰かがおまえを笑顔にするのは嫌だった」
 「……何言ってんだよ? 恭介」
  栗色の髪が風に吹かれて穏やかに揺れる、だけど、髪の奥にある恭介の瞳は、どこか濁っているように見えるから、変だと思った。
  こんな顔をするやつだっただろうか。会わない間に変わったのか、あまり見慣れない恭介の表情が新鮮で、不思議に思わずにはいられなかった。
 「さっきの続きを話させてくれ」
  恭介は不意にこちらを見やると、呆然と佇む俺の手を取って、真剣な表情で告げた。「俺はたぶん、累のことが好きだった。出会った時からずっと。ずっと」
  その瞬間、過去に恭介と交わした言葉が、これまで感じていた違和感が、パズルのピースが合わさるように、みるみる埋まっていく感覚を覚えた。
 ──累、あのさ。
 ──累って誰か、好きな人、いる?
 ──好きな人? 俺が?
 ──いや、ごめん。何でもないんだ。
  過去の記憶が断片的に浮かび上がる。言われて始めて、これまでの恭介の行動理由が、何となく察せた。
 「……それで避けたってのかよ」
 「ごめん。あのとき俺は、この気持ちがバレて、累に拒絶されるのが怖かった。自分のことしか考えてなかった」
  俺の手を取ったまま、恭介は頭を下げた。栗色の後頭部が見える。「許してもらおうなんて思ってない。でもずっと、累に会って、謝らないとと思ってたんだ」
  確かに繋いでいると思っていた手が、なんの前触れもなく振り払われるのは、それなりにしんどいことだった。それだけで一気に不安になって、何かしてしまったのではと焦って、見つからない答えを探して苦しんだ。
  今までの俺だったら、謝る恭介の手を振り払って、罵詈雑言を浴びせて、それから周りの目を気にしたに違いない。誰も信用できなくて、どんな言葉も嘘に思えて、すべてを拒絶したに違いない。けど。
  ──前向きになれたのも、頑張ろうって思えたのも全部、累のおかげだったんだよ。
  聖と出会って、過去を思い出して、俺は改めて一歩を踏み出す勇気をもらった。だから。
 「……なあ恭介」
 「分かってる、累があのときどれだけ辛い思いをしたか。何も出来なかった……いや、何もしなかった俺は、本当に最低だった」
  頭を下げる恭介の肩を掴んで、目線を合わせる。この機会を逃せば最後、昔の話をすることはないだろうと、そう思った。だから言うことにした。
 「俺の方こそ、おまえの気持ちに気づいてやれなくて、ごめんな」
 「……え」
 「恭介が俺に『好きな人いるか』って聞いてきたとき、たぶん俺は、あんまり深く考えてなかったと思う。おまえの異変に気づいてたはずなのに、何もしなかったのは俺も同じだ。あと……みんなの前で殴ったのも。ごめん」
  頭を下げる俺を見て、恭介がどんな顔をしたかは分からない。だが少なくとも、驚いて、さーっと顔を青くして、慌てて首を振ったのは分かった。
 「違う。累は何も悪くないよ。おまえが謝る必要なんてないんだ」
  言い聞かせるように言ってきた。グラウンドの方では歓声が響いていて、借り物競争も終盤に差し掛かっているのが伝わる。
  あんなに怖かった周りの目は、実は何の驚異でもなかった。俺はあの日から、何に対しても臆病になって、マイナスに捉えて、前を向くことを諦めていた。だけど変わった今なら、また違う一歩を踏み出せるんじゃないかと、そう思った。
 「ならよ……また話そうぜ」
 「え」
 「おまえが嫌じゃないなら、また話そう。たわいもない話をして、バスケもして、昔みたいに笑えればいい」
 「……そんな都合のいい話、駄目だよ。だって俺は、まだ」
 「恭介、高校でもバスケやってるのか?」
 「う……うん、まあ一応は」
 「へえ。ならどんくらい強くなったか、今度勝負しようぜ。負けた方がアイス奢りな」
  楽しみだ。学校が終わる度に、恭介と二人でバスケをしていた昔を思い出して、自然と口元が緩む。俺は恭介の肩を叩くと、唖然とする友人に向かって、満面の笑みで手を振った。「それじゃあ、またな」
  燦々と地を照らす太陽の元を、堂々と歩く。小さくなっていく俺の背中を、恭介がどんな顔で見ていたかは分からない。
 「……累、おまえは本当に、優しすぎるよ」
  グラウンドでは、赤いハチマキと黒いハチマキが、互いを見つめて睨み合っていた。
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