俺の隣の彼と、彼の隣の俺

 乃木が所属事務所を通していじめ事件についてコメントを発表した。
 内容は俺に話したこととほぼ同じだった。
 いじめた側ではなかったが、知っていながら助けてあげられなかったことに対して謝罪をする内容だった。
 これで被害者や世論、仕事関係者が納得するかはわからなかったが、俺は乃木に対して拍手をしてあげたかった。

「やっぱりね。乃木大吾がいじめなんてするわけないのよ。私の目が狂っているわけないもん。そうでしょ、潮。クラスでも人気者だよね?」

 姉さんはあれほど裏切られたと騒いでいたのに、この発表を読んで一転擁護に回っている。
 ホントに勝手なもんだ。
 俺は乃木と親しく話したことは姉さんには言っていない。
 別に友達になったわけでもなかったから。

🔸🔸🔸

 この発表があった後でも相変わらず乃木は学校には来ていない。
 勝ち組グループも乃木のことについて大声で話すこともなくなった。
 既に乃木がクラスに居ないことが普通になっている。

 ただ、毎週水曜日の放課後の音楽室には乃木は現れる。
 俺が来るのを常に待ち構えていて、ルーティンワークのように既に一ヶ月続いている。

 乃木は自分から進んで話すタイプではないことがわかった。
 常にグループ内で話題の中心にいると思っていたけど、聞き役が得意だと言う。
 俺は乃木に質問されるまま答えているが、どうでもいい話でも興味深く聞いてくれることが不思議だった。
 俺の事をフツーって言うけど、乃木の方がよっぽどフツーだ。

「ああ、柳な。体育祭でのヒーローだろ」
「そう。あの時あの瞬間だけ注目されるの。ある意味羨ましい」
「え? 野田も注目されたい欲求あるんだ? 意外―」
「違うよ。注目して欲しいわけじゃなくて得意分野っていうか何かそういう才能が欲しいなって」

 俺は極々平凡な人間として生きていくことに不満はないが、秀でている才能がある人間が羨ましいとも思っている。
 柳の身体能力も乃木のモデルとしてのオーラも。

「……でも野田は人の琴線に触れるのが上手いじゃん。それもある意味才能だよ」
「きんせん?」
「おお。俺がいじめ問題に向き合えたのもお前の助言があったからだし」
「そうなのかな……今振り返ってもエラそうな事言っていたなって恥ずかしい」
「確かにな、すげーエラそうだった」

 乃木はいじわるく言いながら笑っている。
 
「もういい加減、授業に出れば? 卒業できなくなるぞ」
「卒業はいいかな……俺、学校辞めるかも」
「ホントか? いつ?」

 まさか学校を辞めることまで考えているとは思わなかった。
 そんなにあのクラスに戻るのは嫌なのか?

「海外で暮らそうかなって思っていてさ。俺、欧米での仕事も多いから。この際パリかロンドンに移住するのもありかなって思って。事務所とも相談している」
「すげー! やっぱり住んでいる世界が違い過ぎる……。でも羨ましいな。この年で既にやりたいことや目指すことが決まっていてそれをものに出来るチャンスがあるって」

 十八歳でモデルとして世界を相手にするなんて、こんな極々平凡な自分からしたら夢のまた夢の世界だった。

「……野田はなんでここでピアノ弾いているんだ? しかも週1回だけ」
「え……うん」
「音大目指しているとか? でもだったら毎日鬼のように練習するよな」

 痛いところを突かれた。
 乃木は聞いてこないかと思っていたけど……

「マンションに引っ越す時にピアノが置けなくて手放したんだ。ピアノはただの趣味で音大とかそういう道に進む気は無かったけど、いざ無くなったら寂しくて、だから週1でここで弾かせてもらっている」
「……ホントに音大目指していないのか?」
「……中学の時は目指していた。ピアノ奏者になりないなって。習っていた先生にも才能あるっておだてられてその気になっていたけど、お父さんがピアノでは将来食べていけないから趣味にしておけって言われて。それぐらいの時に例の親友のことがあって。その子と同じ先生に習っていたから、顔合わせたくなくて結局俺が辞めた」

 色々なことが重なった時だった。
 あのまま習っていたら音大目指せたのかはわからないけど、でもあの選択肢しかその時はなかった。

「俺の父親がプロの演奏家だって話したじゃん。親父もさ、相当苦労してプロになったらしいよ。それこそ普通の大学に4年行って、結局音楽の道が諦められなくて音大に入り直して。ただでさえ周回遅れなのに卒業してからの就職先も決まらなくて、アルバイトしながら交響楽団やそういうところのオーディション受けて、受かった時には三十五歳だったってさ。俺は既に生まれていたらしい」

 意外だった。俺はもっと超エリートな演奏家を想像していた。

「だから俺には好きな事や得意なことを見つけたら即やれって言っていて。この機会に海外行くって話も親父は大賛成でさ。」
「へー、すごい理解があるんだね」
「……野田もピアノ好きなら諦めるなよ。まあウチの親父みたいな苦労はしないに越したことはないけどさ、でも諦めない精神だけで結果的にはプロにはなれたわけだから。自分で自分の可能性を閉じることだけはするなよな」

 乃木の言葉に鼻がツンとした……
 油断すると涙が出そうになる。
 俺は自分で自分の気持ちを封印していたことに気づかされた。

「っていうか、ヘンだよなー。野田と居ると何でも話せている自分が」
「あのグループ内ではこういう話はしなかったのか?」
「あそこは承認欲求の塊だらけでさ。いかに他の奴らよりも優れているかってことばかりに執着している感じ。そこで俺は持ち上げられてヘラヘラしていたわけ。絶対表で言っていることと裏で言っていることは違うだろうなってわかってはいたけど、それに乗っていれば悪くは思われないだろうなって守りに入っていた」
「なんか疲れそう……」
「でも今回の件であいつらの本当の姿が見えたから、離れる良い機会だったなと思うよ。こうやって本音で話せる奴と友達になれたし」

 乃木はそう言いながら俺の肩を叩く。
 俺は素直に嬉しいと思っていた。
 全く交わることが無いと思っていた相手と友達になれたことが。

「向こうに行ってもお前に連絡するから。無視すんなよ」
「暇だったらね」
「お! なんか強気に出るようになったなー。いいじゃん」
 
 二人で笑ってしまった。

「何か聴きたい曲ある?」
「うーん……愛の夢」
「リストか……いいね」

 餞別にはまだ早いけど、俺たちそれぞれが目指す未来へのエールにしたかった。