乃木が帰った後、三十分ぐらい弾いて学校を出た。
なんだか落ち着かなくて、集中できなくて切り上げてしまった。
人の調子狂わせて迷惑な奴……
そんなことを思いながら家に着きドアを開けると、姉さんがすごい剣幕で俺に向かって来た。
「ちょっと潮! これどういうこと? クラスで騒ぎになっていなかった?」
いきなりスマホの画面を見せられたけど何を言っているのかわからない。
「待ってよ。今靴脱ぐから」
「もうショックでショックで!! ねえ、どうしたらいいのよー潮―」
姉さんがわけもわからず叫んでいる。
ホントにこういうところウルさ過ぎる。
俺は姉さんの後に付いてリビングに入った。
「お帰り潮。今日は早かったわね」
お母さんが夕飯のしたくをしている。
「うん。ちょっと早めに切り上げた」
「そんなことはいいから。これよ! これ!」
姉さんから見せられた画面には乃木大吾の文字が表示されたネットニュースが。
「え? どういうこと?」
「だからあ。乃木大吾が中学生の時に同級生をいじめていて、その被害者が今になって暴露しちゃったの! で、炎上しているのよ!!」
「ホントに?」
炎上ってこのことだったのか!
「学校で騒がれていなかった? 本人は学校へ来ていた? 潮、どうなのよ!」
姉さんは俺の腕を掴んで揺さぶるが何と答えていいのかわからなかった。
「乃木は今日学校へは来ていなかったよ。先生も何も言わなかったし。っていうかそれ本当のことなの?」
「ホントでしょ! だってもうニュースでもSNSでもあっちこっち出ちゃっているし。ショックよー。あの顔で同級生をいじめてたってしゃれにならないじゃん」
あのデカさとあの常に不機嫌でいるような顔つきでいじめられたら確かにたまったもんじゃない。
けど本当なのかな……
乃木とは今日初めて話しただけで彼の性格や素性は何も知らないけど、同級生をいじめている姿は想像が出来なかった。
「もう、さっきから渚はウルさいから静かにしなさい! ご飯出来たからほら運んでちょうだい」
「お母さん、私の気持ちもわかってよー」
お母さんと姉さんがモメている中、俺は自分の部屋に入るとあらためてネットニュースを読んでみた。
中学二年の時に乃木と同じクラスになった同級生と名乗る男子高校生からの暴露だった。
隣の席になり、給食に出た牛乳をかけられたり、残飯を机の中に入れられたり、わざと足を伸ばして転ばされたり、配られたプリントを隠されたりして不登校になったという話だった。
正直、行為自体は受け取る側によってはこの年齢であればふざけ半分ですることだと思うかもしれないが、やられた側からすればすべてが恐怖だ。
その気持ちはよくわかる。
俺自身はいじめられたりはしなかったけど、その行為を見て見ぬふりをして親友と決別した過去がある。
傍観者もいじめた側と同じだ。
ずっとそのことを教訓としている。
この暴露が事実かどうかは調査中とあるが、モデル活動自体は当分自粛すると記事には書いてあった。
果たして乃木は学校に来るのだろうか……
あの騒いでいた勝ち組グループと今までのようにつるむのだろうか……
🔸🔸🔸
結局あの記事が出た日から乃木は学校へは来ていない。
それについて担任からの説明もなかった。
今まで乃木と同じグループにいた勝ち組はここぞとばかりに乃木の悪口を言っている。
友達だったはずなのに、あんなに豹変できるものなのか?
正直、怖いなと思った。
俺は誰も座っていない隣の席に目をやる。
中学の時に隣の席の同級生をいじめたとあったけど、今の俺の席になるのか。
時と場合によっては俺もいじめの対象となったのかな?
放課後、音楽室へ向かう。
先週はいきなり乃木が登場してビビったっけ……と思い出しながらドアを開ける。
流石に今日は居ないだろうと思っていたけど……
「よお、遅いじゃないか。待ちくたびれたよ」
いた! 乃木がいた!
「……学校休んでいるんじゃないの?」
「まあな……授業に出る気はねえけど、お前のピアノを聴きにきた」
何を考えているんだ、こいつ……
「先週言っただろ、毎週聴きに来ていいかって。お前拒否しなかったから来た」
乃木が少し照れたような顔をする。
不機嫌な顔か、勝ち組たちと大笑いしている顔しか見たことがなかったから新鮮だった。
こいつも普通の高校生なんだ。
「なんだよ、なんか言いたいなら言えよ」
「別に……聴きたいなら聴いていてもいいけど。そんなに上手くないのになんでかなって思っただけ」
「そうか? お前十分上手いと思うけどなあ」
「音楽の何がわかるんだよ」
「わかるよ。だって俺の親父プロの演奏家だもん」
「え?」
知らなかった。
乃木のお父さんは音楽家なのか?
「だったら、余計に俺の下手くそさがわかるだろ。なんだよ、バカにしているだけかよ。そんなに人の事下に見ていて楽しいのかよ。だから人のこと平気でいじめるんだな!」
自分でもここまで言うつもりはなかった。
プロの演奏家の父親と比べられている自分がみじめに思えて、つい嫌味を言いたくなってしまった。
乃木は無表情のまま聞いている。
その表情から何を考えているのか読むことは出来ない。
「……いじめるか……まあ、そうだよな」
乃木が諦めたような顔でつぶやく。
俺は何を言うべきかわからず、ピアノに向かうとおもむろに鍵盤に指を乗せた。
――バッハのインヴェンション No.8
軽快で明るい曲だけど、今の気まずい雰囲気には合っている気がしていた。
小学生で覚えさせられた曲でも指は覚えている。
たった1分で自分の気持ちは落ち着いた。
「ごめん……わざわざ言うことじゃなかった」
俺は背後に立っている乃木に身体の向きを変えると謝った。
乃木の父親が演奏家だからと言って俺をバカにしているわけではないかもしれないと考えを改めた。
「いいよ。今はその話題しかないもんな」
「……だから学校休んでいるのか?」
「……どうせあいつらが好き勝手な事言っているだろうなって思って。俺の事叩く絶好のチャンスだろうし」
乃木は知っていたのか……
「でも仲間だろ?」
「仲間? うーん仲間って何だろうな? 一緒につるんでバカ騒ぎすることなのか、俺たちは他の奴らとは違うってマウント取り合うことなのか、陰で居ない奴の悪口を言い合うことなのか、わかんないな」
「でもそういう渦中にいただろ、乃木は。中心っていうか」
「……外野からはそう見えているんだ」
「うん……」
ずっと立って話していた乃木が椅子を持ってくると俺と向き合って座った。
ただ足を組んでいるだけなのに、普通に格好良い。
やっぱり勝ち組なんだ。
「野田は誰ともつるんでないよな。かといって殻に閉じこもっているようにも見えないし。なんかフツーでいいよな」
「え? 俺の事なんでわかるの?」
「隣の席にいるんだからそれぐらい見えるだろ」
乃木の意外な言葉に驚く。
絶対モブの俺の事なんて目の端にも入ってないと思っていた。
「誰ともつるまず、我が道を行ける奴って本当に強い人間なんだと思う」
乃木が俺を見ながらきっぱりと口にした。
「……俺は強いわけじゃないよ。ただ人付き合いが面倒くさいだけ。相手の調子に合わせるのが苦手」
「でも嫌でも合わせている方が自分を守れるって思う場合もあるじゃん。少なくとも嫌われないで居られるかなとか。そういう計算をしながら生きていくのは確かに面倒だけどな」
俺はつるんでいる連中が乃木に合わせているように見えていたけど、実際は違うってことなのか?
「でも乃木と仲良くなりたいって思う人は多いんじゃない? 有名人だし」
「でもお前はそうは思っていないだろ?」
「俺の事は別にいいよ……」
「つまり有名人だろうが何だろうが、人をそういう物差しでは見ていないってことだよな。それってつえーよ、最強だよ」
俺は褒められているのか嫌味を言われているのか判断がつかなかった。
乃木と話しているとどこまでが本音なのかよくわからない。
っていうか、どうしてこんな話をしているのだろう……
「……野田にこんな事言っても意味ないけどさ、俺はいじめてはないんだよな、実際。まあ、今さら言ったところで証明出来るものもないし。やっぱりいじめられた側の発言の方が信ぴょう性高いし、世論もそっちに肩入れするじゃん」
「反論する気はないのか?」
「ムリ、ムリ。この手の話題って絶対的に弱者の味方なわけよ。しかも一方がそこそこ名が売れているとさ。だから手立てはないまま、こうやって隠れているわけ」
乃木が本当にいじめていたのか、いないのかはわからないが開き直っている態度が俺をイラつかせる。
「そういう、何でも自分はわかっているっていう、格好つけている態度が良くないんじゃないのか。反省しろとかそういうことじゃなくて、なんか……上手く言えないけどもっと素直になったほうがいいよ!」
声に力が入ってしまい、乃木も驚いている。
俺自身そんなに熱く語るつもりはなかったけど、乃木の態度が面白くなかった。
どうしてまだ二回しか話したことが無い人を相手にこんなにムキになっているんだろう。
「そっか……確かにそうだな。格好つけている場合じゃないよな。じゃあ野田はどうしたらいいと思うか聞かせてくれよ。率直な意見を」
「え……それは」
急な返しに戸惑う。
でも乃木は真剣な顔を向けてくる。
「……本当じゃないならそれを言うべきだし、ちょっとでも心当たりがあるなら被害者に謝るべきだと思う。手遅れにならないうちに」
「手遅れって?」
俺はいじめ問題で親友と縁を切ることになった経緯を乃木に話したくなった。
今まで誰にも話したことが無い……親にも先生にも友達にも。
「俺は中学生の時に親友がいじめられているのを知っていながら助けてあげなかった。見て見ぬふりをして、親友が俺に訴えてきても軽く流して、先生にも親にも言わなかった。いじめという事実を学校側もいじめていた奴らも認めなかった。唯一、それを知っていた俺が証言すればすべては変わったはずなのに。俺は逃げた……。自分がいじめられるのが怖くて。結果的に親友は他の中学に転校していった」
傍観者もいじめた側と同罪……
「……それ以来人とはつるまないようになった。仲良い友達も作らないし、極力当たり障りの無い話をするだけ。これは強いんじゃないよ、自分で防御壁を作っているだけ。また同じようなことが起こらないように逃げているだけ」
俺は生まれて初めてずっと心の中に仕舞い込んでいた本音を乃木に対して話していた。
真剣な顔で聞いていた乃木の口元がゆるんだ。
「すげーな、野田は。ちゃんと過去を通して今の自分を客観的に話せるってすごいよ。そっかそうだよな……」
乃木は何かを確信したようにうなずいている。
「そ、そんな大した話じゃないけど?」
「嫌、野田の立場がまさに俺だからさ」
「どういう意味?」
「……俺はいじめた側じゃなくてそれを知っていながら知らないふりをした側。野田と同じく助けてあげなかったんだよ」
「え? じゃあ、あの暴露は」
「いじめられた側からしたら、いじめた側も見て見ぬふりした側も同じだろ。そういうことだよ。同罪として俺は暴露されたってこと」
乃木が俺と同じ立場だった。
直接手を出したわけではないけど、助けてもあげなかった。
「当時俺はモデルとして仕事を始めた時期だったから、なるべく目立つことはしたくなかった。俺がいじめのターゲットになる可能性は高いと思っていたから。だから隣の席で嫌がらせをされているのも知っていたし、見ていたけど何もできなかった」
「それなら余計に反論すべきだろ! こんな嘘の話を流されて……有名人だからっておかしいよ」
「反論も何もないんだよなー。あの時助けてあげられなくて申し訳ないという気持ちしかない」
乃木の諦めたような表情を見つめる。
反論ではなく謝罪。
確かに当事者に対してはそれしかないけど……
「でも第三者側の受け取りは違うだろ。だからそこはハッキリさせておいたほうがいいんじゃないの?」
「そっかな……」
「うん。俺は乃木の仕事の事はよくわからないけど、関係する人が大勢いるならその人たちに対しては説明したほうがいいと思う。だって乃木を信頼して一緒に仕事しているんだろ?」
「……お前、良い事言うな!」
乃木が豪快に笑うので俺も釣られて笑ってしまった。
何の共通項もないはずだったのに、心の中の一番痛い部分で共感しあってしまった。
「リクエストしていい?」
「え? 曲?」
「そう」
「俺が弾けるのならいいけど……」
「英雄ポロネーズ! イケそう?」
「うん、イケる!」
俺はピアノに向き合うと息を整え、指を鍵盤に落とした。
なんだか落ち着かなくて、集中できなくて切り上げてしまった。
人の調子狂わせて迷惑な奴……
そんなことを思いながら家に着きドアを開けると、姉さんがすごい剣幕で俺に向かって来た。
「ちょっと潮! これどういうこと? クラスで騒ぎになっていなかった?」
いきなりスマホの画面を見せられたけど何を言っているのかわからない。
「待ってよ。今靴脱ぐから」
「もうショックでショックで!! ねえ、どうしたらいいのよー潮―」
姉さんがわけもわからず叫んでいる。
ホントにこういうところウルさ過ぎる。
俺は姉さんの後に付いてリビングに入った。
「お帰り潮。今日は早かったわね」
お母さんが夕飯のしたくをしている。
「うん。ちょっと早めに切り上げた」
「そんなことはいいから。これよ! これ!」
姉さんから見せられた画面には乃木大吾の文字が表示されたネットニュースが。
「え? どういうこと?」
「だからあ。乃木大吾が中学生の時に同級生をいじめていて、その被害者が今になって暴露しちゃったの! で、炎上しているのよ!!」
「ホントに?」
炎上ってこのことだったのか!
「学校で騒がれていなかった? 本人は学校へ来ていた? 潮、どうなのよ!」
姉さんは俺の腕を掴んで揺さぶるが何と答えていいのかわからなかった。
「乃木は今日学校へは来ていなかったよ。先生も何も言わなかったし。っていうかそれ本当のことなの?」
「ホントでしょ! だってもうニュースでもSNSでもあっちこっち出ちゃっているし。ショックよー。あの顔で同級生をいじめてたってしゃれにならないじゃん」
あのデカさとあの常に不機嫌でいるような顔つきでいじめられたら確かにたまったもんじゃない。
けど本当なのかな……
乃木とは今日初めて話しただけで彼の性格や素性は何も知らないけど、同級生をいじめている姿は想像が出来なかった。
「もう、さっきから渚はウルさいから静かにしなさい! ご飯出来たからほら運んでちょうだい」
「お母さん、私の気持ちもわかってよー」
お母さんと姉さんがモメている中、俺は自分の部屋に入るとあらためてネットニュースを読んでみた。
中学二年の時に乃木と同じクラスになった同級生と名乗る男子高校生からの暴露だった。
隣の席になり、給食に出た牛乳をかけられたり、残飯を机の中に入れられたり、わざと足を伸ばして転ばされたり、配られたプリントを隠されたりして不登校になったという話だった。
正直、行為自体は受け取る側によってはこの年齢であればふざけ半分ですることだと思うかもしれないが、やられた側からすればすべてが恐怖だ。
その気持ちはよくわかる。
俺自身はいじめられたりはしなかったけど、その行為を見て見ぬふりをして親友と決別した過去がある。
傍観者もいじめた側と同じだ。
ずっとそのことを教訓としている。
この暴露が事実かどうかは調査中とあるが、モデル活動自体は当分自粛すると記事には書いてあった。
果たして乃木は学校に来るのだろうか……
あの騒いでいた勝ち組グループと今までのようにつるむのだろうか……
🔸🔸🔸
結局あの記事が出た日から乃木は学校へは来ていない。
それについて担任からの説明もなかった。
今まで乃木と同じグループにいた勝ち組はここぞとばかりに乃木の悪口を言っている。
友達だったはずなのに、あんなに豹変できるものなのか?
正直、怖いなと思った。
俺は誰も座っていない隣の席に目をやる。
中学の時に隣の席の同級生をいじめたとあったけど、今の俺の席になるのか。
時と場合によっては俺もいじめの対象となったのかな?
放課後、音楽室へ向かう。
先週はいきなり乃木が登場してビビったっけ……と思い出しながらドアを開ける。
流石に今日は居ないだろうと思っていたけど……
「よお、遅いじゃないか。待ちくたびれたよ」
いた! 乃木がいた!
「……学校休んでいるんじゃないの?」
「まあな……授業に出る気はねえけど、お前のピアノを聴きにきた」
何を考えているんだ、こいつ……
「先週言っただろ、毎週聴きに来ていいかって。お前拒否しなかったから来た」
乃木が少し照れたような顔をする。
不機嫌な顔か、勝ち組たちと大笑いしている顔しか見たことがなかったから新鮮だった。
こいつも普通の高校生なんだ。
「なんだよ、なんか言いたいなら言えよ」
「別に……聴きたいなら聴いていてもいいけど。そんなに上手くないのになんでかなって思っただけ」
「そうか? お前十分上手いと思うけどなあ」
「音楽の何がわかるんだよ」
「わかるよ。だって俺の親父プロの演奏家だもん」
「え?」
知らなかった。
乃木のお父さんは音楽家なのか?
「だったら、余計に俺の下手くそさがわかるだろ。なんだよ、バカにしているだけかよ。そんなに人の事下に見ていて楽しいのかよ。だから人のこと平気でいじめるんだな!」
自分でもここまで言うつもりはなかった。
プロの演奏家の父親と比べられている自分がみじめに思えて、つい嫌味を言いたくなってしまった。
乃木は無表情のまま聞いている。
その表情から何を考えているのか読むことは出来ない。
「……いじめるか……まあ、そうだよな」
乃木が諦めたような顔でつぶやく。
俺は何を言うべきかわからず、ピアノに向かうとおもむろに鍵盤に指を乗せた。
――バッハのインヴェンション No.8
軽快で明るい曲だけど、今の気まずい雰囲気には合っている気がしていた。
小学生で覚えさせられた曲でも指は覚えている。
たった1分で自分の気持ちは落ち着いた。
「ごめん……わざわざ言うことじゃなかった」
俺は背後に立っている乃木に身体の向きを変えると謝った。
乃木の父親が演奏家だからと言って俺をバカにしているわけではないかもしれないと考えを改めた。
「いいよ。今はその話題しかないもんな」
「……だから学校休んでいるのか?」
「……どうせあいつらが好き勝手な事言っているだろうなって思って。俺の事叩く絶好のチャンスだろうし」
乃木は知っていたのか……
「でも仲間だろ?」
「仲間? うーん仲間って何だろうな? 一緒につるんでバカ騒ぎすることなのか、俺たちは他の奴らとは違うってマウント取り合うことなのか、陰で居ない奴の悪口を言い合うことなのか、わかんないな」
「でもそういう渦中にいただろ、乃木は。中心っていうか」
「……外野からはそう見えているんだ」
「うん……」
ずっと立って話していた乃木が椅子を持ってくると俺と向き合って座った。
ただ足を組んでいるだけなのに、普通に格好良い。
やっぱり勝ち組なんだ。
「野田は誰ともつるんでないよな。かといって殻に閉じこもっているようにも見えないし。なんかフツーでいいよな」
「え? 俺の事なんでわかるの?」
「隣の席にいるんだからそれぐらい見えるだろ」
乃木の意外な言葉に驚く。
絶対モブの俺の事なんて目の端にも入ってないと思っていた。
「誰ともつるまず、我が道を行ける奴って本当に強い人間なんだと思う」
乃木が俺を見ながらきっぱりと口にした。
「……俺は強いわけじゃないよ。ただ人付き合いが面倒くさいだけ。相手の調子に合わせるのが苦手」
「でも嫌でも合わせている方が自分を守れるって思う場合もあるじゃん。少なくとも嫌われないで居られるかなとか。そういう計算をしながら生きていくのは確かに面倒だけどな」
俺はつるんでいる連中が乃木に合わせているように見えていたけど、実際は違うってことなのか?
「でも乃木と仲良くなりたいって思う人は多いんじゃない? 有名人だし」
「でもお前はそうは思っていないだろ?」
「俺の事は別にいいよ……」
「つまり有名人だろうが何だろうが、人をそういう物差しでは見ていないってことだよな。それってつえーよ、最強だよ」
俺は褒められているのか嫌味を言われているのか判断がつかなかった。
乃木と話しているとどこまでが本音なのかよくわからない。
っていうか、どうしてこんな話をしているのだろう……
「……野田にこんな事言っても意味ないけどさ、俺はいじめてはないんだよな、実際。まあ、今さら言ったところで証明出来るものもないし。やっぱりいじめられた側の発言の方が信ぴょう性高いし、世論もそっちに肩入れするじゃん」
「反論する気はないのか?」
「ムリ、ムリ。この手の話題って絶対的に弱者の味方なわけよ。しかも一方がそこそこ名が売れているとさ。だから手立てはないまま、こうやって隠れているわけ」
乃木が本当にいじめていたのか、いないのかはわからないが開き直っている態度が俺をイラつかせる。
「そういう、何でも自分はわかっているっていう、格好つけている態度が良くないんじゃないのか。反省しろとかそういうことじゃなくて、なんか……上手く言えないけどもっと素直になったほうがいいよ!」
声に力が入ってしまい、乃木も驚いている。
俺自身そんなに熱く語るつもりはなかったけど、乃木の態度が面白くなかった。
どうしてまだ二回しか話したことが無い人を相手にこんなにムキになっているんだろう。
「そっか……確かにそうだな。格好つけている場合じゃないよな。じゃあ野田はどうしたらいいと思うか聞かせてくれよ。率直な意見を」
「え……それは」
急な返しに戸惑う。
でも乃木は真剣な顔を向けてくる。
「……本当じゃないならそれを言うべきだし、ちょっとでも心当たりがあるなら被害者に謝るべきだと思う。手遅れにならないうちに」
「手遅れって?」
俺はいじめ問題で親友と縁を切ることになった経緯を乃木に話したくなった。
今まで誰にも話したことが無い……親にも先生にも友達にも。
「俺は中学生の時に親友がいじめられているのを知っていながら助けてあげなかった。見て見ぬふりをして、親友が俺に訴えてきても軽く流して、先生にも親にも言わなかった。いじめという事実を学校側もいじめていた奴らも認めなかった。唯一、それを知っていた俺が証言すればすべては変わったはずなのに。俺は逃げた……。自分がいじめられるのが怖くて。結果的に親友は他の中学に転校していった」
傍観者もいじめた側と同罪……
「……それ以来人とはつるまないようになった。仲良い友達も作らないし、極力当たり障りの無い話をするだけ。これは強いんじゃないよ、自分で防御壁を作っているだけ。また同じようなことが起こらないように逃げているだけ」
俺は生まれて初めてずっと心の中に仕舞い込んでいた本音を乃木に対して話していた。
真剣な顔で聞いていた乃木の口元がゆるんだ。
「すげーな、野田は。ちゃんと過去を通して今の自分を客観的に話せるってすごいよ。そっかそうだよな……」
乃木は何かを確信したようにうなずいている。
「そ、そんな大した話じゃないけど?」
「嫌、野田の立場がまさに俺だからさ」
「どういう意味?」
「……俺はいじめた側じゃなくてそれを知っていながら知らないふりをした側。野田と同じく助けてあげなかったんだよ」
「え? じゃあ、あの暴露は」
「いじめられた側からしたら、いじめた側も見て見ぬふりした側も同じだろ。そういうことだよ。同罪として俺は暴露されたってこと」
乃木が俺と同じ立場だった。
直接手を出したわけではないけど、助けてもあげなかった。
「当時俺はモデルとして仕事を始めた時期だったから、なるべく目立つことはしたくなかった。俺がいじめのターゲットになる可能性は高いと思っていたから。だから隣の席で嫌がらせをされているのも知っていたし、見ていたけど何もできなかった」
「それなら余計に反論すべきだろ! こんな嘘の話を流されて……有名人だからっておかしいよ」
「反論も何もないんだよなー。あの時助けてあげられなくて申し訳ないという気持ちしかない」
乃木の諦めたような表情を見つめる。
反論ではなく謝罪。
確かに当事者に対してはそれしかないけど……
「でも第三者側の受け取りは違うだろ。だからそこはハッキリさせておいたほうがいいんじゃないの?」
「そっかな……」
「うん。俺は乃木の仕事の事はよくわからないけど、関係する人が大勢いるならその人たちに対しては説明したほうがいいと思う。だって乃木を信頼して一緒に仕事しているんだろ?」
「……お前、良い事言うな!」
乃木が豪快に笑うので俺も釣られて笑ってしまった。
何の共通項もないはずだったのに、心の中の一番痛い部分で共感しあってしまった。
「リクエストしていい?」
「え? 曲?」
「そう」
「俺が弾けるのならいいけど……」
「英雄ポロネーズ! イケそう?」
「うん、イケる!」
俺はピアノに向き合うと息を整え、指を鍵盤に落とした。


