俺の隣の彼と、彼の隣の俺

「知っていた? 乃木が炎上しているらしいぜ」
「マジか? あいつ何したんだよ」

 教室に入るとクラスの中で何人かが騒いでいた。
 乃木という名前が聞こえたけど、俺の隣の席の乃木のこと?
 騒いでいるのはクラスの中でも目立つ背が高くイケメン揃いのグループ、いわゆる勝ち組の奴らだ。
 でも、あのグループの中心は乃木のはずなのに……

「野田おはようー」
「おはよう」

 高校一年から同じクラスの柳に声をかけられる。

「何? またあの勝ち組の奴らが騒いでいるのか?」
「なんかそうみたいだよ」

 柳も俺と同じ地味で目立たない組に所属している。
 とは言っても、実際は陸上競技が得意でいつも体育祭の時期だけ注目を集める季節労働者みたいな立ち位置だけど。

「なんか乃木って聞こえたよ」
「この乃木?」

 柳は俺の隣の席を指さす。
 教室では五十音順に席が決まる。
 おのずと「乃木」と「野田」は横や縦で並ぶことになる。
 それが俺はずっと嫌だった。

「今日はまだ来ていないんだ……っていうか今日も休みか?」
「さあな。俺、興味ないし」
「まあ、俺たちとは住んでいる世界が違うし」

 苦笑いをしながら柳が自分の席に戻った。
 柳が言った通りだ、住む世界が違い過ぎる。
 乃木はモデルとしてファッションショーや雑誌、CMにやたらと露出している。
 特に高校二年からは海外のファッションショーに出ることが多く、その時期は学校も休みがちだ。
 私立で比較的校則もゆるい高校ではあるけれど、出席日数が足りなくならないのかと要らぬ心配をしてしまう。
 ただ、いわゆる「イケメン」という顔立ちではない。
 ファッションやおしゃれ、流行なものに興味が無い俺から見ても乃木の顔は個性的だ。坊主に近い短髪で背が高く顔が小さく、切れ長の目は何かを睨んでいるようでちょっと怖いなと思う。
 二歳違いの大学生の姉さんはそこがクールで格好良いと言っていた。

『潮、乃木大吾と同級生とかどんだけツイている星の下に生まれたのよ。絶対仲良くなって家に連れてきてよ。毎日スマホで写真も撮って送ってよ、わかった?』

 姉さんには半分脅されているけど、とてもじゃないがそんなこと出来るわけがない。
 同じクラスになって既に半年経ったけど、隣の席に居るのにまともに顔も見たことないし、もちろん口なんて聞けるわけがない。
 あいつから見たら俺はただのモブだ。
 恐らく名前も知らないだろうし、顔だってクラスの集合写真で見つけられないだろう。

 騒いでいた奴らの大爆笑が聞こえた。
 俺以外の他の生徒も怪訝そうな顔をする。

「乃木も終わったな……まあ、調子乗るとこういう結果ってことだな」
「お前、大親友とかアピっていたくせに冷たいな」
「炎上したくないもん。同じ扱いされたくないだろ」
「いやーどうすんだろ、これから」
「知らねー。どうでもいいよ」

 彼らの会話が丸聞こえだった。
 わざと大きな声でクラス中に聞こえるように話している。
 フレネミー……
 思わずその言葉が頭に浮かんだ。
 友達と言いながらマウント取り合い相手を陥れ自分を優位に立たせようとする。
 今聞こえた会話だけで決めつけるのは違うけど、あれだけ仲良く一緒に騒いでいた仲間だったはずなのにと思ってしまった。
 
🔸🔸🔸

 結局、乃木は学校には来なかった。
 俺はまったく交わったことがないくせに妙に乃木の事が気になってしまう。
 急に友達との関係性が変わる辛さを味わった身としては他人事だとは思えなかった。
 そんなことをぼんやり思いながら放課後、音楽室に向かう。
 今日はピアノが好きなだけ弾ける日だ。

 音楽室のドアを開け、電気をつける。
 ブレザーを脱ぐとグランドピアノの前に立ち鍵盤蓋を開ける。
 今日のこのモヤモヤした気分に合う曲は……と棚にある楽譜を探す。

「これだ!」

――ガーシュインのプレリュード第2番

 どっちかというと雨の日に聞きたい曲だけど、でも今日の気分にはマッチする。
 俺は無の状態で鍵盤に向かう。
 何も考えずにただ音符を追い指を動かすと曲に合わせて自然と気持ちも乗ってくる。
 無我の境地。
 大して上手くはないけど、ピアノに向かっている時だけ本当の自分を表現出来ている気がする。
 たった3分弱の恍惚。
 指を止めると、いきなり拍手が聞こえて驚く。
 誰かが居る!

「な、なに?」

 俺はビビって思わず声を上げてしまった。
 入ってきたときは人影を感じなかったし、閉めたドアが開く音もしなかった。
 どういうことだよ!

「お前、ピアノ上手いんだな」

 いきなり背後から声がして椅子から飛び上がってしまい、腿を鍵盤下に思いきり打ち付けた。

「痛いっ!」
「おい、大丈夫か?」

 声の主が俺に近づいてきた。

「乃木!?」

 俺の隣の席の乃木だった……
 え、今日学校休んでいたよな?

「おお、乃木。野田だよな? 俺の横の席の」

 え? 俺のことわかるの?

「驚かすつもりなかったんだけどさ、まさかいきなりピアノ弾かれるとは思っていなくて。ゴメン、そんなにビビると思わなかった」

 そう言いながら笑っている乃木をまじまじと見上げる。
 相当デカい……
 170センチの俺と比べると20センチぐらい差がありそうだ。

「な……なんでいるんだよ、ここに」
「ここ、俺のねぐら。授業さぼりたい時にいつも使っているんだよ。知らなかった?」

 知るはずない。だいたいここは音楽室であって寝る場所じゃない!
 って言うべきなのかな……

「お前、ピアノ上手いんだな。ちょっと感動した。放課後いつも弾いているのか?」

 乃木が俺に質問をすること自体ヘンな感じがする。

「いつもじゃないよ。水曜日だけ。この日は音楽系の部活の練習が無い日だから申請すれば使っていいことになっている」
「へー。水曜なのか。じゃ知らないや。俺、水曜はすぐ帰るし」
「っていうか、勝手に入って寝ていて怒られないの?」
「うん。怒られた事ねーや。そういえばなんでだろ……」

 それはお前が勝ち組だからだろ。
 学校の中でのヒエラルキーは絶対存在している。
 人気モデルが在籍しているだけで、私立の学校からしたら良い宣伝材料にもなる。

「これから毎週水曜にお前のピアノ聴きにきていい?」
「え? なんで?」
「なんでって、聴きたいから」
「……い、嫌だな。人に聴かせるほどじゃないし」
「んなことねーよ。少なくとも俺は感動した。目が覚めるぐらいに」

 楽しそうに話している乃木が不思議だった。
 どうしてそんなに無防備に俺に話しかけるんだ?

「でも水曜は早く帰るんだろ? さっきそう言ったじゃん」
「まあ、今まではな。でも当分早く帰る理由もなくなったし」

 炎上……
 クラスの連中が騒いでいたことと関係あるのかな。

「拒否されてないってことで。来週からよろしくー」
「そ、そんな勝手に」
「リクエストも受け付けている?」
「リクエストってなんだよ」
「俺が弾いて欲しい曲」
「はぁ? 何勝手な事言っているんだよ……」

 おちょくられているのか何なのか?
 いちいち乃木の言葉にあたふた答えている自分がマヌケに思えてきた。

「……お前いい奴だな。もっと適当に流してもいいのに」
「え……」
「じゃあな。邪魔者は消えるので思う存分弾いてください」

 そう言うと乃木は教室を出て行った。
 今までの一連の流れは何だったんだ?
 っていうかどこで寝られるんだよ!
 俺は教室の後ろにあるロッカーの脇の隙間を見つけた。
 寝袋っぽいものが隠されていた。
 まさかこんな狭いところに……
 あのデカい乃木がこんな狭い所で寝ていることを想像したら可笑しくなり、声を出して笑ってしまった。
 ヘンな奴……