穏やかな風に若葉の香りが混じる並木道を歩いている。木漏れ日の強さが少しずつ強さを増し、景色が徐々に変貌を遂げている気がして、足取りも自然と軽くなった。このままずっと暖かいままでいれればいいのに。と思うも、春に咲く満開の桜や真夏の茹だるような日に食べるアイス、秋に感じる夜の心地良さ、冬しか見られない真っ白な朝も、全部結局忘れたくないと願ってしまうから、等身大の季節を謳歌する方がいいのかもしれない。
校舎なんか比にならない場所だった。指定された公園の入口で立ちすくむ俺に来た一件の通知。送られてきたのは大きな木の写真と俺を揶揄うようなメッセージ。
どこでしょうか。――ここから推測できるはただひとつ。つまり、俺は今から日原先輩を探さないというわけだ。
見つけられたら『ご褒美』をあげる、なんてゲームが始まって、最早俺に頼れるのは体力のみ。だって日原先輩、何度もかけてやっと電話に出たと思ったらへらへらしてるだけだったし。大股で歩いてもここから見える商業ビルとの距離が全然縮まらなくて、ここがとんでもなく広いんだってことしかわからない。そして一番厄介なのは、俺が日原先輩を見つけられない可能性を一ミリも考えて無さそうなところだった。
歩いてるだけじゃ無理だと察した俺はついに走り出そうと頭を切り替えた。前からランウェアを着用してる同世代と思しき集団や散歩中の家族連れ、明らかに私服で走ってるこっちが異様に思える光景をなるべく想像しないよう進んでいく。
公園の奥にはいくつものスポットがあって、遊具に噴水、隣接してる体育館、日原先輩が立ち寄りそうな場所は一通りあたってみたけどいくら見渡しても大きな木なんて見つからない。ここまで来てもまだないのかよ。俺、一応午前中に部活してきたんですけど。溜息と一緒にでた愚痴を抱え、さらに奥へ進む。このままギブアップするのも釈然としないし、むしろ絶対探し当ててやるという気持ちが湧いてきた。なんだかんだ俺も俺でこの状況を楽しんでるのは、日原先輩と一緒なのかも。それは少し嫌だな。ひとりで攻防戦を繰り広げていった。
そうして十分が経過した辺りで、ようやく写真と似たような木が視界を掠めた。目を凝らすとキッチンカーが立ち並ぶ側の木陰に、俺が探していた人物が佇んでいる。絶対そうだ、あの人しかない。足早に駆け寄り、声を出す。「日原先輩!」こんなに大きな声で呼ぶのは初めてだった。
「快くん、お疲れ」
ぱっと俺を見て、笑って。燦々と照らす太陽みたいな笑顔を振りまく日原先輩が急に差し出してきたのは、レモン色のソーダだった。まるで演出みたいな、ドラマとかでよく見る、何もかもがしっかり段取りとしてあるそういう雰囲気で。「どうしたの?」そんな台詞が届いた。頬にぴたっと押し付けられた容器の冷たさに驚いて、一瞬目を瞑る。文句のひとつやふたつ、それどころではない数を浮かべていたのに、丸ごと全部この広い公園のどこかに落としてきてしまった。眩しく笑う日原先輩と目が合って、鼓動がまた大きくなる。走ってきただけじゃない熱さに感情が追い付かない。
「……どうしたもこうしたもじゃなくて、何してんすか」
買ってきたよ。求めてる答えと少しずれている。だから、と俺が言うと日原先輩がまたふわりと笑う。そういう雰囲気に絆されて、俺がどれだけ振り回されているかなんて知りもしないみたいな顔。日原先輩といると調子がいつも通りいかなくなる。どこにいるかわからないって本気で焦るし、時間より前に待ち合わせ場所へ着いた俺の緊張感をどうしてくれるんだ。
「怒んないでよ。これ美味しいよ?」
「怒っては……ないけど、いや、やっぱり怒ってます。まじでどんだけここ広いと思ってんだよ」
「快くんなら俺のこと見つけてくれると思ってたし。信じて正解だったね」
「結果論で語らないでください……」
はあ、と息をついて渡されたレモンソーダを飲むと、しゅわしゅわと弾ける感覚が走った後の身体に染みわたっていく。美味しい。多分無意識にそういう目をしてしまっていたんだろう。日原先輩が揶揄い気味に短く俺の名前を呼んではにかんだ。
「ぶらぶらしてたんだけど、なんかこの辺たくさん人並んでるなーって。ちょうど喉乾いてたし、良かったでしょ」
「最初の待ち合わせ場所入口って指定したの日原先輩だったじゃないですか。なんでこんなところまで……」
「いやー、早く着き過ぎっちゃって、色々見てたらつい戻る時間と距離が合わなくなって……この通り……」
「ったく、大人しく待っといてくださいよ。早くって、もしかして俺に会えんの楽しみにしてたんすか?」
能天気な回答にお返しとばかり嫌味ったらしく返すと、日原先輩が急に押し黙った。さっきよりも笑い方が引き攣っている。
まさか、本当に? ならこのレモンソーダは、遅刻して手ぶらで戻るよりもいいと考えた苦肉の作戦、とか。
「……決まってんじゃん。だってデートだし」
「なっ、なに言って……」
「ああもう、やり直ししない? 俺、もう少しかっこよく登場できるはずだから!」
嘘だろ。今からもう一度あのこっぱずかしいのをやり直せって。冗談じゃない、無理だ。顔の前で手を交差して拒否の意思を示す。すると「えー」と日原先輩が残念そうな顔をしたので、俺もどうにか取り繕おうと「かっこよかったから次行きましょう、次」と冗談みたいな本音を混ぜて投げつけた。
「……なんかちょっと適当だけど、快くんがそういうなら?」
やや納得いってなさそうな日原先輩が唇を尖らせる。今日のデートに随分重きを置いているのは十分わかったから、これ以上は後にしてほしい。ドリンク代を渡そうとしても受け取らないし、圧倒的なシード権は日原先輩が持っている。胸の中の整理がつかないまま、一旦歩き出した。
「てかデートってなんすか、今さらっすけど」
「そのままじゃない? ふたりで仲良く出かけてんだし」
「だったら普通に……遊んでる、とかで良くないですか」
「だってそう言ったら快くん意識してくんないでしょ。……今日は俺のことちゃんと知ってもらうために全部行動するからね。覚悟しといて」
最後の台詞を発して、それから何事もなかったかのように日原先輩は次の話を進める。うっかり流しそうになったものの脳内は疑問符だらけだ。こんなんじゃいくつ心臓があっても足りない。日原先輩、あんた今日何をする気ですか。
カジュアルなスニーカーとゆるめなグレーのスラックス。なのに、どこかキレイめに見えるのは黒のタートルネックやシルバーのアクセサリーを合わせてるせいか。日原先輩の端正な顔立ちが際立っている。
対する俺はインディゴのワイドデニムに白いカットソー。無骨なスニーカーとボディバッグ。ストリート感が増していると言われれば聞こえはいいが、日原先輩の隣に並ぶと子どもっぽく見えそうな気がする。もうちょっと系統考えてくれば良かったかな。でも初っ端からアクシデントもあったし、動きやすかったのは正解だった。
「新しくできた商業施設あるじゃん? あそこに気になってるケーキ屋さんあんだよね」
「ケーキ? 甘いもん食べてんのに?」
「あははっ、これは飲み物。快くん、ケーキ好き?」
好き? その一言で身を構えてしまう俺もどうかと思うがここは何も焦らず答えればいいだけだ。「……好きです」ちょっと反応に遅れた気もするが、日原先輩が安心したように笑ったので、そっと胸を撫で下ろす。
さっきまであんなに遠いと思っていたのに、ふたりで歩いてると聳え立つビルはどんどん大きくなってあっという間に入り口へ辿り着いた。キラキラと輝くショーウィンドウに俺と日原先輩が映っている。途端に日原先輩の言った『デート』という言葉が過り、目を逸らした。勢いよく顔を背ける俺に日原先輩は驚いてたけど「行こっか」という柔らかな声に惹きつけられ、ビルの中に入る。
外の喧騒とは違った賑わいとともに、甘い香りと優しい空調の風が俺たちを包んだ。
「……なんかいっぱい店入ってますね。デカいとは思ってましたけどこんなに人いるところ久々に来た気します」
「本当? 快くん遊ぶとき何してんの?」
「基本誰かん家行ったり、俺ん家来たり? ほとんどゲームとか漫画読みながら駄弁ったりしてるだけなんで」
「そっか。じゃあ今日はちゃんとデートになりそうだね」
エスカレーターの一段下から日原先輩が変化球を蹴ってくる。うっかり、頷いてしまうところだった。歯切れの悪い返事をして、目的地の七階へ向かう。
「快くん、ここ。美味しそうじゃない?」
先輩に言われて足を止め、横を見る。ショーケースに飾られている数々のケーキ。ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキまでは俺でもわかるけど段々名称が長くなってきて読むのを諦めてしまった。俗にいう、サブタイトルみたいなのが全部にくっついてる。
日原先輩の言う通り、確かにどのケーキも無茶苦茶美味しそうだ。と思いつつも、外装の煌びやかさや雰囲気が俺には些か不釣り合いというか。どう見てもターゲット層が男子高校生ではないのだけはわかる。
「一応予約してるからすぐ入れるよ。行こ」
俺があちこち見渡してる内に日原先輩がどんどん話を進めている。入口から一番遠くの席にご予約席という札が置かれていた場所へ案内された。店内の日射しがめいいっぱい入る、明るい窓際の席。眼下は広大なパノラマが展開し、街を一望できる景色だった。
緊張と隣り合わせになりながら席に着く。いつのまにか用意されていたメニュー表とショーウィンドウで見たケーキを照らし合わせるも、単品だけに留まらず紅茶のセットやらなんやらが横に書いてあるので情報量の多さにパンクしてしまいそうだ。目線を上げて日原先輩を見る。「全部美味しそうだね。快くん何食べたい?」と言ってくるので、日原先輩はこの難読なメニューを理解しているようだった。
「……多すぎて何が良いか全然決められないんすけど」
「うーん、一番人気らしいのはミルクレープらしんだけど……これ、フルーツいっぱい入ってるやつ。紅茶は? ダージリンとかアールグレイがシンプルで飲みやすいかも」
「えっと……じゃあミルクレープとダージリンの……ストレート? 一旦それで」
「了解。じゃあ俺はフレッシュケーキと……アールグレイのミルクにしよ」
早々に決まったらしい日原先輩が近くにいるスタッフへ声をかけた。スマートに注文する姿をじっと見るのも気が引けて、窓に視線を向ける。軽やかな相槌と共に静かに足音が遠のいて、注文が終わりほっとした瞬間に訪れる沈黙。やけに落ち着いた声で日原先輩が「ここさ」と俺に切り出した。
「デートっぽい?」
「……わかってて聞いてんでしょ」
「快くんの表情バレバレなんだもん。そんな緊張しなくていいのに」
「…………意識してほしいっつたの日原先輩じゃないですか」
してないと答えれば、嘘だとすぐ見抜かれてしまう。それぐらいいまは勝ち目がなかった。まるで少女漫画に出てきそうな典型的な展開を、俺が体験すると思わなかった。とはいえ、日原先輩は至って真面目にプランを考えてきてくれたのかもしれない。何が正解か俺には答えられないので、思ったことをそのままいう。これが最大の攻撃で防御に等しいはず。
でもこうして唸っている間でも、日原先輩は楽しげな表情で俺を見つめてくるし。目元が嬉しそうで、見てるこっちが恥ずかしくなってしまう。あんたのことちゃんと知りたい。っていった一昨日の俺に一言アドバイスするなら、本当に覚悟しないといけなくなるぞって今すぐ伝えにいきたいレベルだ。それぐらい今日の日原先輩は強敵だった。
「うんうん、俺の言うとおりに快くんが戸惑ってくれてなにより」
「性格ひん曲がってますね」
「今日は全部褒め言葉として受け取っておくことにしとくよ。せっかくだし」
やや劣勢の攻防戦を繰り返しつつ、程なくして注文したケーキと紅茶が運ばれてきた。ショーケースに飾ってあったときよりも二倍、いや三倍ぐらいの大きさに目を見張る。俺が見たことあるひとりぶんのケーキとしては最重量級だ。いちご、キウイ、桃、バナナ、メロン。上の層から下の層までぎっしり詰まった色とりどりのフルーツに思わず驚いて、おお、と小さく声をもらしてしまう。
「大きいよね。ここのケーキ、快くんでも満足してくれそうだなって」
「確かにこれは俺でも腹いっぱいになりそうですね……」
「良かった。じゃ、食べよ。いただきます」
「い、いただきます」
両手を合わせてフォークを取って、ミルクレープにそっと突き刺す。バランスを崩してしまいそうな重さに苦戦しながらも、そっと掬い上げてひとくち頬張る。
「……うまっ」
「やっぱり?」
得意げな顔の日原先輩は紅茶にミルクを注ぎ終わったようだ。俺に提案してくれたうちのひとつ……アールグレイのアイスを片手に見つめられたので「日原先輩も食べてください」と早急に促した。
日原先輩のケーキはふわふわのスポンジに生クリームと柑橘系のフルーツがいっぱい詰まっている。オレンジにグレープフルーツ、上にはレモンを小さく切ったものが花びらみたいに散りばめられている。ボリューム満点だが意外とさっぱりそう。いつもレモンの飴が一番っていってるし、やっぱりケーキもそういうのが好みなのか。大きくて美味しいケーキを前に黙々と食べ進める。
「俺のも気になる? ひとくちあげるよ、ほら」
ほら、と差し出されたフォークの上には綺麗に盛られた日原先輩のケーキがあった。こっちが夢中で食べてるときに何を言ってるんだ。突然の変化球に「自分で食えます」と首を横に振る。
「残念。流れでいけそうかなって思ったんだけどなあ。快くんはしてくんないの? 俺、ミルクレープも食べてみたいな」
「……するわけないっすよ。食べたきゃ適当にフォークでぶっさしてください。俺もそうするんで」
「学校では『あーん』ってしてくれたのに」
「あっ、あれは日原先輩のせいで……! 人もいなかったし……」
「……ふたりきりだったらいいんだ。やっぱ駄目じゃん快くん。俺に弱点晒しすぎ」
「あんたが弱点なさすぎなんすよ。……変なところで照れるくせに」
喋れば喋るほど空回りして、完全にアウェーだ。日原先輩の元にフォークを伸ばし、ケーキをひとくちぶん奪う。クリームの甘さと柑橘系の爽やかさが口いっぱいに広がって、顔が綻びそうになるのを必死に抑える。
対する日原先輩も無言で俺のミルクレープにフォークを突き刺してくる。最近わかったことと言えば、日原先輩の口数が少なくなったときはしっかりカウンターが決まっている証拠だ。多分。いつもこのあと俺がやられるケースも多いから油断ならないので確証は持てないが。
「……それは快くんのせいじゃん」
「ほら、そうやって俺のせいにする。図星なのは先輩の方ですよ」
「かっ、わいくな……嘘、今のは……待って、ミスった、全然そんなことは微塵も思ってなくて……生意気なのもいいというか……」
「いや、だから全然傷つかないって言ってんじゃないですか。大体俺に使う形容詞としては間違ってるし」
「ちょっとぐらいは気にして……もういい、次で挽回するから」
日原先輩に余計な対抗心を燃やしてしまったことに気づくもあとの祭りだ。「生意気なのも」、という無意識にもらしただろう言葉には触れずに話題を軌道修正を図る。
「てか日原先輩って甘いのほんと好きですよね? いつもお菓子ってか飴持ってるし」
「あー……、それもなんていうか理由があって?」
見上げた視界にさっきとは違った気まずそうな日原先輩の顔が映った。夕方の帰り道に見た下手くそな笑顔と似たような、見せかけの態度。これって聞いていいんだろうか。でも今日は俺の『お願い』、日原先輩のことをちゃんと知りたいって言ったから。でもやっぱり、ぎこちなさに申し訳なくなって「無理に話さなくてもいいですよ」と言いケーキに視線を戻す。人間関係って俺が想像している以上に難しい。否応なしに思い出してしまった顔を振り払いたくて、食べることに集中する。
「…………快くん、言っていい?」
「……何が?」
「理由とか、快くんが思ってるよりそんな重いもんじゃないよ。……ただ、ちょっと前も言った通りかっこ悪いのは承知の上で聞いてほしいんだけど」
いつもより長く笑う日原先輩に頷いて、食べる手を止める。
「……小さい頃は泣き虫というか、身長も小さくてこの見た目だから女の子ばっかと遊んでたんだけど、それが原因で揶揄われる対象になることが多くて……毎日泣いて帰って来てたから親とか兄貴たちも心配して、泣くなってお菓子いっぱいくれたんだよ。単純だからさそれで機嫌なおったし、学年あがって身長も伸びてサッカーはじめたらそういうのもなくなって、これで大丈夫じゃんって安心してたらさ」
「……はい」
「中学でハブられたんだ。先輩達に」
なんで。喉元から出かけた言葉よりも先に日原先輩が淡々と紡ぐ。
「しかも理由なんてめちゃくちゃ理不尽でさ、先輩の元カノが俺に告ったからだよ? ……別に好きな人いなかったし、断ったんだけどね。次の日から変な噂回って先輩達、俺のことガン無視だしパスすらくんねえの。……で、結局急に糸が切れたみたいに全部面倒くさいなって思って、辞めちゃった」
――でもサッカー続けてたら、快くんと最後の大会出られてたかな。
最後はいつもみたいに笑いながら、少しだけふざけて。
「これが大体の原因。まあ女の子と遊んでたのは単純に楽しかったからだし、飴は一番長く食べられるし、レモンが好きなのは甘いし酸っぱいからずっと好きで……って、これはあんま説明になってないか」
あまりにも身勝手で、くだらない。些細な原因で仲違いするのはよくあることだ。だけどそんな理不尽な理由で日原先輩の心が折られたのかと思うと、胸の奥がぎりっと傷んだ。
「……日原先輩なんも悪くないじゃないですか」
「まあ何年も前のことだし、今はこの通り高校生活謳歌できてるよ。快くんのお陰でね! あと兄貴に誘われて高校からはフットサルも始めてさ、……だからそんな顔しないでよ」
日原先輩が俺へ笑いかける。俺って今どんな顔してるんですか。教えてください。頭の中では言葉にできるのに、想いがうまく届かない。日原先輩の笑顔に、俺ばかりがたくさんの感情を貰っている。
「……快くんの、そういうところ好きだよ」
日原先輩がいう。好き、という言葉にどれほどの気持ちが込められているのか、わからない。だけど今は――わかりたいと願ってしまった。
「か、快くん?」
残っていたケーキを日原先輩へ差し出す。もちろんフォークに突き刺して、この人が望んだとおりの方法で。恥ずかしいとか恥ずかしいじゃなく、今日だけは俺も俺のことを日原先輩にわかってほしいと思ったから。明日も明後日もこれからもあんたが探さなくても、俺が探しにいきます。逃げないから、心配しないで。理不尽な我儘も俺にしてほしいことも、したいことも全部言ってください。全部きけたら、そしたら、ちゃんと元気に笑ってくれますか。
「……そんな顔されたら俺がいうこときくしかないじゃん」
「……どんな顔か俺見えないし」
「俺のこと大好き、って顔?」
「そっ、そんな顔して、……ますか」
「うん。可愛い。でもちょっと……寂しそうだから、俺もちゃんとするね」
なんてことない口ぶりで、日原先輩があの日と同じように俺が差し出したケーキを口に含んだ。美味しい。そう言って、屈託のない顔で笑う。
「快くん、ありがとね。……てことで、本格的なデートの了承も得られたことだし。食べ終わったら、次いってみよっか」
いつもの調子に戻った日原先輩の手が俺の元へ伸びてきて、重なる。せめてもう少し照れてくれなかったんですか。油断すると、すぐにのみこまれてしまいそうだったけど、日原先輩の笑顔に俺もつられて笑ってしまった。
パキッとした照明に、大きく形どられた入口。サッカー、野球、バスケ、バレーその他諸々。都内最大級を誇ると噂の総合スポーツショップの前で俺は看板のデジタルサイネージを見上げていた。
「すげー……、ここのフロアほぼ専門店ですか」
「俺も画像しか見てなかったけど、ほぼ迷路じゃん。サッカーとフットサルコーナーどこだこれ……」
日原先輩が次に提案したのは、俺も馴染みあるスポーツショップ。なんでも欲しいシューズがあるんだとか。
さっきのカフェよりどちらかというと現実に引き戻されるぐらい人工的な明るさのこっちの方が俺にとってホームグラウンドだ。広すぎて奥までどうなっているか目を凝らしても届かない。とりあえず入ってから考えようと決めた俺たちは足を踏み入れ辺りを見渡していく。瞬きを繰り返し、鮮明になった視界でコーナーの表記を確認し、真っすぐ歩いて三つ目の角を左に曲がったところで目的地を発見した。
「日原先輩、ありました。ここら辺全部らしいです」
「うわ、シューズの種類すご……ってか、ありすぎて決まんないかも」
「買いたいの人工芝用でしたっけ? フットサル場のやつ」
「そうそう、サッカーのトレーニングシューズとベースは同じなんだけど……」
ブランド、デザイン、プレースタイル。各々の重視する点を掛け合わせても無限にあるシューズを前に真剣に悩む日原先輩。モデルごとに特徴もあるので、簡単には決められないしなと思い俺もわくわくしながら手に取って確かめる。
「今何使ってんすか?」
「このブランド。色々試したんだけどやっぱ一番履き心地良くて。せっかくだし新しいモデルのどれかにしようかなあ」
「あ、……」
「快くんも履いてる?」
「履いてるというか……俺の父さんの会社んとこです。やっぱ人気なんすね」
「そうなの!? じゃあせっかくだし快くんに選んでもらうのってあり?」
目を輝かせ勢いよく聞いてきた日原先輩に、やや押され気味な俺はちらりと横目でシューズの圧を感じながら答える。
「いや、ただ父さんの会社ってだけで俺はそんなに……履いてんのは、このライン二本入ってる青のやつってだけで……」
「快くんのポジションMFだよね? シリーズ全ポジション展開してるっぽいし……フットサルだったら……」
日原先輩がFW用のシューズを確認しながら話している。なんかポジション的にも似合ってるなあ、と一緒にスポーツの話題で盛り上がれるのが嬉しくなって口角が緩む。
どっちがいい? 試し履きしたり、サイズの調整をしたりと暫く吟味した結果モデルまでは決まったらしい。蛍光色の黄色と緑。二種類を顔の横に掲げ、俺に選択肢を委ねてきた。そんな頻繁に変えるものじゃないし、色って結構大事じゃないんですかね。日原先輩に「俺が決めるんですか?」と聞くと、即答で首を縦に振られた。
「……黄色?」
「俺もそっちがいいと思ってた!」
「ちょっと、最初から決まってたんなら聞かないでくださいよ」
「快くんの好み聞きたかっただけだもん。サイズもあるし良かった。お揃いだね」
「ったく、あとからお揃いにしてきたんでしょ。決まったんなら会計してきてください」
ちょっと真剣に悩んだ俺の気持ちはなんだったんだ。決して『お揃い』の言葉に反応したわけではないと信じたいのに顔が熱い。素直に会計にいってくれて良かった。察しの良い日原先輩だからバレたらまた面倒なことに――
「ごめん! 快くん、スマホ預けたまんまで……って、顔どうしたの」
「――もー……まじ最悪、さっさと行ってこいてっば」
「良い買い物できて良かった。ありがと、快くん」
「……どういたしまして」
スポーツショップをクリアし、無駄に体力というか気を貼ったけど、日原先輩の機嫌が良さそうなので俺からさっきのことには触れないでおこう。あのタイミングで戻ってくると思わねえじゃん。普通は。
本や服、手当たり次第興味がありそうな店に入ってみて買い物を済ませていく内に時刻は午後五時。俺が買ったのは逃していた少年漫画の最新刊。日原先輩のシューズや服に参考書とは量が全く違うがお互いに満足いく買い物はできたと思う。
今日の『デート』で学んだこと。地元の喫茶店でバイトをしてたり家には猫がいたり。上のお兄さんが実は同じ学校に通っていたらしく、その影響で高校を決めて。ごく自然に語られる会話の中で、日原先輩が家族や友人、大勢の人から愛されていることも知った。
もう五時だね。そうですね。明日学校だしね。エスカレーターで下っていく途中に繰り広げられる途中、突如騒がしい音が耳を刺激した。電子音やBGMが響く場所の正体はゲームセンター。日原先輩と目を合わせて頷く。意見が一致し、特に理由もないまま向かい始めた。
「あははっ、音大きいね」
「これ絶対取れなくないですか。台設定酷過ぎますよ」
日原先輩が近づいて、俺の言葉に気づいて笑う。誰も取れないよ、こんなの。お互い色んな景品を見つけては、ああでもないこうでもないと言いあって店内を散策する。大きな台が立ち並ぶ中で、ふと目に留まるぬいぐるみ。あれってもしかして。
「あれ、日原先輩がよく送ってくるのと同じのですか? 犬か猫かわかんないシリーズ」
「あー! こいつ、俺探してたんだけど! しかも地元で完売してたのがいる!」
「そ、そんなテンションあがるんですか、これ?」
「かわいくない? ちなみにこの茶色のが犬で黒が猫ね。白はくまでピンクのがうさぎ」
「全部顔もフォルムも一緒じゃねえっすか」
「近くで見ると絶妙に違うんだよ。クロは俺ん家にいるからー……よし、ポチかな。あの犬だよ、快くん、わかる?」
「ポチ……なんかにこにこしてるし毛の色とか日原先輩に似てますね」
ポチ、クロ、シロ、ピョン。駄目だ、どうしても表情以外一緒に見えてしまう。俺が凝視してる間にも日原先輩は財布を出して百円を投入した。アームのぴこぴことした音が謎の緊張感を彷彿とさせて、傍観することしかできない。
「日原先輩ってクレーンゲーム上手いんですか」
「いや、全く。クロも五百円はかかった。でも昨日リールで流れてきたゲームの達人何回か見たからからいけると思う」
根拠のない自信を胸に意気揚々とアームを動かす姿がちょっと面白い。頑張ってくださいと半笑いで応援しつつ、その姿を見守る。
「よし、ここでいいや!」
「あ、それぐらいの感覚なんすね」
アームがゆっくり降りて来て、ポチに狙いを定める。わりと適当にボタンを押したように見えるも、想像以上に強めの力で抱きかかえられたぬいぐるみは宙に浮き始め、取り出し口へ向かってくる。俺の方を向いて「無理だったらまだ予算あるしなんとか……」と語る日原先輩の後ろを指さして笑うと、俺以上に本人が一番びっくりしたらしく、今日一番の大きな声で俺の名を呼んできた。
「声でかっ……て、日原先輩めっちゃ嬉しそうじゃないですか」
「すげー! ほんとに取れた! あの投稿にいいね押しとこ」
「おめでとうございます。今日一番の成果ですね」
ぬいぐるみを抱きかかえ笑う日原先輩に賛辞を贈る。今日の締めくくりにぴったりだ。笑顔の日原先輩の姿を目に焼き付けて、ゲームセンターを後にした。
「すっごい楽しかった。いっぱい買えたし、食べれたし。明日学校かー、どうしよっかなあ」
「学校はちゃんと来てくださいよ」
ビルから出て、広い公園の道に沿って。明日の授業や来週の体育祭、くだらない話を繰り広げつつ、お互い来たときよりもスピードを緩めて歩いていく。さっきまでいたビルが遠くなったような気がして、少し名残惜しい。
太陽光をたっぷり浴びたカフェも、驚くほど白い光が反射するスポーツショップも、ギラギラと様々な角度で光り輝くゲームセンターも。そしてこの夕焼けも。日原先輩と一緒に見た光は、いつだって色濃く映っている。
「快くんのためって思ってたけど、結局は俺のためのデートになっちゃったね」
ふと、日原先輩の柔らかな声が宙を舞う。いつのまにか肩が触れる距離まで近づいて、空いた手と手が擦れ合う。
「快くんの『お願い』ちゃんときけたかな?」
日原先輩が俺を覗き込んで微笑む。温かくて、まるで優しい陽の光を浴びたみたいに顔が熱を帯びだした。だけど視線が逸らせないから、もう諦めて「はい」と頷いた。ずっと俺も考えていたから、ほんの少しでも日原先輩と近づくには何をしたらいいんだろうって。
「……ははっ、嬉しい。これ、快くんに。今日のお土産、貰ってくれる?」
はい、と差し出したのはさっきゲームセンターで日原先輩が取ったぬいぐるみだった。袋から出して、イヌの手をぶんぶん振っている。それから俺の頬を両側からぎゅっと抑えて軽く顔にくっつけた。視界が一瞬だけ暗くなって、離れて。それから首を傾げて「どうかな」と俺に問いかける。待ち合わせのときみたいな、これも演出じゃなきゃ照れてしまう振る舞いが自然とできるのが日原先輩だった。
「……日原先輩がそこまでするなら、貰ってあげてもいいですけど」
言ってから、もう少し選べただろう言葉が頭の中を駆け巡っていく。こういうところだよな、俺。それでも日原先輩は嬉しそうに俺を呼んでいる。
「じゃあ改札の直前まで持ってるからね。そこからは快くんの」
日原先輩の手が、俺の頬に触れる。色んなところからの光を受けた笑顔が、いつもの何倍も眩しく見えた。いくら手を伸ばしても届かなかった太陽に、俺も触れてみたい。手と手を触れ合わせて、俺から指を絡める。もう少しだけ、このままでもいいですか。ちょっとは俺も成長したんです。
「日原先輩」
今度は俺が呼んで、もう聞き飽きたってぐらいの声を届かせる。だってそういう流れだったでしょ。
日原先輩に、「ありがとう」って伝える。
