神戸北野 まどろみ異人館の魔法使い 〜猫とお菓子と、やさしい魔法〜

 
 どこまでも慈愛に満ちた彼に、幸せでいてほしいと思った。

 彼だけでなく、ルナさんにも。
 クロやコハク、おじいさんもみんな幸せであってほしい。

 みんなの幸せが、オーナーの幸せに繋がるのだ。
 そして、彼が笑っていてくれるだけで、私もこうして心が満たされていく。

 窓の外で、東の空が白み始めた。
 しとしとと降り続ける雨の向こうから、一筋の強い光が差す。

 日の出だった。
 地平線から覗く眩いその光線は、私たちの視界を一瞬にして白く染め上げる。

「きゃっ……!」

 あまりにも強烈なその光に、私はたまらず目を瞑った。
 そうして再び瞼(まぶた)を開けた時には、それまで耳にまとわりついていた雨の音がぴたりと止んでいた。

「あれ?」

 違和感を覚えて、窓の外を凝視する。

 バルコニーの先に広がる、朝焼けの空。
 まばらに浮かぶ雲からは、もはや一滴の雫も落ちてこない。
 そして、その淡い紅藤色(べにふじいろ)の景色の真ん中を貫くようにして、一本の橋が架かっていた。

「虹……?」

 七色の光を等間隔に並べ立てたその橋は、虹だった。
 それは館の後ろにある山の方から始まって、私たちの頭上を通り、坂の下の方まで続いている。

「……ありえない」

 オーナーは私の手を放すと、微かに震えた声を漏らした。戸惑うように強張ったその眼差しは、まっすぐ窓の外へと注がれている。

「虹の出る方角がおかしい。普通は太陽を背にして正面にしか見えないはずなのに」

 彼の語る虹の性質について、私は詳しくなかった。けれど、素人目にもわかる珍しい現象はもう一つあった。

「あの、オーナー。あそこ……虹の端っこが見えませんか?」

 坂の下へと伸びる七色の、終着点。
 限られた状況下でしか観測できないと言われている虹の足元が、そこに見えていた。

「虹の麓(ふもと)……」

 オーナーが呟いた。
 物理の法則で考えれば、けっして辿り着くことはできないとされている場所。

「確か、オーナーのおばあ様はあそこへ行ったことがあると仰っていましたよね」

「ああ。虹の麓には宝物が眠っている。祖母はその場所で、大切なものを見つけたんだって……」

 最初に誰が言い出したのかわからない、おとぎ話のような言い伝え。
 その場所へ続く道標(みちしるべ)が今、私たちの目の前にある。

「オーナー」

 再び私が呼ぶと、彼は虹から目を離してこちらと視線を合わせる。
 その整った形の瞳を見つめ返しながら、私は自分でも信じられないようなことを口にしていた。

「虹の麓には、私たちの大切なものがあるんですよね。なら……あの場所に、ルナさんがいるんじゃないですか?」