「やめておきなさい」
と、そこへ唯一制止の声をかけたのはおじいさんだった。
私とクロとオーナーはびっくりして彼の顔を見る。
「え? おじいさん、やめておけっていうのはどういう……」
「彼女を捜しに行っても無駄だ。あのルナが仕事を放棄して遊びに出かけるわけがない。彼女は、自分の意思でここを出て行ったんだ。もう二度とここには戻らないだろう」
しん、とその場を静寂が包む。
窓を叩く雨の音が一層強くなった気がした。
「……ルナさんが、二度と帰って来ない? どういうことですか。なんで、そんなことになるんですか?」
「ルナはもう、ここでの役目を終えたんだ。この館のことも、オーナーのことも、絵馬ちゃんに託したんだろう」
「私に?」
その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
呆然とする私には構わず、おじいさんは廊下の窓から黒い雲を見上げた。
「今までルナがやってきた仕事を、絵馬ちゃんはこなせるようになった。それに最近では館の営業もオーナーが仕切ってくれる。もう、ルナがいなくてもわしらはやっていけるんだよ。だから彼女はここを去っていったんだ」
おじいさんの口から淡々と紡がれるその説明に、私は納得がいかなかった。
「そんな。仕事ができるようになったからって、それでどうしてルナさんがここを出て行くことになるんですか?」
「わしら猫は、誰にも死に際を見せない。そういうものなんだ」
死に際、と物騒なワードが彼の口から飛び出して、私は身を固くした。
思わず隣のオーナーを見ると、彼もまた戸惑いを隠せない様子でおじいさんの話に意識を集中させていた。
「ルナはずっと前から、このタイミングを窺っていたんだ。彼女にはもうあまり時間が残されていない。自分の体がどんどん衰えていくのにも気づいていた。だから彼女は、自分の代わりになる人間さえ現れれば、その時点でこの場所を去ることを決めていた。そして今、ようやくその条件が揃ったのさ」
猫は自らの死期を悟った時、誰にも見つからない場所へ姿を隠してしまう——そんな迷信めいたことを、私もいつだったか耳にしたことがあった。
「で、でしたら、なおさら今すぐ捜しに行かないと」
ただでさえ体が弱っているところに、こんな雨に濡れてしまったら手遅れになるかもしれない。
しかしおじいさんは力なく首を横へ振り、その意思を曲げることはなかった。
「彼女は自分の最期を見せたくないんだ。それはわしら猫にとってのプライドでもある。どうかわかってやってほしい」
この通りだ、と彼はルナさんに代わって頭を下げる。
足元へまっすぐ向けられた彼の眼差しは、ここにいる誰よりも悲痛な色をしていた。



