「あーあ。行っちゃった」
ひりついた部屋の空気に似合わない声でクロが言った。
彼女ののんびりとした口調でわずかに緊張が和らいだ私は、改めてオーナーを見る。
「ルナさん、怒っちゃったんでしょうか」
いつもより感情的になっていた彼女の低い声が、耳の奥にこびりついて離れなかった。
「仕方ない。つい昨日まで眠っていた僕がいきなり厨房に立ちたいなんて言ったところで、ルナが納得するわけがない。まずは僕がみんなに心配をかけないよう、無闇に魔法を使わないように気をつけないと」
そんなオーナーの言葉に「そりゃあいい!」と声を弾ませたのは白髭のおじいさんだった。
「わしらが心配しているのは何よりその点だからな。オーナーがその気になってくれるのはありがたい」
魔法を使えば報いを受ける。
ならば、代償を回避するためには最初から魔法を使わなければいいのだ。
ただ、それはオーナーにとっては複雑な選択になると思う。
誰かを助けたい時に、躊躇してしまう。
それに、憧れだったおばあ様はいくら魔法を使っても代償を払うことはなかったのに、自分はそうではない——と、彼は再認識せざるを得なくなるから。
「そうだね……僕は、未熟な魔法使いだから。これ以上みんなに迷惑はかけられない。だから……」
「もー! オーナーってば、そればっかり!」
と、今度はクロが頬を膨らませた。
「迷惑迷惑ってオーナーはいつも言うけど、あたしたちは迷惑だなんて思ってないよ。ただ心配してるだけ! 大事な家族を心配するのは当たり前のことでしょ?」
ふんす、と鼻息を荒くする彼女を見て、おじいさんは「ほほう」と感心したように笑った。
「確かにクロの言う通りだな。魔法の代償のことは心配だが、わしらはそれを迷惑だとは認識していない。ただ、オーナーにはもっと自分のことを大切にしてほしいと思ってる。それだけなんだ」
自分を大切にしてほしい。
その気持ちは、私も同じだった。
目の前で困っている人がいたらつい手を差し伸べてしまうオーナー。その思いやりに満ちた心は素晴らしいものだと思う。
でも、それで彼が自分自身を犠牲にしてしまうのでは本末転倒だ。
誰かを幸せにするために、他の誰かが犠牲になるやり方は間違っている。
幸せは誰か一人のためだけに捧げられるものではなく、みんなで享受すべきものじゃないかと思う。
だから——
「私からもお願いします、オーナー」
「絵馬……」
「あなたの存在は、もうあなただけのものじゃありません。私たちにとっても大事な存在なんです。だから、私たちのためにも、ご自分のことを大切にしてください」
たとえおばあ様がもうこの世にはいなくても、オーナーが彼女のような魔法使いにはなれなくても、ここにいるみんなと一緒に幸せになれる道はあるはず。
その道を探しながら、私も彼らを支えられるような存在になりたいと、クロたちの笑顔を見ながら改めて思った。



