「もうー。素直じゃないなぁ、コハクは!」
と、急に部屋の中から声が上がった。
えっ、と思って振り返ると、オーナーの眠るベッドの下からずりずりと一人の女の子が這い出てくる。
黒髪ツインテールにメイド服を着たその子は、人間の姿のクロだった。
「ク、クロ。そんな所にいたの」
さすがは猫。こうして狭い隙間に入り込むのはお手の物らしい。
しかし人間の姿でベッドの下から這い出てくる様はホラーなので、見る側からすれば心臓に悪いなとも思う。
「コハクもオーナーのことが心配で仕方ないんでしょ? 正直に言えばいいじゃん。いつまでも意地張ってないでさー」
そう無遠慮に彼女が切り込むと、コハクは「ちっ」と舌打ちをして今度こそ部屋を出ていく。
さすがに今のはまずかったのでは……と私がオロオロしていると、クロは「大丈夫だよ」と笑った。
「コハクが意地を張るのはいつものことだよ。本当はオーナーのことが気になって仕方ないのに、自分は全然興味ありませんみたいな顔をするの」
「そうなの?」
確かに彼はいつも何にも興味がなさそうな無表情を貫いている。
けれどクロの言うことが本当なら、なぜそこまで強情になるのか理由がわからない。
「コハクはね、この館に来る前は別の家で飼われてた猫なの。元の飼い主さんが病気で死んじゃったから、ここに引き取られたんだって」
それは今から五年程前のことらしい。
当時はまだクロは生まれてもいなかったので、彼女もルナさんたちから聞いた話だという。
「コハクは本当はすっごく甘えん坊でね、前の飼い主さんのことも大好きだったんだって。でも飼い主さんが死んじゃって、寂しくて落ち込んで、それがトラウマになってるみたい。だからもう二度とあんな思いはしないようにって予防線を張ってるの。どうせいつか別れが来るのなら、最初から誰にも心を開いたりしないって」
いつか、お別れの時が来る。
それは私たちが生きている限り避けては通れない運命だ。
「オーナーのばあばが死んじゃった時もね、コハクはずーっと澄ました顔をしてた。でもお葬式が終わった後、コハクが庭の端でこっそり泣いてたのを見たよ。本当は寂しいくせに、いつも強がるの。だからオーナーのことも、本当は人一倍心配してるんだよ」
「そう……だったの」
コハクの表情がいつも乏しく見えるのは、もとからそうだったわけではなく、彼が彼自身の心を守るために必死になった結果だったのだ。
人には人の事情があり、猫には猫の歩んできた過去がある。
あの白髭のおじいさんだって、昔は過酷な野良生活を送っていた。
今目の前で笑っているクロだって、もしかしたら胸の奥に悲しい記憶を抱いているかもしれない。
それに、ルナさんだって。
——もう、あまり時間はないのですから。
ふと、彼女が昼間に呟いていたことを思い出す。
あまり時間がない、というのは一体なんのことを言っていたのだろう?
なんとなく胸騒ぎがするのを感じながら、私はクロと共にオーナーの部屋を後にした。



