「それは……」
難しい話だった。
誰かのために何かをすることで、満足感を得る——それは、いけないことなのだろうか?
「僕の心が穢れてさえいなければ、魔法の代償は受けない。いわばこれは、報いなんだよ。僕が本当の意味で人を思いやることができなかった結果だ。自分のことなんて何も考えず、人の幸せだけを願える優しい魔法使いなら、こんなことにはなっていない。その証拠に……祖母はいくら魔法を使ったところで、報いなんて一度も受けなかった」
オーナーと同じく魔法使いだったおばあ様。
生前の彼女はオーナーと違って、魔法の代償を払うことはなかったという。
「僕が祖母のようになれるなら、きっとカフェのことだってルナも許してくれる。でも、今の僕のままでは……」
オーナーが時折見せる、暗い陰のかかった顔。
それはおばあ様のようにはなれない自分自身に対する引け目からくるものだったのだ。
どう反応すればいいのか私が迷っているうちに、私たちの足はまどろみの館のすぐ近くにある交差点に差し掛かった。
信号のない道路を横断しようとしたところで、坂の上から一台の車が下ってくるのが見えた。
私たち二人はどちらからともなく足を止め、車が通り過ぎるのを待つ。
そこへ、何やら切羽詰まったような声が届いた。
「待って、ソラ! 止まって!!」
幼い男の子のような声だった。
一体何事かと、私たちは目を向ける。
すると、車道を挟んだ向かい側から一匹のチワワと、その後を追ってくる小学生くらいの男の子の姿が見えた。
誤ってリードを放してしまったのだろうか。
どこにも繋がれていないチワワは全速力で交差点に侵入し、次いで男の子も車道へと飛び出す。
車は目の前まで迫っていた。
「あぶな——」
私が制止の声をかけるよりも早く、オーナーは胸の前で両手を組み、祈りを捧げるようにして瞳を閉じた。
この仕草は、彼が以前魔法を使った時にも見せたものだ。
止める暇はなかった。
彼の手元から白い光が漏れたと思った次の瞬間、交差点全体に眩い光が一瞬にして駆け抜ける。
「わっ!?」
車の前へ飛び出した男の子は驚きの声を上げ、それに重なるようにして車の甲高いブレーキ音が響いた。
やがて光がおさまった頃には、チワワと男の子は車道の向こう側で尻餅をついていた。まるで何が起こったかわからないという風にポカンとした顔をしている。
その手前を無事に通り過ぎた車は、戸惑うように一度減速したけれど、やがて男の子の無事を確認したのか再びスピードを上げてその場を走り去っていった。
「……オーナー!」
私はすかさず彼を見た。
それまで胸の前で両手を組んでいた彼は、ゆっくりと目を開くと、男の子たちの方を見てホッと息を吐く。
今、彼はあきらかに魔法を使った。
それも人の命がかかった場面でだ。
これでもしまた彼が代償を払うことになるとしたら、眠る時間は一体どれ程のものになってしまうのか。
下手をすればもう二度と……。
「……さあ、早く帰ろう。僕が意識を失ってしまう前に」
誰にも感謝の言葉をかけられることもないまま、彼は再び歩き出す。さすがにこの場所で倒れたら困ると判断したのか、その足は速かった。
道の先にお城のような洋館——まどろみの館が姿を現し、チケットブースのある入口の方へと回る。
ブースの前には観光客の代わりに、白髭のおじいさんとルナさんとが立っていた。
「坊ちゃん! 一体どこまで行っていたのですか!」
『オーナー』ではなく『坊ちゃん』、とルナさんが彼を呼ぶのを私は初めて見た。
普段から私のいないプライベートな空間ではそう呼んでいるのだろうか。
おそらくは周りが見えなくなってしまう程に、彼女はオーナーのことを心配しているようだった。
「ごめんね、ルナ」
彼女に断りもなく外出したことを謝罪したのかと思いきや、歯切れの悪い声でオーナーが続けたのは別のことだった。
「やっぱり僕は……あの人のようにはなれないみたいだ。情けない主人で、ごめん」
あの人、というのはおそらくおばあ様のことだろう。
自嘲するような寂しげな笑みを浮かべたまま、彼は突然糸が切れたようにふらりと体のバランスを崩した。
その場に崩れ落ちる直前で、隣にいた私が彼の細い体を抱き留める。
さすがに全体重を支えることはできず、最終的には彼の上半身だけを受け止める形で私は膝をついた。
ルナさんとおじいさんとが慌てて駆け寄ってきた時には、すでにオーナーは深い眠りの底に落ちていた。



