月に一度の委員会活動。去年までは生徒会に入り浸っていた俺が三年になって選んだ委員会は、美化委員だ。
花が育っていくのを見るのは好きだし、掃除や片付けも苦ではない。十月とはいえ残暑が厳しい中での草むしりは敬遠する人が多いが、むしろ受験に向けて面接や試験の対策をしていく中で、いい気分転換にもなっている。
「よかったら隣どうぞ」
その日、委員会のために教室を訪れた俺が席を探していると、近くから声を掛けられた。見れば、爽やかな笑顔の男の子が自分の隣を指してくれている。
ありがとう、と言いながら席に着くと、彼は身体を俺の方に向けて、そわそわとした様子で話しかけてきた。
「日南くんだよね。あの有名な兄弟の片割れの」
「あはは、うん。えっと、D組の古賀くん?」
「え、俺のこと知ってくれてるんだ。嬉しー。てかやば、近くで見るとやっぱかっこいいね。女の子が噂するのも頷けるよ」
「噂されてるのは成海くん……弟の方だよ。俺は全然モテないから」
「いやいや、俺に失礼だろそれ~。これだから無自覚イケメンは困るわ」
古賀くんは明るそうなイメージそのままに、話しやすい空気を纏いながら朗らかに笑ってくれる。何を言っても受け止めてくれそうな感じが頼もしくて、つられて俺も笑ってしまう。
「俺、日南くんとずっと話してみたかったんだよね」
「俺と?」
聞き返す俺の目をまっすぐ見て、うんと力強く頷いた。古賀くんとは一度も同じクラスになったことがないけど、何か共通点でもあるのだろうか。
「あのさ、ぶっちゃけ突然義理の弟ができたって──どんな気持ち?」
何の邪気もない、無垢な瞳。
キラキラと輝かせるその瞳の前で俺は瞬きを繰り返してから、うーんと顎に手を添えた。
「最初は戸惑ったけど、割とすぐに受け入れられたかな。俺、ずっと兄弟が欲しかったんだよね」
「そうなんだ。あの弟くんめっちゃ顔整ってるし可愛いもんね。愛嬌もあってアイドルみたいじゃん。家でもあんな感じなの?」
「え、わかる。クッッソ可愛いよね。家ではもうちょっとクールなんだけど、そのギャップに萌え散らかすっていうか」
言いながら俺はハッとした。
古賀くんが異常に話しやすいが故に調子に乗って、つい素で話してしまった。
これでも学校では一応、真面目で落ち着いたキャラで通しているのに。
「あっ……ごめん……忘れてほしい」
だらだらと冷や汗が垂れている。口から出てしまった言葉はもう取り返しがつかない。
焦ってしどろもどろになる俺を見て、古賀くんはぽかんとした顔をしていたけど、やがてぶはっと突然吹き出した。
「……っぷ、あはは! 意外。日南くんの口からクソとか萌え散らかすとか出るの、面白すぎんだけど」
「いや本当に……! ごめん、申し訳ないけど忘れてほしい、間違えた……!」
「や、誰にも言わないから大丈夫。そっかぁ、日南くんってもしかしてさぁ、弟くんが可愛くて可愛くて仕方がないタイプ?」
ニヤリと笑いながら核心をつかれてしまえば、観念した俺は肩を竦めながらしおしおと答えた。
「お恥ずかしながら……」
「わかるよ。俺も再婚なんだけど、義理の弟可愛くてしゃあないもん。1個下なんだけどさ、可愛すぎてスマチャで弟アカウントとか作っちゃってんの。ウケんでしょ」
「……今なんて?」
なんだか聞き捨てならない単語が出てきた気がする。
俺が真顔で聞き返すと、驚かせてしまったのか、朗らかに笑っていた古賀くんは急に真剣な顔つきになった。
「え? なにが? どれ?」
「スマチャ……って言った?」
「え、うん。スマチャでブラコンアカウントを……」
「俺もスマチャで弟アカ持ってる」
反射的に早口で言い立てると、古賀くんの目がみるみるうちに大きく見開かれていくのを見た。
「は? まって、ユザネなに?」
「遠藤っていうんだけど、待って今画面見せるから……」
「遠藤氏!?」
ビクッと肩を上げてしまうほど大きな声だった。
古賀くんはしまったというような顔をして、すんませんと周囲に軽く頭を下げている。
俺の方に再び向き直ったかと思えば、素早くスマホを取り出して操作し始めた。
……聞き間違いでなくとも今、確かに俺のことを『遠藤氏』って言っただろうか。
記憶の中でも俺のことをそんな風に呼ぶフォロワーは、たった一人しか思い浮かばないのだが──。
「俺の名前、これ」
古賀くんが俺の眼前にスマホの画面を見せてくれた。そのヘッダーとアイコンには見覚えがあって、画面に表示されている名前を見た瞬間、俺は声にならない声を上げて息を呑んだ。
「えええっ、すべ氏……!?」
「そー。『ワクワクすべり台』です」
──まさかの相互フォロワー。
こんなところで身バレするなんて、嬉しいような気恥ずかしいような、なんとも言えない甘酸っぱい気持ちが心を満たしている。
えーと唸りながらもじもじしてしまうが、どうやら古賀くんも同じ心境なようで、どこかそわそわとした様子で口元を覆いながら視線を彷徨わせている。
「はー、嘘でしょ、こんな偶然あるんだね。やば、同級生が相互とか運命すぎでしょ。ちょっと記念に写真撮ろ」
「うんいいよ。……俺、手汗やばいんだけど」
「俺も俺も。てか連絡先教えてよ。今度オフ会しよ」
あっという間に距離を縮めた俺達は、その後委員会が終わった後も、駅で別れるまでずっとお喋りが止まらなかった。
「お邪魔しまーす」
「どうぞ、散らかってるけど」
──翌週。
休日に勉強会兼オフ会と称して、早速俺の家に古賀くんがやってきた。
家にはオフモードの成海くんもいるし、俺達の仲がビジネスだと知っている人じゃないと家に呼びづらい。
そんなわけで友達を招くなんて滅多になかったので、朝からなんだか浮き足立って落ち着かなかった。
「全然散らかってないじゃん。イメージ通りピッカピカだね~てかなんか広いし」
「そりゃあね、お客さんに汚い部屋を見せるわけにいかないから」
古賀くんはへえ~と物珍しそうにきょろきょろとリビングを見渡している。
彼をダイニングテーブルの前に座るように促して、俺もその正面に腰を下ろした。
「よいしょっと。今日ご家族は?」
「父さんと母さんは墓参りに行ってて、弟は多分部屋にいるよ」
「えー意外。弟くん陽キャっぽいから、土日は友達と遊びまくりだと思ってた」
「真逆だよ。部屋でゲームばっかしてる」
外では猫を被っているからそうは見えないかもしれないが、成海くんは生粋のインドアだ。
面倒臭いからと部活もやっていないし、休日も一日中部屋に引きこもっている。
それでも決して陰気に見えないのは、やっぱり顔面が圧倒的に光っているからだろうか。
「そういえば日南くん、Y大受けるんだっけ。スマチャで前に進路について話したことあるよね」
「あーいや、結局辞めちゃったんだ。実家から通えるC大にしようかなと思ってるよ」
「え、もったいない。何で? 九条教授の講義とりたいって言ってなかった?」
「やー……そうなんだけどね、やっぱり今の俺には現実的じゃないなって……」
言い淀んで、問題集を開きかけながら固まってしまう。
SNSで偶然見かけた、Y大心理学部の紹介記事。そこで語られていたのは、『家族心理学』という俺にとって非常に興味を惹かれるテーマだった。だけど、そもそもY大を志望するには東京に引っ越さなければいけなくなる。
そうなれば本末転倒だ。実家から通える大学でないと、そもそも選択肢に入れることは難しい。
「それって弟くんと離れたくないから?」
「……うん、一番の理由はそこかも」
俺が言い淀んだ本音を見抜いてくれた古賀くんの言葉に、苦笑いを浮かべながら頷いた。
「そうだよね~。俺もできるだけ弟のそばにいたいもん。困ってたらすぐに助けてあげられる距離にいたい」
「それもそうだし、何より俺が寂しくてさー……めちゃくちゃ情けない話なんだけど」
恥ずかしさから、ううと唸りながら顔を両手で覆ってしまう。
「ただでさえうざがられてそうだし、このまま離れたら完全に縁が切れちゃいそうっていうか」
「あはは、いやわかるって。俺らの価値基準って、弟が中心で回ってんのよな」
さすがは長年の相互フォロワー。他人であれば絶対に言えないような本音も受け止めて共感してくれる。
肯定してもらえて、ほっと胸を撫で下ろした。
成海くんと離れるのが惜しい。たったそれだけの理由で志望校を決める自分を情けないと思う反面、それでもいいと感じる自分もいる。
「学ぶことはどこでもできるけど、成海くんは実家にしかいないからさ」
「っはは、何その名言。でも驚いた。あの弟くんが家ではお兄さんに素っ気ないなんて、想像できないなぁ」
「それならよかったよ。学校での振る舞いがうまくいってるってことだから」
「弟くんの方が日南くんに矢印向いてるように見えるしね。完全に騙されたよ」
そういえば以前、友人にも似たようなことを言われた気がする。
確かに学校での成海くんは俺によく懐いてくれる。きっと俺の理想とする弟を見抜いて、器用に演じてくれているのだろう。
仲の良いふりをしようとお願いしたわけじゃない。
いつしか『日南兄弟』と持て囃されるようになって、仲が悪いなんて口が裂けても言えるような空気じゃなくなってしまって、なんとなく仲の良い兄弟のふりをするようになった。
成海くんも迷惑しているに違いない。
そもそも本当に仲が良ければ、みんなを騙すみたいなあんなことをさせずに済んだのに。
「……たまに、俺じゃなかったらうまくやれたのかなって思うときがあるんだ」
こんなことまで言うつもりはなかったのに。口をついて出てしまったからには取り返しがつかない。
きょとんとした顔をする古賀くんの前で、慌ててヘラッと笑ってみせた。
「最初から成海くんは俺に対してどこか距離を取ってる感じがしてさ。どうにかその警戒を解いて、安心させてあげたいって思って接してきたつもりだったけど──」
今よりずっと背が低くて、頬が丸かった成海くん。
だけど少し離れた場所から俺を見上げるその瞳は子どもがするような純粋無垢なものには見えなかった。
冷たくて乾き切った、全てを諦めたような目。
事情はわからなかったけど、この子を笑顔にできるような兄でありたいと思ったあの日から、もう7年が経った。
「俺じゃ役不足みたい。最近はちょっとずつ喋ってくれるようにはなったんだけどね、きっと俺じゃない誰かが……それこそフレンドリーで明るい古賀くんとかだったら、もっと打ち解けられてたのかもって思うよ」
未だに成海くんの本音は聞けてないし、何を考えているのかちっともわからない。
近付こうにも一線を引かれていて、決して踏み込ませてもらえない。
見えない壁がもどかしい。
うまく立ち回れない自分に苛立ちが募る。
「んー、そうかなぁ」
モヤモヤと考え込んでいると、正面から気の抜けるような明るい声が聞こえてきた。
「でももしそうだったとしても──弟くんのお兄さんになったのは俺じゃなくて日南くんでしょ。何かの巡り合わせで家族になれたんだから、たらればなんてなくていいんだよ」
一点の曇りもないような顔で、古賀くんが笑う。
その笑顔を見たら、一瞬でモヤモヤが吹き飛ぶような気がした。
「あと多分日南くんは真面目すぎね。完璧な人間なんかいないの。ちょっとでも進展してるって嬉しそうに報告してくれたじゃん、あれが答えだよ」
「……でも」
「理想のお兄ちゃん像があるのはよーくわかるんだけど……多分日南くんは背伸びなんかしなくても、そのままでオッケー」
「えっ……どういう意味?」
気になって思わず前のめりになってしまう。彼はそんな俺を茶化すことなく、優しい語り口調で続きを話した。
「そばにいて声を掛けて、自分のこと気にしてくれる人がいるって、それだけで支えになるもんじゃない? ちゃんと素敵なお兄さんだって、俺は思うけどな」
古賀くんが与えてくれる言葉はキラキラとした輝きを纏っていて、胸をじんわりと照らしてくれるみたいだった。話し終えた後にどこかすっきりとした気持ちと、ほんのりとした温かさが残って、心地よかった。
花が育っていくのを見るのは好きだし、掃除や片付けも苦ではない。十月とはいえ残暑が厳しい中での草むしりは敬遠する人が多いが、むしろ受験に向けて面接や試験の対策をしていく中で、いい気分転換にもなっている。
「よかったら隣どうぞ」
その日、委員会のために教室を訪れた俺が席を探していると、近くから声を掛けられた。見れば、爽やかな笑顔の男の子が自分の隣を指してくれている。
ありがとう、と言いながら席に着くと、彼は身体を俺の方に向けて、そわそわとした様子で話しかけてきた。
「日南くんだよね。あの有名な兄弟の片割れの」
「あはは、うん。えっと、D組の古賀くん?」
「え、俺のこと知ってくれてるんだ。嬉しー。てかやば、近くで見るとやっぱかっこいいね。女の子が噂するのも頷けるよ」
「噂されてるのは成海くん……弟の方だよ。俺は全然モテないから」
「いやいや、俺に失礼だろそれ~。これだから無自覚イケメンは困るわ」
古賀くんは明るそうなイメージそのままに、話しやすい空気を纏いながら朗らかに笑ってくれる。何を言っても受け止めてくれそうな感じが頼もしくて、つられて俺も笑ってしまう。
「俺、日南くんとずっと話してみたかったんだよね」
「俺と?」
聞き返す俺の目をまっすぐ見て、うんと力強く頷いた。古賀くんとは一度も同じクラスになったことがないけど、何か共通点でもあるのだろうか。
「あのさ、ぶっちゃけ突然義理の弟ができたって──どんな気持ち?」
何の邪気もない、無垢な瞳。
キラキラと輝かせるその瞳の前で俺は瞬きを繰り返してから、うーんと顎に手を添えた。
「最初は戸惑ったけど、割とすぐに受け入れられたかな。俺、ずっと兄弟が欲しかったんだよね」
「そうなんだ。あの弟くんめっちゃ顔整ってるし可愛いもんね。愛嬌もあってアイドルみたいじゃん。家でもあんな感じなの?」
「え、わかる。クッッソ可愛いよね。家ではもうちょっとクールなんだけど、そのギャップに萌え散らかすっていうか」
言いながら俺はハッとした。
古賀くんが異常に話しやすいが故に調子に乗って、つい素で話してしまった。
これでも学校では一応、真面目で落ち着いたキャラで通しているのに。
「あっ……ごめん……忘れてほしい」
だらだらと冷や汗が垂れている。口から出てしまった言葉はもう取り返しがつかない。
焦ってしどろもどろになる俺を見て、古賀くんはぽかんとした顔をしていたけど、やがてぶはっと突然吹き出した。
「……っぷ、あはは! 意外。日南くんの口からクソとか萌え散らかすとか出るの、面白すぎんだけど」
「いや本当に……! ごめん、申し訳ないけど忘れてほしい、間違えた……!」
「や、誰にも言わないから大丈夫。そっかぁ、日南くんってもしかしてさぁ、弟くんが可愛くて可愛くて仕方がないタイプ?」
ニヤリと笑いながら核心をつかれてしまえば、観念した俺は肩を竦めながらしおしおと答えた。
「お恥ずかしながら……」
「わかるよ。俺も再婚なんだけど、義理の弟可愛くてしゃあないもん。1個下なんだけどさ、可愛すぎてスマチャで弟アカウントとか作っちゃってんの。ウケんでしょ」
「……今なんて?」
なんだか聞き捨てならない単語が出てきた気がする。
俺が真顔で聞き返すと、驚かせてしまったのか、朗らかに笑っていた古賀くんは急に真剣な顔つきになった。
「え? なにが? どれ?」
「スマチャ……って言った?」
「え、うん。スマチャでブラコンアカウントを……」
「俺もスマチャで弟アカ持ってる」
反射的に早口で言い立てると、古賀くんの目がみるみるうちに大きく見開かれていくのを見た。
「は? まって、ユザネなに?」
「遠藤っていうんだけど、待って今画面見せるから……」
「遠藤氏!?」
ビクッと肩を上げてしまうほど大きな声だった。
古賀くんはしまったというような顔をして、すんませんと周囲に軽く頭を下げている。
俺の方に再び向き直ったかと思えば、素早くスマホを取り出して操作し始めた。
……聞き間違いでなくとも今、確かに俺のことを『遠藤氏』って言っただろうか。
記憶の中でも俺のことをそんな風に呼ぶフォロワーは、たった一人しか思い浮かばないのだが──。
「俺の名前、これ」
古賀くんが俺の眼前にスマホの画面を見せてくれた。そのヘッダーとアイコンには見覚えがあって、画面に表示されている名前を見た瞬間、俺は声にならない声を上げて息を呑んだ。
「えええっ、すべ氏……!?」
「そー。『ワクワクすべり台』です」
──まさかの相互フォロワー。
こんなところで身バレするなんて、嬉しいような気恥ずかしいような、なんとも言えない甘酸っぱい気持ちが心を満たしている。
えーと唸りながらもじもじしてしまうが、どうやら古賀くんも同じ心境なようで、どこかそわそわとした様子で口元を覆いながら視線を彷徨わせている。
「はー、嘘でしょ、こんな偶然あるんだね。やば、同級生が相互とか運命すぎでしょ。ちょっと記念に写真撮ろ」
「うんいいよ。……俺、手汗やばいんだけど」
「俺も俺も。てか連絡先教えてよ。今度オフ会しよ」
あっという間に距離を縮めた俺達は、その後委員会が終わった後も、駅で別れるまでずっとお喋りが止まらなかった。
「お邪魔しまーす」
「どうぞ、散らかってるけど」
──翌週。
休日に勉強会兼オフ会と称して、早速俺の家に古賀くんがやってきた。
家にはオフモードの成海くんもいるし、俺達の仲がビジネスだと知っている人じゃないと家に呼びづらい。
そんなわけで友達を招くなんて滅多になかったので、朝からなんだか浮き足立って落ち着かなかった。
「全然散らかってないじゃん。イメージ通りピッカピカだね~てかなんか広いし」
「そりゃあね、お客さんに汚い部屋を見せるわけにいかないから」
古賀くんはへえ~と物珍しそうにきょろきょろとリビングを見渡している。
彼をダイニングテーブルの前に座るように促して、俺もその正面に腰を下ろした。
「よいしょっと。今日ご家族は?」
「父さんと母さんは墓参りに行ってて、弟は多分部屋にいるよ」
「えー意外。弟くん陽キャっぽいから、土日は友達と遊びまくりだと思ってた」
「真逆だよ。部屋でゲームばっかしてる」
外では猫を被っているからそうは見えないかもしれないが、成海くんは生粋のインドアだ。
面倒臭いからと部活もやっていないし、休日も一日中部屋に引きこもっている。
それでも決して陰気に見えないのは、やっぱり顔面が圧倒的に光っているからだろうか。
「そういえば日南くん、Y大受けるんだっけ。スマチャで前に進路について話したことあるよね」
「あーいや、結局辞めちゃったんだ。実家から通えるC大にしようかなと思ってるよ」
「え、もったいない。何で? 九条教授の講義とりたいって言ってなかった?」
「やー……そうなんだけどね、やっぱり今の俺には現実的じゃないなって……」
言い淀んで、問題集を開きかけながら固まってしまう。
SNSで偶然見かけた、Y大心理学部の紹介記事。そこで語られていたのは、『家族心理学』という俺にとって非常に興味を惹かれるテーマだった。だけど、そもそもY大を志望するには東京に引っ越さなければいけなくなる。
そうなれば本末転倒だ。実家から通える大学でないと、そもそも選択肢に入れることは難しい。
「それって弟くんと離れたくないから?」
「……うん、一番の理由はそこかも」
俺が言い淀んだ本音を見抜いてくれた古賀くんの言葉に、苦笑いを浮かべながら頷いた。
「そうだよね~。俺もできるだけ弟のそばにいたいもん。困ってたらすぐに助けてあげられる距離にいたい」
「それもそうだし、何より俺が寂しくてさー……めちゃくちゃ情けない話なんだけど」
恥ずかしさから、ううと唸りながら顔を両手で覆ってしまう。
「ただでさえうざがられてそうだし、このまま離れたら完全に縁が切れちゃいそうっていうか」
「あはは、いやわかるって。俺らの価値基準って、弟が中心で回ってんのよな」
さすがは長年の相互フォロワー。他人であれば絶対に言えないような本音も受け止めて共感してくれる。
肯定してもらえて、ほっと胸を撫で下ろした。
成海くんと離れるのが惜しい。たったそれだけの理由で志望校を決める自分を情けないと思う反面、それでもいいと感じる自分もいる。
「学ぶことはどこでもできるけど、成海くんは実家にしかいないからさ」
「っはは、何その名言。でも驚いた。あの弟くんが家ではお兄さんに素っ気ないなんて、想像できないなぁ」
「それならよかったよ。学校での振る舞いがうまくいってるってことだから」
「弟くんの方が日南くんに矢印向いてるように見えるしね。完全に騙されたよ」
そういえば以前、友人にも似たようなことを言われた気がする。
確かに学校での成海くんは俺によく懐いてくれる。きっと俺の理想とする弟を見抜いて、器用に演じてくれているのだろう。
仲の良いふりをしようとお願いしたわけじゃない。
いつしか『日南兄弟』と持て囃されるようになって、仲が悪いなんて口が裂けても言えるような空気じゃなくなってしまって、なんとなく仲の良い兄弟のふりをするようになった。
成海くんも迷惑しているに違いない。
そもそも本当に仲が良ければ、みんなを騙すみたいなあんなことをさせずに済んだのに。
「……たまに、俺じゃなかったらうまくやれたのかなって思うときがあるんだ」
こんなことまで言うつもりはなかったのに。口をついて出てしまったからには取り返しがつかない。
きょとんとした顔をする古賀くんの前で、慌ててヘラッと笑ってみせた。
「最初から成海くんは俺に対してどこか距離を取ってる感じがしてさ。どうにかその警戒を解いて、安心させてあげたいって思って接してきたつもりだったけど──」
今よりずっと背が低くて、頬が丸かった成海くん。
だけど少し離れた場所から俺を見上げるその瞳は子どもがするような純粋無垢なものには見えなかった。
冷たくて乾き切った、全てを諦めたような目。
事情はわからなかったけど、この子を笑顔にできるような兄でありたいと思ったあの日から、もう7年が経った。
「俺じゃ役不足みたい。最近はちょっとずつ喋ってくれるようにはなったんだけどね、きっと俺じゃない誰かが……それこそフレンドリーで明るい古賀くんとかだったら、もっと打ち解けられてたのかもって思うよ」
未だに成海くんの本音は聞けてないし、何を考えているのかちっともわからない。
近付こうにも一線を引かれていて、決して踏み込ませてもらえない。
見えない壁がもどかしい。
うまく立ち回れない自分に苛立ちが募る。
「んー、そうかなぁ」
モヤモヤと考え込んでいると、正面から気の抜けるような明るい声が聞こえてきた。
「でももしそうだったとしても──弟くんのお兄さんになったのは俺じゃなくて日南くんでしょ。何かの巡り合わせで家族になれたんだから、たらればなんてなくていいんだよ」
一点の曇りもないような顔で、古賀くんが笑う。
その笑顔を見たら、一瞬でモヤモヤが吹き飛ぶような気がした。
「あと多分日南くんは真面目すぎね。完璧な人間なんかいないの。ちょっとでも進展してるって嬉しそうに報告してくれたじゃん、あれが答えだよ」
「……でも」
「理想のお兄ちゃん像があるのはよーくわかるんだけど……多分日南くんは背伸びなんかしなくても、そのままでオッケー」
「えっ……どういう意味?」
気になって思わず前のめりになってしまう。彼はそんな俺を茶化すことなく、優しい語り口調で続きを話した。
「そばにいて声を掛けて、自分のこと気にしてくれる人がいるって、それだけで支えになるもんじゃない? ちゃんと素敵なお兄さんだって、俺は思うけどな」
古賀くんが与えてくれる言葉はキラキラとした輝きを纏っていて、胸をじんわりと照らしてくれるみたいだった。話し終えた後にどこかすっきりとした気持ちと、ほんのりとした温かさが残って、心地よかった。
