用事を済ませて生徒会室から出てきた俺は、スマホを開いて時計を確認した。
昼休みが終わるまで残り十五分。随分と時間を要してしまった。
まだ昼飯を済ませられていないので、急がなければいけない。
(成海くんはもう食べ終わったかな……)
俺も兄さんと食べたい、と答えてくれた成海くんの微笑みを思い出す。
あれは借り物の顔だってわかっているけど、それでも俺にとっては嬉しかった。
今は時間がないから帰ったらスマチャにこの無念をありったけ投稿しよう。
そう心に決めて自分の教室に戻ってきた俺だが、室内を取り巻く異様な雰囲気に気が付いた。
いつもよりざわついている女子達はどこか浮ついたような様子で、ある一点をちらちらと気にしている。
その視線の先を目で追ってみると──。
「えっ成海くん!?」
「──あ、兄さんおかえり」
あろうことか、俺の席で俺の友人達と談笑する成海くんの姿があった。
クラスに馴染もうとしているのかもしれないが、溢れ出るアイドルオーラは隠し切れておらず、遠くから見ても非常によく目立ってしまっている。
想像もしていなかった人物の登場に、驚いてすぐに言葉が出てこない。
いつも俺が勉強をしている机に成海くんがいるなんて。萌え袖で頬杖ついてて可愛すぎるんだが。
信じられない光景に固まる俺を見て、成海くんはクスクスと笑った。
「リアクション良すぎでしょ。そんなにびっくりした?」
「そりゃそうだよ。だって三年の教室来るの初めてじゃない?」
「確かに、言われてみればそうかも。──どう? 俺が来て嬉しい?」
こてん、と首を傾けて繰り出される、あざとすぎる上目遣い。俺の後ろで何人かがばたばたと倒れる音が聞こえた。
かくいう俺も心臓を撃ち抜かれ、今すぐにでも大声で可愛いと叫びたい気持ちでいっぱいだ。
しかし俺は兄で、ここは学校。優等生の日南沙也は、そんなことはしない。
「……嬉しいよ。でも、何しに来たの?」
ブラコンの自分をぐぐっと奥に押し込んで、平然と口元に笑みを携えた。
成海くんは俺の質問に答えるように、袖の長い右手を使って、机の上をぽんぽんと叩く。
そこには彼の弁当箱が置かれていた。
「弁当。一緒に食べるんでしょ」
さも当たり前かのように成海くんが言うので、えっと思わず素で驚いた。
俺が成海くんの教室を訪れてから三十分は経っている。
いつ終わるかもわからない俺のことをずっと待っていてくれたのだろうか。
「うそ、ごめん。先に食べてくれてよかったのに」
「せっかく兄さんが頑張って誘ってくれたんだもん、それぐらい待つよ」
「成海くん……」
やばい、気を抜いたら目から雫がこぼれそうだ。
たとえこれが周囲の好感度を上げるための発言だったとしても、俺は今日の出来事を一生忘れないだろう。
サトシに席を譲ってもらって、俺は机を挟んで成海くんの前に腰掛ける。
同じ中身の弁当箱を広げると、途端に甘酸っぱい気持ちが込み上げて、柄にもなくえへへ、と笑いをこぼしてしまった。
「ありがとう……夢みたいだ」
自分の口元がだらしなく緩んでいるのがわかる。
でもそんなことに気を回したくないぐらい、今はこの時間を噛み締めていたい。
にまにまと口元を緩めながらおかずを口に運んでいると、ふと正面から視線を感じた。
視線の主は成海くんだ。
どうやら彼は俺の顔をまじまじと観察していたようで、いつもは俺を映してくれない琥珀色の瞳がまっすぐに俺に向けられている。
「貸しイチね」
小さな声で成海くんが言うのが聞こえて、苦笑いをこぼす。
彼が通常運転だと知って少しだけ緊張が解れた。
上品な所作でおかずを口に運ぶ姿は、男で、しかも身内である俺ですら見惚れてしまうほど綺麗だ。
伏せられた睫毛の一本一本すら抜かりなく、丹精込めて神様に作られたのだろう。
骨格や輪郭から一般人とはかけ離れていて、同じ制服を纏っているはずなのにこうも違うのかと新鮮に驚く。
兄弟である俺ですらそんな風に感じるのだから、普段は彼を見慣れないクラスメイトはもっと感動しているに違いない。
現にこうして静かに弁当を食べている間にも、周囲からはこっそり写真を撮られたり、注目の的にされていることには気付いている。
「なんか、落ち着かないね」
「そう? いつものことじゃん」
ある程度取り巻きとは距離が離れているけれど、それでもやっぱり他人の視線というのは気になる。
そわそわとする俺とは違って、成海くんはいつも通りの顔で食事を進めていた。
「成海くんはすごいよ。俺なんて未だに見られてるのに慣れなくてビクビクしちゃうし」
「んー、俺も全然気にならないわけじゃないけど。気にしない方法ならあるよ。教えてあげよっか」
「……っあるの? 教えてほしい」
いつも堂々としている成海くん。
ずっと何を考えているのか気になっていたから、餌に飛びつく魚のように、期待に満ちた目で彼を見た。
「俺だけ見てて」
しかし返ってきた言葉は予想外のものだったから、瞬きすら忘れて固まってしまった。
「周りが視界に入らないように、目の前の俺にだけ集中すんの。簡単でしょ?」
「……っ、いやいや、恥ずかしいよ」
「こら、目ぇ逸らしたらダメ。俺のことだけ考えて、俺で頭いっぱいにしてよ」
琥珀色の瞳が試すように俺を見ている。細められた目に呼応するように、悪戯に口角がゆるりと上がった。
「できるでしょ? 沙也ちゃんなら」
俺はいったい、何を言われているんだろう。
成海くんに言われた言葉がじわじわと脳内を侵食して、次第に何も考えられなくなってくる。
突然名前を呼ばれると頭が真っ白になって、心臓に悪いことだって初めて知った。
今すぐにでも逃げ出したくなるような衝動をぐっと堪えて、おそるおそる顔を上げた。無言で俺を見つめるその瞳にじっと視線を絡めてみる。
チリチリと胸の奥で何かが弾けるような音がする。どうにか目を合わせてほしいと思っていた頃は、目を合わせることがこんなに恥ずかしいなんて知らなかった。
……そうだ。七年間ずっと俺達の仲は平行線だったはずなのに、俺は今やっとの思いで成海くんと弁当を食べている。
外野なんて関係ない。一秒でも長く彼の姿を目に焼き付けなければ。
きっと数秒の時間が、随分と長い時間のように感じた。
しばらく静かに俺と目を合わせてくれていた彼は、俺の気持ちの変化を表情から見抜いたのか、やがて満足そうに目を細めた。
「いい顔。その調子だよ、兄さん」
褒められた……!
無邪気な可愛らしい笑顔でこてんと首を傾ける仕草があざとくて可愛い。
だけどどこか作り物のような今の笑顔より、さっきの悪ガキみたいな笑顔の方が好きかもしれない。
「てか兄さんって料理もできるんでしょ」
「うーん、一応それなりには。さすがに母さんみたいな立派なおかずは作れないけど……」
「じゃあ今度作ってきてよ、弁当」
「別にいいけど……えっ」
生返事をした後に、遅れて言葉の意味を理解して言葉を詰まらせた。
いつのまにか弁当箱を片付けていた成海くんが席を立つ。タイミングよく予鈴が鳴った。
「じゃあね、また夜に」
「……ああうん、また……」
さっきまでの王様然とした態度が嘘のように、あっというまに学園のアイドルに切り替わった成海くんが、周囲に笑顔を振り撒きながら教室を出ていく。
(……それって、また一緒に食べてくれるってこと?)
最初で最後。そう思っていたはずなのに、また俺は欲をかこうとしている。
昼休みが終わるまで残り十五分。随分と時間を要してしまった。
まだ昼飯を済ませられていないので、急がなければいけない。
(成海くんはもう食べ終わったかな……)
俺も兄さんと食べたい、と答えてくれた成海くんの微笑みを思い出す。
あれは借り物の顔だってわかっているけど、それでも俺にとっては嬉しかった。
今は時間がないから帰ったらスマチャにこの無念をありったけ投稿しよう。
そう心に決めて自分の教室に戻ってきた俺だが、室内を取り巻く異様な雰囲気に気が付いた。
いつもよりざわついている女子達はどこか浮ついたような様子で、ある一点をちらちらと気にしている。
その視線の先を目で追ってみると──。
「えっ成海くん!?」
「──あ、兄さんおかえり」
あろうことか、俺の席で俺の友人達と談笑する成海くんの姿があった。
クラスに馴染もうとしているのかもしれないが、溢れ出るアイドルオーラは隠し切れておらず、遠くから見ても非常によく目立ってしまっている。
想像もしていなかった人物の登場に、驚いてすぐに言葉が出てこない。
いつも俺が勉強をしている机に成海くんがいるなんて。萌え袖で頬杖ついてて可愛すぎるんだが。
信じられない光景に固まる俺を見て、成海くんはクスクスと笑った。
「リアクション良すぎでしょ。そんなにびっくりした?」
「そりゃそうだよ。だって三年の教室来るの初めてじゃない?」
「確かに、言われてみればそうかも。──どう? 俺が来て嬉しい?」
こてん、と首を傾けて繰り出される、あざとすぎる上目遣い。俺の後ろで何人かがばたばたと倒れる音が聞こえた。
かくいう俺も心臓を撃ち抜かれ、今すぐにでも大声で可愛いと叫びたい気持ちでいっぱいだ。
しかし俺は兄で、ここは学校。優等生の日南沙也は、そんなことはしない。
「……嬉しいよ。でも、何しに来たの?」
ブラコンの自分をぐぐっと奥に押し込んで、平然と口元に笑みを携えた。
成海くんは俺の質問に答えるように、袖の長い右手を使って、机の上をぽんぽんと叩く。
そこには彼の弁当箱が置かれていた。
「弁当。一緒に食べるんでしょ」
さも当たり前かのように成海くんが言うので、えっと思わず素で驚いた。
俺が成海くんの教室を訪れてから三十分は経っている。
いつ終わるかもわからない俺のことをずっと待っていてくれたのだろうか。
「うそ、ごめん。先に食べてくれてよかったのに」
「せっかく兄さんが頑張って誘ってくれたんだもん、それぐらい待つよ」
「成海くん……」
やばい、気を抜いたら目から雫がこぼれそうだ。
たとえこれが周囲の好感度を上げるための発言だったとしても、俺は今日の出来事を一生忘れないだろう。
サトシに席を譲ってもらって、俺は机を挟んで成海くんの前に腰掛ける。
同じ中身の弁当箱を広げると、途端に甘酸っぱい気持ちが込み上げて、柄にもなくえへへ、と笑いをこぼしてしまった。
「ありがとう……夢みたいだ」
自分の口元がだらしなく緩んでいるのがわかる。
でもそんなことに気を回したくないぐらい、今はこの時間を噛み締めていたい。
にまにまと口元を緩めながらおかずを口に運んでいると、ふと正面から視線を感じた。
視線の主は成海くんだ。
どうやら彼は俺の顔をまじまじと観察していたようで、いつもは俺を映してくれない琥珀色の瞳がまっすぐに俺に向けられている。
「貸しイチね」
小さな声で成海くんが言うのが聞こえて、苦笑いをこぼす。
彼が通常運転だと知って少しだけ緊張が解れた。
上品な所作でおかずを口に運ぶ姿は、男で、しかも身内である俺ですら見惚れてしまうほど綺麗だ。
伏せられた睫毛の一本一本すら抜かりなく、丹精込めて神様に作られたのだろう。
骨格や輪郭から一般人とはかけ離れていて、同じ制服を纏っているはずなのにこうも違うのかと新鮮に驚く。
兄弟である俺ですらそんな風に感じるのだから、普段は彼を見慣れないクラスメイトはもっと感動しているに違いない。
現にこうして静かに弁当を食べている間にも、周囲からはこっそり写真を撮られたり、注目の的にされていることには気付いている。
「なんか、落ち着かないね」
「そう? いつものことじゃん」
ある程度取り巻きとは距離が離れているけれど、それでもやっぱり他人の視線というのは気になる。
そわそわとする俺とは違って、成海くんはいつも通りの顔で食事を進めていた。
「成海くんはすごいよ。俺なんて未だに見られてるのに慣れなくてビクビクしちゃうし」
「んー、俺も全然気にならないわけじゃないけど。気にしない方法ならあるよ。教えてあげよっか」
「……っあるの? 教えてほしい」
いつも堂々としている成海くん。
ずっと何を考えているのか気になっていたから、餌に飛びつく魚のように、期待に満ちた目で彼を見た。
「俺だけ見てて」
しかし返ってきた言葉は予想外のものだったから、瞬きすら忘れて固まってしまった。
「周りが視界に入らないように、目の前の俺にだけ集中すんの。簡単でしょ?」
「……っ、いやいや、恥ずかしいよ」
「こら、目ぇ逸らしたらダメ。俺のことだけ考えて、俺で頭いっぱいにしてよ」
琥珀色の瞳が試すように俺を見ている。細められた目に呼応するように、悪戯に口角がゆるりと上がった。
「できるでしょ? 沙也ちゃんなら」
俺はいったい、何を言われているんだろう。
成海くんに言われた言葉がじわじわと脳内を侵食して、次第に何も考えられなくなってくる。
突然名前を呼ばれると頭が真っ白になって、心臓に悪いことだって初めて知った。
今すぐにでも逃げ出したくなるような衝動をぐっと堪えて、おそるおそる顔を上げた。無言で俺を見つめるその瞳にじっと視線を絡めてみる。
チリチリと胸の奥で何かが弾けるような音がする。どうにか目を合わせてほしいと思っていた頃は、目を合わせることがこんなに恥ずかしいなんて知らなかった。
……そうだ。七年間ずっと俺達の仲は平行線だったはずなのに、俺は今やっとの思いで成海くんと弁当を食べている。
外野なんて関係ない。一秒でも長く彼の姿を目に焼き付けなければ。
きっと数秒の時間が、随分と長い時間のように感じた。
しばらく静かに俺と目を合わせてくれていた彼は、俺の気持ちの変化を表情から見抜いたのか、やがて満足そうに目を細めた。
「いい顔。その調子だよ、兄さん」
褒められた……!
無邪気な可愛らしい笑顔でこてんと首を傾ける仕草があざとくて可愛い。
だけどどこか作り物のような今の笑顔より、さっきの悪ガキみたいな笑顔の方が好きかもしれない。
「てか兄さんって料理もできるんでしょ」
「うーん、一応それなりには。さすがに母さんみたいな立派なおかずは作れないけど……」
「じゃあ今度作ってきてよ、弁当」
「別にいいけど……えっ」
生返事をした後に、遅れて言葉の意味を理解して言葉を詰まらせた。
いつのまにか弁当箱を片付けていた成海くんが席を立つ。タイミングよく予鈴が鳴った。
「じゃあね、また夜に」
「……ああうん、また……」
さっきまでの王様然とした態度が嘘のように、あっというまに学園のアイドルに切り替わった成海くんが、周囲に笑顔を振り撒きながら教室を出ていく。
(……それって、また一緒に食べてくれるってこと?)
最初で最後。そう思っていたはずなのに、また俺は欲をかこうとしている。
