【急募】ビジネス仲良しの義弟を攻略する方法

《聞いてください……なぴちゃさんのアドバイスに従ったら早速進展がありました……》

 夕飯を終えて部屋に戻った俺は、早速なぴちゃにさっきの出来事を報告した。

《わぁ~よかったじゃん。てか本当に実践してくれたんだぁ》
《まだ手が震えてます…俺のことあだ名で呼んでくれただけじゃなく夕飯後なら声掛けてもいいって…》
《超進歩じゃん!おめ~。じゃあこれから声掛けるのぉ?》

 ──こ、これから!?
 確かに夕飯を終えたばかりだし、声を掛けるなら今のタイミングしかない。
 だけどさっき会話を交わしたばかりだ。この後部屋に行くなんて、ちょっと急すぎるのではないか。
 それにまだ心の準備が……。未だに胸がふわふわしていて、しばらくはさっきの余韻だけで生きていけそうなぐらいだし、そんなに焦らなくたって……。

《遠藤ちゃんのことだからどうせ、夢かもしれないししばらく様子見しとこう……とか思ってるんじゃない?》

 そんな風に呑気に考えていた俺のことを見透かすかのように、なぴちゃから核心をついたDMが届く。
 何故わかる。悔しいことに、あまりにも図星だ。

《な、何故それを》
《遠藤ちゃんわかりやすいんだもん笑 まぁいつ声掛けるかは自由だと思うけど──》

 文章は少しの改行の後に続いていた。

《早くしないと、弟くんの気持ち変わっちゃうかもねっ^_^》

 それを読んだ瞬間、ハッとした。
 そうだった。あの成海くんがこの俺にあんな信じられないことを言ってくれるなんて、もしかしたら数年に一度の気まぐれかもしれない。
 そうでなければ神様が俺に与えてくれたボーナスタイムか何かに違いない。
 だから最悪の場合、今日を逃して明日になれば、会話自体なかったことにされてしまう可能性だって──。

「──成海くん!」

 突如としてとてつもない焦燥感に駆られた俺は、ばたばたと廊下に出て勢いよく成海くんの部屋の扉を開け放った。
 言われた通り、この時間は本当に課題をする時間のようで、成海くんは静かに勉強机に向かっていた。
 そんな彼が騒がしい俺の声を聞き、うんざりした様子でこちらを振り向く。

「うるっさ……ノックぐらいしてよ」
「あ……ごめん、つい焦っちゃって……」

 指摘されて失態に気付く。成海くんの気が変わってしまったらどうしようと焦りすぎて、ノックすら忘れてしまった。
 あんなに怒られたのに約束すら守れないなんて、兄失格だ。
 出鼻を挫かれた俺が肩を落として縮こまる一方で、成海くんがカタンと机の上にペンを置く音が聞こえた。
 
「とりあえず、入れば?」

 気怠げな成海くんの瞳が、それでもきちんと俺を映してくれている。
 ……嘘みたいだ。
 成海くんが俺のことを部屋に招こうとしてくれるなんて、七年間で初めてのことだった。

 緊張でギチギチと固くなってしまった手足を必死に動かして、俺は初めて成海くんの城に足を踏み入れる。
 初めて成海くんの世界に入ることを許されたような、そんな気がした。

「それで? 俺に何か用?」

 勉強机の前で椅子に腰かけている、部屋着姿の成海くん。
 その前でフローリングに正座している俺。
 まるで俺達の関係性を表しているなと、どこか浮ついた頭でそう思った。

 初めて入る成海くんの部屋は想像よりも片付いていて、オレンジみたいな良い匂いがしている。部屋の中はおそらく成海くんが快適にゲームをできるように最適化されていて、小さい頃に見たときよりも家具の配置が大幅に変わっていた。
 俺の部屋と広さは一緒のはずなのに、成海くんと二人でいるからか狭く感じて緊張する。
 
(どうしよう、勢い余って来てみたはいいものの、何を喋ればいいんだ……!?)

 縮こまる俺の前で、成海くんは無言のまま、じっとこちらを見下ろしている。
 俺の返事を待ってくれているのかもしれないが、愛想笑いをして誤魔化すことしかできない。
 
「もしかしてさぁ、俺に声掛けていいって言われて舞い上がって──何にも考えてなかったとか?」
「……お恥ずかしながら」

 ……いや多分、何か考えてきたとしても、この部屋に入った瞬間に全て忘れていたに違いない。
 俺は今込み上げる感動を涙に変換しないように全神経を集中させるのに必死なのだ。
 こうして弟の部屋に二人でいると、まるで仲の良い兄弟にでもなれたようで、気を抜くとぐっときてしまう。

 そんな俺の努力を知らない成海くんは、どこかの国の王様のような佇まいで足を組んで頬杖をついている。

「ダメだなぁ、どうせ来るんなら俺を楽しませるつもりで考えてきてくれなきゃ」

 顔を上げると、彼は含みのある笑みを浮かべていた。
 
「何して遊ぶ? おにーちゃん」

 ぎしっと音を立てて、腰を浮かせた成海くんの顔が俺の前に近付く。
 まさかのお兄ちゃん呼び。妄想なら何度かしたことがあったが、さすがに現実は破壊力が違う。
 可愛さに目が眩む。こんなことなら、ボイスレコーダーでも買っておけばよかった……。
 綺麗な顔とお兄ちゃん呼びの破壊力に思考が飛びそうになりながら、なんとか平常心を保ち姿勢を正す。

「あ……じゃあUNOとか神経衰弱はどう? 俺の部屋にトランプあるから持ってくるよ」
「……はぁ」

 まさかのため息。しかも額を押さえて見るからにがっかりしている。
 結構自信があったのに。成海くんの渋い反応に焦った俺は、慌てて別の案を捻りだそうと頭を悩ませた。

「人生ゲームのがよかった? でも二人でやってもつまんないかな。あ、まって、今検索するから」

 困ったときはネットに頼るしかない。
 スマホを取り出そうとポケットを探る俺のもとに、再び大きな嘆息が落ちてきた。

「沙也ちゃんてさあ、モテないでしょ。せっかくの可愛い顔が台無しっていうか、言動のせいで顔面のバフほぼ無効っていうか」
「うっ……今それ関係ないでしょ。じゃあ成海くんの好きなゲームでもする? 俺そっち系疎いから、教えてよ」
「俺他人にゲーム教えんの嫌いなんだよねー。トロいヤツが味方にいるとストレスで禿げそうになるし、全部俺がやった方が早いんだもん」

 必死に探して提案しているというのに、何を言っても否定され、挙句の果てになんだか貶されている。
 一体この王子様はどんな回答をご所望なんだろうか。

「じゃあ成海くんは何がしたいのさ」

 焦れた俺が問いかけると、成海くんはじっと俺の目を見て答えた。

「もっと楽しいこと」
「……と言うと?」
「こっちきて」

 突然立ち上がった成海くんにぐいっと腕を引かれて、足をもつれさせながら立ち上がる。
 連れて行かれた先は何故かベッド。
 不思議に思っていたのも束の間、次の瞬間には俺はベッドに放り投げられていた。

「えっ……なに」

 背中に痛みを感じながら目を開くと、いつのまにか成海くんが俺に覆い被さっている。
 顔の横に付かれている両手が、逃げ場はないと俺にアピールしているみたいだ。
 
 ……綺麗だ。

 どこか仄暗い瞳が前髪の隙間から透けて見えて、瞬間的にそう思った。
 成海くんはたまにこういう目をして俺を見る。
 だからきっと好かれてはいないんだと思っていた。
 でも、こうして部屋に招き入れてくれたということは、少しは期待してもいいのだろうか。

「……ねえ、なんかリアクションしてよ。つまんな」

 どこか不機嫌そうな声が降ってきて、ハッと我に返った。
 
「えっと、もしかしてプロレスごっこ? 成海くんそういうの興味あるんだね、知らなかった」
「はぁ?」
「いいよ、俺運動あんまり得意じゃないけど……成海くんがやりたいなら……」
「──ぶはっ」

 話している途中で突然成海くんが吹き出したので、驚いて目を丸くしてしまった。
 成海くんは肩を震わせながらベッドから降りて、背中を丸めて笑いを噛み締めている。
 
「……っまって……ははっ、信じらんない。マジで天然記念物じゃん」
「えっ……俺はれっきとした人間だけど……」

 俺も身体を起こして首を捻る。
 話についていけずマジレスをしてしまったけと、今のは何かの例えだったのだろうか。
 成海くんはようやく落ち着いてきたようで、目に涙を浮かべながらこっちを振り返った。

「ここまで鈍いとは思わなかった。沙也ちゃん今からかわれてんの、わかんない?」
「え? からかうって……」

 意味がわからず眉根を寄せると、再び成海くんがベッドに乗り上げてきた。
 トンと肩を押されて、あっという間に背中がシーツに逆戻りする。
 視界いっぱいに広がる成海くんの顔は、不敵な笑みを浮かべていた。

「バーカ、弟に襲われそうになってんだって」

 その意味を理解した途端、一気に顔が熱くなるのを感じた。

「……っ!?」
「あはは、そーそー。そういうリアクションが見たかったんだよね。思い通りになりそうでならないよね、沙也ちゃん。攻略むずかしー」

 動揺して固まる俺を置いて、成海くんはクツクツと楽しそうに笑っている。
 からかわれた。それは嬉しい。
 でもそれにしたって、からかい方がダメだ。いくらなんでもタチが悪すぎる。
 俺の中の純真無垢ピュアエンジェルな成海くんはそんなからかい方は決してしない。
 これは一言物申しておかないと……。

「だ、ダメだよ成海くん……お、襲うとか、そういうのは十八歳未満は口にしちゃいけません」
「なんで。下ネタとかでフツーに話すでしょ。じゃあえっちなサイトとかも見たことないの?」
「エッ……!? そんなもの見るわけないでしょ!」
「え、てか沙也ちゃんってもしかして童貞?」

 ダメだ。成海くんの口から卑猥な言葉がたくさん飛び交うのに耐え切れず、俺は金魚のようにぱくぱくと口を動かすことしかできない。
 脳内キャパはとっくに容量オーバー。今にもパンクしてしまいそうだ。
 俺は即座に身体を起こしてベッドから降りると、駆け足で成海くんの部屋を後にした。

「あはは、逃げたー」

 後ろからからかうような声が聞こえてきたが、今は構っていられる余裕がない。
 自分の部屋に入ってようやく、大きく息を吸うことができた。

「……恐るべし十六歳」

 誰だ、俺の弟にあんな色気を仕込んだのは。
 足の力が抜けてしまって、背中を扉に付けたままふらふらとしゃがみ込む。
 何も知らずにまんまとからかわれた自分が、ひどく恥ずかしく感じた。