「沙也お願いっ、ノート写させて~」
ついさっきまで隣で寝こけていた友人が、顔の前で必死に両手を合わせている。大教室での講義を終えた俺は、たった今鞄の中にしまいかけたノートを再び取り出した。
「またかよ。いい加減講義中に爆睡してないでちゃんと話聞けよ。って言ったれ沙也」
「いいよ、はいどうぞ」
「ありがと~! まじ神助かる」
ためらいなくノートを手渡すと、友人は両手で丁重にそれを受け取った。すると反対側の隣から、もう一人の友人が待て待て、と不満そうに口を挟む声が聞こえる。
「おい沙也、そいつをあんま甘やかすなよ。どこまで聖人なんだおまえは」
「バイト忙しいもんね、寝ちゃうのは仕方ないよ」
「甘やかしの神、優しさの塊、俺もう沙也と付き合う」
「あー……それは無理、ごめんね」
間髪入れずに断ると、隣から盛大に吹き出す声が聞こえた。きゅるんとした顔で付き合う宣言をしてきた方の友人は、むすっとした顔で口を尖らせている。
「ガチで断られてて草」
「マジレス傷付く。ノリ悪~い。リア充の余裕うざいな」
「だって小松が本気にしたらいけないし」
「しねえわばか!」
軽口を叩きながら荷物をまとめて大教室を後にして、エレベーターに乗り込む。
「てかもうすぐでしょ、彼氏が東京来るの」
「うん。ちょうど来週だよ」
「え、沙也に会いにくんのー? 観光?」
「いや、春から同じ大学通うから、引っ越してくる」
当たり前のように俺と同じ大学を受験していた成海くんから合格報告を受けた日のことは記憶に新しい。
春休みでちょうど帰省していたから直接その場に立ち会うことができて、感動もひとしおだった。
「まじか、沙也の彼氏見たい」
「どんだけごねても見せてくんないもんな」
いつものような軽い調子で見せろ見せろと騒ぐ二人を無視して、エレベーターから降りる。歩いて校舎の外に出た瞬間、ポケットの中のスマホが振動した。
「絶対だめ。見たらみんな好きになるもん」
「うわ、惚気んのやめて」
「諦めんな、スマホ奪え福山!」
「ちょっ……! 無理、離してってば……!」
スマホを確認しようと取り出した瞬間、後ろから羽交い締めにされて身動きを封じられる。その隙にもう一人の友人が俺のスマホを奪おうと手を伸ばしてくるので、必死に抵抗した。
そのとき、不意に左腕が誰かにぶつかってしまった。拘束を解こうと結構な勢いで振り回したので、痛かったに違いない。さっと顔が青ざめる。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか」
友人の腕に閉じ込められたまま顔だけそちらに向けたそのとき、一瞬呼吸の仕方を忘れた。
「白昼堂々と浮気?」
俺は夢を見ているのだろうか。
艶のある黒髪を鬱陶しそうに払いながら、気怠そうな顔をして、大好きな人が目の前に立っている。
「な、成海くん、何で、来週のはずじゃ……!」
「びっくりさせたかったんだけど、他の男とイチャついてんのなに?」
「えっ……違うし、どこをどう見たらコレがイチャついてるように見えるの……!」
成海くんが俺の胸の前に回っている腕をじろりと一瞥すると、不穏な空気を察したのか友人がサッと俺のことを解放してくれた。
しかし成海くんの機嫌がすぐに戻るはずがない。むすっとした顔をしたままの彼から、小さく舌打ちの音が聞こえる。
「あーあ、ショックうけたもう無理。せっかく来たけどやっぱ帰ろうかな」
「ごめんって。ほら、大学案内してあげるから一緒に行こ?」
「無理。沙也ちゃんが俺の機嫌とってくれないと動けない」
「はあ……?」
どうやら面倒臭いモードに突入したらしい。
ポケットに手を突っ込んで不貞腐れ始める成海くんは、ただでさえ顔が良いので、周囲からの注目を集め始めている。一刻も早くこの場から離れさせないと……。
「成海くん」
俺は彼のそばに近付くと、人目を気にしながら控えめに彼の服の裾を掴んで、軽く引っ張った。
「帰るとか言わないでよ。俺が好きなのは成海くんだけなのに」
成海くんにしか聞こえないぐらいの声量で口にしたが、無事に聞こえたらしい。その証拠に成海くんの表情はみるみるうちに緩んでいって、ついにはわかりやすく相好を崩した。
「……うん、知ってる。いじめてごめんね」
顔から火を噴きそうなぐらい恥ずかしかったが、頑張ってよかった。なんとか機嫌を取り戻してくれた成海くんにほっと胸を撫で下ろした。
気をよくしたらしい成海くんは、急に人が変わったように微笑むと、俺の後ろに立っている友人二人のもとに近寄っていく。
「お友達ですか? いつも沙也がお世話になってます。これよければ、地元のお土産です」
「ええっ……いいんすか」
「ありがとうございます……」
放心状態の二人に紙袋を半ば押し付けるようにして渡すと、成海くんは行こ、と言いながら俺の手に指を絡めて、自分のもとにぐっと引き寄せた。
校舎とは反対の方角に向かっていく成海くんに気付いて、思わず待ってと声を掛ける。
「ねえっ、せっかく来たのに見ていかないの?」
「別にあと少ししたら嫌でも死ぬほど通うんだから今日はいいよ。それに──」
悪戯っぽく細められた瞳が、俺を見る。
「俺のこと見たら、みんな好きになっちゃうんだもんね?」
「えっ……?」
一瞬何のことかわからなかったが、すぐに自分がついさっき発した言葉だと気が付いて、じわじわと顔に熱が集まってきた。
「……っ、さっきの会話、聞いて……!?」
「っくく、沙也ちゃんは本当に可愛いなー。普段から俺の前でも、あれぐらい素直でいてよ」
「わーっ! もう、忘れて!」
何年経ってもきっと、成海くんには敵わない。
どうか明日も明後日も、無邪気に笑うその横顔を見られますようにと祈りを込めて、触れている指先に想いを宿した。
ついさっきまで隣で寝こけていた友人が、顔の前で必死に両手を合わせている。大教室での講義を終えた俺は、たった今鞄の中にしまいかけたノートを再び取り出した。
「またかよ。いい加減講義中に爆睡してないでちゃんと話聞けよ。って言ったれ沙也」
「いいよ、はいどうぞ」
「ありがと~! まじ神助かる」
ためらいなくノートを手渡すと、友人は両手で丁重にそれを受け取った。すると反対側の隣から、もう一人の友人が待て待て、と不満そうに口を挟む声が聞こえる。
「おい沙也、そいつをあんま甘やかすなよ。どこまで聖人なんだおまえは」
「バイト忙しいもんね、寝ちゃうのは仕方ないよ」
「甘やかしの神、優しさの塊、俺もう沙也と付き合う」
「あー……それは無理、ごめんね」
間髪入れずに断ると、隣から盛大に吹き出す声が聞こえた。きゅるんとした顔で付き合う宣言をしてきた方の友人は、むすっとした顔で口を尖らせている。
「ガチで断られてて草」
「マジレス傷付く。ノリ悪~い。リア充の余裕うざいな」
「だって小松が本気にしたらいけないし」
「しねえわばか!」
軽口を叩きながら荷物をまとめて大教室を後にして、エレベーターに乗り込む。
「てかもうすぐでしょ、彼氏が東京来るの」
「うん。ちょうど来週だよ」
「え、沙也に会いにくんのー? 観光?」
「いや、春から同じ大学通うから、引っ越してくる」
当たり前のように俺と同じ大学を受験していた成海くんから合格報告を受けた日のことは記憶に新しい。
春休みでちょうど帰省していたから直接その場に立ち会うことができて、感動もひとしおだった。
「まじか、沙也の彼氏見たい」
「どんだけごねても見せてくんないもんな」
いつものような軽い調子で見せろ見せろと騒ぐ二人を無視して、エレベーターから降りる。歩いて校舎の外に出た瞬間、ポケットの中のスマホが振動した。
「絶対だめ。見たらみんな好きになるもん」
「うわ、惚気んのやめて」
「諦めんな、スマホ奪え福山!」
「ちょっ……! 無理、離してってば……!」
スマホを確認しようと取り出した瞬間、後ろから羽交い締めにされて身動きを封じられる。その隙にもう一人の友人が俺のスマホを奪おうと手を伸ばしてくるので、必死に抵抗した。
そのとき、不意に左腕が誰かにぶつかってしまった。拘束を解こうと結構な勢いで振り回したので、痛かったに違いない。さっと顔が青ざめる。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか」
友人の腕に閉じ込められたまま顔だけそちらに向けたそのとき、一瞬呼吸の仕方を忘れた。
「白昼堂々と浮気?」
俺は夢を見ているのだろうか。
艶のある黒髪を鬱陶しそうに払いながら、気怠そうな顔をして、大好きな人が目の前に立っている。
「な、成海くん、何で、来週のはずじゃ……!」
「びっくりさせたかったんだけど、他の男とイチャついてんのなに?」
「えっ……違うし、どこをどう見たらコレがイチャついてるように見えるの……!」
成海くんが俺の胸の前に回っている腕をじろりと一瞥すると、不穏な空気を察したのか友人がサッと俺のことを解放してくれた。
しかし成海くんの機嫌がすぐに戻るはずがない。むすっとした顔をしたままの彼から、小さく舌打ちの音が聞こえる。
「あーあ、ショックうけたもう無理。せっかく来たけどやっぱ帰ろうかな」
「ごめんって。ほら、大学案内してあげるから一緒に行こ?」
「無理。沙也ちゃんが俺の機嫌とってくれないと動けない」
「はあ……?」
どうやら面倒臭いモードに突入したらしい。
ポケットに手を突っ込んで不貞腐れ始める成海くんは、ただでさえ顔が良いので、周囲からの注目を集め始めている。一刻も早くこの場から離れさせないと……。
「成海くん」
俺は彼のそばに近付くと、人目を気にしながら控えめに彼の服の裾を掴んで、軽く引っ張った。
「帰るとか言わないでよ。俺が好きなのは成海くんだけなのに」
成海くんにしか聞こえないぐらいの声量で口にしたが、無事に聞こえたらしい。その証拠に成海くんの表情はみるみるうちに緩んでいって、ついにはわかりやすく相好を崩した。
「……うん、知ってる。いじめてごめんね」
顔から火を噴きそうなぐらい恥ずかしかったが、頑張ってよかった。なんとか機嫌を取り戻してくれた成海くんにほっと胸を撫で下ろした。
気をよくしたらしい成海くんは、急に人が変わったように微笑むと、俺の後ろに立っている友人二人のもとに近寄っていく。
「お友達ですか? いつも沙也がお世話になってます。これよければ、地元のお土産です」
「ええっ……いいんすか」
「ありがとうございます……」
放心状態の二人に紙袋を半ば押し付けるようにして渡すと、成海くんは行こ、と言いながら俺の手に指を絡めて、自分のもとにぐっと引き寄せた。
校舎とは反対の方角に向かっていく成海くんに気付いて、思わず待ってと声を掛ける。
「ねえっ、せっかく来たのに見ていかないの?」
「別にあと少ししたら嫌でも死ぬほど通うんだから今日はいいよ。それに──」
悪戯っぽく細められた瞳が、俺を見る。
「俺のこと見たら、みんな好きになっちゃうんだもんね?」
「えっ……?」
一瞬何のことかわからなかったが、すぐに自分がついさっき発した言葉だと気が付いて、じわじわと顔に熱が集まってきた。
「……っ、さっきの会話、聞いて……!?」
「っくく、沙也ちゃんは本当に可愛いなー。普段から俺の前でも、あれぐらい素直でいてよ」
「わーっ! もう、忘れて!」
何年経ってもきっと、成海くんには敵わない。
どうか明日も明後日も、無邪気に笑うその横顔を見られますようにと祈りを込めて、触れている指先に想いを宿した。
