【急募】ビジネス仲良しの義弟を攻略する方法

「日南くん、看板こんな感じでどうかな?」
「いい感じ。あ、配色変えた? ラフよりこっちの方が好きだな」
「そうなの! 紫になってたけど目立つかな~って思って赤にしてみたんだ」
「あ、沙也~! ちょっとこっちも見て!」

 文化祭を目前に控えた今日は、午後の授業は準備の時間として充てられている。
 模擬店を予定している俺達のクラスは、各班に分かれて看板やメニューの作成を進めていて、俺はクラスメイトに呼ばれるままにうろうろと室内を巡回していた。

「いいね。この絵って杉山が書いたの?」
「可愛いだろ。C組のイメージキャラクター、ぽわわん」
「思ったより名前が可愛い」
「ぽわわんって感じするくない? このつぶらな瞳を見よ」
「うーん、ちょっとわかんないかも」

 オイ!と杉山が怒りながらどついてくるのを、笑いながら交わして腰を上げる。その瞬間後ろから、きゃっと小さな悲鳴が聞こえた。

「ねえ、日南くんっ。背中ペンキで汚れてるよ」
「え? 嘘っ、全然気づかなかった……」

 クラスメイトに写真を撮ってもらい見せてもらうと、確かに背中の下の方がべったりと赤いペンキで汚れていた。
 誰かの作業中にぶつかってしまったのだろうか。でもそんな記憶はないし、刷毛でさっと塗ったような塗り跡は、意図的に俺の背中に塗り付けたようで違和感を覚えた。

「これ取れるのかなあ。とりあえず着替えてきたら?」
「どうかな……そうする。ちょっと抜けるね」

 ロッカーの中から荷物を取り出し、一人教室を出て更衣室に向かった。廊下でも数人の生徒達が装飾を作っていて、溢れる文化祭ムードに気分が高揚する。

 成海くんと過ごせる高校生活もこれが最後か……。
 
 しみじみとしながら更衣室に入り、汚れてしまった制服のシャツを脱ぐ。鞄の中から替えのジャージを取り出した俺は、思わず目を剥いた。
 紺色のジャージの前側の部分が、同じように赤色のペンキで塗りたくられていたのだ。
 シャツに付けられたものより、もっと大胆に塗り広げられているそれを見て、言葉を失って立ち尽くしてしまう。

 鞄の中から今日ジャージを取り出した覚えはない。つまり、誰かが故意に俺のジャージをこっそり盗んで、赤色に塗ったことになる。

「……」

 背筋がぞっとする。しばらく色の付いたジャージと向き合っていた俺は結局、それを折り畳んで鞄の中に戻した。
 着てきたシャツをもう一度着直して、更衣室を出る。

(困ったな……。全く身に覚えがない)

 知らないうちに誰かの恨みを買ってしまったのだろうか。うーんと首を捻って頭を悩ませてみるが、全く思い当たらない。
 見知らぬ誰かから受ける悪意ほど気味の悪いものはない。

 一体誰がこんなことを……?

「日南先輩」

 教室に戻る道中、声を掛けられて振り向くと見覚えのない女の子が立っていた。艶のある長い髪が印象的な、大人しそうな様子の彼女は、どこか浮かない顔をしている。

「あの、さっき佐々木先生が呼んでました。旧校舎の資料室まで来てほしいって」
「佐々木先生が? そうなんだ、ありがとう」

 礼を言って微笑むと、気まずそうに視線を逸らされる。彼女はそのままぱたぱたと小走りで、廊下の曲がり角の向こう側に去っていってしまった。

 旧校舎の資料室。場所が場所なだけに、気が重くなる。一度生徒会の資料を探しに行ったことがあるが、とにかく埃っぽくて薄暗いのだ。
 渡り廊下を渡って旧校舎に向かっていくと、賑やかだった教室棟と打って変わって、旧校舎はシンと静まり返っていて人気を感じない。
 なんだか気味が悪いな、なんて思いながら、三階の奥まったところにある資料室の前に辿り着き、扉をノックした。

「失礼します、日南です」

 返事はない。そっと扉を開けてみるが、どうやら誰もいないようだ。入れ違いになってしまったのだろうか。
 呑気にそんなことを考えていたその時だった。

「うわっ……!」

 ドン、と後ろから思いっきり背中を押されて、俺は資料室の中に体勢を崩しながら転がり込んだ。
 その瞬間、ばたんと大きな音を立てて荒々しく扉が閉まる。ぱたぱたと廊下を駆けていく足音が遠ざかっていくのを、呆然としながら聞いていた。

 ……確かに今聞こえたはずだ。ドアが閉まる音と同時に、鍵が閉まるガチャンという音が。
 おそるおそる確認してみると、やはり扉は開かなかった。いくらそういうことに疎い俺でもわかる。どれだけ待ってもきっと、佐々木先生は来ないだろう。

 あれはあの子のついた嘘で、俺はたった今、あの女の子によって資料室に閉じ込められたのだ。

「……うーん、どっかで面識あったかな……」

 初対面だったように思う。後輩に何人か知り合いもいるが、あの子とは話したことがないはずだ。じゃあ何でこんなことを……?

 考えたって埒が明かない。とりあえず一刻も早くここから出なければ。
 そう考えた俺は、仲の良い友人達とのグループトークを開いて、『誰か資料室に来てくれない?』という内容を送信してみた。
 しばらく待ってみたが、既読はつかない。一人は実行委員で忙しくしているし、残り二人は看板の作成を手伝っていたから、気付いてないのだろう。

「っげほ……はあ、埃っぽい」

 ただでさえ狭い資料室の、両側にそびえ立つ背の高い本棚には、所狭しと本が敷き詰められている。
 棚に入りきらなかった本は、部屋の中央に置かれているデスクにまで積み重なって溢れかえっていて、雑然とした印象を受ける。

(返事が来るまでやることもないし、少し整頓しておくか……。)

 咳払いをしながら立ち上がって、床に散乱している段ボールを避けながらデスクに向かって歩いた。

「あれ、これって……」

 デスクの上に溢れかえっている本。その中に、『家族心理学』と記された本を見つけて思わず手に取った。
 まさかこんな所にあるなんて……。胸が一気に熱くなって、その瞬間は埃っぽさも息苦しさも忘れてしまった。

 ずっと読みたい思っていた、Y大の九条教授の本だ。どこを探しても在庫がなく、手に取る機会を持てなかったのに。
 こんな状況だというのに一気にテンションが上がって、丁寧に表紙の埃を払った後に、ぱらぱらとページをめくってみる。
 ざっと目次に目を通しただけで、この本の中に自分の学びたい分野が詰まっていることが一瞬でわかる。
 おもわず感嘆しながら、ぽつりと声を漏らした。

「……やっぱりいいなぁ」

 九条教授の講義を受けてみたいと、去年Y大のオープンキャンパスに行って芽生えた思いは、県外の大学は現実的に無理だからととっくに打ち消したはずだった。

 だけど今この本に目を通してみて実感する。俺はまだこの分野に未練を捨てきれていないのだと。

(……本当にこれでいいのかな)

 成海くんのそばにいることと自分の学びたいことを天秤にかけたって、どうしたって成海くんの方に傾くに決まっていると信じてきた。
 思えば俺の人生はいつも彼と何かを天秤にかけて、彼の方を優先してきたように思う。もちろん自分の選択に後悔はしていない。

 だけど最近、時々不安になる。

 成海くんの知らない顔を知るたびに、もうとっくに幼さのかけらもなくなって、大人の顔をするようになった彼を認めるたびに──近い将来、成海くんの方から俺のそばを離れていくんじゃないかという不安に襲われる。

 俺ばっかりが成海くんにこだわり続けて、勝手に自分の人生における選択の『理由』にして、いつか彼がいなくなってしまったとしたら。
 誰かを選んで俺のもとを離れていく彼を見送るとき、胸を張って自分の選択に後悔はしていないと言えるのだろうか。

 いつのまにか深く思考を巡らせていたらしい。ポケットの中に入れたスマホの振動音で我に返った。
 友人からの返信だろうか。期待して開いた画面には、なぜかスマチャの通知が届いていた。

《この前の件、考えてみたぁ?》

 通知の中身は、なぴちゃからのDMを受信したという知らせだった。相変わらずの間の抜けた話し方に、なんだかこちらまで気が抜けてしまう。
 この前の件とは、最後に彼女と交わしたやりとりのことだろう。

 ──遠藤ちゃんさぁ、弟くんのこと、本当に弟って思ってる?

 言葉遊びのようなその質問に、俺は結局答えることができなかった。そのままずるずると返信するタイミングを失っていたので、悩んでいる俺のことを気にしてくれていたのだろう。
 しばらく悩んだ末、指を這わせて文字を連ねた。

《確かに弟のことは、ひとりの人間として見ることのほうが増えてきたかなとは思いました》
《人間て笑》
《年下なのに俺なんかよりいつも、よっぽど余裕で落ち着いてるから》

 成海くんが焦る姿って、そういえば見たことがないような気がする。遅刻しそうになったときだってのんびりしてたし、二人きりのときだって俺が一人であたふたしているだけで、彼はいつでも飄々としている。
 汗をかくほど何かに真剣になることって、あるのかな……。そんな風に考えていると、スマホが通知を知らせた。

《じゃあ逆に弟くんは遠藤ちゃんのこと、どう見てるんだろうね?》

 見知った弟のはずなのに、大人びた瞳で見下ろされるたび、知らない誰かに見られているような気がして胸がざわついたことがある。
 成海くんの視界に俺はどういう風に映っているんだろう。
 
《ていうかなぴちゃさんって、何で俺のこと知ってるんですか》

 どうにも何かを気付かせようと誘導されているみたいで気が詰まる。
 なんとか話題を逸らそうと違う話題を切り出すと、俺が送ってから数秒の間を置いた後、いつもより少し遅いぐらいのペースでなぴちゃからの返信がきた。

《何でだと思う~?》
《学生さんですか?》
《そうだよぉ。遠藤ちゃんと同じ学校》

 これは新情報……!
 やっぱり読み通り学生で、同じ学校の生徒だったとは。

 いったいどこの誰なんだろう。うずうずと好奇心が込み上げてくるが、ここまで散々素性を隠されてきたんだから、きっとそう簡単には正体を明かしてくれるはずがない。

 ──それならば。
 俺はあることを思いついた。

《それなら俺のこと助けてくれません?》
《どういうこと?》
《実は不注意でいま第二校舎の資料室に閉じ込められちゃってて。鍵が開かないんです》

 送信した後に、我ながら名案だと心の中でガッツポーズをした。
 なぴちゃが自分から素性を明かしてくれないのなら、いっそ今ここに来させてしまえばいいのだ。
 つまりこれからこの扉を開けた人物が、なぴちゃの正体だということになる。

「はー……緊張してきた。どんな人なんだろ……」

 なぴちゃからの返信はない。今頃どうしようかと頭を悩ませているに違いない。
 その様子を想像しながら俺は、落ち着かなくて無駄にうろうろと狭い室内を歩き回った。

 俺のイメージするなぴちゃは、今時のギャルっぽい女子だ。うちの学校はそこそこの進学校だから、そんなに身だしなみを着崩している人は多くない。そう考えると、結構絞り込めると思うけど……。

 あれこれ呑気に考えていた俺は、突然ガンッと扉の外で音がするのが聞こえて、肩を上げて驚いてしまった。


 ……嘘だろ。あまりにも早すぎる。

 まさかもう来たのだろうか。だってまだメッセージを送ってから五分も経っていない。てっきり今頃俺にどう返信しようか悩んでいるのかと思っていたのに。


 怒涛の急展開すぎて、俺の方が心が追い付かない。ちょっと待って、とでも言いたくなるようなスピード感だ。
 扉の向こう側でガチャガチャと荒々しく音がする。どうやら鍵を開けてくれているみたいだ。
 なんだか、女の子にしてはかなり乱暴なような気がするような……。

(でも、ついになぴちゃが誰なのかわかるんだ……!)

 ごくりと息を呑んだ次の瞬間、待ち侘びていた扉は勢いよく開かれた。

 薄暗い部屋に光が差し込んで、眩しさに目を細める。なんとか無理やり瞼をこじ開けて、目を凝らした先にいたのは──。

「えっ…………成海くん?」

 予想外の人物の登場に、声が裏返ってしまった。目を見開く俺の前で、扉に手をかけたままの成海くんは涼しい顔をして立っている。
 どういうことだ。だってまさか、この状況って。

(成海くんが、なぴちゃなのか?)

 心臓がバクバクとうるさい。不確定な事実に脳内が埋め尽くされ、何て声をかけたらいいのかわからない。
 なぴちゃが俺に対して語りかけてきた言葉の数々を思い出せば、ますます訳がわからなくなった。
 
「沙也ちゃんじゃん、なにしてんの?」
「……え?」

 しかし気まずさに頭をフル回転させる俺の前で、成海くんは不思議そうに首を傾げた。

「こんなとこに鍵掛けて閉じこもって、悪趣味すぎない?」
「え……いや、俺はその……え? な、成海くんは何でここに……」
「はー……疲れた。ジャン負けして肝試しがてらここに資料取ってこいって拓実にパシられたんだよ。マジでだるい」

 成海くんは僅かに目を逸らしながらそう言い、肩を竦めた。
 無意識に警戒していたらしい。成海くんの言葉でじわじわと肩の力が抜けていくのがわかった。

 ──成海くんじゃなかった!

 よかった、と心の底から思ってしまった。だってもし、なぴちゃの正体が彼だったら、聞かれたくない言葉のあれこれがたくさん思い当たるからだ。
 ……じゃあ、本物のなぴちゃは?
 成海くんの方が先に資料室に到着してしまったのだろうか。俺のスマホはシンと静まり返っていて、新たな通知を知らせてくれることはない。

「っげほ、めっちゃ埃っぽいんだけど。よくこんなとこにいれたね」
「いやー……あはは……」

 まさか閉じ込められてましたとは言うわけにはいかない。苦笑する俺のそばで、成海くんが背の高い本棚に順番に目を通した後に、一冊の冊子を手に取った。

「あー見つけた。頼まれてたのコレだ」
「それって去年の文化祭資料?」
「うん。俺らの代は初めてだから参考にしたいんだって」

 よく見ると、この時期にしては不自然なぐらい、彼の額には珍しく汗が滲んでいる。パシられたと言っていたが、そんなに急いでここに来たのだろうか。
 じっと成海くんの横顔を凝視していると、彼は資料に目を落としたまま急に黙り込んでしまった。なんとなく、彼の纏う空気が不穏なものに変わったのを感じる。

「……ねえ、さっきからずっと隠れんぼしてるみたいだけど──いい加減出てきたら?」

 成海くんは急に扉の方を振り返って、誰もいないはずのそこに声を掛けた。
 不思議に思っていると、扉のガラスの向こうに背の低い影が映った。見かけた瞬間にぎょっとして心臓が跳ねる。
 音もなかったし、入口の近くに誰かがいるなんて全く気付かなかった。どうして成海くんは気付いたんだろう……。
 ゆらりと姿を現したその人を目にした途端、俺は思わず声をあげた。

「あれ、きみ……」
「……っ、ごめんなさい!」

 俺が指をさすのと、その子が勢いよく頭を下げるのはほぼ同時だった。面食らって固まる俺の前で、膝を震わせる彼女のつむじが見える。
 その子は確かに、俺のことを閉じ込めた女の子張本人だった。

「わ、わたし成海くんのことが好きで……振られたはらいせに、少しでも成海くんに嫌な思いさせてやりたいって思って……」

 顔を上げた彼女が、視線を彷徨わせながらぽつぽつと語り始める。その声は酷く震えていて、今にも泣き出しそうだった。

「ふ、不仲だってSNSに流したのも……お兄さんの服にペンキつけたのもわたしです………」
「あー……あれ……」

 思わず苦笑を漏らしてしまう。つけられた事実は変わらないが、犯人がわかってしまえば幾分かすっきりした。
 でも、どうして成海くんのはらいせが俺なんだろう。普通はそういうのって、本人にするものじゃないのだろうか。

「今の話、どういうこと?」

 背後から声がして振り向くと、成海くんが眉間に皺を寄せていた。苛立ったように目を細めるその様子からは、静かな怒りを感じさせる。学校では猫を被っているはずの彼が、他人の前でこんな顔をするなんて初めてのことだ。

「あ、え、えっと……」
「兄さんになにしたの? 返答次第ではタダじゃおかないけど」
「ご、ごめ、なさ……」
「謝罪とかいらないから質問に答えてくれない?」

 別人のような様子の成海くんに鋭い眼差しを向けられ、彼女は完全に委縮してしまっている。
 俺は慌てて間に割って入った。

「っ成海くん、大丈夫。俺は全然平気だから!」
「でも──」
「怒らないであげて。この子の気持ちもわかるから」

 成海くんはまだどこか不満そうにしていたけど、なんとか溜飲を下げてくれたようだ。
 扉の近くで震え上がる彼女の前に一歩近づく。
 涙で瞳を潤ませる彼女と目を合わせて、怖がらせないように柔らかく微笑んでみる。

「……好きな気持ちが大きいと、受け止めきれないこともあるよね。でも、成海くんを嫌わないであげて。誰を好きになるかは、成海くんの自由だから」

 何度も頭を下げながらごめんなさいと繰り返し、彼女は静かに廊下に去っていった。
 その姿を見送った後にようやく後ろを振り向くと、成海くんは黙ったままじっと俺のことを見ていた。

「なんですぐ俺を呼ばなかったの」

 責めるような声色からは、拗ねたような空気を感じる。
 
「迷惑かけたくなかったし、犯人の目的もわからないのに危ない目に遭わせたくなかったから……」
「じゃあどうやってここから出るつもりだったの」
「友達には連絡してあるから、待ってればいいかなって」
「は? なんで他のヤツには連絡してんの?」

 成海くんの顔が明らかに歪んで、声が一段と低くなる。勘違いでなければ、自分に連絡が来なかったから怒っているのだろうか。そんな些細なことで怒るなんて、なんだか彼らしくない。

「えーっと、本当に深い意味はなくって……」
「へぇ、単純に頭に浮かんだのが俺じゃなかったってわけ」
「……なんか怒ってる?」

 さすがに見過ごすわけにはいかず声を掛けると、腕を組んで壁にもたれかかる彼の視線が、じろっと俺に向けられた。不機嫌を前面に出しましたみたいな顔をしている。

「……沙也ちゃんが」
「俺が?」
「俺以外の人間に助けを求めたっていう事実が、死ぬほどムカつく」
「……えっ」

 どことなく話が飛躍している気がするのは気のせいだろうか。成海くんは学年も違うし、忙しいかなと選択肢からは無意識に外していただけなのだが……。
 想像の斜め上を行く回答のせいでフリーズしていた俺は、成海くんの纏うオーラがどんどん邪悪になっていくのを感じて、慌てて口を開いた。
 
「……っでも、成海くんのおかげで助かったのは事実だから」
「偶然なのに?」
「関係ないよ。ありがとう。偶然で助けに来れちゃうなんて、王子様みたいだよ」

 怒るかなと不安が一瞬頭をよぎったが、それより先に身体が動いた。成海くんのもとに近付いて、まるで子どもをあやすみたいに、よしよしとその頭を撫でてみた。
 前に成海くんにそうされて嬉しかったからだ。彼に効くかどうかはわからないが、少しでも気が静まればいい。

 もっと抵抗されるかと思ったが、案外すんなりと大人しく頭を撫でられている成海くん。意外に思ってその顔を覗き込むと、呆気にとられたようにぽかんとした表情をしていた。
 俺がじっとその顔を観察しているのに気付くと、ぱっと視線を逸らされて、仄かに頬に朱が差す。

「……こんなんで絆されると思うなよ」
「ふふ、思ってないよ」
「何か今日の沙也ちゃん、年上ぶっててうざい」
「ええ……だって年上だし」

 変えようのない事実を俺が口にすると、成海くんは悔しそうに唇を引き結んだ。はあ、という嘆息が聞こえたかと思えば、熱を帯びた目と視線が絡まる。

「こういうときに俺のことしか頭に浮かばないぐらい、普段から俺で頭いっぱいにしといてよ」

 成海くんの大きな手が、梳かすように俺の髪を撫でていく。耳を掠めるそれがくすぐったくて、思わず肩を竦めた。彼のもとに伸ばしていた手が宙を舞って垂れる。
 形成逆転。何故か今度は俺の方が頭を撫でられるような形になっていて、さっきまでの余裕ぶった自分なんてどこかに消え去った。

「次からは一番に俺を呼んで」
「……状況によるけど」
「よらない。沙也ちゃんは誰のもの?」

 頭を撫でていたはずの手が、意図的に耳に触れてくるのがわかる。ただでさえ頭の中が成海くんの言葉でいっぱいなのに、そんなことをされたら本当に溢れかえってしまう。

「……成海くん、の?」

 ぎこちなく言葉にして目を合わせれば、目に見えて機嫌良さそうに目尻が下がった。
 言ってることはめちゃくちゃだし、王子様というより、やっぱり中身は王様だ。
 そんな成海くんを嫌いになるどころか、心をかき乱されるばかりで──。
 その理由を俺が知るまで、あと少し。