【急募】ビジネス仲良しの義弟を攻略する方法

 届いた中華料理を成海くんと一緒に食べて、俺もシャワーを済ませて、あっという間に就寝時間が来た。

 いつもなら一階から聞こえてくるテレビの音や両親の笑い声がない室内は、どこか寂しさを感じさせる。
 部屋に戻ってきてスマホを覗くと、通知が一件。確認すると、なぴちゃからのDMの返信だった。

《喜んでもらえたならよかったぁ~。てかほんとにハグしたんだ笑》

 なんとなく小馬鹿にしてくるようなこの感じが懐かしく感じる。相変わらず失礼な人だ。
 俺は指を滑らせて、返信を打ち込んだ。

《なぴちゃさんの言葉が頭をよぎりまして、つい》
《ウケる~。なぴちゃの言うことならなんでも聞いてくれるの?》
《さすがに、なんでもは無理ですよ》
《ほんとかなぁ笑 最近は悩んでることないの~?》

 ぱっと頭に浮かんできたのは成海くんのことだ。
 最近の俺は成海くんの言動に一喜一憂して、振り回されてばかりいる。

 さっきの夕飯のときだって楽しい反面、目が合うたびにぎゅっと胸を掴まれるような感覚に襲われて、何でもないように装うのに必死だった。
 なぴちゃならまた気の利いたアドバイスをくれるだろうか。なんとなく今までも、なぴちゃの助言に従ってきたらなんだかんだで上手くいってきたような気がするし、話してみる価値はあるかもしれない。

《最近弟とよく喋るようになったんですけど》
《ほうほう》
《なんか緊張しちゃうっていうか、無駄にドキドキしちゃって変なんですよね。いちいち距離が近いから意識しちゃうっていうか》

 送信した後、しばらくスマホが静まり返る。何かを入力しているらしいが、まだ返事はこない。
 何かを言い淀んでいるのだろうか。何とも言えない気持ちで返信を待っていると、しばらくしてそれは返ってきた。

《それって好きってこと?》
《はい?》
《弟くんのこと好きなんじゃない?》
《そりゃ好きですよ、家族だし》

 俺が送ると、被せるようにすぐに返信は来た。

《そういう好きじゃなくてさぁ、恋とかのほう》

 文字を送ろうとしていた指を止めて、息を呑む。送られてきた文字を頭の中で繰り返し読み上げた後に、小さく吹き出した。
 この人はまた、今度は何を言い出したかと思えば……。
 相談に乗ってくれるというから正直に話したのに、いつものおふざけモードのようだ。

《あの、ふざけてます?》
《ちっとも~》
《確かに俺はブラコンですけど、それは家族愛というか、そういう純粋な愛情なので》

 文字を打ち込みながら、先ほど見てしまった成海くんの裸を思い出し、僅かに罪悪感がよぎる。
 確かにあれには動揺してしまったけど、幼かったはずの弟の成長に驚いただけであって、決してやましいことを考えていたわけではない。そもそもやたらと色っぽくて、いい体つきをしている成海くんのせいだ。
 俺が文章を送ると、待ち構えていたようにすぐになぴちゃからの返信はきた。

《遠藤ちゃんさぁ、弟くんのこと、本当に弟って思ってる?》

 まるで言葉遊びのようだと思った。
 弟だから、弟だって思っているに決まっているのに。
 だけどきっとなぴちゃが言いたいのは、そんなに簡単な話ではないのだろう。

 その意味はわかっているけど、今の俺はそれ以上を考えることができない。
 なんとなく直感的に、踏み込んではいけないと感じたのだ。

*
 台風が近づいているからか、窓の外からはごうごうと強い風の音と、ガラスを叩き付けるような雨の音が聞こえてくる。
 布団に潜り込んでも眠気は訪れなくて、目が冴えてしまっている。なぴちゃに言われた言葉があれからずっと頭の中で反響しているからだろうか。

 成海くんへの気持ちが恋愛に発展することなんて、あるはずないのに。それなのにやけに引っかかるのはきっと、彼に対する自分の気持ちが変わってきている自覚はあるからだ。
 可愛いよりも似合う言葉が他にあって、手放しで愛でるには大人びている。そんな彼を前にすると、よくわからない感情になることがある。

 日付が変わった。成海くんはもう寝てしまっただろうか。
 隣の部屋からは物音が聞こえてこない。いつもなら誰かと話す声や、キーボードを叩く音が聞こえてくるはずなのに。
 俺は自室を出ると、ひたひたと裸足のまま廊下を歩いた。引き寄せられるように成海くんの部屋の前で立ち止まって、そっとノックをする。
 
「……成海くん、起きてる?」

 小さな声で呼び掛けた。寝ているかもしれない。だけどもし、起きているなら。

「──どうした?」

 ガチャ、とドアノブが下がって、成海くんが顔を出した。顔を見るとホッとして、その瞬間に、自分が無意識のうちに気を張っていたことに気が付いた。

「ごめん、なんか寝れなくて……その」

 特に理由なんてない。顔が見たかったなんて言ったら、きっと困るだろう。だから言葉を詰まらせてしまう。

 そんな俺を黙って見下ろしていた成海くんは、不意にぐいっと俺の手を引いた。俺を室内に引き寄せて扉を閉めると、俺の手を掴んだまま部屋の奥に進んでいく。
 常夜灯になっている室内は薄暗くて、足場が見えない。成海くんの背中だけが頼りだった。

 連れてこられたのはベッドの前だった。成海くんはベッドの端に腰掛けると、自分の隣に俺を引き寄せた。

「ちょっと話そ。そしたら頭すっきりするかもしれないし」
「……うん、ありがと」

 俺が何かを考えていることを見抜いたのだろうか。何も聞いてこないところが、成海くんなりの優しさなのかもしれない。

「なんか沙也ちゃんが俺の部屋にいるの、変な感じすんね」
「あはは、俺も。前から思ってたけど成海くんの部屋って成海くんっぽくていいよね」
「なにそれ、貶してる?」
「いや褒めてる! いい意味でってこと!」

 どうやら変な風に伝わってしまったらしい。全力で否定する俺を見て、成海くんが吹き出した。

「ふはっ、そんな必死になんないでよ。そういうとこも可愛いけど」
「……っ」

 くしゃっとした笑顔も、可愛いという言葉も、全部が俺を喜ばせていく。
 部屋が暗くてよかった。だって俺の顔、多分今赤いはずだから。

「……はー、なんか修学旅行みたいで楽しいね。ますます寝れなくなりそう」
「そうだね……」

 成海くんにとってはそういう認識なのか。俺からしたら修学旅行なんていう純粋に楽しいものじゃなくて、もっと胸をくすぐられるような感じがする。
 成海くんが隣にいる。いつもは成海くんが寝ているベッドに、並んで座っている。意識し出すと止まらなくて、さっきなぴちゃに言われたことだって頭に浮かんできて、咄嗟に考えないようにぎゅっと目を瞑った。
 
「……沙也ちゃんは」

 うるさい心臓を必死に押し込める俺の隣で、成海くんがそう切り出した。やけに落ち着いたトーンなのが気になって、瞼を開いて顔ごと視線を向ける。

「母さんが再婚するって言ったとき、すぐに受け入れられた?」
「え?」

 思ってもいない話題だったので、思わずそう聞き返してしまった。成海くんは少し微笑んだまま、俺の答えを待ってくれている。
 その表情はどこか切なさに満ちていた。

「まあ、俺は割と。むしろ安心の方が大きかったかな。ずっと母さん一人で無理してたから」
「そっか。優しいね沙也ちゃんは」
「そんなことはないよ。成海くんだって……」

 言いかけた言葉は口の中に飲み込まれていった。成海くんが俺の言葉を制止するように、困ったような視線を向けてきたからだ。

「俺はね、全然だめだった。再婚も、連れ子がいて兄弟ができることも、到底受け入れられなかった」

 成海くんの口からそういう話が出るのは、初めてのことだった。俺は息を呑んで、口を引き結んだまま、彼の言葉の続きを待った。

「俺、家族にいい思い出がないんだ。両親が離婚したのが、俺がまだ幼稚園児の頃なんだけど、朝起きたら母さんがいなくなっててさ。父さんからは、母さんは遠くに行ったんだよって知らされたんだけど……」

 静かに降る雨のように、ぽつぽつと成海くんは語り出した。

「俺には意味がわからなくて。小学生の頃かな、こっそり母さんに会いに行ったんだよ」

 初めて聞かされる彼の過去。戸惑う心を押し込めつつ、その大人びた横顔を見つめることしか、俺にはできなかった。

「そしたらさ、知らない男と知らない子ども連れて、楽しそうに笑ってんの。本当にびっくりした。俺に気付いても、顔色ひとつ変えずに素通り。そこで初めて、俺は『捨てられたんだ』って気付いた」

 窓の外では強風が吹き荒れている。何かがガラスに当たって、コツンと音が鳴った。
 幼い頃の成海くんが頭に浮かぶようだった。きっと彼の心の中も、嵐のように激しく打ちのめされていたに違いない。縋りついた相手から突き放された彼の気持ちなんて、俺なんかに全てわかるはずもないが。

「家族って呆気なく崩壊するし、簡単に乗り換えられるんだってそこで知ったの」

 隣で自虐的に笑う成海くんを見ても、同じように笑うことなんてできるはずもなかった。

「だから再婚とか、ああ母さんがやってたことかって、最初は否定的だったし、もうどうでもいいやって投げやりだったんだけど」

 言いながら、ゆっくりと彼の視線が俺のほうに移る。

「沙也ちゃんってマジでめげないから」
「……俺?」

 急に自分の名前が出てきて、思いがけず目を見開いてしまう。成海くんはさっきまでとは違う優しげな顔をして、うんと頷いた。

「俺がどんだけ無視しても話しかけてくるし、勝手に世話焼こうとするし。どうせコイツもすぐにいなくなるって思ってたから、関わらないようにしてたのに」

 初めて成海くんの本音を聞いたような気がして、胸が痛くなる。
 彼があんな態度をとっていたのは、家族へのトラウマのせいだったのか。それも知らずに俺は、自分勝手に彼に押しかけてばかりだった。

「昔さぁ、俺が家出したの覚えてる? 中一ん時かな、反抗期の絶頂期で、家に帰るのが嫌になって深夜の街を彷徨ってたとき」
「覚えてるよ。俺が路地裏まで迎えに行ったよね」
「そう。あの時、初めて沙也ちゃんに怒られたの」

 覚えている。学校が終わって夜になっても成海くんが帰ってこなくて、警察沙汰になったあの日。俺は無我夢中で自転車を漕ぎ回して成海くんを探し出した。
 ようやく路地裏で黒猫を撫でている成海くん見つけたとき、心の底からホッとしたのと同時に、制御できないほどの怒りが込み上げてきて──。

──何してんだよ! こんな時間にこんな所で、なんかあったらどうすんのっ! 心配しただろ、バカ!

 後にも先にも、成海くんを叱ったのはあれっきりだ。
 あのときはもうとにかく感情がぐちゃぐちゃで、力任せに怒鳴ってしまったから、あのことは深く反省していたのに。

「こんなに本気で俺にぶつかってきてくれる人いるんだってわかって、怒られてんのに内心嬉しかった。怪我してる俺に気付いて、自分のハンカチを何の迷いもなく止血に使うし、なんか俺って大事にされてんだなーって初めて思えたんだよね」

 成海くんは懐かしむような顔で、楽しそうに笑っている。俺が猛反省した過去を、そんなに大切に思ってくれているなんて知らなかった。

「そういうの見てたら、沙也ちゃんとなら家族になってもいっかなって思えたんだよ」

 あの日路地裏で真っ暗な色をしていた瞳が、目の前で温かい色を宿している。
 家族の最適解なんて俺にはわからないし、これから先も正解なんて教えてあげられないかもしれない。

 空回りばっかりするし、また嫌な顔をされるようなこともしてしまうかもしれない。
 だけど成海くんがそうやって笑ってくれるなら、成海くんが笑顔でいられるような毎日を作ってあげたいと強く思う。

 成海くんと初めて出会った日に、俺がこの子を守ってあげるんだと誓ったあの気持ちと、根本は変わらない。
 だってどんなに傷付いたって全部ひとりで隠して、こんなに優しく笑う人を、俺は他に知らない。

「……ねえ、さっきから、なんで泣いてんの」

 言われて初めて、自分が泣いていることに気付いた。
 成海くんの親指が俺の目元に触れる。呆れたような、ちょっと困ったような笑顔が優しくて、胸が痛い。
 
「……っ、沙也ちゃん?」

 腕を伸ばして、俺より大きなその身体を包み込んだ。心臓の音が重なってひとつに聞こえる。じんわりと温かくて、成海くんがここにいると実感できた。

「……うざいぐらい伝わってると思うけど、俺だって成海くんと家族になれて、幸せだよ」

 正しく伝わることを祈って、回した腕にぎゅっと力を込めた。

「俺は、ずっと兄弟が欲しかったんだ。最初は浮かれて、成海くんの気持ちなんて考えずにズカズカ踏み込んでばっかりだった。気付けなくてごめんね」
「謝んないでよ。それが嬉しかったんだから」
「ううん、もっと寄り添ってあげればよかった」

 踏み込むんじゃなくて、たとえば雨の中で傘を傾けてあげるような気遣いができていたら、成海くんがひとりで抱え込むこともなかったのではないか。
 過去を悔やんだって何も生まれやしないけど、ぐるぐるとどうしようもないことばかり浮かんできてしまう。
 
「でも今は、兄弟だからとかじゃなくて、純粋に──そばにいるのが成海くんでよかったなって思ってる」

 兄弟が欲しい。あの頃はそう思っていた。だけど今は誰でもいいわけじゃなくて、そばにいるなら成海くんがいい。不器用で強がりで、優しくて温かい心を持っている成海くんがいい。心の底からそう思う。

「俺を信じてくれてありがとう」

 とくん、とくんとふたりの間で心臓の音が響く。一体どっちの音なんだろう。でも、こうしているとどうしようもなく落ち着く。
 ずっと黙っていた成海くんが、何かを喋る気配がした。

「……前から思ってたけど、沙也ちゃんって結構大胆だよね」
「……へ?」

 言われて初めて、この状況を認識した。
 成海くんのベッドに座ったまま、自分から彼の胸に抱き着いている。理解した途端、顔にかっと熱が集まる。

「うっ、うわああ! ご、ごめんっ……!」

 慌てて離れる俺のことを、成海くんがクツクツと喉を震わせて笑っている。
 穏やかな彼の顔を見ていたら何だか無性に抱き締めたくなって、自らそうしたくせに、今になって恥ずかしくてたまらない。

 なぴちゃに変なことを言われた後だからだろうか。
 いつもより変に意識して、ドキドキと胸を鳴らしながら、気まずくなって落ち着きなく俯くしかできない。

「いいよ、嬉しかった。沙也ちゃんのそういうまっすぐなとこ、嫌いじゃない」

 頭上から機嫌の良さそうな声が降ってくるのと同時に、ベッドの縁に手を置いていた俺の手にそっと何かが触れた。成海くんの手だ。

「……成海さん」
「はい」
「あの、この手は……何でしょう」

 重なっていただけの手が、指先まで絡めるようにぎゅっと握り込まれる。ぎょっとして顔を向けた先で、成海くんが静かに微笑んだ。

「こうしてたいんだけど、だめ?」

 珍しく縋るような声でそんなことを言われて、断る理由なんて見つかるはずもない。

「……いい、よ」

 言葉がつっかえてしまったのは、触れた指先が驚くほどに熱かったからだ。俺だって手汗をかいているが、成海くんだって負けないぐらいに熱い。

 成海くんも緊張しているのか?
 こんなになんでもないような顔をしているのに?
 ……まさか、そんなはずはないだろうけど。

 その夜、二人で初めて色んな話をした。学校の話とか両親の話とか、どれも他愛もない内容だったけど、繋がる指先から彼の楽しそうな様子が伝わってきて、特別な時間だった。

 窓の外では、嵐の音はもう止んでいた。