【急募】ビジネス仲良しの義弟を攻略する方法

 カーテンの隙間からこぼれる朝の光が心地よい朝。香ばしい匂いが充満するキッチンで玉子焼きを焼いていると、成海くんが二階から降りてきた。

「成海くん、おはよう」

 朝の成海くんはあちこち髪が跳ねていて、着ていたTシャツがシワシワになっている。無防備な姿が一段と可愛くて、庇護欲を掻き立てられる。
 声を掛けると、いつも以上にアンニュイな瞳が俺に向けられた。

 常であれば成海くんはここで俺を無視して、そのまま洗面所に向かっていくはずだが──。
 
「……おはよ」

 重なっている視線はそのままに、ふっと優しく目が細められる。
 初めて返事が返ってきたと理解した瞬間に頭が真っ白になって、思いがけず持っていた菜箸を落としてしまった。

「落としたよ」
「……ああ、ごめん」
「玉子焼き? いい匂いすんね」

 あろうことか菜箸まで拾ってくれた成海くんが俺の手元を覗き込んでいる。
 嘘みたいだ。まさか成海くんに挨拶を返してもらえる日が来るなんて、少し前までの俺なら想像もしていなかった。

(……なんかこうしていると、普通の兄弟みたいじゃない?)

 そわそわと落ち着かない俺の横で、成海くんはリラックスした様子で欠伸をしている。

「俺ね、朝弱いの。無視してたのって沙也ちゃんが嫌いだからとかじゃないよ」
「なんとなくわかってたよ。じゃあ毎日六時半ぐらいからずっと爆音でアラームが鳴ってるのって、あれやっぱり……」
「あー……気付かないでずっと寝てる」

 成海くんは視線を泳がせながら、ばつが悪そうな様子で苦笑した。

「つかなに、うるさかったんなら早く言ってよ。俺クソ迷惑じゃん」
「そのおかげで俺も起きれるし別に迷惑なんかじゃないよ。ていうかこれからは俺が起こそっか?」
「うーん……部屋に入ってこられるのはちょっと」

 明らかに嫌そうな様子の彼を見て、俺はまた己の言動を悔やんだ。すぐ調子に乗るのは悪い癖だ。仲が縮まったと思うとすぐに浮かれて余計なことを口にしてしまう。
 まだ成海くんは心を開こうとしてくれている段階だし、ここで俺がぐいぐい押しすぎてまた引かれてしまったら困る。控えめな言動を心がけないと。

「ごめん、さすがに嫌だよね」
「いやそうじゃなくて、寝ぼけて襲っちゃうかもしれないから。自衛してもらえると助かる」
「襲……っあ、あはは……」

(──朝から何を言っているんだ!)

 動揺を隠すように笑いながら、心の中で冷静に頭を抱えてしまう。
 成海くんの厄介なところは、俺に対してさらっとこういう冗談を言うところ。
 男同士だし、ましてや相手が俺だから、絶対にありえないとわかっているからこその発言なのだろう。

 だからそんな成海くんの発言に、いちいちドキッとしてることが知られたら──きっと引かれるに違いない。

(っていうか、心臓に悪いからやめてほしいんだよね……)

 最近の成海くんはなんというか、弟感が薄い。今までは俺が守ってあげなきゃという気持ちでいたけど、よく話すようになってわかったことだが、俺よりも落ち着いていて頼もしいと感じることの方が多い。
 むしろ俺の方が空回りしてばかりで、そんな俺を高いところから見下ろして笑っているような余裕すら感じる。

 そんな成海くんに慣れていない俺は、ますますおかしなリアクションをとってばかりだ。
 自分が自分じゃなくなるみたいな変な感覚。もっと自然に振る舞えたらいいのに。
 
「今日の弁当、沙也ちゃんが作ったの?」

 俺がうだうだと考え込みながら玉子焼きを焼き上げたところで、後ろから声が掛けられた。見れば、カウンターの上に並んでいるふたつの弁当箱を成海くんがまじまじと覗き込んでいる。

「うん、なんか茶色ばっかになっちゃったけど」
「いいじゃん。俺こういう方が好き。今日の昼一緒に食べようよ」
「……っ、いいの!?」

 思いがけない誘いをかけられて、食い気味に飛びついてしまった。
 実は今日早起きして弁当を作ったのも、一緒に食べないかと自分から成海くんを誘うつもりでいたからだ。
 成海くんから声を掛けてもらえるなんて嬉しい……。頑張って作った甲斐があった。

「場所、あとで連絡するね」

 薄く笑った成海くんが、洗面所へと去っていく。
 しっかり扉が閉まったのを確認してから、小さくガッツポーズをした。

*

《今日の俺は無敵。だって弟とランチの約束を取り付けてるから──》

 昼休みになると、成海くんに指定された教室で彼を待ちながら、俺はスマチャに勤しんでいた。
 今日の授業はいつもより長く感じた。昼になれば成海くんとごはんを食べられるのだと思うと、頬が緩みそうで堪えるのに必死だったのだ。
 呟きを投稿すると、しばらくしてコメントが届いた。相手は言うまでもなく、すべ氏だ。

《マジすか!仲直りしたんですね!よかったです!》
《いやああ、全部すべ氏のおかげです!ありがとうございました!》
《そんなそんなw当て馬役ならいつでも引き受けますよ(ドヤッ》
《今度ぜひお礼させてください!!》

 古賀くんも校内のどこかでこのチャットを開いているのだと思うと、なんだかおもしろい。

(古賀くんって実際に会うとあんなに爽やかなのに、文字打ちはがっつりオタクなんだよね。俺も大概、他人のこと言えないけど)

 現実とのギャップがおかしくてクスクスと笑っていたところ、

「誰とメッセしてんの」

 と、不意に後ろから声が聞こえて、思わずスマホを落としそうになった。
 危ない、朝の菜箸に続いてスマホまで落とすところだった。振り向くと、成海くんが腰を屈めて俺のスマホを覗き込んでいる。
 俺は慌ててスマホの画面を見えないように隠した。

「……びっくりした。成海くん、おつかれさま」
「ねえダレ」
「く、クラスの子! テスト範囲聞かれただけだよ」
「わざわざ沙也ちゃんに? いま昼休みなんだし他のヤツに口頭で聞けばよくね」

 確かに、とどこか冷静に納得してしまって、それ以上何も言えなくなってしまう。
 咄嗟に思いついたものだが、我ながら苦しすぎる嘘だ。
 だからといってオタク全開のスマチャの画面なんか見せるわけにはいかない。ましてや成海くんの専用アカウントがあるだなんて知られた暁には、二度と口を聞いてもらえなくなりそうだし……。

「……まあまあっ。とりあえず食べようよ」

 未だに怪訝そうな顔をする成海くんを宥めて、なんとか正面の席に座ってもらうことに成功した。
 俺達の周りにはいつもの騒がしい喧騒とは真逆の、静かな空間が広がっている。

「っていうか誰もいないけど、こんな所でいいの?」
「なんで?」
「え、だって、二人で食べる意味なくなっちゃうかなって」

 成海くんが校内でわざわざ俺に話しかけてくれたり愛想よくしてくれるのは、周囲に兄弟の仲が悪くないということを示すためのフェイクだということは理解しているつもりだ。
 だから今回一緒に昼食をとろうと誘ってくれたことだって、その延長線上にあると思っていた。
 この前だって周りに見せつけるようなことをしていたし、家でも会える俺とわざわざ昼休みまで一緒にいてくれるなんて、逆にそれ以外の理由が思いつかない。

 そういう意味を込めて聞いてみたのに、成海くんは訝しげな顔をして俺を見た。
 
「……意味ってなに? もしかしてまだ兄弟ごっこしたいの?」
「いや、俺は嬉しいよ。成海くんと食べれるんなら、どこだって嬉しい」
「俺もだよ」
「え? そうなの?」
「沙也ちゃんなんか勘違いしてるでしょ」

 きょとんとする俺を見て、やっぱりとでも言いたげに呆れたような息を漏らした。

「俺は今日別に、周りに仲良しアピールしたくて誘ったわけじゃないよ。単純に沙也ちゃんと昼飯食べたいなって思っただけ」
「……」
「何その顔。キモいんだけど」

 酷い言われようだ。でもそんなのどうでもよくなるぐらい、信じられなくて表情筋が溶ける。
 にやけるのを必死に堪えているせいで口元を震わせて目をかっ開くしかない。
 俺の思い描いていた妄想よりも遥かに満足度が高い。こんなにもったいない言葉ばかり貰っていいのだろうか。そうして不安になってくるほど、成海くんがデレている。

「それに周りには、普段から散々見せつけてるから十分。つか沙也ちゃんだって、他のヤツいるとそわそわして落ち着かないじゃん」
「あはは、実際そうなんだよね……」

 現にこの間だって女子達の視線が気になって、食べていたおかずの味なんてほとんどわからなかった。
 もしかして俺があのとき居心地悪そうにしていたから、気を遣ってくれたのだろうか。

「いただきます」

 律儀に両手を合わせてから箸を持つところが、成海くんらしいと思った。
 成海くんが俺の作った玉子焼きを食べている。
 口に合うだろうか。成海くんは甘党だから一応甘めにはしてみたけど、自信はあんまりない。

「食べないの」
「食べます……!」

 食い入るように見つめていたせいか、咎めるような視線を受けてしまった。
 慌てて俺も目についた生姜焼きを口にする。

「めっちゃ美味い。けど、もしかしてわざわざ全部手作りしたの?」
「昨日の夜にある程度仕込んでおいたから、ほとんど焼くだけしかしてないよ」
「えー……それってさぁ、俺のため?」

 わかっているくせに、わざわざ聞いてくるところがずるい。
 俺の目を覗き込むようなその瞳は、悪戯っぽく細められている。

「……そうだよ。成海くんに喜んでほしくて、つい張り切っちゃった」

 コホンと咳払いをしながら言うと、成海くんが微笑んだ。

「そっか、ありがと」

 いつも気怠そうな顔をしている成海くんは、笑うと印象ががらっと変わる。
 色んな笑顔を見てきたけど、俺はこの笑顔がいちばん好きかもしれない。

 普段校内で猫を被っているときにしているような、隙のない笑顔じゃなくて、もっと自然で柔らかい笑顔。目尻が垂れて、形のいい唇がなだらかに弧を描く。どこか大人っぽさを感じさせるその表情から、目が離せなくなる。

「……沙也ちゃんって俺の顔好きだよね」
「えっ」
「だって俺の顔見ていっつも顔赤くしてるじゃん。ねえ、俺って沙也ちゃんのタイプ?」

 面と向かって指摘されると非常に恥ずかしい。じわじわと顔が赤くなっているらしい俺を見て、ほらまた、と笑われた。

「タイプっていうか……全員好きだと思います、きみの顔。嫌いな人いないよ」
「全員とか他人なんてどうでもよくて、俺は沙也ちゃんの意見が聞きたいっつってんの。どうなの」
「ええ……そんなの言わなくてもなんとなくわかるでしょ」
「俺鈍感だからわかんないや」

 絶対にわかっているくせに、こういうときばっかり小賢しい。絶対に言うまで俺を逃すまいという強い意志をひしひしと感じる。
 悔しいと感じつつも、仕方ないなとすぐに思ってしまうものだから、やっぱり俺は成海くんに甘い。

「……きだよ」
「え? なんて?」
「~~っ、だから、好きだってば……!」

 本人に向かってこんなことを言わされるなんて、とんだ辱めだ。
 こんなのスマチャにしか吐き出したことないのに。
 半ば投げやりに言い放つと、満足したらしい成海くんは嬉しそうににっこりと笑った。

「よくできました。はい、いっぱい見ていーよ」

 目に見えてご機嫌だ。
 頬杖をついて少し顔を傾けて、息を漏らすように笑う。それだけで俺にとっては閃光なみに眩しい。

 俺をからかうのがそんなに楽しいのだろうか。
 真剣に困る俺を見て、あははと声を出して笑う成海くんに、勘弁してくれと嘆きたくなる。
 こっちは割と本気で、義弟相手に心をかき乱されているというのに。 

「ってか顔が好きとか、そんなの当たり前なんだけど、俺が好きなのが顔だけみたいじゃん」
「え、違うの?」

 面食らったような顔をする成海くんを見て、俺は自分の伝え方が間違っていたことに初めて気付いた。

「心外だな。俺はちゃんと成海くんの中身だって大好きです」
「俺あんなに冷たくしてたのに?」
「そんなの関係ないよ。だって本当は優しいの知ってるから」

 俺が言うと、成海くんはますます目を大きく見開いた。

「たまに母さんを手伝って洗濯物畳んでくれてるの、こっそり見掛けたりするんだ。洗い物だってシンクに残ってるの見たら放っとけないタイプじゃん、成海くんって」

 どちらも見掛けたのは一度だけではない。おそらく俺に見つからないようにこっそりと、誰もいないタイミングを見計らっているのだろう。
 リビングの隅っこでひっそりとタオルを畳む横顔も、ソファーで寝落ちする母さんの近くで、音を殺しながら皿やコップを洗う後ろ姿も、目撃するたびに声を掛けたい衝動をぐっと堪えて見守ってきた。

「どれだけツンツンしてても、そういう気遣いができる優しい人だってことはわかってたから、俺は全然気にならなかったよ。そりゃあ、無視されるのはちょっとは寂しかったけど」

 素っ気なくて、刺々しくて、ちょっとキツい。
 だけど大っぴらにしないような優しさを持っていて、気遣いができる。
 もっと成海くんのことを知りたい。出会ってからずっと、その思いは膨らむばかりだ。

「……ほんと沙也ちゃんって、俺を喜ばせるのが上手だね」

 成海くんの手が伸びて、俺の髪をくしゃっと撫で付けていった。

「沙也ちゃんに優しいって思ってもらいたくて、やってるだけかもしれないのに」

 視線が絡まる。困ったように緩められた表情はいつもより優しげに見えて、胸の奥が微かに疼いた。

「ごちそうさまでした」

 成海くんの手が離れていく。空になった弁当箱とは対照的に、心の器は温かいもので満たされるばかりだ。